ロシア人とクラシック音楽

最近、ロシアのオーケストラやオペラ、音楽家が頻繁に来日している。必ずしも、ロシア人が皆クラシック音楽が好きなわけではないが、オーケストラなどを維持していくための土台の部分は、帝政時代、共産主義時代、それほど揺らぐことは無かったように見える。

もちろん、革命や歴史的な変革の中で、まったく影響がなかったといえば嘘になるだろう。しかし、彼らの優先順位の中では芸術は常に「かなり上位」にあったために、守られてきたということは、たしかだろう。

ロシア人の芸術に対する理解というのは、ヨーロッパの諸国と比較してもかなり高いといえるのではないかと思うが、特にクラシック音楽に関しては、それがいえる。

それほどクラシックに関心がない人でも、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」だとか、「白鳥の湖」などの有名なメロディーくらいは知っているものである。実際、ロシア人の作曲家というのは非常に個性的な人が多くて、ハチャトリヤン、プロコフィエフ、ショスタコービッチ、ストラビンスキー、ラフマニノフなどざっと名前が挙がる人の作品だけでも、ほとんど世界的に影響を与えてきたといっても、まったく大袈裟ではあるまい。

たしかに、名前だけですぐに曲名やメロディーが浮かぶのは、かなり通な人だろうけれど、日本ではこういった作曲家の曲の非常に限られた一部分を抜粋して、テレビコマーシャルに使ったり、それこそ、運動会のBGMにしてしまったりすることで、ある意味、あまり作曲家に対する敬意を子供の頃から植え付けない。

しかも、剽窃に近い形で勝手に盛り上がるサビのところだけ使って、切り貼りするものだから、長い交響曲などは実際の現曲が持つスケールなんて、まったく残っていない状態で聞かされ続けていて、そういう点のクラシック音楽への扱い方は、あまりにもお粗末である。

そのようにして、断片が耳に残っているような名曲を実際に「はじめから終わりまで完全な状態」で、生のオーケストラで聴いてみれば、いかに自分が「本物の音楽」に触れていなかったか、本当に衝撃を受けるものである。まさにモスクワ時代の私がそれであった。行きたい芝居がかかっていない日は、ほぼ毎晩のように音楽院のホールに通ったが、その当時は一回の演奏会の一番安いチケットは300円ほど。考えられない値段であるが、毎回毎回期待を上回る素晴らしい本物の音楽を浴びるように聴き続けた。

実際、そういう場所へ通うと、少し分かってくることがある。本当の音楽通の人というのは、相当「音楽史」ともいえるような流れの中で、それぞれの作曲家を位置づけており、特にロシアでも名門といえるような、モスクワ音楽院の大ホールではロシアのみならず、ハイドンやモーツアルトなどのクラシックの一時代を築き上げた作曲家たちの肖像画が、それぞれ相当に大きな装飾画として掲げられている。しかも一旦ホールの外の赤いカーペットの敷かれた階段の中心の踊り場には、ロシアのクラシック時代の基礎を築いた作曲家が集まった巨大な油絵が飾られている。

つまり、クラシック音楽を愛することは、その音楽を作曲するまでの歴史を知った上で行われることであり、知ることが「歴史を敬う」ことと直結しているといえるのではないだろうか。

そういう点では、日本でも最近は立派なホールがあちこちにできて「箱物」の残響音だとか、室内設備、豪華で凝った照明などでは明らかにロシアなどより数段上なのにも関わらず、クラシック音楽を日本に伝えた先人に対しての「歴史と功績への敬意」を捧げているような場所としての機能も備えたホールは、あまりないように思う。

しかも、ロシアの場合でいうと初期にクラシック音楽を自国文化として根付かせようとした段階から、ある程度、「愛国心」というものと平行して教育が行われてきた経緯もあり、音楽家は非常に自分の国を誇りに思っている。

さらに、世界的にバレエやオペラで有名な劇場などになると、非常な大所帯であることや、中心部の一等地のかなりの広さの敷地を持ち、維持費や運営関係で、政府と切っても切れない上に、海外公演などでそれこそ「稼ぎ頭」だった時代も長いので、実質的な経営権を持つトップの入れ替えに、大統領が口出しするようなこともあるらしい。それほど、音楽が国家的に重要な位置を占めているということだろう。

ただ、一般のロシア人のクラシック音楽愛好家たちは、純粋に音楽を鑑賞することに喜びを見出しているだけでなく、自分たちが「未来の音楽家を育てる」という感覚を持っているので、演奏会に行く場合でも、かなり「参加する」意識でそこに集まっているし、演奏家もそういった意識の高い観衆からの「感化」を貰うことで音楽を完成させるのだという謙虚さがある。

だから、実際にいくら海外で同じ演目のコンサートを開いても、モスクワの厳しくも積極的な参加意識のある聴衆に囲まれて演奏する場合と本質的に違うのである。おそらく、それだけ場数を踏んで、耳の肥えた聴衆に育てられてこそ、本物の音楽家が育つのであろう。

ロシア人を見ていると、審美眼が非常に厳しく、音楽のみならず、なんでもかんでも受け入れたりはせず、自分が気に入らない、これは駄目だという判断を下すと、チケットがいくらしたかなんて気にもせずに、正面突破で帰っていく。

その潔さというのは、驚くほどで、それだけ自分の基準がはっきりしていて、他人の評価に左右されないということなのだろう。そういうところが、ロシア人の実に面白いところでもあり、なかなか、一筋縄でいかないところだと思う。