はじめに
本稿は主に日本人のエトス(ethos)について論じます。結論を先に言えば、 かつて山本七平氏が「会社の名誉はあっても団地の名誉は無い」と表した企業中心の日本人・日本社会ですが、 企業が利益至上主義に変化しつつあり、その結果日本社会が混沌に向かっているというものです。
中心であった企業が利益至上主義に変化した
技術継承の危機とされる2007年問題は、団塊の世代の定年退職が最大要因とされていますが、 OJTを基本とした社員教育を行ってきたはずの日本企業で、 何故に技術の継承が出来ていないと言う危機が発生するのでしょうか? 失われた10年の間に採用を絞っていたという面もあるでしょうが、 10年間の人的空白があっても、それ以外の期間には人を雇い、教育していたはずです。 にも関わらず、OJT体制の中にあって伝えるべきが伝わっていない理由、 それは、昔やっていた事をやらなくなったと考えるのが自然でしょう。 OJTでは、日常の仕事の中でやっていない事が伝わる機会はありません。 では、昔やっていた事は誰がやるようになったのか? 「企画への特化」などの名目で下請けにやらせるようになったはずです。 企業経営には、スマイル・カーブという概念があります。 失われた10年から立ち直る為にはどうすれば良いかと言う切実な課題があり、 この点について多くの企業経営者に道を示す概念でした。 ただ、残念ながら選択と集中やり方がまずかったのでしょう。 コア・コンピタンスの提唱者は、 「コア・ビジネスに固執していると、自社のビジネスチャンスの範囲を狭め、 新しい競争の場を作る可能性を自ら閉じてしまうことになる」として、 非戦略的な“選択と集中”や利益至上主義に基づくリストラを戒めていますが、 このような利益至上主義の落とし穴にはまった企業が多くあった結果が、 2007年問題と呼ばれる技術継承問題の一因でしょう。
企業中心社会での企業の利益至上主義化の弊害
バランスシート危機から脱出する為に利益率を高めようとするのは真っ当な行動であり、 「米百俵の精神」などが受け入れられたのは、企業中心の日本人のエトスからすれば当然の事でしょう。 しかし、バランスシート不況を脱したにも関わらずホワイトカラー・エグゼンプションのような話が出てきて、 ひたすら賃下げしようとする経営者と政治家の姿勢を見て、 企業中心という日本人のエトスに変化の兆しが出てきたように見えます。 (代替するものが無いので、兆しがあるのであって、変化はしていません。) 国民の成果主義への評価が低下して年功賃金を肯定し、一生今の会社で働きたいと思い、 自由な生き方としてのフリーターを否定するようになったというニュースが記憶に新しいですが、 これは、企業中心のエトスを持つ日本人の規範意識の結果でしょうか? かつてのような企業中心のエトスから会社に身を捧げる事に積極的なものではなく、 安定的で良い暮らしをしたいという保身が動機のものでしょう。 また、今の高校生では立身出世を目指す「積極性」は希薄化し、享楽主義が増えています。 これが、かつての高度経済成長期を支えた日本人と同じ日本人に見えるでしょうか? こういった事の原因が不況にあるというなら、いざなぎ超えの好景気が続いているはずの現在では起きないはずの現象です。 これらは、日本国内における縮退のわかりやすい例だといえます。
揺り戻しの動きはあるが
そんな中で、経済同友会桜井正光代表幹事の就任挨拶では、 「3.新・日本流経営の創造」「4.人を大切にし、社会を大切にし、仕事を大切にする」という、 2つの小見出しがあり、揺り戻しの動きがあるから大丈夫と思われるかもしれません。 しかし、期待するのは間違いです。 利益至上主義に走り、日本社会を荒廃させた当人に、まともな秩序など構築できるはずがないからです。
縮退と知的機動
歴史において「移動する種に対して移動しない種」は常に劣勢であるそうですが、 何らかの社会的・知的な大移動が無ければ、並大抵のことでは現状は改善しないでしょう。 社会全体を貫く未来志向の知的大転換が必要になると思われます。 それが出来なければ、日本社会の荒廃は止められないでしょう。
読者コラム
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