世界地図を見れば分かるように、ロシアはユーラシア大陸のほぼ全域に渡る国土を持っている。そして、実はいまだにモスクワから極東地方まで横断する自動車道が、整備されていないらしい。笑い話のようだが、日本の中古車をウラジオストク経由で輸入した場合に、鉄道網を使って西へ西へと輸送するか、あるいは近い範囲(といってもバイカル湖辺り目安)となると自走していくことになる。実際にそういう「運び屋」のラリーがあったというニュースもきいたことがある。
本当にそんなことをしているのか、ちょっと疑いたくもなる。しかし、最近はロシア国内の新車の
売り上げが伸びて中古車はそれほどでもないように思われているが、実際にはまだまだ需要があるのだ。よって、鉄道で運ぶには「待ち時間」がかかる。それならいっそ、自分で走ってしまおうというのがロシア人なのだ。この例のみならず、ロシア人というのは全体的に発想が非常に単純というか、分かりやすい。今の便利な日本にいると思いつかないような、原始的なやり方で強引に物事を解決していくところが面白くもあり、たまに驚かされる。
ことに鉄道に関しては、マニアでないので詳細にメカニックは分からないが、相当旧式の設備をそのまま使っており、ここにもロシア人の頑固さというか、壊れるまで古いままで使う根気強さを感じる。モスクワの地下鉄なども、いまだエスカレーターが構造的に主に木製だったり、ほとんどのエスカレーターが3列並んでいるのが、実は故障したときの予備のためだったり、時刻表がほぼ存在せず、列車がほぼ数分置きに走っており、古い車両だから「走り続けないと故障するのでひたすら動かす」とまで言われていた。誇張部分もあると思うが、ほとんど真実に近い気がする。
それでも、個人的にはモスクワの地下鉄は世界一ではないかと思うほど愛着を持っていた。なにせ、国家の威信をかけて建設された地下鉄だけに、中心部の各駅の意匠がとりわけ素晴らしかった。全面的にモザイクにした駅、革命戦士の銅像が各柱に備え付けられた駅、未来的なドームのような照明の駅、大理石の駅、ステンドグラスの駅、もう数えだしてもきりがないほどユニークでふたつと同じ駅がないくらいなのだ。ただ、残念なことに最近新しく開設された駅はたいてい似たり寄ったりで、昔ほどの凝り方は感じられなくなった。
とはいえ、モスクワの地下鉄に入るエスカレーターの長さと速さは凄い。これを越えるのは難しいというくらいの傾斜で、しかも驚くほどの速度で地下の迷宮に弾きずりこむスピード感。若者が物凄い勢いで駆け下りていくのを見ては衝撃を受けていたが、そのうち慣れてくると自分も似たようなことをやっていたのだから恐ろしい。また、そんなエスカレーターを制御する技術者(?)のような年配の怖い顔の人たちも、まるで異次元のモンスターかなにかのようで雰囲気を盛り上げていた。
しかし、盛り上がってばかりいられないのが、ロシアという国だ。落とし穴が必ず何処かに用意されている。地下鉄の駅と駅を結ぶ踊り場だとか、地下道に設けられた交番が危険箇所だった。その前に必ずといっていいほど人相の悪い警官が立っているのだ。そして、しょっちゅう用もないのに外人を呼び止めてパスポートチェックを行い、悪い奴になると問題なくても「賄賂代わり」に身体チェックして、外貨を巻き上げたりしていたものだ。多分、今もそう変わらないだろう。そのため、モスクワの地下鉄に乗るのは、楽しいことばかりでなく、危険なことと隣り合わせでもあったのだ。(また、運の悪い人になると、外人だというだけで、ネオナチに殴られて亡くなったり怪我をしたりということもあったので旅行者の方は相当慣れた人と一緒か、とにかく怪しい奴からは逃げる。警察は間違ってもあてにならず、日本大使館も同様)
そんな物騒な地下鉄に比べると、鉄道というのは随分気楽なものだった。といっても、モスクワ近郊へ向かう列車は、不潔な上に結構危険と言われていたので、気楽なのは、長距離の鉄道と限定しておきたい。(と言いながら、近郊列車にもたまに乗っていた。当時はそれほど危険とも思わなかった。乗車料金が上がったりしていたが、ちゃんと払っている人もなく確認している人もなく、要するに近郊列車は無法状態だったので、その意味で危険かもしれない)
モスクワ近郊というのは、比較的貧しい層が住んでいて一部ゲットーみたいになっているところもあるらしく、車窓から見ても全体的にモスクワ中心部に比べると、かなり薄暗く陰気な街が多かった。ただ、郊外でもかなり離れていくと自然に囲まれた環境になってきて、この辺りは、ダーチャといって別荘(というほど豪華でないものが大半、土地付きの小屋といったところか)のような地帯があり、最近は金持ちでもそういうところに家として住む人が増えたために、郊外からモスクワへの通勤ラッシュなどで大変なことになっている。要するに、金持ちは郊外列車に乗らないらしい。
ところで、長距離列車に話を戻すと、こちらは誤解を恐れずに言うなら意外なほど快適である。そして、数年前値上がりしたので今は知らないが日本に比べると、あれだけの距離のわりに非常に安かった。ただ売り場のおばちゃんは共産主義時代の愛想の悪さで、休憩時間になると人が並んできても窓口は突如閉鎖される。今思い出すと懐かしい笑い話だが、時間が押しているときは
頭にきたものだった。だが、喧嘩しても勝ち目はないので、こういうときは待つしかない。
日本国内でも昔、夜行列車が大活躍していた時代もあったようなもので、ロシアではいまだに夜行列車抜きの人生は語れない地方住民もたくさんいるのである。そして、ロシアの列車体験を一度してしまうと他の国の列車が「なんだか味気ない」というくらい独特の雰囲気があって、なんともいえず、旅情のあるのがロシアの鉄道なのである。
もちろん、ロシアといえども列車の部屋の格付けはあるので、一等車などに乗ってしまうと一般ロシア人とのお付き合いはできないが、二等、三等のような「乗り合い」状態の車両だと、二段ベッドに男女混合で色んな世代の人が乗ってきて本当に愉快な旅ができる。といっても、ロシア人も人によるので、勝手に新聞を読んで黙っている人もいるかもしれない。(ただ、私はそういう人にほとんど遭遇したことがないが)
でも、ロシア人は劇場に行ったときと、酒を飲んだときと、列車で旅するときは、なんだかいつもより楽しげになるものなのだ。(関西人の勝手な持論)そんなわけで、たいていは相手から何かと世話を焼いてきて、話の種を探してくれたり、酒を奢ってくれたり、持込の食べ物を分けてくれたりすることが多い。非常に親切な一面を示してくる場面なのである。他の場面でロシア人に対して、こういうことを期待するのは難しいが、(ただ、雪道でこけたら助けてくれたり、ドアを開けてくれたり、日常も男性は女性に優しい)劇場・酒・列車は効果的舞台装置になるらしい。そういう意味では、彼らも意外とナイーブな本性があるのだろうか。
普段、あれだけ愛想のないように見えるロシア人に、そういう気使いをされるとやっぱり嬉しいものだし、仲間扱いしてくれると親近感もわく。しかも、どういうわけかロシア人の鉄道利用者は、かなりマナーが良い。自然な態度で、お互い気遣いができるのだ。だからこそ、男女混合であっても問題が起こったことはほぼ聞いたことがなく、阿吽の呼吸で着替えるときも男性がさっと席を外し、いつの間にか何もなかったように戻っている。電気を消して就寝してからも、誰かが騒いで困ったことも皆無だった。また、朝も驚くほどきちんと起床。すぐに手洗いに行き、歯磨きをして、整然と毛布とシーツを畳んで、完璧に片付けていて早いのなんのって、軍隊経験の賜物なのか、集団行動完璧な人が多いのだ。さらに、極めつけには車掌はなぜか中年の女性が多いのだが、絶妙のタイミングで降りる駅の手前で教えてくれたり、懐かしいアンティークっぽいガラスコップに金属製のカバーの付いたもので紅茶をサービスしてくれる。(こちらは要予約。たいてい切符回収のときに要望を聞いてくれる)こんなにロシア人が協調性があるなんて!驚くばかりの経験だ。
まあ、車窓の景色に関しては、ロシア国内のシベリアなど東西移動の場合は、比較的変化がないので凄く面白い景色が展開されるとは言えないものの、漠然と広大さを感じるところに鉄道浪漫があるようにも思える。時々夜中の何もなさそうな寒村みたいなところでいきなり止まったら、駅のこれまた何もない薄暗くて足元も見えにくいようなホームに、たくさんの住民が惣菜などを売りにきていたりする。こういう風景を見ると、時代が変わっても変わっていない地域が多いことを痛感する。ほとんど、小説「ドクトルジバゴ」の中で出てきたシベリアの光景と、あんまり変わっていないのではないかという気がしてきてしまうくらいだ。(さらに人物の服装や態度なども)
やはり、広い国なのだ。また、夏にボルガ流域を列車で下降したときなど、よくプラットホームに果物をバケツに入れて売りにきていた。のどかでいい光景だと思っていたら、一緒にいたロシア人に「暇過ぎてやることがないから、若者がドラッグに手を出す。ほら、あそこに寝転んでる連中もそうだよ」と教えられた、かなりショックだったこともある。本当にロシアでは田舎に行くと、信じられないほど何もない景色が多いので、いかに都会と地方の差が大きいかということなのであろう。
そのわりに、近年はペットボトルのゴミが沿道に散乱していたり、資本主義の弊害だけが地方にも
入り込んでいるような部分も見かけた。おそらく情報に関しても、いまだにインターネットどころか、テレビすら普及していない地域もかなりあるというらしい。過疎の村なら、老女が一人で機嫌よく
ヤギや羊と一緒に暮らしているだけというところまであるというし。
もし本当のロシアという国を見たければ、飛行機で飛んでモスクワしか見ないのは間違いだろう。どうしても、普通のコースならそうなってしまいがちだが。私はそれが嫌で毎年のようにシベリアなど地方都市を旅したが、その経験は忘れがたい。ついつい海外から見ると、経済の中心となっている首都やサンクトペテルブルクばかりに目が行くが、実際はそうではないのだと鉄道の旅が教えてくれた。また懲りもせず、いつかシベリア鉄道に乗って大陸横断したいものだと思う。
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