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2008年6月30日

【読者論文】日本人のルーツと水素文明3

『連山』は読者論文(長文)を募集しています。熱い思いがある人は応募してください。→ クリック

(前コラムより)数学者の岡潔さんに『情緒と日本人』という文庫本があります。岡潔氏は世界的に有名な数学者です。大人の方は知る人が多いでしょう。ご存命中は随筆や対談集が出るとベストセラーになったそうです。


氏の代表的な業績がこの本の「はじめに」に紹介されています。それによると、「多変数複素関数論」という数学の分野で「三大問題」というものがあり、それに解決を与えられたとあります。この時点で私にはなんのことかわかりません。


この業績を理解できる外国人研究者は、岡先生を個人ではなく研究グループと思っていたそうです。これだけでも岡先生がいかに優れた研究者であるかが伝わると思います。新しい論文が発表されるたびに、海外から注文が殺到したとか。数学での業績は他にも沢山あるそうです。


しかし、岡先生は研究者であるだけなく、教育者でもあられました。奈良女子大学に奉職されてからは特にその傾向を強められ、日本の将来の為に幾つもの優れた本を出されました。当時は各界の有名人との対談も良く企画されたそうです。


気難しい文化人とは違って天真爛漫なお人柄であり、復刊された本の中には先生がジャンプしている写真が表紙になっている物もあります。


随筆に、『春宵十話』(光文社文庫、2006)『日本の国という水槽の水の入れ替え方 ~憂国の随想集~』『情緒と創造』『岡潔―日本の心』などがあります。


 

『小林秀雄全作品第25集 人間の建設』(新潮社、2004)は対談集です。伝記的著作には、『天上の歌 岡潔の生涯』『評伝 岡潔―花の章』『評伝 岡潔―星の章』があります。


日本人の情緒をテーマに書いておられ、奈良・明日香、弥生時代をも超えて、10万年も遡って日本を考えておられます。今回のコラムで先生とその著作を取り上げたのは、岡先生がそのように一貫して古代からの日本人の情緒を大切にしておられる事が文章に溢れ出ている点と、先生の言葉が心と魂を失ってしまった私達にそれを蘇らせる力を持っているからです。心と魂を失ったら私たちは人間ではなくなってしまいます。なんとしてでも蘇らせなければなりません。


数ヶ月前に発売されたこの『情緒と日本人』という文庫本は、情緒と私たちの民族性そのものがテーマであり、今回のコラムに打って付けでした。岡先生の各出版社から出ている随筆集から抜粋されており、短い文章に深い意味が詰まっています。私の紹介よりも先生の言葉に接してみてください。


「人と人との間には良く情が通じ、人と自然の間にも良く情が通じます。これが日本人です。『岡潔集』(第五巻)『情緒と日本人』第一章13ページ」

仕事や生活の必要上、特に社交的でなくても人と情を通わせなくてはならない方は多いでしょう。そこで培われたものはこの本でいる情緒とは大分異質なものではありますが、この文章を理解する助けにはなるはずです。


では、自然と良く情が通じますか。試してみて下さい。できれば大地に根ざしている外の木々や花が良いでしょう。どうでしょう、つつじと情が通じますか(群馬県立つつじが岡公園)。京都府
仁和寺「御室桜」

と気持ちが通い合いますか。もしそんな気がするなら、貴方は日本の情緒の基礎ができ始めていると思います。そうでないなら、ばからしいと思わずどうぞ自然と情を通わすことを今後も続けてみて下さい。「継続は力なり」です。貴方の「志が弱」まった時(『老子の思想』62ページ、マンガ老子1、2)向こうから語りかけてきます。

 


「たとえば、スミレの花を見るとき、あれはすみれの花だと見るのは理性的、知的な見方です。むらさき色だと見るのは、理性の世界での感覚的な見方です。そして、それはじっさいにあると見るのは実在感として見る見方です。

これらに対して、スミレの花はいいなあと見るのが情緒です。これが情緒と見る見方です。情緒と見たばあいすみれの花はいいなあと思います。芭蕉もほめています。漱石もほめています。『風蘭』同14ページ」 

今の貴方はピンクと桜色の違いがわかりますか。その違いがおぼろげながらでも情緒を伴って浮かんでくるでしょうか。違いがわかるなら人によって程度の差はあれ日本の情緒を感じておられると思います。

 

もしそうでないなら、感覚は鈍磨しているかもしれないし、もっと大切な情緒が貴方の中で窒息しているかもしれません。是非、外で澄んだ空気と美しい自然を感じて「スミレの花はいいなあ」と感じられる自分を取り戻して下さい。何はなくとも、それだけで幸せになりますよ。


しかし、美しい自然に触れられない環境にいる人はどうすればいいのでしょう。岡先生はこう語っておられます。


「私、前に一度やってみたんですが、あなた方も試みてご覧なさい。自分の心だけを見つめることを数日、一日でもよろしい、続けてごらんなさい。これはよいというような心の動きに会うかといいますと、つまり心の中に花のようなものが咲くかといいますと、そういうことは全然ない。それほど悪いことはしない。だから、たいていの人は、よほどよくいって、戒律を守っている。仏教では諸悪莫作(しょあくまくさ)、修善奉行(しゅぜんぶぎょう)、自浄其意(じじょうごい)といいます。これはこの順に修行をせよというのであって、諸悪莫作というのは悪いことはするなというのであって、これが戒律です。これを守り続けていくと心がだいぶ浄化される。そうすると善行が向こうからくるというのです。つまり春がくれば花が咲くようになるんです。『岡潔集』(第五巻)同14,5ページ」

私も街中に住んでおり、公園の花などの他はあまり自然に触れる機会がないのですが、心理学や哲学を通して自分を見つめるのではなく、経行(きんひん)そのより優れた解説)のように静かに淡々と心を見つめ続けるだけで、解放されるような時があります。

 

現代のメンタリティーでは、「心の中に花を」咲かせる方が良いと感じてしまうでしょう。しかし、岡先生は「それほど悪いことはしない。」と言っておられます。咲かせない方が良いと言うことなのですね。 


本当に良い物は味が淡泊です(マンガ菜根譚34ページ、子供向け菜根譚、文庫本)。淡々と心を見つめている内に、日本文化に特徴的な清浄の世界が自分の中に構築されてきます。ちなみに、心も良いですが、ハラに降りられる方はその方が良いでしょう。


 

先生によると、そうしていく内に善が向こうからやってくるそうです。贅沢な生活がやって来るのではないし、好みの異性が近づいてくるわけではありません。しかし、もっと美しい"コト"が自分の中から湧いてくるのです。 


善行の善と美はどちらも羊という漢字が基にあり、善と美が繋がっていることがわかります。

『成り立ちで知る漢字のおもしろ世界 動物植物編』『白川静の世界―漢字のものがたり』(別冊太陽)『白川静さんに学ぶ漢字は楽しい』『常用字解』『字統』



「善行が向こうからやってくる」と、美徳の花が自分の中に咲き、外からも見えるようになります。私もそんな状態から遠いですが、貴方も日本人としての精神感応を持ちながら希望をもって続けていきませんか。「観音様が見ている」のなら何とかなるでしょう。


参考:岡先生と数学「純粋日本人の数学」 「フランス雑感」

 

前コラムに関連して、岡先生の書かれている1~10万年遡った日本の古代と江戸時代の繋がりについて。

(続く)


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2008年6月 8日

【読者論文】日本人のルーツと水素文明2

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『連山』は読書コラムニストを募集しています。応募者は → クリック して下さい。
兼業作家や兼業ジャーナリストとなられる人には登竜門となるでしょう。
日本の伝統的社会からの有形無形のバックアップがあります。

1. 古代の真実を知る難しさ

古代日本にはいろいろな氏族が権力を争い、ある氏族は支配する側に、別の氏族は支配される側になり、時代を下れば、また違う氏族にそれらが入れ替わりしてきたようです。

こういう流れは人の歴史の必然ですが、どの氏族が正統だとかそうでないとか争いが生ずる前の、人が平穏に暮らしていた頃に私は惹かれます。後の正統を争う時代の人間の姿に虚しさと脱力を強く感じるのです。

なぜ争わなくてはならないのか、なぜ自分達が正統であると主張して相手を征服しなくてはならないのか、どちらも同じ人間なのになにか理由付けをして支配しようとする傾向を持つ人たちを、神々あるいは神仏は喜ばれるのでしょうか。

そういう思いが抜けないので、時代をさらに遡ってみたのです。

古代史に出てくる天孫降臨とか国譲りの話とか、古事記、日本書紀の時代以前は、素人が手探りで本やネットを漁っても、一体どれが真実なのか見分けがつかないと思います。一般人には、何が真実かを確かめる術はあまりありません。

素人が個人レベルで色々調べて出てくる言葉は、「あぁ、もぅ、何が何やらわけがわからん!」ではないでしょうか。時々潜在能力が豊かでそれを開花させられた方が、真実を探り当てることに概ね成功している場合もありますが。

未 知 へ の 憧 憬 ようこそコンピューター画像解析の世界へ!

『古代史料に見る縄文伝承』他1

連山に出会って初めて、旧士族のネットワークが今も存在しており、一子相伝か士族の家系の範囲内で歴史の秘められた真実が語り継がれているらしいことを知るのではないでしょうか。

私たち一般人が専門書や史跡を調べてもわかりえない古代のことや、戦国時代、幕末・明治時代以後の真相も、旧士族の中では密かに語り伝えられている、という事のようです。

しかし、一般人や、たとえ家系的に士族と繋がりがあってもそれを忘れて伝統を保持していない家の人には、知る事ができません・・・。

できれば、そんな大切な事実こそ、安全な時代になれば一般人も知りたいですね。

2. 日本の本質を表すやまとことば

そのような、今もこれからも知る可能性が少ない秘密に触れられない私たちは、出版されている本や旧跡探訪を通して書き物の記録が残っている時代をさらに遡り、特定の氏族達が勢力を誇る前の、ほとんど全員が質素で平和な生活を営んでいたと思われる古代に思いをはせ、そこに根を張るのが日本の本質を掴むのに良いと思います。

日本人の特性(その勤勉さの原点を探る

飛鳥・奈良時代と弥生時代を超えて、縄文時代の古層に遡れば、人の数はまだ少なかったですが、人はおおむね平和な生活を営んでおり、霊性を大切にして生きてきた事が伺えます。高橋祐助氏の「【総集編】逝きし世の面影 」にある近世日本の世界は、平安、奈良時代を超えて、古代の姿とより強く繋がっているような気がします。

そんな情景を表す言葉として和がありますが、その和をやまと言葉で表すと、やわし(和し)となります。

和は近年まで「会社の和を大切にする」「和を乱すな」等、異論や自由意思を抑えて集団の論理を優先する意味で使われ、良いイメージを持っていない人も多いでしょう。

それに対して、やわしは和の様に派生的な意味が主になってはいないので、日本の伝統を書き表す時、聖徳太子の意図されたような良い意味での和を表す為に、やわしというやまと言葉を使う人もいます。本当かどうか確かめようもないですが、聖徳太子と繋がる家系の方が一子相伝で太子の残された物を受け継いでいるそうで東京などで講演をされているそうです。その方は和よりもやわしという言葉を使っておられます。

初めてやわしという言葉に接した時に、その響きに惹かれ、本来の意味も保たれていることから、自分でも使うようになりました。

しかし、このやわしでさえ、古語辞典を見ると、前掲の和と同じ意味で使われていた事がわかり、がっかりした記憶があります。

3.歴史を知る難しさを超えて日本の本質を直観する方法

しかし、そこで探求を止めず、やわしという言葉をわざわざ使う必要もない位に生活の中でそれが当たり前だった時代に遡れば、やわしそのものを観じることができるのではないかと思い至りました。徳川家康は天下統一の後は平和な世を築きたかったということを読んだ事があります。古代の日本に通じる本来の日本を目に見える形にしたかったのではないでしょうか。それが外国人にこのような思いを抱かせる風景の醸成に繋がったと思えます(【総集編】逝きし世の面影 高橋祐助)。

小さい頃親に連れられて、田舎の祖父母の家に遊びに行って山川田んぼのある風景にとけ込んでいた自分。蝉やカブトムシを捕ったり、田んぼの横の川で水遊びをして、小さな網を仕掛けて魚を捕ったりしたこと。そうして体に染み込んだ田舎の情緒・・・。

それらも古代からの日本の伝統が維持され、江戸の太平の世があってこそ、維持されていたのだと思います。

高橋さんのコラムを読んだ後そんな風景が蘇り、私も腹の底に涙が溜まるような感覚がしました。

巨大ショッピングモールが地方に乱立した今でも、田舎にはこんな家と風景、人の情緒が残っているはずです。都会でも心優しい家族の住む家は自然が豊かでなくても情緒は豊かでしょう。

その情緒は、中国や西洋諸国とは根本的に違った、農に根ざし道徳性の高い日本独特の物です。海の幸山の幸で育まれてきた私たちのやわしは、強くしなやかで、互いを生かし合うものです。

数学者の岡潔さんに『情緒と日本人』という文庫本があります。(続く)

2008年6月 1日

【読者論文】日本人のルーツと水素文明 1

『連山』は読者論文(長文)を募集しています。熱い思いがある人は応募してください。→ クリック
川原氏は物資不足の南海におけるバイオ燃料実験中の峯山政宏コラムニストに救援物資を送り手助けをしました。彼の栄誉は歴史となるでしょう。→川原祐造様から頂いた救援物資到着 →【速報】椰子のみ発電に成功!!!

1.日本人の良い面を浮き彫りにする古代文書の紹介


本居宣長など近代の神道学から、古事記・日本書紀は聖典のように位置づけられており、貴重である事はこれからも変わりませんが、他にも簡潔に日本文化の本質を表した古代文書が発行されております。有名なものに斎部広成の編纂した古語拾遺があります。


古語拾遺1

他にも色々ありますが、ここでは今までほとんど知られていなかった『神令』(しんりょう)という古典を取り上げます。

 
『日本人の求めた元神(カミ)現代科学と神道書『神令』を通して』小山悳子 著 A5判・上製・360頁 本体:3,800円+税 ISBN4-8205-9319-6 2005年3月刊



出版社の解説:日本人が古来から育んできた神観念を明らかにする。本書は江戸時代に発見されて"偽書"として扱われてきた神道書『神令』を客観的・思想史的に分析し、神道の包容力を見出し、 著者の既刊『日本人の見出した元神』の主要部分の英訳 "THE JAPANESE AND KAMI"も収録。(著者には、『日本人の見出した元神(カミ) 『古事記』より『古事記伝』まで』)もあります。)

 

アマゾンの解説:日本人が長い伝統のもと、育んできた本来の神道の姿を窺い知ることができるのが「神令」という古書である。この神書を中心に、科学的真理とも照合させながら、史料に出来る限り忠実に、神道の本質を追究する。英文論文も収録。」


ウェブ上の『神令』本文(読み仮名付き)


2.『神令』の特徴


 文字通り神からの法令とでもいうべき内容で、十戒などの各文化圏に発展した大宗教の道徳律を記した物の様に、簡潔に人間が歩むべき道と、してはいけない事を示してあります。他宗教と違うところは、神令の道徳律は祝詞の要素も備えていることと、日本の農耕社会を前提に書かれている事です。


国の民が守るべき人としての道を説くともに、驚くべきことは、すめらみことに対しても、道から外れた統治をすれば天がその報いを与えると戒めていることです。


これは、近世まで遡っても一般の日本人に知られていたとは言えない常識をひっくり返すような内容ですが、神話の世界ではなく現実世界で生きる存在としてすめらみことを見て、良い統治をおこなうように戒め、それを守ることを前提として神から権力を授けるという、倫理法則にかなった権力のあり方を古代の日本が国レベルで知っていたことの証明となるでしょう。それでいて、すめらみことを敬う対象というよりも祀る対象として大切にしています。この位置づけは西洋等と違って絶妙な点であると私は感じます。その起源と霊威から本質的に海外と違う点でしょう。


『『神令』はおそらく忌部氏に伝えられてきたものではないか、と言われています。但し忌部氏は、肉食は禁ずるものの、牛の死肉を田んぼの畦道にお供えするという日本では淘汰されざるをえない祭祀を行っていた氏族でしたから、『神令』が彼らの守っていた伝統かどうかは、今後の研究をまたなくてはなりません。


それでも、著者の研究では忌部氏以外には考えにくいとの事です。

 他の祭祀をおこなってきた氏族のように忌部氏も海外から移住してきた人たちで、その家系に生まれた人に拠れば、遙か遠くから大勢で船に乗って延々海を漂って日本に着いたという言い伝えがあるそうですから、もしかすると、バビロニア、ペルシャやその周辺国の祭祀と法令を整備していた氏族なのかもしれません。


『神令』には神道はアニミズムにすぎないと決めつける西欧のネガティブな評価を訂正させるだけの力が含まれています。


民は田植えや日常の仕事を感謝しながら行い、その成果を万物の根源たる存在に祈りをもって捧げ、統治者を神から与えられた物として敬い、統治者も民を神から任された者として大切にする、宇宙と一体になって国を運営するという壮大なコスモロジーを背景に書かれている事が著者の案内で明らかになっていきます。


著者はこれを解読し、理論物理学者のホーキング博士や文化人類学者・思想家のレヴィ・ストロースと手紙でやりとりをして彼らの研究を援用し、神道がアニミズムではなく、言葉の蓄積は少なくとも壮大な体系を持った誇るべき教えである事を示しています。


短く書き表すなら、むやみに言挙げせず生き方を以て進むべき道を示し、土と宇宙と一つになって生きてゆき互いに大切にし合う、と言う事でしょう。


後半は英語版となっており、日本語話者以外にも伝わるように配慮がなされており、真の神道の姿、日本の霊性の一部(極々一部ですが)を明らかにする貴重な書物です。


3.『神令』をヒントに水素文明で役割を担う


日本人もこのような新しい研究の成果を身につけて、私たちの国の伝統は客観的に見ても世界に貴重な糧と宝をもたらす潜在力を持っているものであり、人の心を浄めて明るくし、西欧諸国以上に人間性にかなった社会を築く可能性をもたらすものだという事を再認識する必要があるでしょう。


そうして、決して威張ることなく誇りをもって(驕りが出ると段々西欧の植民地主義と同じになっていきます。「実るほど頭の垂れる稲穂かな」と言うように、本当に日本を理解できたら謙虚になります。)、人や生き物に優しくし合う文化を国内と海外に広めていく力を養いましょう。すぐには無理ですが、長期的視野を持って着々と進めて参りましょう。


これからもこの国の民は分析的客観的な表現をする事が不得意かもしれません。しかし、手先が器用でものづくりにおいて秀逸なスキルをもつ方が多いのも変わらないでしょう。


メディアでイメージを通して国内に水素文明の知識を普及させながら、それと平行して、かつて文系と言われてきた人々も基礎的な理科系知識を学習し直して、それぞれの場でユニバーサリストとして活躍する事が求められる時代が既に来ています。


欧米では日本ほど文系理系を峻別することはないと聞きます。次世代に(今もですが)大人の国として大きな責任を担う事になる我が国も、無用で行き過ぎた区別をやめて、それぞれの能力を最大限に発揮できる成育・教育環境を整えて、創造的な力を生み出せる社会に再編する必要があるでしょう。


(続く)


参照:現代人のための祝詞 大祓詞の読み方


重要関連


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2007年12月30日

FC EXPO後記 水素文明にかかわる決意

1.一般人が水素文明を理解する事への挑戦

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今回は、私の水素文明を理解していこうとする個人的試み・挑戦がケースの一つとして参考になればと思って書かせていただきます。理科系が苦手で平凡な生活を送る一般の方に何かの意味があるかもしれません。そうであれば幸いです。

水素文明の事は特定のグループにだけ伝われば良い事ではなく、日本人全体が理解していなくてはならないことなので、恥ずかしいですが生きた実例として報告させていただきます。

12月4、5日のFC EXPO体験を境に、連山の指し示すものが少し具体的に伝わってきました。

私は子供の頃に算数・数学につまずいてから、科学に強い興味をずっと抱いてきたものの、同時に苦手意識も強く持っていました。

科学の入門書を読み、科学雑誌を講読したこともありましたが、成績に反映させることもできず理科系科目は苦手であり続け、歯がゆい思いをしてきました。

それでも良さそうな本があれば各分野の科学の本を粘り強く探し、買い続け、自分なりの入口を探してきました。大学時代は特に科学哲学、科学史に興味を持ち専門外でしたがよく読んでいました。そして、数学など元々苦手な分野で、ここ数年、良い本が増えてきたことから自分の学習にとっての突破口が見えてきています。

しかし、それらを習得できて先に進めたとしても、どこで役立てるかという問題がありました。

教養にとどめるだけではタコつぼ的になっていく学者の世界に倣うことになりそうですし、生活費を得るために割く多大なエネルギーとの兼ね合いもあり、本格的なやり直しを足踏みしていました。

そんな時に連山と出会い、CyberULSのグランドデザインが存在することを知り、日本人である私に何かできる可能性が開かれていることがわかり、その足踏みもやめて一歩前へ進みだそうとしています。

2.水素文明の実現が切り拓く新しい社会経済の流れ

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社会の矛盾を突くことは簡単でも、それをどうすればよいか誰もわからない、というのがこの失われた年月を歩んできた庶民の日本人の感覚だと思います。

「ごちゃごちゃ言うよりも、善良な人たちにとって実際に円満な解決となる方法があるなら、それをさっさと実践してしまえばいいんだ。」というのは、私だけが思うことではないでしょう。

大人や子供のいじめをなくすには、あれこれ言ってややこしくするより、シンプルに否は否と言い、毅然ととるべき行動をとればよいのと似ています。原因にさかのぼってシンプルに解決するのです。そうするには、時に剛気が必要とされます。

剛気が必要ですが一人で進むのではありません。私たちには連山、CyberULSがあります。「三ツ寄の縄は切れない」ように、一致団結すれば、障害を突破できます。その後はすがすがしい空気で一杯になるのです。水素文明の場合、「すがすがしい空気で一杯になる」とは比喩的表現ではなく、将来実際に起こることです。清らかな水、も生じます。

水素を使うにしてもいろんな方法があるようですが、CyberULSのグランドデザインなら環境に負荷をかけないだけでなく、砂漠を緑化することまでできて、その時必要な水も燃料電池から供給でき、緑ができれば灼熱の砂漠地帯も実に5度も気温が下がるのです。

そうして緑のカーペットが敷き詰められた地には、いつの日か雨が豊かに降る時が来るかもしれません。また、日本にある地球シミュレーターというシステムが南米のアマゾンは100年後には砂漠化するという結果をはじき出しているそうですが、水素文明の実現でそれを食い止めることができるかもしれません。

日本国内で水素船を建造し、バイオハイドライドを国内に供給するルートを確保し、インフラを確立する。そうすることで、まず日本が水素文明の礎を築く。

そして、同時並行で海外へその波を及ぼしていく。

砂漠の緑化に必要なBR(バイオ樹脂)は、当初は日本のものより性能が落ちるけどより安価な東南アジアのものを使用しながら、徐々に日本の高性能なものに移行して、より多く水を節約しながら緑化地帯を早く広げていく。

現状で私の理解できている範囲ではこれが基本的なデザインのようです。正確な理解のためにはPDAや連山コラムニストの方のコラムをよくお読みください。まだ初心者である私はPDAのコラムを中心に読んで軸を作っています。

南洋の島からサトウキビでできたエタノールを運ぶのも、その島々と、リゾート開発による環境破壊で長期的に観光収入さえ危機になりかねない沖縄の島々にとっても、益するところ絶大と思われます。サトウキビからエタノールを作るときは食用に適さない部分から作るそうですので、トウモロコシをバイオエタノールにしたり、自然林を壊してバイオエタノールに有利な植物を”造る”という破壊的なモデルとは対極にあるものです。また、サトウキビのバガスという今までは不要だった部分も何らかの用途に活用できるそうです。

内容的に疑問符の付く特許にまで知的財産権を主張して膨大なお金をむしり取る事が現に起こっている知識資本主義でなく、知識を持つ人・組織の権利を国際的に法で守りながら、クリーンな心を持つ人のネットワークが地球を再生していくという知識依拠型経済こそが、次代に広がる経済システムの在り方だと思われます。知識と知恵と人間性で治める社会を実現するためにも基盤として有効で必要です。

その早期実現のためにも、選挙の際、行政担当者は単に有名な人ではなく、知性、人間性、実務能力を兼ね備えたよりふさわしい人を選ぶようにしましょう。正直な人を選びましょう。折しも大阪では府知事選挙が行われます。これから行われる全国の様々な選挙でもはっきりさせないといけない事ですが、売国したり他国に迷惑をかける人ではない水素文明に理解ある人はどの立候補者なのでしょう・・・。

3.一般人の雇用・生活と水素文明

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私事でお恥ずかしい話ですが、市井の方に私が平凡な一般人であることをお伝えするために書きます。それが今回のコラムの趣旨の一つでもありますから。

私は療養しながらワンコール派遣で喘ぎつつ働いていておりました。今も実情はその頃と大して変わりませんので、今は多数派となってしまった使い捨て労働者の端くれです。ワンコール派遣の他にも色々しましたが、奴隷のような立場で体験する事になる数々の目にも遭っております。長い年月本を読む時間さえありませんでした。

しかし、少しだけ落ち着いてからは、合間に社会的責任経営(CSR)、社会的責任投資(SRI)や創造的経営、社会に適用されるべき各分野での倫理法則、等々の人間らしい組織のあり方と仕事の仕方を独学で調べておりました。とても集中できる状態ではありませんでしたが、それでも継続は力なり、と続けていました。

小さい頃からと、それらの独学を始めた頃から体と心と頭で培ってきた感覚で捉えても、知識依拠型経済は、人が人らしく働き生きるために、必然的に出てきて採用される次世代の経済システムと思います。完全無欠ではないと思います。しかし、立派な経歴がなくても選択する意思さえある人なら、良い機会がより多く与えられる社会になるでしょう。知性に恵まれない人でも、心根がよい人は「類は友を呼ぶ」のですから、自分と相手が共鳴すれば良い組織で雇用が守られる可能性が高まります。各種単純労働の領域でも人が今までより気持よく働ける可能性もあります。

現在そして当分の間は、ハローワーク、雇用能力開発機構の職業訓練コース等の雇用助成制度に燃料電池や水素文明構築に直接つながる科目はないでしょう。先日調べて来ましたが無いのは無理もないので、次の季節に契約・取引などに必要な法務的な科目を申請しようとしています。一般人が水素分明に関われる為に、いつか職業訓練や経営支援対策で水素分明に関することがメインになる日を待ち望んでいます。

水素文明の理解については、お金も経歴もない私が大学(院)などの一般的なルートから知識と技術を修得することは費用の面で難しいというより不可能ですので、連山のサイトに教えていただきながら独学でより正確な理解を進めていきます。iChatを使えるアップルのパソコンを買えたら連山との連絡に良いみたいですが、それも買えません(苦笑)。

そして、水素文明の実現のため、徐々に力をつけながら社会貢献をしていきます。

これが、今の私の望んでいるところです。

イメージを通してだけでなく、数式や科学的原理を理解し、CyberULSの方々に倣って5年ごとに新しい技術と語学をマスターするくらいの意気込みで学び続けていきます。それは生きる動機さえ失っていた私にとって新しい生きがいになっています。

10年以上前から、短期的展望ではなく新しい文明観に基づく社会を構築することが必要な時代に私たちはいる、と感じて来ました。そのために数十年も前から動いた方々がおられる事に敬服します。

「情報社会では選択することによって選択される」

先日大阪ガスが英断を下さなかったのは残念ですが、東京ガスと東北に希望が残されているのでそちらに期待します。国内の会社から供給がされるなら問題はないですから。

地域の経済を考えれば彼らが動くのがよかったかも知れませんが、これこそまさに選択することによって選択されることの実例だと思います。

私は良い選択をしない方たちと仕事はできませんし、心のクリーンな方とクリーンな仕事をしたいです。いくつかの企業、組織のように空気だけでなく社会も汚しながら生きていたいと思うほど、この世に執着していないからです。

私に失うものはありませんから、人が人らしく生きられる社会を作ろうとしている方たちと協業するのみです。

素人の私でも見えることなのに、立派な学歴・経歴の人たちが見えない、見えても動こうとしないのが不思議に思えます。事情があるにしても、今しかないのなら今動きましょう!剛気を奮い出しましょう!大企業、官公庁の方々、超越的な観点に立って毅然と行動してください!今その場所で永遠を見つめ、永遠から今その場所に帰って自分の選択が正しいかどうかを見つめましょう。


「現時(いま)を永遠と観じ、

永遠を現時(いま)と観る。

その人は永遠に争いを免れる。」


[近世ドイツの神秘家ヤコブ・ベーメの言葉]


[経産省の同志よ、7日以内に動け!]

4.中小企業、個人事業主、一般人も貢献できる道作りへ

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将来参加を検討している中小企業向けの相互支援の組織で、経営者だけが集まってディスカッションをする機会があるのですが、その組織は、水素文明実現にも通じる人の為になる理念をあげています。

個人で動いている方たちも後ろ盾はなくても純粋な動機で高潔に生きていらっしゃる方を知っています。

脱中心化社会には各国家、地域のそういう志高い方たちが連携しながら、水素文明を担うのではないでしょうか。諸国家のためになる選択をする大企業、行政、政治家とつながりながら。

私が一回目のコラムで上げたシモーヌ・ヴェイユの『根をもつこと』英語版にdecentralizationという単語があり、連山でよく出ている脱中心化と原語は違うかもしれませんが、つながるものを感じました。

『根をもつこと』は社会を超越的な視点から観ている、彼女の成熟度がうかがえる書物です。超越的ですがしっかり大地に根ざしています。その冒頭にはこう書いてあります。

「義務の観念は権利の観念に優先する。権利の観念は義務の観念に従属し、それに依存する。一つの権利はそれ自体として有効なのではなく、その権利と対応する義務によってのみ有効となる。」(『シモーヌ・ヴェーユ著作集5』「根をもつこと」第一部 魂の要求するもの.p.21.春秋社)

私たちは日本や世界の権利を持つ子供たちに義務を負っているのではありませんか?

フランスで市民の意識が高いのは、伝統に培われたもので一朝一夕にできることではありません。年配の方は京都大学仏文科系の学者が訳した哲学者アランの著書をご存じでしょう。あの時代に既に、アランの活動を含めて現代フランスの市民社会の在り方がはっきり表れています。

松村劭氏が

「アメリカの基本的人権の考え方は人間の備えるべき道徳については清教徒であることが前提となっている。」


と書いておられますが、「義務の観念は権利の観念に優先する。」のなら、各家庭、地域社会、ネットを中心とするメディアや学校で、その義務を果たせる大人を育てるための日本では特定の宗教に依存することのない日本人に合った教育スタイルを構築することが必要です。

日本の市井の人々も水素文明を担う役割を自覚さえすれば、フランスのように一般市民(プロ市民ではなく)による市民運動の伝統が豊かとは言えなくても、一気に国全体で意識が高まると思います。

フランスは高校での哲学教育を廃止したらしいですが、全面的にかは知りませんが基本的になくしてしまったようです。それなら代わりに日本が始めましょう。

[名将たちの教育論(第四十七回) 第3章 名将たちに学ぶ日本の教育改革]

[責任という原理 ハンス・ヨナス]

[その書評]

[環境としての自然]


縄文から弥生、そして奈良、平安、武家社会、明治と、何かがあったら一気に変わってしまうのがこれまでの日本人でした。変わるべき時にすぐに変われるのは、その方向がよいものなら、私たちの強みでさえあるかもしれません。

良い意味でも悪い意味でも単純な国民性がある日本は、方向さえ良ければ世界をリードできる潜在性があります。真理に向かうときは単純な方が有利なのです。そして、私たちには同時に知性、情と和し(やわし)、礼を重んずる高貴な伝統があります。複雑なことは単純なことが積み重なってできあがります。ですから、単純な国民性でもいいのです。農民が田んぼの畦道を歩きながら趣味として和算の問題を解いていた国が他にどれくらいあるでしょうか。事をややこしくせずに本質を捉えながら、良い方向に発展させていける素地を日本人は持っている、と私は感じます。

変わるべき時は日本人はガシッっと変わってしまえますから、内柔外剛で、真実良いものは良い貫くべきは貫くという強い姿勢で突き進んでいけば、世界が尊敬する国家となることも不可能ではありません。

「内柔外剛」

古代のいつ頃からかこの国にも暗いものが入って来ましたが、それまでは総じて平和で共存共栄、互恵社会を自然なこととしていた様子がうかがわれます。孔子は古代日本のことを「東方君子の国」と言ったそうです。亡命に次ぐ亡命で政略の間をかいくぐってきた孔子なら、そういうのもうなずけます。

もう一度その精神を、次世代に適用させた上で

新しい「東方君子の国」

を打ち立てようではありませんか。

それは、官公庁、研究者、各大企業と中小企業とともに、なによりも国家の基礎を成す私たち市井の人ができることなのです。

昔と違って、脱中心化社会にある現代では、

私たち一人一人が

「国母」

「国父」

です。

CyberULSのグランドデザインを道標として、理系苦手の典型的文系人である私も、燃料電池などから始めて水素文明を具体的に理解する学習をこれから始めます。

皆さんと情報の量も質も変わらない私も、まずは連山の広告に出ている関連書籍から読み進めていきます。こうやってコラムを書かせていただいてますが、皆さんとなんら変わりない立場なんです。選択するべきことを選択しただけです。

そうして基礎を学び続けながら、各々の「得意技」で攻めていきましょう。

『得意技なくして戦術なし。戦術できずして戦略は成り立たない』


貴方にしかできないことがあります!


[希望の船]

[連山12月凍結の解除のために五曜隊を募集しています]





主要アクセス先



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燃料電池やコージュネや小型風車やマイクロ水力発電電力を自分で作るように自分で情報を作る。仲間通しで薪や食料をお互いに融通しあって生きていく。それが情報社会の正しい生き方です。賛同者は読者コラムを書いて投稿してください。それはきっと役立つでしょう。他者に知識、燃料、食料を依存せず、然しながら、足りない部分は交換して融通する。それが水素文明の哲学です。貴方が自立する事が社会の為になるのです。21世紀、自立して知識を作らない人は必要とされません。



2007年12月16日

FC EXPO燃料電池レポート

1.水素・燃料電池初体験

12月4日5日大阪でFX EXPOがありました。連山のコラムで知ってすぐ申し込みました。

私のように燃料電池がどういうものかはっきりと知らない方は今も多いのではないでしょうか。今回は一般人である私の立場からFX EXPO体験談を報告させていただきます。

ホンダなど興味を持つ人が多そうなセミナーはすでに満員で申し込めませんでしたが、いくつかのセミナーへは参加でき、そこから少し燃料電池というもののイメージがつかめました。
また水素ステーション見学、水素エンジン自動車の試乗もできました。写真だけ載せておきますがこれは私の手に余るので、他のコラムニストの方にお任せします。
(水素を供給する装置)ガソリンスタンドみたいですね こういうのが普及するのでしょう
(大阪ガス)ガスから水素が作られています

ステーションが既にできているのを知った事と、水素で動く車に実際に乗れたことは大変貴重な機会でした。
水素文明を早く来させるために一般市民もできることをしなくては、と体で感じられました。
水素自動車や燃料電池の自動車が普及するってなんかわくわくします。
(RX-8パネル上)デュアルフューエルですが水素で走っている時の方が気持ち良かったです
(RX-8パネル下)水素ロータリーエンジンの図解


2.燃料電池って?

さて、燃料電池についてでですが、連山で水素文明の話を少しずつ読みながら、水素文明実現の為の他の基盤と同じく燃料電池もこの先重要なものだということはわかってきました。システムの重要な部分として一瞬でも早く普及させないといけないものでしょう。

私の状態は、「そもそも燃料電池って何?」というものでした。「電池と書いてあるのに電池でなさそうだしよくわからないけど、実用化されたら便利なんだろう、環境にも優しいんだろう。早く商品化されないかな。」と思っておりました。

セミナーでの専門家による専門家向けのお話をすべて理解することはできませんでしたが、要するに水素を使って発電する発電機のようなものだということはわかりました。でもエンジンによる発電機のように騒音がでるわけでもなく、音が出ても室外なら問題ない程度のようです。
(燃料電池稼働時の模型)電気が流れているイメージが湧きますか
(電力を供給)燃料電池からは家庭全体の43%の電力を供給

私たちが携帯やPCで使う充電池のように蓄電することはできないそうで、そうする場合は別に充電池を用意するみたいです。「燃料発電池」といったところでしょうか。


また、これが一般家庭に良いなと思ったのですが、電気を発生すると同時にお湯も作れてしまうので、ガス湯沸かし器のようにお湯を沸かして終わりではなく一石二鳥の、庶民には嬉しい省エネと節約に役立ちそうな文明の利器のようです。
まさに水素文明ですね。
(給湯器)ガス等で電気を作れてお湯も沸くんです!
(お湯を供給)燃料電池からは家庭全体の74%のお湯を供給

これがCyber ULSのグランドデザインに従って普及すると、古来からの日本の生活スタイルに沿っている限り、特に寒すぎて困るとかPCも使えないということにはならなくて済みそうです。


3.燃料電池で使える燃料

使える燃料が会場でもらったパンフレットに書いてありました。まず都市ガス、LPG、灯油が使えます。また、燃料電池の種類によってはバイオメタン、バイオアルコール、石炭ガス、そして水素そのものが使えるそうです。水素そのものはどの燃料電池も使えるみたいですが、水素を使って発電するのですから当たり前ですね。
(使える燃料)いろんな燃料が使えます♪

普段私たちが目にする大手家電メーカーが作った燃料電池が上記のような多様な燃料に対応しているかはわかりませんが、現在はここまで対応している製品がでているようで、これなら地方でも稼働できるでしょう。

私の実家は都市ガスが通っていますが、親族はLPGを使わざるを得ない地域に居たりするので、都市ガス以外の燃料に対応しているかは重要な問題でした。

また、今回初めて知ったのですがLPGは石油から作られるそうで、来たるべき水素文明の為に地方でのLPG使用を他のものに変える必要があるのでは、と感じました。灯油による発電もそうですが地方ほど石油に依存している気がします。これを水素に置換することは急務であると思われます。

既に一昔以上前から、生ゴミや糞尿からメタンを作り燃料として活用している自給派農家があるのはテレビで知っていました。そのような試みを広げることによって、石油依存を一刻も早く断ち切る必要があると感じます。
自給生活で作られるメタンは量が少ないでしょうけど、廃油から作る灯油や、使える場合は石炭ガスなども援用して、燃料の選択肢を広げる試みが必須ではないでしょうか。他の発電設備も補助として役立つでしょう。

そして、本命である水素そのものを使えるようにできるだけ早く移行していく。

素人が理解しようとし始めたばかりですので、間違っているかもしれません。だいたいこんな感じでよいのでしょうか。

4.普及へ向けて

今回初めて目にする各社の燃料電池は実機とカタログで興味深く見させていただきました。本物を見ると実感が湧いて良かったです。量産されれば20万円まで下がるそうなので、販売方法によっては一般庶民に十分手に届く領域までいきそうです。大手メーカーの製品も年ごとにそうなるのでしょう。ADSLや携帯電話がそうであったように。

ADSL・光回線、PCが各家庭に普及して個々人の自立度が高まったように、燃料電池普及によって、電気も一つの供給先に依存することなく、自分たちで供給をコントロールできる度合いが高まるでしょう。それは、長い目で見ると個々人の成熟度も高め日本が大人の国に仲間入りする為の準備にもなると思います。


関連コラム:希望の船


(パナソニック 東京ガス)各家庭に設置される日を早く来させましょう

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2007年11月26日

根をもつこと

フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユに『根をもつこと』という著作がある。

  

 アルベール・カミュもこの書を好み、彼の机にはシモーヌの写真が飾ってあった。深遠で人を自らの本源に立ち帰らせる力のある著作だ。

 シモーヌは34歳にしてこの世を旅立ったが、この著作が残り、人々の心に感銘と新たな道への啓示を与え続けている。

 私は高校生の頃アンソロジーで『工場日記』の抜粋を読んで彼女の存在を知った。そして、23歳頃図書館で偶然見つけた著作集を借りて読み、この『根をもつこと』に出会った。

 本物に飢え乾いていた時だったので、浸み入る様にその言葉が入ってきたのを覚えている。

 『根をもつこと』は若い私にも深い印象を与える作品で、我に返り日本人としての集合無意識を意識化させるきっかけとなるものだったと思っている。

 シモーヌがそうであったように、西洋人はその地に生まれ育ち、自分達の歴史を遡れば、中世から古代へと向かう中でカトリシズムというものに嫌でも向き合うことになる。それは、古代からのヨーロッパの知とユダヤの霊性を中に含んでおり、自分達と直結する世界観だからだ。例え、彼・彼女が無神論者(a・theist=反神論者)であったとしても。

 私たち日本人が同じように中世・古代まで遡ると、何が浮かび出てくるであろうか。奈良時代にシリア様式の東方典礼カトリックがほんのわずか伝わったことがあるにしても、それはあくまでほんの一瞬のお客様であり、儒仏神がこの国の主流であり続けた。

 中世は仏教と神道の併存、古代はひたすら神ながら(かんながら)の道を行く世界であったといって差し支えないであろう。現在われわれが見る神社の建築様式が確立する時代よりもさらに遡ると、鎮守(ちんじゅ)の森や社叢(しゃそう)と言われる森の中にポツンと空いた木が生えていない空間に、人が来て休み、無心になり、自然とそれを超えた「もの」を感じ、悪いエネルギーを抜き取り、心落ち着かせて自分の持ち場に戻っていった。そういう自然の祭壇とでもいうべき場があり、人々の心の拠り所となった。これが神道の原型と言えるであろう。

 沖縄の御嶽(うたき)、本島に見られる社叢(鎮守の森)や磐座(いわくら)など、様式はいくつかあるが、どれも人が人として生活を営む基礎となる、霊的なインフラであった。

 それらの場でこの国に住んできた人々は、生まれながらに持っているか生活する中で培われた日本人としての集合無意識を感じ、ひとつの和となったのであろう(例:三内丸山遺跡1、 2、 )。また、その前提として、集団でなく一人の人として自分の本源に帰るために、これらの霊的インフラは日々重要な役割を果たしていたと思われる。

 社叢(鎮守の森)、御嶽(うたき)、磐座(いわくら)に佇む時の様に、川の畔や、周りに当たり前のように広がっていた森の中や、しばらく歩けば眼前に現れた海原の前に佇む時もまた、自然とそれらを在らしめている大いなる「もの」を感じ、本も学校もない時代であっても、口承で伝えれらていた知恵と手本に支えられながら、清浄と感謝と報恩の生活を送ることで生き抜いてきたのではないか。そうでなければ、現在の私たちは存在していないはずである。

 フランスに生まれ育ち、ヨーロッパの文化を空気として取り込みながら生きたシモーヌは、その文化から糧を得ることで知性と魂を養い、永遠なるもの、真善美そのものへアクセスするに至った。超越的な感性で語り、書き、命懸けで行動した。

 学者として生きれば安定した生活もおくれたであろうが、自らの命を賭けて苦しむ者と苦しみ、悲しむ者と悲しみ、喜びをともにした。

 彼女は生涯を通じて天にしっかりと『根をもつこと』を続けながら、この世界に真理への切符を残して行ってくれた。東洋に住む私たちも使うことのできる、期限が切れることのない真善美への切符である。

 この文明の変わり目で大きな役割を果たす時が私たち日本人に来た。精神性と知恵と統治能力で国民をリードしてきた少数の人々に依存するのではなく、庶民一人一人が成熟し、国民各々が自分の判断で望ましい行動ができる大人の国になって、瀕死の世界を生き返らせる役割が私達日本人に課せられている。

 そのためには近い時代から古代まで遡り、自分のルーツを発見、体感し、天に『根をもつこと』が前提として必要である。

 天に『根をもつこと』で、自らの使命を認識し、覚醒した私として、中庸で周りの人々に命の息吹を吹き込むかけがえのない存在となり、時代に合った創造的な生き方ができるのである。そうすることで、今までなかった程の大きな時代の変わり目を超えて、私たち日本人は生き残ることができる。

 連山に投稿させていただくにあたり、この記念すべき初めての文章を、命を賭けて世界の為に働いておられる大和のハーンと私の魂に息を吹き込んでくれたシモーヌ・ヴェイユに捧げる。

検索すると出てくる彼女自身の各著作

信用できる伝記的著作と研究書

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