ロシアのアルメニア人

日本に帰国してしまうと、流石にアルメニア人に出会うことは皆無であるが、広いロシアで出会った人々の中で不思議な親近感を感じたのが、このアルメニア人であった。なぜ、敢えてアルメニア人なのかというと難しいが、比較的大都市で人間不信の(近所付き合いもしにくい)ところで一番開放的に受け入れてくれた最初の人がアルメニア人だったことは、偶然ではないと思う。(しかも偶然だが、彼らのアパートの部屋にはパリ在住時代に日本人画家から買った油絵が掛かっていた。)また、現地で聴いた数ある民族音楽の中でも最も心の琴線に触れたのが、アルメニアの父とも呼ばれる、ジバン・ガスパリャンのドゥドゥクの音(これが恐ろしく日本の尺八を情熱的にしたような音なのだ!)だったり、シャルル・アズナブールやハチャトリヤンの音楽から受けた影響も計り知れない。

実際問題、たとえ首都モスクワでもアルメニア人は多数派とは決していえない。コーカサスの国々から来ている人々は一見して分かる風貌をしているが、アルメニア人はその中においても際立った特徴があるように思える。見た目だけでなく、性格もずばぬけて活発でラテン的なように感じた。子供を見ていても、ロシア人よりも数倍表情の変化が激しく、しかも眼差しに才気があったように見受けた。もちろん、混血している人たちは必ずしも黒髪に黒い瞳というわけではない。

たとえば、ヨーロッパにも相当数アルメニア人が潜在的にいるらしい中でも、最も有名と思われる人にフランスの文部大臣クラスまで出世したシャルル・アズナブールというシャンソン界の大御所がいる。この人なども両親の命名したアルメニア風の本名があまりにも難しいから、勝手に生まれたときに看護婦か誰かフランス人向けに「シャルル」とされ、さらに苗字の「アズナブリヤン」も「アズナブール」にされてしまったという話だ。このアズナブールの風貌こそ、まさに典型的なアルメニア人といえるだろう。

また、ソ連が崩壊するまでは、アルメニアもグルジアもアゼルバイジャンも今ほど仲違いしていなかったらしいが、現アルメニアの政治的立場はこの三国でも最も劣悪であると考えられる。そのためか、あるいは民族的な歴史問題か、周辺両国民から極端に毛嫌いされており、知人のグルジア人などは話題に欠いて沈黙が走ると、ブラックユーモアで「ほらまた、アルメニア人がどこかで生まれた!」と言っていたくらい、北オセアチア問題絡みで嫌われているし、アゼルバイジャンでは領土問題のために非常に立場が悪い。その上、最近ではトルコで、過去のトルコ人によるジェノサイドについて書いていた文筆業のアルメニア人が暗殺(?)される事件まであって、まさに周囲ぐるりに、まるで味方がない状態に近い。当然、ユダヤ人のように流浪の民アルメニア人が世界に散らばって、数の多い国で団結して、なんとか本国の状態を維持して、自分たちの同胞に有利に働こうとするのは無理もあるまい。

ただし、映画の世界ではカルト的に有名なセルゲイ・パラジャーノフという人が驚くべきことに、アルメニア人でありながら、グルジアの首都で生まれて、両国の文化を映像化した魅惑的なフィルムを撮影している。この人の映画というのは、真剣に映画芸術に関心を持つ人の間では、一種伝説的な存在である。なぜなら、彼のような映像を撮った人は世界中どこを探してもいないだろうし、ソ連時代の映画教育を受けながら、その影響を最小限にして、完全に自分の世界を作り上げているからだ。私自身、映画の専門家とはいえないながらも、ソ連時代の映画をかなりの本数見れば、大方その映画手法というのは非常に厳格なカメラ位置や、それぞれのコマのモンタージュなどのエイゼンシュテインをお手本とする流れに基づいて撮られたものがほとんどだと感じる。そんな中で、パラジャーノフは完全な例外であり、完全にそこから自由なのだ。これは、驚くべきことでありながら、同時にアルメニアやグルジアなどの古代文化圏ともいえるような紀元前からの伝統文化を受け継ぐ芸術家としては、当然の現れなのかもしれない。

しかし、当時のソ連の社会主義政権下でこのような天才的な芸術家が辿った運命というのは例外がほとんどない過酷なもので、パラジャーノフも長い間投獄されることになる。既に海外での名声を確立していた彼は、イタリアのフェリーニやヴィスコンティ、フランスのゴダールやトリュフォーなどの抗議行動によって図らずも自由の身になるが、生前に残した映画の本数は非常に少ない。それでも、不屈の精神で獄中でもゴミ屑のようなものから芸術作品を制作するなどして、今もその足跡をアルメニアの首都エレバンにある博物館で見ることができる。

ところで、このようなアルメニア人芸術家を並べると数限りなく感じるほどだが、とりわけ私自身がアルメニア人に聞かされて驚いたのは、ロシアの美術館で見ることができる有名な画家も、ロシア風の苗字になっていても実はアルメニア人という場合が少なくないことである。また、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館の館長もアルメニア人だった。やはりなにかと芸術方面に研究分野でも秀でた人が多いようだ。どこまで本当かは調べ尽くしていないが、モスクワ市庁舎の前に銅像が建っているドルゴルースキーだったかも、無理矢理ロシア人の都合で改名されているが、アルメニア人だとかいう話もあるくらいだ。実際、モスクワ地下鉄の駅名になっているバグラチオーノフなども、グルジア人に言わせると、明らかにグルジア系の貴族だというから、色々と歴史上の改竄はロシアという国では多々ありそうだ。(レーニンの成績・卒業証書然り)

一方で、グルジアのゴリ出身のスターリン、(実際にはグルジア人でなく、少数民族のアセチア人の可能性もあるらしい)モスクワにいながら、グルジアの食品を取り寄せるなど、大変なグルメだったといわれている。人種的にまさに同じコーカサスの地の利を生かしてスターリンとの関係を利用したと思われる有名なアルメニア人政治家がおり、この人の子孫が今もモスクワで大々的に食品加工業を営んでいる。有名なアナスタス・ミコヤノフスキーである(英語のウィキペディアでもかなり詳しく解説されている)。まさに、ソ連時代にあって、彼のように82歳まで無事健在で子孫代々に渡って立派な墓までノボデービッチ修道院に維持できているような男は他にいないと思われる。奇しくもミコヤノフスキーの墓というのは、スターリンの妻であった人の墓とほぼ隣り合わせていたが、それより立派であった。

このミコヤノフスキー、略歴だけ見ても、アルメニアの寒村サナヒリで生まれ、グルジアで学を受け、アゼルバイジャンの首都バクーで赤軍運動に参加して逮捕されるも脱出。
それから、レーニン死後にスターリンの権力闘争に加担した、まさに勝ち組であり、見事粛清の対象とならなかった。(むしろ、先導していた側か?)
しかも、スターリンが亡くなった後、フルシュチョフの政治的に「雪解け」といわれた時代にも見事権力の座に復活し、むしろフルシュチョフを書記長の座から追い払ったとまでいわれているらしい。外交面でもキューバ(当時、チェ・ゲバラとも面会、一緒に撮った写真まで残っている)やアメリカを外務大臣として歴訪して、数々の歴史的場面(ケネディー暗殺後の葬儀に出席)に遭遇しており、冷戦時代の立役者でもあったようだ。また、弟はロシア空軍でMIGと呼ばれる戦闘機開発に関わったエンジニアであったという。

ちなみに私の運命を変えたともいえるアルメニア人の隣人が、ブレジネフ時代にTASS通信記者の身分でフランスの首都やアフリカに長い期間駐在していた特権階級の人だった。
まさに、アルメニア人としては破格の待遇であり、建前上は民族平等でも比較的差別を受けていたといわれる少数派人種でありながら、海外に行けたのはミコヤノフスキーの影響もあったかもしれない。この今は亡き、ヴァルターン・ガルニーコヴィッチ・ナデリヤン氏もまた知的レベルでは相当な人で、ロシア語、アルメニア語は当然のこと、母方の言語であるトルコ語、フランス語も文法的に完璧だったので、引退後も80代で病身を押してTASS通信社に通っておられたのを思い出す。非常にプライドが高く、堂々としていて風貌はどちらかというと、イタリア人かと思われるような目鼻立ちで、いつもパリ仕立てのコートを着こなす、モスクワには珍しい西欧でも通用するような紳士であった。

このように、もちろん上層のアルメニア人というのは、比較的長寿で最晩年まで活躍する人が多く(そういえば、アズナブールも現在84近かった)しかも危機的環境でも生き残りが上手いという人が多い気がする。もちろん、一般人は必ずしもそうとはいえないし、実際前述の隣人の奥様もアルメニア人であったが、父親は革命後に無実の罪によって赤軍によって処刑されて、その後もずっと「国民の敵」という名の下に差別を受けてきたと話していた。ソビエト時代のような、ロシア人でも生き残りが厳しかった時代の中で立派に誇り高い生き方をしている彼女から感銘を受けたものであった。

いろいろと話は脱線したが、このようにアルメニア人というのはソ連時代から色々な分野でかなり質の高い働きをしており、ロシア以外の国、たとえばフランスやアメリカでも移民として、相当に存在感のある民族であることを忘れてはならないと思う。現在のアルメニアは経済的に非常に厳しい現状であり、ロシアにいる同胞も帰りたくても国に帰って働く所もなく、さりとて過去の栄光も空しく(世界的に有名なアララットのコニャック向上も今やフランス傘下)生活もままならないほどだという。世界で最初にキリスト教を国教に定め、文化的にも非常に高い水準を誇ったアルメニアがこのまま枯れ果てていき、ひたすらロシアにすがるしかないのは、非常に悲しむべき事態であると思う。できることならば、このような国にこそ日本のODAを使うなりして、今後の経済的基盤作りに貢献できないものかと痛感する次第である。単なる感傷ではなく、たとえ資源がない国であってもアルメニアのような国こそ、同じく伝統文化と歴史を誇る日本が救いの手を差し伸べるべき対象と私には思われてならない。


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