1.流行に流されない人々の感覚。
最近は、ロシアでも社会的に「作られたブーム」があるように報道されがちだが、ところがどっこい、彼らの中でも特にインテリゲンッツイヤ(文化・教養人)の人々は流行に流されるということが非常に少ない。たしかに、寒い国だけに頑固な一面もあるからともいえなくはないが、実は大きな理由のひとつに文学的嗜好があるのではないかと思う。
笑い話のようなことだが、最近公開されていた有名なフィンランド人映画監督の作品「街の灯り」の中の冒頭シーンでは、なぜか舞台はヘルシンキのはずなのに、ロシア人の浮浪者が三人ほど連れ立って、ご丁寧にロシア語で文学談義に花を咲かせて通り過ぎるシーンがある。でも、これは「やらせ」っぽくはなく、むしろロシア人に半分染まりかけの自分から見ると、いかにも「ありそうな」ことを上手に拾い上げた、このフィンランド人監督のデビュー作品がドストエフスキーだったという事実を考えても、「やっぱり!よく敵を研究しているなあ」と感慨を持ってしまうくらいなのだ。
もちろん、必ずしもロシアにいる、すべての浮浪者が文学談義をしているわけではなく、たいていは飲んだくれている場合も多いが、実際、意外なほど世代が上がるにつれて、文学談義の場面で、とうの昔に実在していない文学者のことを、まるで自分の親戚か友達のことを語るように楽しげに語るロシア人の姿を目にしてきたし、おそらく、今もそうだろうと思う。
不思議なことだが、大都会であるはずのモスクワでも、彼らの感覚では未来よりも過去がより濃く、生活の中に共存していて、無神論なはずなのに、有名な芸術家の墓参りが一種の楽しみであったり、まるで生きている人を呼びかけるかのように、文学者の名前と父称が誕生日ともなるとニュースで連呼され、それが国民的詩人プーシキンともなろうものなら、その生誕何百何十周年のために、特別番組が大量に組まれた挙句、コマーシャルですら、プーシキン代表作の「エフゲーニーオネーギン」(オペラにもなっている作品で、これを知らないロシア人は潜りだともいるほど有名)を暗唱している老若男女が、日常では滅多に見せないような笑顔満面で、ロシア全土の隅々までをリレー朗読する有様。
ロシア留学一年目にして、その記念すべきプーシキン記念行事に出くわした私は、ほとんど、彼らの「そこまで」文学を愛する姿には驚愕するしかなかった。あの年のモスクワでは、音楽会も、展覧会も、パレードも、歩行者天国も、なにもかもがプーシキンを銘打って行われていた。おまけに、引越し魔だったプーシキンはモスクワだけでも、かなりの回数に渡って居を移していたため、数箇所に彼の記念博物館があり、経済がそれほど豊かでなかった時期のロシアでも、プーシキン関係の場所だけは、それこそペンキを塗ったくって、ガラスの最新式採光システムを取り入れて、コンサートホールまで併設したような施設まで作って頑張っていた。
たしかに、一般的に日本では「暗くて重たくて読みにくいロシア文学」という圧倒的なイメージの中で、プーシキンは、不思議なほどに快活で明るい。でも、ロシア人に言わせると英語への翻訳物なんて、まったくプーシキンの文学の魅力を伝えることができていないそうで、言語的にロシア人貴族において、最も早い時期に本格的にロシア語で傑作文学作品を生み出したプーシキンは別格なのだろう。
それにしても、翻って日本に帰ってくると、文学の日本人に対する力のなさは露骨である。漫画を否定する気はないとしても、過去の文学作品が持つ影響力は、ある世代から非常に弱くなってきていて、「当然知っていて然るべき作品」というものの数すら危ういので、それを前提にした会話が若年層では成り立ちにくい気がするくらいだ。
もちろん、ロシアでも今では自由に海外文学が入ってくることもあって、ドストエフスキーよりも村上春樹が好きな若者は多いだろうけど、それでも、前提としては学校で本を読ませる数が並大抵ではないらしく(まあ、これすら過去形にすべきかもしれないが)小学校の夏休みの課題図書を消化するためには、休暇で旅行している間も常に、ロシア文学、西洋文学などから数冊は持ち歩き、感想文を書くのに必死であったという話を聞いたことがあるくらいだし、大学くらいになると、やはり最低でも読んでおかなければいけない本のリストというのが大量にあり、しかもその本の細部に渡って質問されて、それに答えられなければ口答試験が受けられないほどの徹底した厳しさだったらしい。(教育学部に在学していた恩師によれば)
