ロシア人の倫理観

最近のニュースを見ていると、漠然と不安を煽るような犯罪だとか、いかにも日本人全体の道徳観念がなくなってきたような印象を受けるものが多い気がする。もちろん、時代と共に残念ながら、古き良き倫理観が失われてきている部分もあるかもしれないが、依然として、良い意味の日本人らしさを残しているからこそ、この国がなんとか安泰を保っているのだと思う。

卑近な例ではあるが、つい先日のこと、私は1年程前に忘れ物をした店に立ち寄った。たいした忘れ物ではなかったのだが、ずっと気になりながら取りに行くのが遅れていたのだ。一応、忘れた当時に電話をして、取りに行く約束をしていたのを思い出したのだ。とはいえ、これだけ時間が経ったので、既に処分されていても仕方ないという気もあった。ところがこの予測は杞憂に過ぎなかった。この飲食店では、どうやら開店以来ずっとお客の忘れ物をひとつ残らず、大切に一箇所に集めて保管してくれていたようなのだ。

見てみると、携帯電話から家の鍵、私の忘れ物よりよっぽど大切そうなものが色々と入っていて、あまりたくさんあるので、最初のうちなかなか見つからなかったが、最終的に自分の忘れた袋もちゃんと保管されていた!このようにして、我が忘れ物の袋は手元に一年ぶりに戻ってきたのであった。このとき、本当に有難い気持ちでいっぱいになったのは言うまでもないが、改めて「他人のものに手をつけない」という日本人の美徳のお陰で、こんな恩恵を受けることができるのだとつくづく嬉しく思った。

残念ながら、海外に出て、このように律儀に他人の忘れ物を預かってくれるケースは少ないだろう。それどころか、逆に「忘れる方が悪い。諦めなさい。」という反応が返ってくる可能性すらある。特にロシアの場合、もちろん個人差はあるが、「手癖の悪さ(盗癖があるという意味で)」は一流なので、失くした物が見つかるなんていうのは、よっぽどのことがないと難しいだろう。しかも、信じられないことだが、倫理観の欠如か、道徳教育がなってないからなのか、他人から盗んだものを平気で人の目に触れるように使っていたりする無神経な一面がある。

実際、堂々と盗難車に乗って警察尋問を受けて、「頼まれたから乗っていただけ」といって盗んだわけではないと言い張るロシア人もいたらしいし、つまらない備品などでも平気で持ち帰るのはロシア人に限らず、中国人やアメリカ人でもあるというから、大陸的な文化というのは、盗癖に対して寛大なのだろうか。ロシアの場合は、大陸的というよりは、共産主義時代に身につけた居直り癖、「物がなければ、あるところから貰ってきて何が悪い」という図々しい根性の賜物かもしれない。

なんせ、フルシュチョフなどは共産党書記長まで上り詰めたのに、自らの大学時代の思い出話として、勤労動員されたときに、列車の貨物輸送の手伝いをしながら、相当の物を貨物の中からくすねた経験を”懐かしく”語っていたらしい。つまり、トップからして、手癖の悪さを堂々と認めている社会だったのだ。そういうわけで、ソ連時代などは輸送中の盗難で物資が減ることは、最初から想定されていたともいわれている。しかも、その想定盗難物資の割合が3割くらいだったという話もあるくらいだから、いかに途中の横流しが多かったかを物語っている。
(そして、当時の冷蔵技術の低さから、途中で食物が腐敗して届くときには腐敗というケースも多かったとか)

いまだにその悪癖が抜けないロシア人の公務員(具体的には税関)などは、日本人の駐在員が送る引越し荷物から平気で「スリッパ」だけを頂いたり、イギリス人留学生が本国から受け取ったチョコレートの半分程度を「つまみ食い」していたりする。まだ、それくらいなら可愛い方で、モスクワ市内で送った手紙などでも下手に「キティーちゃん」の封筒など使った日には、そのまま永遠に届かないで、どなたか郵便局員の方のコレクションに入ってしまうことだってあるのだ。

そういう国で、日本企業がどういう目に遭ってきたか、賢い読者ならば大方の予想もつこう。つまり、手元にあるような小さな物からしてこれなのだから、大きなものならば、もっと大胆な形で手に入れようとするわけである。要するに、企業の場合は経営がロシアでうまくいったところで、数々のありもしない理屈を吹っかけて裁判に持ち込むなり、政治家を賄賂で丸め込むなりして、「乗っ取る」のだ。そして、乗っ取った後の経営は当然杜撰なもので、上手くいかないことが多いらしい。

そう考えてみれば、トヨタの工場が出来たとかくらいで、喜んでいる場合ではないのだ。ロシア人がいつまでも指をくわえて他人(日本人)の成功を見ているかどうか考えてみれば、よく分かることで、これから先、裁判所自体が極端に偏った判決しか出さない、しかも、警察が泥棒よりも恐ろしいような国家で、上手に日本企業が泳いでいけるかどうかは、まったく未知数だということは認識しておくべきだろう。
(ホンダのように生産は他の国でやって、リスクを取らないというのが賢明な選択にちがいない。なぜなら、東欧の人の方が勤勉だし、おそらくポーランド、チェコ辺りの人の部品製造技術の方がたしかにちがいない)

同じ日本人としては、もちろん、なんとか日本企業に上手くやって欲しいのは山々だが、ロシア人ですら、他人の妬みで足を引っ張られ、会社丸ごと乗っ取られた上、法外な罰則金を課せられて、挙句の果ての「シベリア送り」という元社長もいらっしゃるくらいだから。
(元ユコスのホドルコフスキー:Михаил Борисович Ходорковскийがいい例である)

本当に歴史的にもこういう傾向はあるらしい。ナボコフが貴族家庭で育った帝政ロシアの時代でも、使用人の手癖の悪さに家族が嘆かされた話もあるし、その後、モスクワの至るところにあった裕福階層の家屋がどのように「乗っ取られた」かという歴史はブルガーコフという小説家もよく書いているので、事実、こういうことが多いお国柄なのだろう。

中でも、微笑ましい歴史の一ページとして思い出すのが宇宙飛行士を巡る実話だ。ロシアのアネクドート(小話)の域に達してしまうくらいだが、これはロシアのテレビ局がこういう番組まで制作していたから、おそらく事実なのだろう。

ソ連時代、かの有名なガガーリンが宇宙に飛んで、地球に戻ってきた。ところが何の計算ミスか、大気圏で宇宙船ごと火の玉になって、予定外のボルガ川に突っ込んだ。ガガーリンは命からがら焼け焦げた宇宙船から脱出し、田舎の村のトップシークレットの宇宙飛行士の件など、まったく知らされてもいない善良にして無知なるソビエト国家の同志たちに何とかして「外国から来たスパイ」でないことを証明して、モスクワの党幹部と連絡を取ろうと悪戦苦闘している間に、まんまと田舎の暇な連中が宇宙船の残骸をひとつ残らず貰って帰ってしまったらしく、結局回収すらできなかったという。まさかと思うが、こういうのがまさにロシアの本当の姿のように思う。

まあ、今の中国の特急列車で備品が一ヶ月くらいで、次々「お持ち帰り」される話とよく似た話なので、共産圏で生活する人々にとっては、まったく驚くほどでもない当たり前の論理。「珍しいものを頂いて帰って、何が悪い?」といった感じか。

しかし、最近酷いのはこれに「ロシア人同士で騙し合う」というのが非常に多くなってきたというような風潮だ。これは貧しい時代を乗り切って、支えあって生きてきたロシア人にすれば、今は表面的な経済はよくなったが人情はなくなってきたというのが、本当のところではなかろうかと思う。哀れなことである。

数年前の例では、ロシアや旧共産圏で「ポルトガルに行けば仕事を斡旋する」という広告を大々的に打って、相当数の男性を国際バスで、はるばるポルトガルまで連れて行き、「仕事を斡旋するのに必要」と持ちかけて、手持ちの金を少しずつ騙し取り、最終的に置き去りにするような連中が存在するという事実。こうして騙された人が、遥かかなたのポルトガルで、ホームレス生活している様子が伝えられていた。しかも、気の毒な被害者たちは大半が諦めてしまうらしく、ほとんどロシアに戻ってくることもできないらしい。実際にこういうことが今も続いているのかどうか知らないが、特にロシア国内の法には触れていないのか?しかし、多くの人を騙して堂々と自分は派手な格好でうろうろしていたりするらしいから、「人を騙す」ということに対する罪悪感なんて、ほとんどないのだろう。それだけ、物欲的に成り下がった人間が増えてしまうと倫理観も糞もあったものじゃないだろう。
(しかし、日本の今の派遣業も体裁は繕っているが、実質的には似たようなものか?)

さらに最近では、これに加えて建設ラッシュのアパートの確保のために、前払いで購入代金を支払ったモスクワ市民が大勢騙されて、ほぼ全財産すってしまって、ハンガーストライキでモスクワ市に対して、業者の処分や行政による被害者救済を訴えていた。しかし、これも数年来の傾向なので、驚く前に「またか」という感じがするくらい頻繁に起こる事件だ。だが、いまだ具体的な解決策が取られたかどうかもはっきりしない。

とにかく、こういうロシアで「倫理観」を求めるなどというのは非常に難しいことだということは、理解しなければならないだろう。ロシア人自身もいまだに、こういう社会の中で大変な思いをしながら暮らしているのを考えると、日本はまだまだ恵まれている。そして、この恩恵というのは、先祖代々、受け継いできた、ごくごく当たり前の倫理観や道徳のお陰だということを忘れてはならないと思う。こういう当たり前の論理を世界に広めることこそ、もしかすると、真の日本人に与えられた課題なのかもしれない。

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