ロシア人から見た日本

正直言って、日本にいるとロシアのことは本当に見えにくい。どうしても歴史的な過去の負の感情に負けてしまって、一切の先入観なくロシアを見ることは難しい。それなのに、なぜかロシアから日本を見ると、非常にすんなりと入っているところがあって、不思議なのだ。

ロシア人ほど、あれだけ近隣の国々で嫌われていながら、自らに実感がいまいちなくて、まるで罪悪感なんてものがほとんどない人種も珍しいくらい、日本人に対してだけでなくて、ロシア人はある面、本当に過去の自分の国家が「しでかした大罪」について、ふてぶてしいくらいに他人行儀だ。

しかし、一方でそういう単純さゆえか、対日感情はなぜか非常によいし、北方領土のことや、シベリア抑留について、あまりにも事実を知らないためか、知っていても興味がないのか、政治的なことはほとんど抜きに、とにかく日本に興味がある人が異常なくらい多い。

もちろん、昨今の世界的なアニメブームや日本食の広まりを考えてみると、決してロシアに限ったことではないのは分かっている。しかし、それにしても数年ロシアに住んで、散々ロシア人の「日本贔屓」な寵愛と溺愛に満ちた扱いに慣れて、「我が祖国の素晴らしさ」に目覚めて帰国した私は正直言うと、現実とのあまりの落差に愕然としたものだった。

多分、言い逃れをしようと思えば、「失われた10年」のせいだったと言うこともできるのかもしれないが、単に全体的にマナーが悪くなったとか、若い娘たちの売春婦のような格好に醜悪な濃い化粧、ひょろひょろでモヤシみたいな若い男たちの頼りない姿だけではなく、日本人全体に団結しようという心の一体感がまるで失われてきていることを漠然と感じ、正直言うと漠然と不安になったものだ。

ロシア人は、日本人が思っている以上に日本という国の文化と歴史に対して、並々ならぬ敬意と関心を持っている。もちろん、私の付き合っていた上流の知識階級が特にそうであって、知的といいがたい一般大衆などの隅々までそうであるかどうかは分からないが、少なくとも単純な言葉尻の「親日」とか「知日」なんていうような中途半端なものではなくて、どっぷり日本にはまっている人が意外に多いとは当の日本ではあまり知られていない事実であろう。

これは、単なる寿司ブームでモスクワに似非も含めれば、何百軒かの寿司バーがあるとかいうような程度の問題ではないのだ。

ロシア人としっかり付き合えば分かるが、彼らは実はしっかり日本人と日本を観察しているし、学んでもいる。ちゃんと、清少納言の「枕草子」も読めば、三島由紀夫の「金閣寺」と川端康成の文学、そして現代の日本で起こっている凶悪な事件や頻繁に起こる地震情報も、タイムリーにインターネットの自国語ニュースでキャッチしている。柔道、空手、剣道なども実際にかなり熱心にやっている人もいて、それも精神論に触れる書籍も多数出ており、熱心に読まれている。

さらに、子供のアニメも人気作品は日本一色に近く、ほとんどポケモンに洗脳されたかと思うくらい、低学年の男の子たちは夢中で日本人の私を追いかけてくる有様。マニアになると日本のアニメの声優の音声ですべてのアイコンのサウンド設定しているようなツワモノもいる。そして、批評家は北野武の最新作を酷評しつつ、アメリカの撮った馬鹿馬鹿しい真珠湾攻撃の恋愛映画のことを酷評して、”世界の小津に歌って踊って対抗しようとする無謀なジュリアンドリュースのようにみっともない”とこき下ろす。

だが、モスクワの一般人はもっと手厳しく、派手な日本の大使館関係者をかなり嫌っているようだった。それもそのはず。同じ日本国民にけちけちしているくらいだから、当然ロシア人にはもっとケチって見下しているくせに、身内に甘く、そのくせ下っ端まで高級外車に乗り、モスクワの物価のせいにして手当てを倍増させ、高級物件に国民の血税金で住み着いているのだから。

もっぱら忙しいのは、日本の商社員との接待や、政治家の送迎などで、困っている日本人の面倒を見るのは気が進まないらしく、対応の冷たさたるや惨憺たるもの。家族連中の興味があるのはせいぜい、ボリショイ劇場のバレエ(たいていチケットが高過ぎて、外人客ばかりでロシア人が少ない)か新しくできたレストラン、高級スーパーのお買い物くらいか。彼らの人間性に尊敬できるような面と思われても、仕方あるまい。

そういう批判的な目を持っているにもかかわらず、実際に謙虚な気持ちでロシア人と付き合ってみると、「日本人」というだけで非常に贔屓にしてくれる人がけっこういたりする。しかも、たいてい日本のことは「大絶賛」していて、特に一度でも行ったことがあれば、必ずそれを自慢そうに話して聞かせてくれるくらいだった。

一方で日本の歴史や文化への評価も非常に高く、過去の日本人への敬意は大変なものだった。おそらく先人がロシアで堂々と対峙して一歩も譲らなかったお陰で、今尚この時代になっても、一目置かれているのもあると思う。

そういう意味では、自分の国がどこかの国との戦争に負けた勝ったというのは、まったくの他人事なんかではなく、何代にも渡って、潜在的に意識に残る大事なのだと痛感する。決して、ロシア人が劣等感を持って日本を見ているとは思わないにせよ、彼らのような普段は尊大な人々が「特別扱い」する相手は当然、見下せない相手であるからだろう。

そして、単に日露戦争を思い出すというより、日本人を見るときロシアでは自然と「日本人=サムライ=貴族的」というようなイメージがあるように思えるのだ。よく考えれば、革命を起こして皇帝を惨殺したような国で、いまだに「貴族的」なことに対して「こだわり」を持って見ているというのも、皮肉な話だが、実際は「だからこそ」そういう資質の大切さを彼らこそが知っているのだと、私はそういう結論に至った。

もしも、彼らの目で見て、「本物の日本人」という評価を受けたならば、つまりそれは正真正銘のサムライの末裔だと認められたということなのだ。私自身、その呼び方をされるのが一番気持ちよかった。そういう風にいうときのロシア人の興奮ぶりというのは、本当に凄いものがあって、「似非日本人=中国人、韓国人、あるいは精神の荒んだ日本国籍の人」というのは、彼らにとってはただの「黄色い人」なのだ。しかし、「本物」は明らかに、どんなときも尊敬に値する態度で迎えられる。

そういう意味では、実際に日本に戻ってきて一番残念だったのは、「何が本物の日本人か?」という審美眼が、かえって日本国内では欠落していて、誰でもパスポートさえ持っていれば日本人のように扱われてしまうことだった。当然といえば、当然なのに、なぜかそれが非常に残念だった。そして、今になって、そのときの無念の意味と事の重大性が分かるようになった。

我々一人ひとりが「本物の日本人である」と自覚することは、非常に大切な第一歩であり、ここからすべてが始まることを。明らかに、ロシア人でも区別がつく人たちは、「中国人」、「韓国人」は「本物の日本人」とは、まったく異なる次元のものだと知っていた。それなのに今では日本人のはずの政治家までが、これらの人々に迎合しようとしているではないか。本当に、ロシア人に笑われそうな話であるし、彼らなら、これが危機的状況だということを当の昔に見抜いて、下手をすると一部の連中は「強敵」であった日本が崩れていくのを喜んでいるかもしれないとすら思えてくる。

連山をお読みの皆様ならば、お分かりと思う。日本人であるということの意味と大切さ、そして、誇りをいつ何時も決して捨ててはならない。外国語が喋れるとか、そんなくだらないことよりも一番大切で、世界のどんなところでも高い評価を受けるのがまさに、毅然とした態度で「本物の日本人」の精神を貫くことなのだ。

しかし、現実には今の日本の精神が津々浦々まで行き届いていた時代は遠のきつつある。ロシア人ですら、最後のサムライをミシマと思い、今世紀最も尊敬すべき人の内に数え、現代日本には存在しなくなった、精神のサムライを受け継がなければならないと考えるほど、ロシアから見ても、「日本はどうなっているんだ!」と心配されているのである。

まったく、恥じるべき話ではないか。他所の国の人間などにサムライの継承をしてもらわなくても、日本にいくらでも、正真正銘のサムライがいるのだということを、世界に知らしめるべきときがもうすぐそこまでやってきているような気がしてならない。

連山の活動が、大きなうねりとなり、この国に勇気と希望、明るい展望をもたらすよう祈るばかりである。

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