高橋祐助の最近のブログ記事

2008年10月29日

江戸の養育、江戸の教育


今回のネタ本は『江戸の躾と子育て』(中江克己.祥伝社新書,2007)です。江戸の子育てはどのようなものだったのか、江戸の教育はいかなるものだったのか。この本から見てみましょう。

江戸の育児

胎教の重要性

江戸では子どもは大変大事に扱われました。そしてすでに母親の胎内にいるうちから、善い子に育てるための胎教の重要性が指摘されていたようです。江戸時代初期の陽明学者・中江藤樹は『鑑草』(1647)の中で「胎教というのは、子が胎内にあるうちの教えであり、その教えは母の心持ちと行いにある」ということを言い、自費と正直を根本とし、邪念を起こしてはならない。食物も慎み、居ずまいや行いは正しく。目にいやな色を見ず、耳に邪なる声を聞かない。賢人や君子の行いとか、父母に孝行を尽くし、忠と信を貫くなどの故事を記した書物を読むようにと、勧めていると言います。妊娠中の母親の心持ちが、子どもに影響するという考えですね。母親が穏やかで居住まいを正した生活をすることは、呼吸・心拍・内分泌などの母体の安定をもたらし、胎児にも安定した環境を提供することでしょうから、良さそうな気がします。

乳母の条件

出産後、大役を終えた母親は、七日間寝椅子に座らされ、安静を強いられたといいます。周産期死亡率も妊産婦死亡率も高かった当時ですから、大事に扱われたのでしょう。しかし今日から考えれば、七日間も身動きさせてもらえないほうがよほど大変なことのような気がします。エコノミークラス症候群になりそうです。もっともどの程度こうした処遇を受けていたのかはわかりません。さてそんな具合ですから、新生児は同じ頃に授乳中の女性から母乳を分けてもらうことになります。当時は乳を分けてもらうことや、乳母を雇うことはごく普通のことでした。『養生訓』で有名な貝原益軒は、『和俗童子訓』の中で、善い乳母の条件を以下のように述べているそうです。「心が穏やかで邪なところがなく、慎み深くて、おしゃべりでない者がよい。悪賢くて口がうまく、偽りをいったり、ひがみ根性の者はよくない。また、気が強く、自分の思うままに振る舞うほか、酒を好んで酩酊する者もよくない」と、まぁ酩酊しているような乳母には任せたくはありませんからね。

育児書の旺盛

生まれた子ども対する養育の手引き書も、沢山出版されていたようです。貝原益軒の弟子である医師・香月牛山は『小児必要養育草』(1703)で、「赤ん坊が生まれて六十日後、瞳が定まる。これからは人を見知って話をするように笑う(中国・王隠君の引用)」「赤ん坊が笑い、話するような仕草をするときは、乳人やまわりにいる人がその都度、赤ん坊に話しかけるようにすれば、赤ん坊もよく笑い、その人の真似をして話すような仕草をするものだ。このようにすれば、言葉を話しはじめるのが早いし、人見知りをせず、脳膜炎などの病気になることもない」と述べているといいます。

ところで、赤ちゃんの視機能というのはどの程度なのでしょう。かつては乳児は目が見えないなどといわれていました。しかし近年の乳幼児研究で、新たにいろんなことが分かってきているそうです。それによると、どうやら乳児は生後すぐに見えてはいる。しかし乳児の視機能は、まだ単焦点で、かつ識別間隔が大きく詳細さが荒いため、ある一定の距離にある、形が明瞭でコントラストのはっきりしたものが、大雑把に認識できる程度なのだそうです。その焦点距離はおよそ20~30cm。これは抱きかかえられ、おっぱいを吸っているときの母親の顔の位置ですね(別に母でなくてもいいですが)。目の位置と口の位置と形がおおよそ分かる。逆に言えば、生まれて初めて脳に到達する外界の映像は、余計な情報が背景に紛れ、まさしく母の笑顔であるといえましょう。逆に考えれば、それをまず認識するための合目的的な視機能であるともいえます。人間は  (・_・)  を顔と認識しますが、その根本がここにあります。

そのように視機能が鍛えられ、情報認識が進んできますと、物の形をより識別できるようになり、距離に応じて焦点を合わせられるようになり、周辺視野も広がって、周囲の物に興味を示し、それを目で追うようなります。それがおよそ3ヶ月頃。前述の指摘は概ね正しいといえましょう。この頃に赤ん坊が笑い・話しかけるような仕草をするが、それに応じて笑い・話しかけると、さらに赤ん坊はよく笑い、真似をして話すような仕草をする。これが子どもの言語機能や対人コミュニケーション機能の発達に善いのだ、という指摘ですね。

ところで最近の脳研究でミラーニューロンと呼ばれる神経系の存在が想定されるようになり、大きな興味を持たれているといいます。ミラーニューロンとは、相手の真似っこをする脳細胞ですね。相手が「笑う」のを見ると、と自分の脳の「笑う」という部分が活性化する。というものです。見よう見まね、といいましょうか、コピー機能といいましょうか、相手とシンクロする機能といいましょうか、よく分かりませんが、そんな意味があるのではないでしょうか。

ミラーニューロン(英: Mirror neuron)は霊長類などの動物が自ら行動する時と、その行動と同じ行動を他の同種の個体が行っているのを観察している時の両方で活動電位を発生させる神経細胞である。したがって、他の個体の行動に対して、まるで自身が同じ行動をしているかのように"鏡"のような活動をする。このようなニューロンは、マカクザルで直接観察され、ヒトやいくつかの鳥類においてその存在が信じられている。ヒトにおいては、前運動野と下頭頂葉においてミラーニューロンと一致した脳活動が観測されている。 (出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

ですから、笑顔と笑顔、お話しとお話しを互いに交換することは、牛山の言うように、言語機能や対人コミュニケーション機能の発達にとても大事なことで、牛山の主張を裏付けるものになりそうです。またこれは、別の視点から見れば、見ることと聞くこと、そして表情と話すことを同期させ協調させる練習でもあるのではないでしょうか。それに顔、特に口周辺は、脳の中でもかなり多くの部分を占めると言われます。当然、笑う・話すは脳への刺激となり、脳機能を活性化させ、その発達を促進するのではないかと想像されます。

Homunculus-ja.png

(「ペンフィールドのホムンクルス」Wikipedia より引用)

香月牛山は、赤ん坊が手を動かせるようになったら「拍手(てうち)」と「振頭(かぶり)」を教えよと言っているそうです。江戸の手遊びの代表は「ちょちちょちあわわ」だそうで、これは「ちょちちょち」と言って両手を叩き、つぎに掌で軽く口を叩きながら「あわわ」とやるものだそうです。取引が成立したり、和解が成立したときに「手打ち」をする風習がありますが。「拍手」を教えるは礼を教えるはじめだというわけです。これもまた、脳の中で多くの部分を占める口と手の運動と感覚を伴う遊びですから、脳への刺激となって発達を促す効果があるのではと想像します。

幼児期の養育の重要性

その他にも、幼児期の養育は重要であると思われており、先述の香月牛山は「百尺の松も、一寸のときによく世話をしたから、長いあいだ変わらずに緑を保っているし、七尺の人も一尺のときによく育てたからこそ、長寿を保つ、ということを知るべきだ」と説き、乳幼児期の養育がその人生の健康に大きく関わると協調しています。また牛山は中国の『千金論』から紹介し、子どもの衣類は親の古い着物を作り直して着せる。新しい着物、錦などを用いてはいけない。厚着をさせて暑くしすぎてもいけない。着せ替えるは戸障子を閉め、火を燃やして暖めるべき。衣類を火で炙って温めると暑すぎて皮膚を損なうため、あらかじめ人の膚で暖めて着せるのがよい。と勧奨しています。

子どもは、そもそも体積が少ないので熱容量が小さく、また、体積に比して表面積が大きいため、熱損失が多きいものです。逆に言えば熱が与えれれば熱が上がりやすいと言えます。その上、子どもは体温調節中枢が未熟でもありますから、つまり、冷えやすく、のぼせやすいわけです。衣類や着替えの際の前述の工夫は、体温維持に対する理にかなった配慮といえましょう。また、親が着古した着物を作り直して着せるというのも、新しい衣類より着こなれたもののほうが肌に優しいでしょう。へなへなな木綿って気持ちいいですからね。

溺愛・過保護の戒め

しかし一方では、貝原益軒のように、子どもは薄着をさせ、食事を少なくせよ。さ小児を温めすぎるのはよくない。天気のよいときはときどき外に出して、風と日光に当たらせる。皮膚は丈夫になり、血気が満ちて風や寒さに負けることはなく。病気になることは少ない。と、可愛がりすぎ過保護にすることが子どもをだめにすると、注意を喚起している人もいます。どちらが正しいとかというより、どちらも真理でしょう。子どもの特性に応じた配慮は必要ですが、逞しく育つために鍛えることも必要なのですから。益軒はさらに、「およそ小児を育てるのに、はじめからかわいがりすぎてはいけない」「かわいがりすぎると、かえって子どもをだめにしてしまう」と言い、父母がきびしくすると、子はおそれ慎み、親の教えをよく聞いて背かず、孝の道を行うようになる。父母がやわらかにして厳かではなく、かわいがりすぎると、子は父母をおそれないし、父母も子に教えることができない。子は戒めを守らず、父母を侮るから孝の道がたたない、と厳しく育てることを推奨しています。さらに、父が愛に溺れて、子どもの悪いところを知らなかったり、素行が悪くてもほめたり、技芸が下手でも上手いといってほめるのは愚かなことであり、子どもの善をほめると善をなくし、子どもの芸をほめると芸をなくす、と注意しています。

穏和に育てることの勧め

これに対し、脇坂義堂は『撫育草』の中で、「穏和に育てるのが一番いいと思う。子どもは知に暗いから、親があまりにきびしいと、恐れて親しまず、よいことも悪いことも隠すようになる。ただ怖がるだけで、心から服従しないのだ、なにごとも穏やかにいい聞かせ、よく呑み込んで行動できるように、温和に育て上げるのがよい」「悪いことをしたときに強く折檻するより、よいことをしたときに十分ほめてやればよい。幼な心に喜び、またほめられようと自然によいことを励み、よいことをしようと思う気持ちから、自然によいことが好きになり、ついには善にいたるものだ」「悪いことをしたときだけ折檻すれば、幼な心にも反発し、ただ折檻されることを恐れる。また悪いことをしたときには、これを隠してしられないようにするものだ。悪いことを隠すのは、大悪にいたるもとであり、しまいには嘘つき、悪人になるから、心から納得させず、ただ怖がらせるだけでは子どものためにならない。十分に穏和にいい聞かせ、教え育てるのがよい」と、穏和に育てることを勧めています。こういった「厳しくすべき」「穏やかにすべき」という相反するような立場からの意見は昔から言われてきたことなんですね。

江戸時代は現在に比べて乳幼児の死亡率も高く、捨て子も子殺しも堕胎も多かったのですが、だからこそ親だけではなく皆で子どもを大事にしました。子どもが丈夫に育つよう願い、様々な風習や行事があったようです。今では迷信と思われるようなこともありますが、そこには子どもの成長への願いがあります。それに、それらの風習があるということは育児のマニュアルがあるということです。行事があるということは折々にふれ子どもに関心をはらう機会があるということです。

江戸の教育

寺子屋事情

江戸時代の教育と言えば、寺子屋が思い浮かびます。「寺子屋」という呼称は上方のもので、江戸では「手習所」ということが多かったといいますが、ここでは現在よく知られた呼称である「寺子屋」で通したいと思います。

江戸の寺子屋は私塾で、今のような公的な義務教育機関ではありません。寺子屋の就学年齢はおよそ5~8歳ころで、卒業時期は特に定まっていた分けではなく、13~14歳、あるいは18歳頃まで修学することが多かったといいます。寺子屋1校辺りの生徒数は、10人から100人だったようで、幕末期の江戸の人口はおよそ100万人、寺子屋はおよそ1500校。全国では約15000校あったといわれます。現在の東京都の人口がおよそ1300万人、東京都の小学校数がおよそ1300校であることを考えても、相当に教育熱心であったことが伺えます(もちろん単純な比較はできませんが)。当時の世界を見渡してみても江戸期の日本の教育の広がりは突出しており、1850年頃の就学率は70~86%だったといわれ、これは、同じ時代のヨーロッパ諸国の主要都市での就学率が20%程度かそれ以下だったこととくらべ、かなりの高率でありました。

そのおかげもあって、識字率は、江戸市中で男女とも70~80%、武士階級ではほぼ100%であったと推測されます。これもまた他の国からは想像できないほどの高い識字率であり、幕末に日本を訪れた外国人は、子守の女の子が暇つぶしに本を読む姿を見て驚嘆したといいます。

寺子屋の師匠

寺子屋の師匠には、僧侶・神官・御家人・諸藩士・医師・書家・商家の隠居・豪農の知識人などが多く、本業の他に寺子屋で教えを説いていました。当時、「教える」という行為は、お金に換えることができないほどの神聖なものと考えられていたため、師匠が報酬を要求するということはなかったといいます。中には月謝を取る専業の師匠もいましたが、それでも「お金のために教えているのではない」というプライドがあり、払わなければ教えないというようなことはなかったそうです。とはいうものの、親たちは「お礼」をするのは常でした。しかしこれに対しても師匠は習字の発表会を開いて、赤飯や菓子を振る舞うことで還元していたようです。師匠になるのに資格があるわけではないので、誰でもなることはできましたが、それ相応の実力がないと、評判が悪く、弟子がつかないためやっていけませんでした。知識が豊富で、教え方が上手く、人柄がよい師匠が人気があったというのは、世の常のようです。たいがい一人の師匠について学びましたから、師匠yは一生の恩師として「お師匠様」と敬愛されました。

多種多様な「往来物」

寺子屋では「読み」「書き」「算盤」を習いました。寺子屋の勉強は実用的な知識が多く、それを身につければ、さしあたり世間に出て仕事をするのも、暮らしてゆくのも困ることがありませんでした。最初に覚えるのは「いろは」です。ものごとの「いろは」を習うというわけですね。使う教材は「往来物」と喚ばれる教科書が多かったようです。往来物とは、往復書簡の形をとった手紙文の手本のことで、これで漢字や熟語、敬語の挨拶や時候の挨拶など、言葉遣いや礼儀、生活に必要な知識を学ぶのでした。最古の往来物は平安後期、藤原明衡が書いた『明衡往来』であるとされます。「往来物」の種類は数多く、実に七千種類もあったといいます。そのうち千種類は女子用であったというのですから。女子の教育も熱心であったといえましょう。

往来物の代表は『庭訓往来』という教科書で、一月から十二月までの手紙の往復の規範文を集めたものです。子どもはそれを通して、敬語や時候の挨拶を学びました。『庭訓往来』は各地方で出版され、地方ごとの特色が盛り込まれていたようです。『絵本庭訓往来』は、公家の新年の挨拶にはじまり、衣食住、職業、風俗習慣、動植物などを北斎の挿絵付きで学ぶことができました。他にも、年中行事を扱った『風月往来』などもありました。

当時、武家の子は武士、商家の子は商人となるのが当たり前でしたから、それぞれの職業に密接に結びついた教科書もありました。その代表としては『商売往来』があります。これは商取引用語、数字、貨幣単位、商品名、商人心得などが記載されており、商人の多い地域で採用されていたようです。その中の商人の心得について述べたところでは、商人にとって重要な心得は「始末」「柔和」「正直」であるとされ。始末とは、浪費せず、つつましく暮らすこと。柔和とは、挨拶や応対に誠意を尽くし、顧客の心をつかむこと。正直とは、裏表のないこと、と教えています。今のご時世、誠に耳が痛いのではないでしょうか。『商売往来』は社会常識についてよくできた教科書だったため、たんに商人向けというより、一般の教科書として用いられたようです。同じようなもので『問屋往来』、さまざまな職業、特に職人に必要な知識、技術、心得などをまとめた『諸職往来』、大工・左官など職人言葉や文字を集めた『番匠往来』、職人の道具や度量衡を測る道具と、その使い方をまとめた『万福百工往来』などがありました。農村では『田舎往来』『農業往来』『百姓往来』などが使われ、農地、農具、耕作、栽培、農民としての心得などを学び、とくに村役人ともなれば触書の伝達、年貢計算、納入書類作成などのため「読み、書き、算盤」は必須でした。漁村は漁村で『船方往来』『浜辺小児教種』で船乗りに必要な知識を学び、船大工用の教科書もあったといいます。

また、地名・地理を学ぶ教科書としては、諸国の国名を列挙した『国尽』。江戸市中の地理については『御江戸名所方角書』『江戸往来』、京都の地理地名なら『都名所往来』、大阪の地理地名は『浪速往来』というように、各地ごとに出版され覚えやすく工夫されています。算術については『塵却記』が有名で、上巻では、算盤を使った加減乗除の四則演算。中間は生活に即した応用問題。下巻は平方根や立方根の求め方などが扱われていました。算盤が普及したのは江戸後期ですが、これは消費経済が発達したことによるものと思われます。また、異色なところでは『身体往来』があり、五体の名称と機能、五臓六腑についても記してあります。その他、儒学なら『四書五経』『六諭衍義』、人名なら『名頭』『苗字尽』、文字は『千字文』、歴史なら『国史略』『十八史略』などが教科書として用いられ、源平合戦、大阪の陣、島原の乱なども題材となった。古典文学として『唐詩選』『百人一首』『徒然草』なども学んだようです。教育内容は、反幕教育をしないかぎり基本的に自由だったようです。

寺子屋では、いたずらもさかんで、子どもたちはいろんないたずらをしては叱られていたようです。師匠によって罰が与えられるのは、行いが悪く他人に妨害を加える場合、怠惰で勉強が遅れている場合、喧嘩や言い争う場合、他人をだましたり物を盗んだりした場合などでありました。どんな罰が与えられたかというと、叱責(しかる)、説諭(いいきかせる)、留置(居残り)、謹慎(師匠の傍らで正座)、食止(飯ぬき)、線香(線香と水を入れた茶碗を持って立たせる)、鞭撻(竹刀で手足を打つ)といったもので、便所掃除の罰もあったようです。面白いのは片手に火の点いた線香、片手に水の入った茶碗を持たせて立たせる、あるいは正座させるというものです。火の点いた線香が短くなってくるのは緊張しますし、水が入った茶碗を持っているので、身動きもできません。あまりにひどい場合は「破門」ということもあったようですが、よほどのことでなければ破門になることはなかったそうです。面白いのは「あやまり役」を順番で決め、師匠に叱られる時には一緒に謝るのだそうで、師匠のほうもあやまり役に免じて許してやろうと、納めどころ作りやすかったといいます。


コミュニケーション能力と生存能力を付与する

江戸時代は、武家の子は武士、農民の子は農民、職人の子は職人、商人の子は商人になるのですから、将来の目標は明確であり、そのために身につけるべき目標もまた明確でありました。したがって、自分の能力に応じて自分なりに努力し、時間を掛けながらでも目標を達成すればよかったのです。そのため、寺子屋でも同じものを一斉に勉強するのではなく、銘銘が銘銘の進み具合で学習し、その一人一人に応じて師匠が指導していました。エデキュケーション・オン・デマンドというわけです。

また、往復書簡集である往来物を使った教育や、それぞれの職業や市井の風俗を題材とした教育というのは、とても意味深いものだと思います。コミュニケーションの作法を学びながら読み書きを習得し、しかも実学も同時に身につくといういうわけですから。当時の人が、対人コミュニケーションのスキルと、社会の中で身を立てるためのスキルを体得することを、いかに重視していたかということが伺えます。

『連山』編集部

推薦コラム:補給戦ー前半 / 補給戦ー後半

補給戦コラムを執筆し滋賀県で理数系の政治団体を設立した峯山政宏氏はUAEにおいて無実の罪で刑務所送りとなりました。これは吉田松陰先生と同じと経験を積んだということです。日本のワーキングプアは下記の文章を心に刻んで下さい。

吉田松陰の留魂録 (講談社学術文庫)レビューより
1)当初捕縛された際の罪状だけでは死罪にはならなかった。しかし、幕府を覚醒させるべくこれまでの所行をすべて告白する。結果、死罪を被る、
2)その際、自分の刑死が、後進の者ものを目覚めさせ、しいてはこの日本を新生させることにつながるとしたその心意気と達観、さらに本書にあるように、
3)このように澄み切った、しかも潔さで死に臨んだ。

感銘を受けた人は彼の生ある間に→ ダイレクトメール(クリック)

彼の政治団体の崩壊は即ち日本のワーキングプアが国境を越える知識人の心を理解しない事となります。その行動がどのような結果となるかはすぐに判るでしょう。歴史を顧みれば大日本大国はポツダム宣言を黙殺し原子爆弾2発とソ連参戦を誘発しました。

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2008年10月27日

【空気支配】人材兵站線への間接アプローチ

場の空気に目的を忘れる

集団には集団の雰囲気があります。会議が始まるまでは「この目的を確認して、ここの同意を取り付ける」などと目的を持って挑んでも、「場の雰囲気に流されて」本題までたどり着けなかった、などということが生じることは、みなさんご経験があるのではないでしょうか。特に日本の社会では、「空気」とも呼ばれるこの「場の雰囲気」は実に大きな位置を占めるように思われます。個人個人ではそれぞれに意志を持って望んでいるのに、集団でいるとその場の雰囲気に同調してしまうのは、その場における共鳴が発生して協調しようとする力がそれぞれに起こるためでしょう。例えば、初対面で、しかも今後の関係をよくしたいと思っているもの同士が会議をした場合、和やかに会を進行したいと願います。その場の雰囲気をよくすることは議事を円滑に進める手段なのなのです。ところが往々にしてそれが目的に取って代わり、良い関係を構築すること自体にが目的であるかのような集団錯覚に陥ることがままあります。多大な労力をみんなが注ぎ込み、なかなか主題が進行しないと感じていても、場の雰囲気に合わせるのに流されがちになります。その場は異常に盛り上がりますが、会議の後は結果が残らないので徒労感が残ります。

この例では、場の雰囲気を良くすることがその場での共通のテーマになってしまっている時に、本題を進めるための突破口を開く決断が必要だったわけです。本来、場の雰囲気を読んで、それに応じた適切な対処をすることは、ある意味高度な機能です。後述しますが前頭前野の機能と言えます。しかし、本来の目的を果たすべく、その雰囲気に突破口を開く決意もまた前頭前野の機能なのです。その時の本来の目的に沿って、場の雰囲気の要請に打ち克つことは、場の雰囲気に合わせることよりも、より高尚な行為といえましょう。しかし、それはなかなか難しいものでもあります。場の雰囲気、「空気」の掟に敏感な日本人ならなおさらです。

「空気読めない」

「空気読め」という言葉はネット上でよく目にします。この「空気」については、山本七平氏の『「空気」の研究』という著書があります。「空気を読む」は人間関係上のコミュニケーションにおいて重要な要素であり、前頭機能でもあります。しかし、「空気読めない」ことが恥ずかしいこと、けしからんことと認識され、嘲りの対象となると、、途端に様相は違ってまいります。「空気読め」がスローガン化すると、ここの状況に応じた多様性を「場に合わせることはよいこと」「場に合わせないのは悪いこと」といった二元論的に落とし込み、場の雰囲気に合わせることが暗黙の「掟」となります。するとこれは、集団において、付和雷同することや日和見すること、雰囲気に迎合することを増長させることになりかねないおそれが生じます。つまり雰囲気による支配を強化することになるということです。これって、いろんな集団の中に起こっていませんか。場の雰囲気の合わせるということが、主体的な行動としての「場への調和」ではなく、"脊髄反射"的な「迎合」となれば、それは衆愚です。「KY(空気読めない)」をキャンペーンしたのは大手新聞社だったと記憶していますが、これは知ってか知らずか国民の衆愚化を促進する一石となる恐れがあるのではないかと危惧します。皆が雰囲気という支配者の下に従い、主体的の考え主体的に行動することを抑制するような作用があるのではないか、という懸念です。

だからといって、「場の空気など気にするな」ということが全面的に適切だということを言いたいわけではありません。これもまた、人の行動を二元論的な迷宮に落とし込むことになります。要は、場の雰囲気に調和し、場の雰囲気を良いものにする工夫と、必要なことを主張し、場が合目的的に最適化するような工夫との、適切な制御が大事なのです。そしてまたこれが、真に前頭前野機能であるといえます。「神仏を敬い、神仏を頼らず」という言葉がありますが、それになぞらえるなら「空気を読み、空気に流されず」というようにありたいものです。

双曲割引

さて、場が盛り上がり良い雰囲気になっている。しかし本題から外れ、本来の目的を達成するにはベクトルがズレてしまっている。この空気を破り主題に誘導する一声をあげようかとも思うが、なかなかその勇気が出ず、ついつい場の雰囲気に流されてしまう。この場合の、気にはなるが踏み切れなくて先送りする心理は、双曲割引の心理に相当します。双曲割引といのは、将来予想される価値を、現時点において評価する際、どの程度に評価するかという理論です。それによりますと、人は先の利益より目の前の利益のほうを大きく勘定し、先の不利益より目の前の不利益を過大に評価する傾向があるといいます。先の利益より、今の欲望。先の後悔より、今の回避。人はえてして短絡になりやすいと言えます。先般の例で言えば、本来の目的を果たせず後悔することよりも、目の前の雰囲気を壊すことの緊張が過大に評価され、行動に躊躇が生じたと言えましょう。試験の前の日に部屋を片付け始めるとか、後の損害のほうが深刻なのに、それよりも目先の緊張回避・現実逃避が過大評価されて優先されてしまう心理です。

前頭前野と大脳辺縁系

前頭前皮質は脳にある前頭葉の前側の領域で、一次運動野と前運動野の前に存在する。

(中略)

この脳領域は複雑な認知行動の計画、人格の発現、適切な社会的行動の調節に関わっているとされている。この脳領域の基本的な活動は、自身の内的ゴールに従って、考えや行動を編成することにあると考えられる。

(中略)

前頭前皮質には、より報酬を得ることのできる長期的に満足のいく結果を得るために短期的な満足感を先送りにするという選択肢を制御する能力を持っている。この報酬を待つ能力は、ヒトの脳の持つ最適な実行機能を定義する重要な要素の1つである。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

PQとは、Potentiality Quotientの頭文字をとったもので、潜在能力指数という意味である。2005年にはHQ(Humanity/Hyper-Quotient )に改称された。
前頭前野がもたらすヒトをヒトたらしめる意識や知性、知能、感情制御、社会性をもたらす機能の総称である。
PQの発達は8才がピークで子供のPQを高める方法には、読書(音読)、計算、会話、豊かな人間関係、遊び等が指摘されている。
また、跳ね返すことが出来る程度の適度のストレス、躾けや武道の鍛錬なども脳内ホルモンのドーパミンが分泌して、前頭連合野の働きを活性化させる。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

脳にはさまざまな部分があります。そのうち、前頭前野と呼ばれる部分の機能は、広く状況を認識し、未来を予測し、それに応じた最適な対処行動を想定し、かつ、規律や慎み、忍耐をもって行動を適切に制御するものです。一方、大脳辺縁系と呼ばれる部分は、情動、意欲などの源泉であり、生物としての根源的欲動を司るところです。例えていうならば、辺縁系がエンジンのような動力系で、前頭前野はスロットル/ブレーキといった制御系であるといえましょう。再び先ほどの例を持ち出しますと、雰囲気を読んで協調すること自体は前頭前野の機能です。しかし緊張を回避しようとするのは辺縁系の要請です。そこでさらに、本来の目的を遂行すべく、緊張回避の誘惑に打ち克って、その場を本来の目的に沿うものに引き戻すことは、優れて前頭前野の機能と言えます。

車の運転も、初心者はアクセルやブレーキがぎこちなくギクシャクしていますが、優れて上達すれば、スロットルの微調整だけでストレスなくスムースに運行できようになります。脳もまた訓練によって前頭前野の機能が発達しますと行動の発動と抑制の適切な制御ができるようになり、状況に応じて、あるいは未来を予見してスマートに行動できるようになりまます。行動や振る舞いの勇敢さ、優雅さ、辛抱強さに関係するということもできましょう。ただし、前頭前野は脳の進化という点から言えば最も新しい部分なので、放っておいても本能的に機能が保たれるわけではなく、優れて機能させるには鍛えなければなりません。

前頭前野機能不全人格

では、この前頭前野の機能が損なわれるとどういうことが起こるのでしょうか。適切な制御という前頭前野の機能が損なわれるわけですから、大脳辺縁系の働きが制御を受けずに発動されやすくなります。具体的には、情動の抑制が欠如し、喜怒哀楽や欲望が適切な抑制を受けずに、なまのまま発現しやすくなります。嬉しければ場を考えずにはしゃぐ、怒れば癇癪を起こす、哀しければ泣きわめく、楽しければ上得意といった塩梅ですね。また、欲望の制御や適切さの工夫が弱いので、短絡的な欲求充足、即時満足の希求があからさまになります。身勝手で我が儘で、待てない我慢ができないという状態ですね。さらに、未来を展望し計画性をもって地道に忍耐強く積み上げるという機能も至りませんから、根気が無く飽きっぽくて、短絡的、刹那的、場当たり的な行動になりやすくなりますし、能動的、積極的な問題解決指向も失われますから、「善きに計らえ」的な受動的な姿勢になります。その上、不安や緊張、フラストレーションに対する耐性も低いものですから、我慢や辛抱が効かず、混乱したり興奮したりパニックを起こしやすくなります。他人の心理を読み取り、場の雰囲気の意味を理解し、その中で適切な協調を調和を図ることも苦手となりますから、空気が読めず、人の気持ちの分からない、無責任で身勝手な行動になりやすいでしょう。しかもそれによって立場を悪くしても、なぜそうなったのか察しが悪いので、周りのせいであると解釈して、邪険にされた、いじめられたと逆ギレすることもでてきます。実に始末の悪い具合です。

教育は人材の兵站

前頭前野の機能は脳挫傷などの外傷や、脳出血・脳梗塞、あるいは脳腫瘍などの病気で損なわれ、前述のような傾向を伴う人格変化を来すことがあります。しかし一方では、生来的、妊娠中、あるいは幼少時からの生育上の様々な要素による影響が想定されますし、教育による機能の獲得と生活習慣による機能の維持もまた重要な要素であると思われます。ことに教育の果たす役割は、前頭前野の機能を鍛える上で、たいへん重要なものであることでしょう。この場合の教育とは、生活全般を通して経験する、社会的教育を含む広義の教育であります。

社会機能から見れば、このような前頭前野の機能が善く発達した(鍛錬された)人材が多い方が望ましいと言えます。逆に、前頭前野の機能の不十分な人間が多ければ、道徳観や公序良俗が乏しく、社会機能が滞り、トラブルが多く、不正や腐敗がはびこり、治安や風紀も乱れます。ですから、前頭前野の機能を優れたものに高める教育の土壌は、個人の成長のみならず社会機能の維持の上でも極めて重要なことであり、前頭前野の機能の優れた人物を社会に供給し続けることが教育の目的の一つでもあります。

人材の兵站線への間接アプローチ

ではここで悪意を持った考えをしてみましょう。敵対する国、あるいは脅威となりうる警戒すべき国があるとしましょう。その国と正面からケンカしてやっつけてしまおうという方法が直接アプローチだとすると、間接アプローチとは「正面衝突を避け、間接的に相手を無力化・減衰させる戦略(wikipediaより抜粋)」であります。敵の城を包囲して兵糧攻めにするとか、相手の国に麻薬を蔓延させて社会を荒廃させるとか、対人地雷をばらまいて社会保障負担を増加させるとか、石油などの資源輸送商船を攻撃して補給線を破壊するとか、反体制勢力を支援し社会不安を増大させるとか、いろいろあります。いずれにせよ意図するところは、相手の食糧、エネルギー、人的資源の兵站を枯渇させることを目的としているものです。

間接アプローチは直接アプローチよりも有効です。敵対関係である相手と正面から衝突する場合も非常に有効な戦略ですが、相手と敵対関係でない場合でも応用が利きます。例えば、相手が軍事的には同盟国だけど、経済的には脅威となる競合国であるという場合、あからさまに攻撃性を向けるわけにはいきません。できるだけ穏やかに衰退していただきたいという場合にも間接アプローチはその力を発揮します。つまり交戦状態にない場合も目に見えない形で攻撃できる戦略であるわけです。相手国の国内食糧生産を壊滅させ自国からの食糧供給に依存させるとか、相手国のエネルギー資源の購入先を独占するとか、為替相場など経済のルールを変更して相手国の金融や産業に打撃を与えるとか。そして、相手国のメディアを支配したり、教育を破壊したりして、優れた人材の供給を阻害することもまた、人材の兵站線への間接アプローチであるといえます。

脳に対する環境汚染

話しは前後しますが、前頭前野機能の発達を阻害する要因とはなんでしょうか。脳はデリケートな臓器です。その中でも前頭前野は傷害されやすい部分だということを聞きます。酒を飲んだ時にまず麻痺し始めるのがこの部分であることは、多くのみなさんが身に覚えのあることでしょう。あるいは火事に巻き込まれ一酸化炭素中毒になった時も前頭前野はやられやすいといいます。つまり、外的要因によって傷害されやすいという点と、教育によって機能を獲得してゆくものであるという点の、2つの側面から前頭前野機能の発達は阻害されやすいと言えます。具体的にはどのような要素が関与し得ると想像されますでしょうか。これからあげますことは、一つ一つが実証されたものではありません。関与する可能性を羅列したものですので、ご注意願います。

まず、生来的な面で言えば、遺伝的要素が関与するかもしれません。今日的には排卵誘発剤の使用や人工授精といった医療についても正しく評価されるべきでしょう。また、妊娠中お母さんのお腹にいる間に母胎を通して受ける影響も関与するでしょう。出産時の影響、赤ちゃんの時の哺乳、栄養、養育、関わり方などについては。長期的な研究が難しいでしょうが、大きな影響があるのではないかと想像されます。子供を取り巻く物理環境も関与するかもしれません。放射能、電磁波、寒暑乾湿、冷暖房、照明など昼夜明暗のリズムなど。現代生活は多種大量の化学物質に囲まれていますから、化学的環境の影響は無視できないでしょう。大気汚染や大気中・室内空気の化学物質の影響、保存料・防腐剤・調味料など食品添加物や、野菜・穀物などの残留農薬など径口的に摂取するものの影響は重要です。また、洗剤、除菌剤、芳香剤、あるいは建築用溶剤接着剤塗料といった、吸入や肌への接触と言った形で曝露するものもあります。

教育に対する環境破壊

前頭前野など脳の発達は(広義の)教育によって促進されるものですから、生活環境や社会構造の変化は前頭前野機能の発達に影響を与えるだろうことは十分推測されることです。一日24時間の中で経験したことで、脳の情報処理様式は構築するわけですので、生活リズム、生活スタイル、食生活、礼儀作法、規律といった生活様式の影響は非常に重要であります。核家族化、共働き、子供の孤立といった養育環境の変化も影響するでしょう。同世代の子供たちとの遊ぶ機会、特に集団で行う身体機能を伴うような遊び、それに遊び場や遊びの時間。あるいは社会の風潮や社会的価値観の変化といった社会環境の影響のあるでしょう。

学校にあっては教育の内容、教師の質といった直接的な教育の影響ももちろん重大なものです。これは単に知識がどうだとか、成績がどうだとかというものではなく、学校教育が前頭前野機能など脳機能の発達に及ぼす影響という意味です。ですから教室の構造や掲示物の様子、先生の服装や口調・態度・立ち居振る舞い、どのような状況でどのような対応をしたかなど、広汎な要素を含みます。子供は教えられたことだけ学ぶのではなく、経験したことから学ぶのですから。こうした子供を(子供だけではありませんが)取り巻く社会環境、学校環境、家庭環境は、前頭前野機能を健全に育み、鍛えるに十分なものであり続けているでしょうか。

「ゲーム脳」は"トンデモ"なのか

感覚器官を通した影響も予想されます。目から見る情報の質や量、耳に聞く情報の質や量、嗅覚、味覚、皮膚感覚など、感覚器を通した情報は脳にもたらされ、脳の情報処理を誘導するわけですから。特に現代ではテレビ、ゲーム、ネット、ケータイといった情報機器を通して曝露される情報の量は莫大なものです。その量は、情報の質とともに十分吟味されるべき要素だと思います。昔から「テレビを見るとバカになる」と言われました。その都度、「テレビを見てもバカにならない人もいる」とか「証拠はあるのか」とか「テレビは勉強になるところも多い」「結局は個人個人が見過ぎないように気をつけるべき」とかという反論が出て、結局は水掛け論のようになって有耶無耶になってしまいます。最近では「ゲーム脳」という言葉がセンセーショナルに報じられ、それに対してこれまた反論が出され、「最新の脳科学を誤解している」「『ゲーム脳』はトンデモ本だ」と言われます。ここで特徴的なのは、仮に悪影響があったとして、その悪影響を供給している人達と、その悪影響を享受している人達が一緒になって反対するという構造です。いわば加害者と被害者が共犯関係を作ってしまうといえる点でしょう。

多層複合的攻撃

以上、羅列しましたような要素、あるいはそれ以外の要素を一つ一つ抽出して分析しても、おそらくそれで何か分かるものではないでしょう。ゲームを例に取れば、ゲームのプレイ時間だけではなく、ゲームのスタイルや、舞台設定、時代設定、内容、画像のめまぐるしさ、キャラクターの質、視覚的な衝撃、情緒的な衝撃、興奮の質と量、報酬が得られる条件、達成の目的などなど、様々な要件がからんでいますから、これらを評価することは大変です。結局は影響があるとかないとか、水掛け論になって有耶無耶になるでしょう。そうする間も、事態は継続することになります。個人的には、それがテレビであれゲームであれ、またスリルであれ笑いであれ(残酷なものならなおさら)、慢性的持続的反復的に脳に対して過剰な興奮を強いることは、脳に対する破壊的な負荷であるだろうと思います。また別の面では、一日が24時間であることは拡大しないのだから、他の体験から様々なことを学ぶ機会を奪うことになるだろうとも思います。

そもそもこれほどの多因子的かつ複合的問題を要素に分けて分析してみたところで全体が分かるものでもありません。化学物質などの曝露、社会共同体機能の破壊、メディアを使った脳への影響など、一つ一つは有意な違いはなくとも、複合されれば全体への影響は無視できないものになることだって十分あり得ます。単純な例えで言えば、お菓子や乳製品一つ一つへのメラミン混入量が微量でも、複数の経路から摂取すれば、その人の体内において健康被害を引き起こしかねないというのに似ています。もしもこれが人材兵站線への間接アプローチであれば、実に巧妙なものであると言えます。別に証拠があるわけではありませんので、仮定の話ですが。まあ兎に角、よその国が国民の質が低下し、智恵のある者、勇敢な者、忍耐強い者、協調性のある者が少なくなり、見通しの暗い者、欲深い者、身勝手な者、癇癪を起こしやすい者、我慢の効かない者、雰囲気に流されやすい者が増えてくれるのは好都合だと考えるところもあるでしょう。

教育と学習

仮に(なんて言ってますが、私はアメリカの占領政策だと思っていますが)、こうした人材兵站線への間接アプローチがあったとしましょう。では、どうしたらいいのか。「それはけしからん。謝罪と賠償を!」と言ったところで受けたダメージが元にもどるわけではありません。「責任とって俺たちを立派な人間にしろ!」と言ってもそれはちょっとできない相談です。我が身にどんな不幸が降りかかろうと、それがどんな理不尽なことであろうと、それを乗り越えるのは自分自身にしかできません。「○○のせい」と言っている間は(例えそれがその通りであっても)先には進めません。自分自身の人生を歩んでいくことは自分自身にしかできないのです。

教育は対象に施すものであり、教育される者はそれを受ける立場です。教育する環境が破壊されてしまえば教育を受ける者はひどく不利を被ります。しかし学習は違います。学習する者は、それを主体的に行いますし、学ぶ対象は人であり、本であり、歴史であり、自然であり、それこそ無限にあります。自ら学ぼうとする意志があり、習おうとする意欲があれば、自分で自分を教育することができます。そのように取り組めば、与えられるだけでは見えなかったものが見え、出会えなかったような人とも出会えることでしょう。「天は自ら助くる者を助く」と言います。「叩けよさらば開かれん」とも言います。自ら行動して学びましょう。そしてそれを日々実践しましょう。量はいつか質へとかわり、見事な人間になります。そして後世のために、失われようとしている教育の環境をあらたに作り上げましょう。

参考コラム太平洋戦争、失敗の研究

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2008年10月20日

未来に何を繋ぐか

サー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル英国元首相曰く、
「お金を失うことは小さく失うことだ。名誉を失うことは大きく失うことだ。しかし、勇気を失うことは全てを失うことだ」
by Sir Winston Leonard Spencer-Churchil http://renzan.org/akitsuki/ssss.html
火急コラムテレビ局の裏情報

世界征服後の世界

特撮ものやアニメ・漫画などのフィクションの世界では、世界征服を目論む悪の組織がしばしば登場します。ショッカーでも死ね死ね団でもいいのですが(あっ、死ね死ね団の結団の理念は日本人抹殺であって世界征服ではないか)、例えばショッカーが世界征服を成し遂げたとしましょう。そうしますと、全世界がショッカーの支配下になるわけです。すると今度は征服から経営に目的が変わります。世界政府ですね。(別に世界経営は放棄して、世界を悪に染めるでもいいのですが、生産性が落ちて永続性はありません。それに征服だけして放置というのもねぇ)

首領による徹底した独裁ですので、中央集権絶対君主制です。ショッカーはかなり規律が厳しそうですから、風紀や治安の良い、厳格な社会になるかもしれません。おそらく全世界(この場合"全世界"という概念がなくなります。全部ショッカーなのですから)の法律、度量衡、貨幣、言語、生活様式を統一するでしょう。ここで注意すべきは、世界征服を成し遂げてしまったので「敵対する勢力というものがない」ということです。もっといえば、全部ショッカーなのですから「外国」というものがないのです。あるいは「異文化」というものがない世の中になります。外の世界がないって、これ実はすごいことですよ。全部、内輪のことですから。すべて内政です。

外敵の無い世界は全部内政問題

というわけで軍隊がなくなります。外国がないのですから。すべて警察公安ですね。当然、市民は武装解除です。銃の所有も認めません。非公式の集会は禁止。通信も傍受。ネットも検閲。「サーバーを外国に置いて」なんてこともできません。外国がないのですから。個人識別コードもお手のものでしょう。個人の行動はすべてデータに残り認証されなければ何一つ買えないわけです。不穏分子を鎮圧する程度の武力があればいいので、核兵器のような大袈裟なものは必要ありません。監視が行き届いていればいいのですから。

人材も戦闘能力より統治能力や行政能力が重視されるでしょう。戦闘員も戦闘がないのですから失業です。一旦解任されて、地方の官吏となって再雇用です。それだけ巨大な監視社会を維持するには、それだけ大きなコストが必要ですから、それだけ大きな生産が必要になります。それだけ大きな生産が必要だとなると、市民を酷使して疲弊させてもいけません。福利厚生も考えなくては。片っ端から殺していたのでは生産が落ちます。教育はすべてショッカーの教義に準じたものです。ショッカー以外の思想はありません。歴史ももちろんショッカー史観。仮面ライダーは恩を仇で返す裏切り者で、沢山の幹部を殺した大悪人。娯楽もまたショッカーを否定するものはなし。お笑いもショッカーをネタにするものは御法度。世界中が同じテレビ番組を見るのです。

統一世界では歴史が止まる

そこに出現するのは、ショッカーというモノトーンな世界。ショッカーという単相社会。ショッカー・モノカルチャーです。圧倒的に巨大なパワーが厳然とあり、それ以外の世界が存在しない広大な世界です。完全なショッカー体制以外ないという世界。こういう世界が出来上がったら、どんな社会になるでしょう。この状況においては、支配体制があまりに巨大すぎて、世界を変えるとか未来を作るとかという志が不毛なものになります。変わりうる未来というものを考えるだけ無駄という世界ですね。

未来は変わらない。歴史は変わらない。となれば、それは歴史が止まったと同じ事です。未来はないということと同じ事です。永遠の平和。延々と続く現在。延々と繰り返される日常。努力したところで首領になれるわけではなし。大幹部も世襲になってますから、せいぜいよくて戦闘員クラス(もはや戦闘もないから公務員ですね)。未来に繋ぐ、将来に託するという長期的な希望がなくなり、今が良ければ、今日が楽しければという刹那的な欲望が主になります。過去も未来も現世利益に奉仕するといえましょう。

腐敗する永遠の現在

中央集権型支配の単相な社会ですので、地域や共同体の意味も薄れます。いずれ個人主義が蔓延するでしょう。社会のため、子孫のためという理想は失われ、自分のため、自分の家族のためという個人的な願望が多くを占め、利己主義が跋扈します。最初は世界征服の達成感に熱狂し、支配者となった興奮に酔っていた怪人や元戦闘員も、次第に平凡な日常の業務に追われ、予算編成の書類を作成するのに徹夜したり、市民の苦情を処理したりします。世界政府新生という事業への理想も薄れ、目標が卑近なものになり、腐敗した官僚主義になっていきます。同期の出世を妬むアリクイ男、賄賂を求めるフクロモモンガ男、新人イジメを趣味にするキツツキ女など。生産性は低下し、欲望と保身、嫉妬と讒言、欺瞞と腐敗がはびこる世の中。というように、刹那的・利己的な欲望に支配された社会が延々と続く世の中になるのではないでしょうか。

ショッカーの世界征服を題材にしましたが、もしも正義の組織が悪を平らげて世界平和を達成したらどうでしょう。皮肉なことに、成立過程での悪とか正義とかとは関係なく、統一された中心型の単相社会であれば、やはり同じような経過をとる危険性が大きいといえます。長沼伸一郎氏は、短期的願望が肥大化した状態で社会システムが均衡して動かなくなった状態を「コラプサー」といい、文明の危機と位置づけています。コラプサーとは「崩壊」とか「虚脱」とかいうものですが、氏は「文明のブラックホール」になぞらえ、「無形化した環境においては一旦コラプサーに縮退してしまえばそこからの回復は二度と期待できないという、重大な結末が予想されることになるのであり、それを考えるならば、文明の将来に立ち塞がる問題としてその阻止は何よりも優先する地位を得るのではあるまいか」と警鐘しています。

支那帝国にみる統一世界

長沼氏が指摘するところでありますが、実は、世界征服後の統一世界のモデルを支那に見ることができます。ここでは最初の帝国「秦」に起源を発する「支那」という言葉をあえて使用します。というのは東方世界を最初に統一した秦がその後の世界を決定づけたといえ、その後の帝国は秦をリフォームした疑似秦帝国といえるからです。ところで、三国志演義とか、漢文漢詩とか、諸子百家とか、あるいは書画陶磁など、日本は支那文化が好きですね。でも、支那好きの日本人の多くが親密さを感じるのは、秦以前の春秋戦国時代や、または三国時代という、分裂し覇を争っていた時代ではないかと思います。それに比べると、帝国時代の支那にはあまりシンパシーを感じないのではないでしょうか。

さて、秦は法律、度量衡、貨幣を統一し、いわゆる焚書坑儒を行って思想・文化をも統一しようとしました。前述のような広大は単相世界を作ったといえましょう。支那ではその後も統一帝国が興りますが、その巨大な単相社会では次第に腐敗が拡大し、不公正に民衆が反乱を起こし、弱体化したところで異民族に支配される。その異民族は支那にはいると秦帝国をひな形として統一世界を造り、支那の毒に染まるが如くやがて同じように腐敗してゆく。こうして中央集権型の巨大統一世界がのれんを変えて続いていきます。支那には沢山の民族がいてそれぞれの農村文化をもって暮らしていましたが、支那文明としての都市は帝国が代替わりしても同じような単調さをもって停滞していきます。

金融資本と支那帝国

支那文明は都市であり、都市は脳化社会であると看破したのは養老孟司氏です。氏は自然から離れ、脳の思うままの世界、意識のままに制御できる世界を作ろうとする動きを脳化といいました。我が意の儘、これを「わがまま」といいます。氏はまた、最も都市化した民族の代表としてユダヤ人を挙げています。それしか許されなかったという事情はあるにせよ、金融というのは最も都市化した仕事でしょう。なにせ相手にするのは自然でもなければ物でもなく、通貨価値という概念であり、それで世界を支配するのですから。ちなみに、脳がいくら思うがままを願おうが、自然(現実といってもいい)はそれとは無関係に在ります。ですから、思うことが叶うことは、偶然です。努力や工夫でその確率は高くなるでしょう。しかし意のままではありません。本質的に、思うことが叶うのは「有り難い」ことなのです。

私は漠然と現代アメリカ資本主義文明と支那帝国文明はよく似ていると感じていました。何というか、欲望原理主義みたいなところです。欲望を追求するのに葛藤がないといいますか。秦帝国の統一からおよそ2000年を経て建国されたアメリカを依り代(よりしろ)とよる金融資本帝国は、全世界を金融グローバリズムで征服しようとしているように見えます。日本もまたその単相な欲望原理主義の世界の支配下に置かれています。そして金融資本帝国は統一世界として2000年以上の歴史をもつ支那帝国と統合を図ろうとしているように見えます。この欲望原理主義の金融帝国が世界統一を完成させたら、巨大な帝国の地平が広がり、歴史は止まり、未来は無くなるのでしょうか。刹那的な享楽と利己的な欲望だけがだらだらと続く世界になるのでしょうか。

壊死する世界帝国

ところが現在その金融帝国が大きくぐらついています。その破綻が顕性化したというべきでしょうか。帝国の基盤が崩壊しているので、帝国が支配する帝国領はすべて崩壊するでしょう。もちろん最大の債権国である日本の支配体制も崩壊します。ここにあって、金融資本主義帝国から国家資本主義帝国への覇権の委譲が画策されているようです。G20による金融の国家管理というヤツですね。貨幣を媒体とし欲望を動力とする支配が叶わなくなったので、権力を媒体とし恐怖を動力とする支配に切り替えようとするものです。欲望を煽って吸い上げていたけど、今度は直接吸い上げますということでしょう。欲望原理主義から管理社会主義へといいましょうか。オーナーは同じです。

いずれにせよ、世界帝国が否応なく直面する問題があります。それは石油枯渇、水の枯渇。そしてそれらに起因する食糧問題です。金融経済の崩壊として現れてはいますが、そもそもその原因をたどれば石油の枯渇に行き着きます。現在の人口と文明を支えるエネルギー供給が下降曲線に入ったことに由来しているのです。巨大な帝国に供給される兵站が枯渇すれば、いくら権勢を振るう帝国といえど自壊します。ちょうど飛蝗、水害、旱魃などによって恐ろしいほどの飢餓が発生した支那帝国を想像していただければよいでしょう。潤沢なエネルギー供給の下で膨張した世界帝国はエネルギー供給が途絶することで壊死します。飢餓、反乱、分裂、戦争(核戦争含む)。そのような状況の中で私たちはどのような未来を描けばいいのでしょうか。

後世への最大遺物

統一世界の本質的な問題は、それによって未来を失うことです。未来へ繋ぐとか、後世に遺すとか、そういった人類普遍の価値の喪失です。未来へ繋ぐ、ということで言えば、私はここで内村鑑三の『後世への最大遺物』をご紹介したいと思います。


内村 鑑三(うちむら かんぞう、1861年3月26日(万延2年2月13日)- 1930年(昭和5年)3月28日)は、日本人のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えた。
(内村鑑三 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)


『後世への最大遺物』は明治27年(1894年)7月、箱根蘆ノ湖畔で開催されたキリスト教徒第六期夏期学校において、内村が行った講話を収録したもので、実に内村33歳の時の講話であります。「後世への最大遺物」は岩波文庫から出版されていますが、無料サイト「青空文庫」にも収録されております。19世紀末、明治中頃の講話であり、また内村はキリスト者でキリスト教徒の夏期学校での講話でもありますから、話しの中には当時の世界思想や明治の思想の影響、あるいはキリスト教の影響を見ることができますが、それにもまして、彼の「この世に生まれたからには後世に何をか遺さん」という気概が見事に表れた講演であります。

そのときに私の心に清い欲が一つ起こってくる。すなわち私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。

(中略)

われわれが死ぬまでにはこの世の中を少しなりとも善くして死にたいではありませんか。何か一つの事業を成し遂げて、できるならばわれわれの生まれたときよりもこの日本を少しなりともよくして逝きたいではありませんか。この点についてはわれわれ皆々同意であろうと思います。
(後世への最大遺物 デンマルク国の話.内村鑑三,岩波書店(岩波文庫),1946)

そこで内村は、では何を置いて逝こうと問いかけます。そして、まず第一に「金」を遺すことがある。遺産金を社会のために遺して逝くことだ、と説きます。しかし金を貯めるには才がいる。それに金を貯める力とその金を使う力がなくてはならぬ。この二つの考えについて十分に決心しない人が金を貯めるのは危険であると言います。

金を貯めるのが下手な者は何を遺せるだろうかと、次に内村があげたものは「事業」を遺すというものです。他の人の金を使って社会のために何事か成し遂げそれを遺すということですね。土木工事をあげているところは当時の世情を反映したものでしょう。現代風にいえば社会インフラです。インフラに限らず何事か後世のために事業をなすことが、遺物であるといいます。

では、これがかなわなければ何を遺すことができようか。そこで内村は「思想」をあげます。自分の考えを実行できないのであれば、筆と墨をもって紙の上に遺す。そうして文学の力をもって思想を後世に遺すのです。あるいは、教師となりて青年に伝えるという方法で思想を遺すというものです。これは前述の金や事業と違って、独力でできる事業です。

しかし、それでは金も遺すことができず、事業も遺すことができず、学者や先生となって思想を遺すこともできなければ、後世に何も遺すことはできないのか。この世に生まれ、この世のために何も遺すことなく逝かねばならぬのか。そもそも、金は用い方によってたいへん利益があるが、用い方が悪いとまたたいへん害を来す。事業もまた利益もあるが害も伴う。思想もまた善いものもあれば悪いものもある。これに対して内村は、誰にも遺すことのできる最大遺物があると説きます。

それならば最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。

(中略)

たびたびこういうような考えは起こりませぬか。もし私に家族の関係がなかったならば私にも大事業ができたであろう、あるいはもし私に金があって大学を卒業し欧米へ行って知識を磨いてきたならば私にも大事業ができたであろう、もし私によい友人があったならば大事業ができたであろう、こういう考えは人々に実際起こる考えであります。しかれども種々の不幸に打ち勝つことによって大事業というものができる、それが大事業であります。それゆえにわれわれがこの考えをもってみますと、われわれに邪魔のあることはもっとも愉快なことであります。邪魔があればあるほどわれわれは事業ができる。勇ましい生涯と事業を後世に遺すことができる。

(中略)

この一年の後にわれわれがふたたび会しますときには、われわれが何か遺しておって、今年は後世のためにこれだけの金を溜めたというのも結構、今年は後世のためにこれだけの事業をなしたというのも結構、また私の思想を雑誌の一論文に書いて遺したというのも結構、しかしそれよりもいっそう良いのは後世のために私は弱いものを助けてやった、後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた、後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた、という話を持ってふたたびここに集まりたいと考えます。この心掛けをもってわれわれが毎年毎日進みましたならば、われわれの生涯は決して五十年や六十年の生涯にはあらずして、実に水の辺(ほと)りに植えたる樹のようなもので、だんだんと芽を萌(ふ)き枝を生じてゆくものであると思います。
(後世への最大遺物 デンマルク国の話.内村鑑三,岩波書店(岩波文庫),1946)

勇ましい高尚なる生涯といえば、私は青森のリンゴ農家、木村秋則氏が思い浮かびます。木村氏はなにも後世に遺そうと思って彼のリンゴ作りを始めたわけではないでしょう。しかし彼の生き方はまさしく勇ましく高尚な生涯であるといえます。しかも木村氏の成したことは後世に残る大事業であります(いずれ誰の目にもわかるでしょう)。付け加えれば、彼は実に"理系の頭脳を持つ優れたジェネラリスト"でもあります。ちなみに木村氏が師と仰ぐのは、先頃逝去した「自然農法」の福岡正信氏です。
(奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家木村秋則の記録.石川拓治,幻冬舎,2008)

2008年10月15日

ホメオスタシス

 医学や生物学の分野に「ホメオスタシス」という言葉があります。恒常性とも訳されるこの言葉は、体内環境をある一定範囲に保持しようとする自律的機能を表します。具体的には自律神経系、内分泌系、免疫系の発動や抑制が制御されて、自律性を維持するよう機能しています。その中の重要な要素である自律神経系は、交感神経系と副交感神経系とによって成り立っており、両者と両者の平衡による恒常性維持機能を総称して自律神経系と呼びます。

 交感神経系が目的とするところは獲得と回避であり、そのため「闘争と逃走の(Fight and Flight)の神経」と呼ばれます。現象的には呼吸が速くなり、心拍が速く、血圧が高くなり、逆に胃腸の働きは抑えられます。これは脳と筋肉系に大量の血液と酸素を供給しようとするもので、興奮と活動のための総動員態勢というべき状態です。かたや副交感神経系が目的とするところは補修と保全といえましょう。現象としては呼吸や循環が安定し、逆に消化器の活動は活発になります。獲得した栄養を吸収し、それを身体の末梢にまで行きわたらせ、身体を再構築し、脳と筋肉の緊張を弛緩させ、無駄な消費は抑え、疲労を回復する過程です。安静と再生の時間であります。この両者がその平衡機能(バランス)によって生体の恒常性を維持しようと働きます。

フィードバックとは、元来はサイバネティックスの用語である。生物の恒常性や多様性を支えるしくみにその原理が見られる。

(中略)

出力の増加が入力や操作を促進する場合を正のフィードバック、逆に、出力の増加が入力や操作を阻害することを負のフィードバックという。工学分野では、しばしば正帰還および負帰還と呼ぶ。なお、ループ利得は正のフィードバックでは正の値に、負のフィードバックでは負の値になる。

正のフィードバックが働いている場合、フィードバック系の増幅率は裸の増幅率より大きな値となる。ここで特に系のループ利得が1を越える場合には、何らかの破綻が起こるまで出力は増大しつづける。これを避けるには、出力の増大に従ってループ利得が1以下となるような仕組みを導入する必要がある。また、ループ利得が1以上時の特徴的な振る舞いとして、入力が途切れても出力を続けることが出来る、ということが挙げられる。さらに、この領域では初期値の違いが時間の経過にしたがって無限に引き伸ばされるため、僅かな初期値の違いがシステムの挙動を大きく変える(カオスな振る舞いとなる)場合がある。これは複雑性や多様性を生み出す原動力となりうる。

負のフィードバックが働く場合は、フィードバック系の増幅率は裸の増幅率より小さな値となる。この増幅率の余裕分の範囲で、出力の増加は増幅率を引き下げるように働き、出力の低下は増幅率を引き上げるように働くので、出力の変動を抑えることが出来る。したがって、負のフィードバックの方が応用範囲が広く、単にフィードバックと言えば負のフィードバックのことを指す場合も少なくない。

また、負のフィードバックを行なっていても、フィードバックが時間遅れを従っている、言い換えるとループ利得が周波数特性を持っている場合には、出力の「増加させ過ぎ」「減少させ過ぎ」を繰り返してしまう場合がある(これは、一定の時間遅れのときだけ正のフィードバックになってしまう、と表現する事も出来る)。この状況に陥る時間遅れにおいて、ループ利得が1を越える場合は出力は一定の値に収束することなく変動を続ける。この状態を特に発振という。 現実の世界ではフィードバックに必ず時間遅れが発生するので、発振を避ける工夫が必要になる場合がある。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 ホメオスタシスは、ある方向に傾きすぎると、それに対して対向的な方向に傾こうとする機能ですから、ネガティヴ・フィードバックといえます。本来は興奮が延々と続けば相当に消耗しますから、ある程度のところで休息を入れて消耗の回復を図るべきであり、それこそホメオスタシスの目的なのですが、ところがどうやら交感神経自体にはポジティヴ・フィードバックがあるのではないかと思われます。交感神経が活性化すると脳が興奮し、脳の興奮が交感神経を活性化するというループです。恒常性維持の目的を離れて興奮のポジティヴ・フィードバックを起こしてしまうわけです。(注:この場合のポジティヴ/ネガティヴは、好ましい/好ましくないといった意味ではなく、促進的/抑制的という意味です)例えば、不安が不安を喚ぶ、緊張が緊張を喚ぶ、興奮が興奮を喚ぶといったような状況ですね。こうなりますと、交感神経自体はポジティヴに、副交感神経はネガティヴに作動しようとしますから、高い水準での強い拮抗状態となります。

 興奮と弛緩、活動と安静の間を適切な範囲で、ある程度の揺らぎをもって循環をしているうちは良いのですが、何かの都合で、持続的慢性的に興奮・活動状態が続いておりますと、先に申しましたような高い水準での強い拮抗状態が誘発されて、興奮を維持しようとすることが常態となってしまいます。この時、潜在的には疲労が蓄積し消耗・疲憊が進行しているのですが、にもかかわらず興奮する方向への圧力が保持されます。このような状態の元で、ふとした拍子に緊張が弛緩しますと、一瞬ストンと虚脱し、それに反応して直ぐさま交感神経系が過剰反跳性に緊張を高めようとします(リバウンド)。自覚的には仕事帰りや帰宅後に、フッと気が遠くなったと思ったら、急に動悸がして息苦しくなるという交感神経系の過緊張反応となって感じます。一度そうなると、再びそのような状態になることが怖くなり、さらに慢性的な緊張をもたらすことになります。そして平均台の上を自転車で走るような、降りるに降りられない「興奮の自転車操業」が完成します。

 話しは飛躍しますが、資本主義末期の市場原理主義と投機の熱狂は、社会のホメオスタシスから言えば、交感神経系の過興奮だったのではないかと空想してみます。興奮中毒となって、興奮のポジティブ・フィードバックを起こしていたのではないかと。今回の世界的な金融破綻は、疲労がかさんでいた社会がついに虚脱を起こしたようなものではないでしょうか。そうしますと、各国が協調して無制限に公的資金を注入するという合意は、興奮に疲れて虚脱せんとする経済に、興奮剤(覚醒剤)を与えて興奮を持続させようとするようなものでしょう。しかも無制限に与えると言っています。とすれば、その後に待っているのはどんなことか想像がつくでしょう。実際、株式市場はこの発表を受けて反跳性に興奮しました。しかしこれは疲労が回復し、健全なホメオスタシスを取り戻したわけではありません。この後は興奮剤を与えても徐々に反応が悪くなり、虚脱と疲憊にいたるのではないかと思われます。あるいは突然虚脱するかもしれませんし、発狂するかもしれません。

 そうなれば多くの損害と混乱が生じるでしょう。しかしこのまま興奮が永続していればよかったわけではありません。興奮が続けば遅かれ速かれいずれ破綻します。これは「疲れの先送り」「元気の前借り」なのです。疲れを先送りすれば、後に生じる損害は大きくなりますし、元気を前借りすれば、後の回復が悪くなります。ここは興奮を静かにクールダウンして、副交感神経の出番です。中心に集めていた血流を末梢にまで行きわたらせ、痛んだ組織を再構築し、入力と出力を制限し、無駄な消費は抑え、真っ当なバランスを取り直すこと、正しいホメオスタシスを取り戻すことが必要なのではないかと考えます。

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2008年10月 2日

分散型構造が中心型構造を駆逐する

【書籍紹介】グーグルが日本を破壊する(竹内一正,PHP新書,2008)

グーグルとは

Google(グーグル)は、アメリカ合衆国のソフトウェア会社、あるいは、同社の運営するインターネット上での検索エンジンである。

米国グーグルは人類が使う全ての情報を集め整理すると言う壮大な目的をもって設立された。独自開発したプログラムが、世界中のウェブサイトを巡回して情報を集め、検索用の索引を作り続けている。約30万台のコンピュータが稼動中といわれる。検索結果の表示画面や提携したウェブサイト上に広告を載せることで、収益の大部分をあげている。

検索エンジンとしては、2002年には世界で最も人気のあるものになり、AOLなどのクライアントを通じてインターネット検索のトップを占めるまでになっている。日本では、Yahoo! JAPANに次いでシェア2位である。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

グーグルは1998年に社員2人で創業しましたが、2007年には14,000人の社員を抱える企業に成長しています。ベンチャー意識を持ち、組織的な動きもでき、業績も上げるという優秀な企業であります。優れた頭脳が集まりますが、その分人件費もかかるようです。そのためグーグルの収益源である検索連動広告収入に比して高コスト体質でもあるといわれます。グーグルは次々に優れたアイディアを形にしていますが、画期的なアイディアも収益に結びついていないのが現状のようです。他にもグーグルは問題を抱えています。巨大になりすぎたことで反トラスト法に抵触することに神経を使い、もう一方では、Gメールに広告を入れるのはメールの覗き見ではないかとか、ストリートヴューはプライバシーの侵害だといった、プライバシーの問題を指摘する声も多くあります。

なにより不信を抱かせるのは、グーグルは体制によって対応を変えているという点でしょう。その分かりやすい例が中国です。中国では「天安門」「ダライ・ラマ」など政治的キーワードは検索できません。中国でビジネスをするためには、検閲を黙認しなくてはならないということのようです。これはすべて機械的に行っているとしてきたグーグルへの信頼を揺らがせました。グーグルは検索履歴から個人の属性・興味・指向を収集することができます。グーグルは圧力があれば手を加えるということになれば、それが権力による監視と支配、そして民意誘導のために利用されるのではないか、という疑念に繋がります。グーグルは問題のあるサイトを表示しないことになっていますが、その判断の基準は明確ではありません。もし人為的な意図による介入によって表示されないとなれば、ネット上には存在しないことになります。「グーグル八分」という言葉でいわれる現象ですね。グーグルに限りませんが、検索してもヒットしない例としては、某ヴォーカロイド・ソフトの画像が表示されないと騒ぎになったことがあります。

グーグルの情報処理で特筆すべきは、世界中に分散したパソコンによって並列的に処理するという手法です。分散型システムがこれだけの衝撃力をもたらすことを示した実例といえましょう。グーグルは画期的な手法で成功しましたが、しかしだからといってグーグルの検索方法が完璧だというわけではありません。グーグルの検索アルゴリズムはいわば人気投票です。そのページに対して張られたリンク数、つまり「被リンク数」が多いほど重要なページと見なしています。もう一つ、滅多にリンクをはらないページからのリンクであるほど重要なページだと見なして、「リンク元のページの総リンク数」も見ています。

そうすると、人気が高いほど人気が高くなるというポジティブフィードバックを生み出すことになります。しかし人気の高いそのページが、検索する人の求めているものだという保証はありません。人気のあること価値のあることはイコールではない、という意味では衆愚政治と似ていますね。グーグルのやってることは、「玉石混合の情報の中から、多くの人気投票によって、その人にとっての玉である確率の高いものを並べる」ということであって、「その人にとっての玉を探し出している」わけではないのです。しかし逆に、欲しいものそのものではないが、そこにまた新たな発見、新たな出会い、新たな冒険もある、というのもまた事実でしょう。

グーグル的なものがもたらすもの

と、冒頭からいきなり課題をあげましたが、グーグルの登場が画期的なものであることに変わりはありません。それは、実はグーグルにとどまらず、もっと大きな、世界を変える意味を持ちます。

グーグルはどんな会社かといえば、広告会社です。「インターネットというインフラを利用した、検索連動型広告を事業化した会社」なのです。そしてこれは、それまでの広告商業モデルに革命をもたらし、さらにそれにとどまらず旧来の中心型構造を破壊する威力を見せています。

旧来の商業モデルは、売上の8割は全顧客の2割が生み出している、いわゆる「パレートの法則(2割で8割)」に基づくような構造でした。

現代でよくパレートの法則が用いられる事象 ※パレートがこれらの説ひとつひとつを唱えたわけではない。いかなる時にも厳密に80:20であるとは限らず、90:10や70:30の場合もある。つまり何事にもばらつきがあることを例に挙げているにすぎない。

ビジネスにおいて、売上の8割は全顧客の2割が生み出している。よって売上を伸ばすには顧客全員を対象としたサービスを行うよりも、2割の顧客に的を絞ったサービスを行う方が効率的である。

商品の売上の8割は、全商品銘柄のうちの2割で生み出している。→ロングテール

売上の8割は、全従業員のうちの2割で生み出している。

仕事の成果の8割は、費やした時間全体のうちの2割の時間で生み出している。

故障の8割は、全部品のうち2割に原因がある。

所得税の8割は、課税対象者の2割が担っている。

プログラムの処理にかかる時間の80%はコード全体の20%の部分が占める。

全体の20%が優れた設計ならば実用上80%の状況で優れた能力を発揮する。

(パレートの法則,出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)


上記のパレートの法則の例から考えてみましょう。売上の8割を全顧客の2割が生み出しているのなら、その2割こそ大事にすべき客ということになります。売上の8割を全商品の2割が生み出しているのなら、その2割の主力商品こそ力を入れるべきである。売上の8割を全従業員の2割が生み出しているのなら、その2割を大事にすべきである。逆に言うならば残りの8割についてはいかにコストや手間を省くかが経費削減のポイントになる。とまぁ、このような発想が生まれてきそうです。

これをエネルギーに当てはめて考えてみればどうでしょう。エネルギー供給の多くは、一部の石油・原子力企業なので、それら少数の大口客が大事。その他の水力、風力、太陽光などは後回し、というような塩梅になります。政治ではどうでしょう。献金の多くは一部の団体だから、そちらの利益が大事。あとはそのついで、とか。あくまでものの例えなのでご容赦のほど。言わんとすることは、一部が多くを占め、それらが優遇される構造だということです。一部のものが中心にあって、多くの部分を支配する、中心型構造の商業モデルといえます。

これに対し、店舗を持たず在庫物流コストの少ないネット販売では、レアなものまで幅広いく揃えることができるので、小さな売上でもたくさん集まれば大きな収益にすることができます。広告もまた然りで、小口の広告主を沢山確保することで収益を生むことができます。このように、少ない大きなところより、たくさんの小さなところで収益を得る商業モデルを、長いシッポになぞらえて「ロングテール」といいます。これを可能にしたのが、双方向性検索連動型広告モデルといえましょう。双方向性とは、メディア(この場合はネット)側からの情報だけでなく、検索という行動を通して利用者が情報を送信し、それに応じて検索結果とそれに関連する広告を送信する、という意味です。この手法はグーグルだけではなく、amazon にもみられます。

検索連動広告の妙味は、「人は、興味のないものには関心を払わないが、興味を持っていることには強い関心を示す」ところにあります。有効対象の密度が高いところに投下することが効率を高めるということですね。この考え方はなにも目新しいものではありません。旧来のTVCMでもすでに取り入れられています。子供向けのアニメにはその関連商品のCMを放映するなどはその例といえましょう。しかし、TVCMでは番組の対象視聴者が広範囲になれば、対象が拡散してしまって、対象を絞った広告投下はできません。つまり視聴率の取れる番組ほど、CM効率は落ちることになります。広い平原に散在するターゲットに絨緞爆撃するようなものですから、それだけの物量を投入出来るところにしかできないともいえます。それでも、もっと密度の低い昼の時間よりは、まだ夜の時間のほうがよかろうと、ゴールデンタイムに力を入れたりするわけですね。きっと、どの時間帯のどんな番組には、どのような対象の密度が高いのか、熱心に研究していることだろうと思います。

これに対して検索連動広告は、その人が感心のある検索語に対して広告を打つので、有効対象者に対して広告する確立が高くなります。効率が高いということです。小さく広告するので費用も安い。安く効率がいいというわけです。しかも、その広告枠の価格はオークションによって広告主が決めますので、その検索語に対する力を入れたいと考えている広告主を選択することになります。この変化は、限られた大口の客が高く効率が悪い広告を打つ、という構造から、沢山の小口の客が安く効率がいい広告を打つという構造への変化です。しかしこの変化は、旧来の中心型構造(中央集権構造)に最適化し我が世の春を謳歌していた人達の権益と真っ向から衝突することになります。

    新聞におよぼす影響

グーグルのサービスの一つである「グーグルニュース」は、様々なニュースを検索し表示します。そこでは新聞社固有のスタンスや編集方針、政治信条を無視し、新聞編集の構成をも無視して、すべて同列に表示するので、重要度はユーザーが自ら判断することになります。そもそも日本の新聞は政府・官庁・警察の「記者クラブ」の発表を記事にしているのが90%だといわれます。いってみれば、大本営発表の広報誌といえましょう。つまり大本営発表が報じないような、本当に知りたい情報は得られないということにもなります。その上、新聞は、制作、印刷、流通・販売といったプロセスが重すぎて速力が弱いという弱点があります。実際、新聞業界は発行部数が減少し、かつ、広告収入も減少しているといわれます。

ネット新聞が無料化を打ち出していることを考えれば、今後「購読料モデル」から「広告売上モデル」に転換して行かざるを得ないでしょう。すると、生き残る有料新聞は高度な専門新聞だけになるのではないでしょうか。制作、印刷、流通、販売の、印刷~が中抜きされ、制作者と利用者が直結するスタイルが進むのではないかと予想されます。もしかしたら「中抜き」の結果、新聞社そのものが中抜きされることも考えられます。フリーランスの記者が、ネット上の共同誌面に記事を発表し、クリック数に応じて広告料が発生し、クリック数に応じて記者に報酬が支払われる。足で稼いだ記事がダイレクトに利用者に評価される。という具合です。これって記者にとっても、やりがいがあるんじゃないでしょうか。

    テレビにおよぼす影響

ハードディスクレコーダーなど録画機器の進歩によって、番組の視聴の仕方が変りました。利用者が最も利用する機能の一つが、番組のCMを飛ばすことです。「CMを飛ばす」人は実に70%。それによるCM効果の損失は540億円だそうです。高い費用をかけて投じたCMが視聴者に飛ばされているのです。

そもそも日本のTVCMの制作は、下請け孫請けに制作を投げる搾取の構造があるといわれます。制作費は中抜きされ、投じた制作費が効果的には使われていません。その上、CMプライスの根拠となる視聴率は電通の子会社である「ビデオリサーチ」が集計しています。ビデオリサーチという唯一の審判が出した数字(それが妥当なものかも検証できない)をもって、広告主に対しては広告費を設定し、テレビ局に対しては番組内容に干渉する。そんなこともあり得ないことではないでしょう。

TVCMが有効ではないということになれば、広告のテレビ離れが進もうというものです。だって無駄なんですもの。これはテレビ局側からすれば広告収入が減少することを意味します。そうなれば次に来るのは経費の削減、とくに人件費の削減でしょう。それがどこから削減されるかといえば下の方から、"8割"のほうからなのではないでしょうか。人も減らされ、給与も減らされ。次はテレビ業界の再編統合に進むかもしれません。

では、番組作りがこうした流れに抗するようながんばりを見せているかといえば、これがはなはだ疑問なのです。最近のバラエティ番組の作りで目立つのは、ヤマ場のところでCMと入れる手法ですが、この「ヤマ場CM」については、70%が「イライラする」と答え、一段落してからCMを入れる場合にくらべて3.8倍も「買いたくない」と回答しているといいます。また、CM明けにCM前のシーンを繰り返す手法については86%が「しつこい」と感じているとのことです。となると、これはスポンサーの金でスポンサーの商品が嫌われるような番組作りをしているということではないですか。いったいどういうつもりなのでしょう。本当は、現場の番組制作スタッフはもっと質の良いものを作りたいのではなかろうかと思うのですが。

    広告業界におよぼす影響

日本の広告代理店は、「広告主の代理」となって広告を制作する、と同時に、テレビや新聞などの「メディアの代理」となって広告枠を販売します。この両方を同じ広告代理店が仕切っているのが一般的です。これは日本国内限定のスタイルで、海外では広告代理店はあくまで広告主の代理です。この日本式のやりやり方は、売り手と買い手の間に入って独占的に仕切る仲買人みたいなものです。しかもどちら側にとっても唯一の窓口みたいなものですから。関所みたいとも言えますし、昔の貿易商人みたいとも言えましょう。広告代理店の最大手、電通グループの経営ビジョンは「価値創造パートナー」だそうです。そりゃぁいくらでも「価値」を「創造」できそうだ、などとイヤミの一つもいいたくなります。広告業界やテレビ業界は高収入で有名ですが、かなりの激務であり相当なストレスもあるといいいます。それだけ全体の収益もあるのでしょう。

グーグルアドワーズの広告費はクリックによって費用が発生する成功報酬型であり、透明性や効率性が高いものです。グーグルは「Google TV Ads」でTVCMにも進出しています。これはCM広告枠をオークションで販売し、受信回数に応じて費用発生する仕組みで、CM効果がすぐわかるという利点があります。クライアントにとって費用対効果比が明確だということは、非常に分かりやすいものです。日本のTV広告は、高い視聴率を根拠に、大口の顧客(大企業)が、数千万~数億の広告費を使って、幅広い対象に広告しますが、一度作った広告は途中での変更することは難しく、状況に応じた機動性が悪いといえます。一方、アドワーズ広告は、小口の客でも、小さな広告から、小さな資金から可能で、オンラインで申込み、オンラインに制作しますし、途中での軌道修正も可能。チリも積もれば山となる形式のやり方といえましょう。広告主がネット広告にシフトし、TVCMにもGoogle TV Adsが導入されれば、少ない費用で、有効対象密度の高いところに広告が打てることになります。これは、広告主とメディアとを直接結ぶ、つまり広告代理店を中抜きすることであって、まさしく電通を代表とする旧来の広告商業商業モデルとぶつかります。

それがグーグルかアマゾンかに限らず、「グーグル的なもの」は間違いなく旧来の構造を破壊するでしょう。小さく多くの人がネットを介して成り立つ商業モデルなら、東京に本社を置く必要もありません。小規模分散型でやれます。旧来の大規模中心型構造(中央集権構造)による支配は、小規模分散型構造によって崩壊することでしょう。

これをエネルギーに置き換えてみてみるとどうでしょうか。原発・化石燃料といった大規模中心型エネルギーが、小規模分散型エネルギーにとって代わられる、という状況ですね。それは速力と高効率化という点で優位であります。

世界は変動しています。旧来の環境に最適化し繁栄していたものは変化について行けずに滅びることになるのではないでしょうか。

2008年9月30日

【映画】All The King's Men

Humpty Dumpty sat on a wall. 
Humpty Dumpty had a great fall. 
All the king's horses and all the king's men 
couldn't put Humpty together again. 

ハンプティ・ダンプティが 塀の上
ハンプティ・ダンプティが おっこちた
王様の馬みんなと 王様の家来みんなでも
ハンプティを元に 戻せなかった


オール・ザ・キングスメン All The King's Men (1949年.アメリカ)

【あらすじ】

    腐敗政治

男は田舎の農民の出であった。貧しく無学であったが、一所懸命勉強し、教師であった妻と養子を迎えた。男は政治家、役人、企業が一緒になった腐敗政治を糾弾しつつ出納官に立候補した。新聞記者の若者が彼のことを取材するうちに彼に共感するようになる。男は、さまざまな妨害工作や嫌がらせ、脅迫を受けながら選挙活動を続けるが、結局は落選する。

    教育軽視

男は妻の指導のもと法学士(弁護士)の資格を取り、貧しい者、虐げられている者の立場に立って、州政府や事業者達を相手に戦う。そんな折り、建て替えられることなく老朽化していた小学校の階段が崩落して、数十人の子供たちが命を失うというという事故が発生した。この事故を契機に政治腐敗を糾弾していた男の行動が見直される。新聞記者の若者はそれを題材に記事を書き、それは反響を呼び、男は一躍"時の人"となる。

    選挙謀略

ちょうどその頃州知事選挙があり、二人の候補の一騎打ちとなっていた。不利な陣営は相手候補の票を割るため、ダミー候補として男に白羽の矢を立てた。何も知らず州知事候補に推薦された男は、自分の理想を叶えるチャンスと喜ぶ。しかし、有権者に現実を知ってもらい、有権者を教育しようとする男の演説は、理知的ではあるが垢抜けないために、人々は興味を引かれず盛り上がらない。密かに派遣されて男の選挙参謀に納まった女秘書は、いいかげんうんざりしており、ついうっかり口を滑らせ、男が票割りのためのデコイであることを明かしてしまう。

    大衆煽動

裏のカラクリを知った男は傷心し自棄酒を煽る。翌日の演説で、迎え酒をあおった男は、自棄になって民衆の前で全てをぶちまける。怒りに駆られた男は台本を投げ捨て、自分を担ぎ出した議員らを壇上から追放して、民衆を挑発する。自分の生い立ちを語り、虐げられている者の心に訴える。「田舎者諸君、あなた方は役人からバカにされてる!今度は我々の番だ!私はこの選挙戦に全力を尽くす!」男は熱病に取り憑かれたように民衆を煽り、「目を凝らして現実を見つめるんだ!貧しさに苦しむ、それが現実だ!貧乏人を救えるのは貧乏人だけだ!」この演説は人々の心を捕らえ、会場は一気に熱狂した。それから開き直った男はコツを掴んだように、演説で民衆に訴えかけ、民衆は男を救世主として迎えた。

    衆愚政治

結局男は落選したが、この選挙戦で男はコツをつかんだ。民衆の煽り方、そして選挙資金の作り方である。理想を叶えるには頂点に立つ必要がある。そのためには金がいる。裏から金をもらっても民衆の喜ぶことをやれば文句はないだろう。新聞記者の青年も片腕として仲間に加えた。4年後の州知事選挙で「貧者の味方」をうたって圧勝した男は、しだいに王国を作り始める。民衆を煽動し、闇社会と繋がり、賄賂をもらい、議員や役人を抱き込み、多数派工作をし、利益供与や買収で対立者を分断し、不祥事をもみ消し、反対派はスキャンダルを握って追い込み、従わない者は口を封じる。

    利権支配

素晴らしい学校、立派なスタジアム、伝統を踏みにじり次々と建設されるハコモノ。しかし、民衆の生活は一向に貧しいままだった。民衆は汚れた政治に不満を抱くが、圧倒的な男の権力の前に、愚痴をこぼすのが関の山。男を支持した民衆、男を利用しようとした州議員達、お目付役だったはずの女秘書、男の理想に共感した新聞記者の青年、あろうことかその青年の恋人、父に反抗を感じている息子、反対派の潔癖な判事、その息子の脳外科医。友人も敵も、皆が男の軍門に下る。男は全てを支配し、同時にその喪失を恐怖する......。


【解説】

この映画は、第二次世界大戦から4年後の、1949年に公開されたアメリカ映画で、その年アカデミー賞を3部門で獲得しています。製作・脚本を自ら手がけた監督のロバート・ロッセンは、その後マッカーシズム(赤狩り)に遭い、転向を強いられています。この映画も政治腐敗をテーマとしたものですし、受け取りようによっては体制批判のプロパガンダと見ることもできます。1949年といえば終戦間もない頃ですので、アメリカの暗部を描いたこの映画は占領下の日本では公開されず、日本で初公開されたのは、ロッキード事件の余韻の残る1979年でした。なんか作為的な感じもしますが。
この映画は2006年にショーン・ペンを主演にリメイクされています。こちらのほうが馴染みがあるかもしれません。

この映画の元になったのは、1947年に出版されピュリッツアー賞を受賞した、ロバート・ペン・ウォーレン原作の小説「The life of populist Southerner Willie Stark(邦題:すべての王の臣)」です。この小説は実在のモデルがあったとされ、そのモデルとはルイジアナ州知事でのちに上院議員となった、ヒューイ・ロングだといわれています。

ヒューイ・ピアース・ロング・ジュニア(Huey Pierce Long, Jr.、1893年8月30日、アメリカ合衆国ルイジアナ州ウィンフィールド - 1935年9月10日、ルイジアナ州バトンルージュ)はアメリカ合衆国の政治家。通称「キングフィッシュ」(The Kingfish)。 訪問販売員から身を起こし、弁護士になり民主党所属であり、急進的なポピュリズムで有名であった。1928年から1932年までルイジアナ州知事を務め、1932年から1935年まで上院議員であった。1932年の大統領選挙ではフランクリン・ルーズベルトの支援者だったが、のちに袂を分かち、自らが大統領になることを計画した。 1934年には"Every Man a King"というスローガンの下に、世界恐慌のために引き起こされた犯罪と貧困を抑制するために、"Share Our Wealth"と呼ばれる、所得再分配を評価する運動を作りあげた。ロングの社会改革は大きな人気を集めたが、独裁の傾向にあることを批判された。1935年9月8日、バトンルージュのルイジアナ州議会議事堂で銃弾を浴び、2日後に死亡した。 (出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

ヒューイ・ロングが州知事になった頃は、ちょうど日本では大正から昭和へと変わり(1926年)、アメリカでは空前の大繁栄をとげたところに大恐慌(1929年)が起こった頃で、世界的にはファシズムの台頭、ブロック経済など、戦争への足音が聞こえてきた時代です。なんだか世界帝国を謳歌したアメリカが金融破綻した現在と重なりますね。

ヒューイ・ロングは「Every Man a King」というスローガンを掲げました。「みんなが王様」というわけです。しかし映画化された時のタイトルは「All the King's Men」。「皆、王の僕」というのは、周りの者が皆、主人公に支配されてゆく様子を象徴しています。支配欲に支配された男は支配すること自体が目的化し、それは留まるところはありません。

ところで、タイトルの「All the King's Men」は、マザーグースの童謡「ハンプティ・ダンプティ」の一節からとったものと言われます。この「All the King's Men」という言葉は、この童謡から、「どうやっても元に戻らない」という慣用句として使われているそうです。腐敗政治を糾弾して州知事になった男が、もっとひどい腐敗政治を行う。どうしようもないという皮肉を感じます。ちなみに、「ハンプティ・ダンプティ」は「おっこちた」ということから、アメリカの俗語で「落選確実の泡沫立候補者」の意味に使われるといいます。


Humpty Dumpty sat on a wall.
Humpty Dumpty had a great fall.
All the king's horses and all the king's men
couldn't put Humpty together again.

ハンプティ・ダンプティが 塀の上
ハンプティ・ダンプティが おっこちた
王様の馬みんなと 王様の家来みんなでも
ハンプティを元に 戻せなかった

参考コラムアメリカの計画倒産



出典:峯山政宏後援会(たった一つのコメントが必要です)

2008年9月28日

組織の崩壊と機能の維持(5)~至誠のこころ

これまで、組織が硬直化し機能を失うことの例として、旧帝国陸海軍を題材にして見てまいりました。しかし、そんな旧日本軍の中にあって、ひときわ異彩を放つ集団がありました。いわゆる「陸軍中野学校」です。自身が陸軍中野学校の卒業生である加藤正夫の著書『陸軍中野学校の全貌』(展転社.1998)には、およそ旧日本陸軍らしからぬ、中野学校の教育思想が記されています。

中野学校創設

陸軍中野学校創設の動きは、盧溝橋事件から日中戦争の始まった1937年(昭和12年)、岩畔豪雄中佐が参謀本部に「諜報謀略の科学化」という意見書を提出したことに始まります。当時すでに、日本陸軍は過去の成功体験に依って、軍の近代化や幅広い有能な人材の登用を怠り、硬直した組織となっていました。しかし、そのような状況に危機感をおぼえる者もおり、岩畔もまたその一人でした。岩畔は、近代戦は情報戦の持つ重要性が全体を左右するほどに大きくなるとの認識から、諜報勤務の専門職養成のための教育機関の必要を説いたのです。それを受けた陸軍省は創設を決定し、翌1938年(昭和13年)過渡的措置として「後方勤務要員養成所」設置、開校の準備を進めました。

そして、ノモンハン事件の起こった1939年(昭和14年)、陸軍中野学校は開校しました。この中野学校の創設にあたり、その存在は陸軍内部でも極秘であったといいます。しかしながらその校風は、戦時中で最も自由主義的であったといわれ、学生は通常軍服は着用せず、当時作られた国民服などの平服を着て、頭髪も長髪にするなど社会人並みの服装をしていました。まあ、平服こそが彼らの仕事着でもありますから。


異端の気風

中野学校の学生は、広い知識と柔軟で融通のきく能力を持つ「秘密戦士の資格」が必要であるとの考えから、一定の型にはまらない一般大学、一般高専出身者と重点に採用する基本方針をとっていました。出身校は東京大学が最も多く、拓殖大学、東京外国語大学、早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学などが続いたといいます。一般大学の学生が重用されたのは、彼らが、軍人というスペシャリストよりも、幅広い知識や柔軟な判断を持ち、民間人として自然な振る舞いができると期待されたためでしょう。そのような学生を採用するわけですから、そこにはかなりの苦心がありました。優れた人材を選抜することはもちろんですが、学校の性格上、その内容を秘匿するために相当に苦労したようです。また、そのようなわけで、本人の意志に反して入校を強要しないという点においても、当時の他の軍部学校とはかなり異なっていました。

「陸軍中野学校の全貌」の著者、加藤氏は、その先進的で柔軟な発想を「民間出身者をも含めてその要員を採用した英断については、当時の先覚者たちに敬意を表さなければならない(p27)」と賞賛し、また中野学校の極めて重要な貢献を讃えつつも、「しかしそれは、すでに遅きに失していた。歴史に仮説は許されないと思うが、もう十年早く陸軍中野学校ができていたら、あるいは戦争は回避できたかもしれないという回顧は、死児の齢を数えるに等しいことだが、悔いは残るのである(p27)」と無念さを綴っております。稀代まれなる陸軍中野学校は、1945年(昭和20年)、日本の降伏と軍部の解体をもって、8年という短い歴史に(表向きは)幕を降ろしました。


中野学校の基本理念

陸軍中野学校の教育の理念は至誠であったといわれます。中野学校では、「秘密戦要員教育の基本的態度」を次のように定めていました(p39)。

第一、同志的組織力の重視。
第二、高度な科学技術の重視
第三、各要員の持つ専門的知識と資格を十分に活用する
第四、確固不動の信念に燃える不撓不屈の人間形成

第一の「同志的組織力の重視」とはなんでしょう。それは中央集権的な上意下達の集中型組織を意味しません。同志が互いに結びつきコミュニケートする分散型ネットワークといえましょう。これは実はジェネラリストとしての思想がないと成り立ちません。
第二の「高度な科学技術の重視」は科学や技術に対する高度な理解、合理的思考を重視することを求めています。理系の頭脳と言ってもいいでしょう。
第三の「各要員の持つ専門的知識と資格を十分に活用する」とは、各個人はおのおの何かしらのスペシャリストたりうることを必要とされています。実際、二つの外国語、二つの職業をマスターすることが求められたいいます。
第四の「確固不動の信念に燃える不撓不屈の人間形成」。特に最後の不撓不屈の精神は、陸軍中野学校の学生・同志に歌い継がれた「三々壮途の歌」に見られます。歌詞中、「神よ与えよ、万難我に」という一節がありますが、著者の加藤氏はこれを「任務遂行のための至上命令のために、たとい捕虜になる辱しめを受けたり、永劫の汚名を着せられても、あえてこれを甘受して、あくまでも生きのび、万難を克服して任務を完遂するということである(p51)」と解説しています。なんという壮絶な覚悟でしょう。そしてこの歌は、中野学校の目的とする大義をアジアの解放であると歌っています。これについて「そのためには「仁徳」を身につける必要があって、その仁を得る境地にまで心を高めるには、日夜、大義を求めて精神修行するほかないというのである(p51)」と加藤氏は述べています。実際、中野学校の卒業生はアジア各地に散り、日本が敗戦してからもなお、地元民と共に民族独立の戦いに身を捧げた者も幾多ありました。


中野学校の根本精神はまごころ

市川雷蔵主演の映画「陸軍中野学校」の中では、劇中の"草薙中佐"をして、

「本当のスパイは、人を殺したり、物を盗んだりする犯罪者じゃない。そんなスパイは下の下だ。スパイの根本精神は「誠」だ。....そうだ。真心だ。俺が考えているスパイは、日露戦争中、露西亜で活躍した明石大佐だ。明石大佐は真心をもって露西亜の民衆と交わり、彼らを幸福にするためには露西亜皇帝の政府を倒さなきゃならんと考えた。大佐は共産主義者レーニンの親友となり、武器を与え、露西亜政府を動揺させ、日露戦争を勝利に導いた。大佐がいなかったら日本は負けていたかもしれん。これが本当のスパイだ。俺の理想は、君たちを一七人の明石大佐に育て上げ、世界の各国に送り込むことだ。諸君はその土地の人民の友人となり、悪質な政府や侵略者と戦ってもらいたい。特にアジア、アフリカでは植民地を解放し、全ての民族を独立させるんだ。」
「このままではくだらん政治家や将軍どもが、アジア全体を敵に回し、日本を滅ぼしてしまう。諸君。彼らと戦って、日本を救ってくれ。」
「君たちは青年だ。青年に出来んことはない。明治維新を成功させたのも青年だ。頼む。やってくれ。」

と語らせていますが、これは実際の中野学校の精神を実によく反映しているのではないでしょうか。


楠木正成と明石元二郎

中野学校の精神的な規範は楠木正成公と明石元二郎大佐であったといわれます。校内には楠木正成「楠公社」が建立されていました。尽忠至誠の精神と遊撃戦(ゲリラ戦)の名手であった楠木正成と、レーニンとロシア民衆を支援し日露戦争を勝利へと導いた諜報戦の立役者である明石元次郎は、なるほど中野学校の精神を体現する手本といえましょう。


中野学校が求めたもの

科学や技術に対する高度な理解、合理的思考など、思考理系の頭脳を持ち、なにか一芸に秀でたスペシャルな技能を持ちつつ、ジェネラリストの思想精神を併せ持つ者同士が、至誠の心をもって分散型ネットワークでコミュニケートする。これこそが中野学校が求めた姿だったのかもしれません。中野学校学校は8年という短い歳月ではあっても、確かに旧日本陸軍の中の異端として存在しました。そしてその精神こそこれからの組織に必要なものであろうと確信します。

選挙に関する他のサイト地元で利権構造を作って、政治家という古い世襲制を全力をあげて守っているわけです



出典:峯山政宏後援会(たった一つのコメントが必要です)

2008年9月23日

組織の崩壊と機能の維持(4)~ジェネラリストとスペシャリスト

先に、旧日本帝国陸海軍の転落を検証した齋藤健氏の著書を紹介し、ジェネラリストの払底とスペシャリストの跋扈が、組織構造を硬直化させ、状況の変化に対応して本来の目的を達成するための機能を失わせた、ことを指摘しました。

組織の構造において、ジェネラリストとスペシャリストをどう構成するかという問題があります。特にこの窮まった時代において、激動の変化を組織全体がいかに生き残っていくかということはたいへん重要な問題です。ジェネラリストかスペシャリストか、という議論は今にはじまったものではありません。ジェネラリストとかスペシャリストという言葉は使わないまでも、どこの組織にもこういった議論はあるのではないでしょうか。「専門馬鹿では使えない」とか、「あちこち回されても結局中途半端」とか、そんな話しは結構耳にすることかと思います。

組織におけるジェネラリストとスペシャリストの関係に関して、数学者である長沼伸一郎氏の「複雑系に騙されないための「査定法」」というコラムにたいへん興味深い部分があります。

三体問題とか多体問題というテーマがあります。これは、相互に作用する二つの系の間であればその運行を解き予測することができるが、三つ(三体)あるいはそれ以上(多体)になると途端に解けなくなる、というものです。

多体問題(たたいもんだい、N-body problem)は、互いに相互作用する三体以上からなる系を扱う問題のこと。 古典的な多体問題としては、太陽系のような恒星と惑星が、万有引力で相互作用し合う場合の惑星運行の問題が挙げられる。太陽と地球のような二体問題は厳密に解くことができるが、例えば月の運動も考える一般の三体問題以上になると解くことはできないとされる(但し限定された条件では解が存在する)。18世紀にはラグランジュが研究を深め、19世紀末にポアンカレによって証明された。然しながら、ポアンカレの証明は、積分法(代数変換、初等関数の変換、積分の有限回による解法)の範囲であり、この範囲以外の解法の存在については現在も不明である。 [出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』]

長沼氏は「対角行列作用マトリクスN乗理論」という手法を使って、この三体問題(多体問題)に解を与えています。それは、すごく乱暴に言えば、「作用要素が三つ以上あると、解けない」ということが分かった。というか「世の中、解けるもののほうが稀」ということが分かったということです。

ここから派生して考えますと、いろいろと興味深いことが示唆されます。たとえば、循環器・消化器・神経・内分泌....と、人体を作用要素ごとに分けて、それぞれについて研究し、それを持ち寄ってくっつけたところで、人体が分かったことにはならない、ということになります。組織についてはどうでしょう。これが、国家、あるいは世界となればどうでしょうか。長沼氏は上記論文の「§組織構成から診断する研究機関の実力」という章で、以下のように述べています。

例えば社会を10個ぐらいの専門分野に分けて調べる場合、経済だけの専門家と軍事だけの専門家がそれぞれ作る小行列のN乗は、全体のN乗に一致しないことが示されており、このことから組織設計の重要な原則が導かれる。  すなわちこの場合、たとえ狭い各専門分野についてのみ通暁した専門家をいくら大勢揃えていたとしても、それら全部の要点をよく把握したゼネラリストが最低一人はいて、後者の発言力が前者より優先していない限りは、ほとんど無意味だということなのである。  実際こういう場合、問題をいくつかの専門分野に分割してから調べて後でつなぎ合わせることができないわけだから、たとえ作用マトリックスの①の部分をいくら各個に精密に扱えても、それらの相互作用たる②の部分を把握する能力をもつゼネラリストが主力となっていない限り、過去の分析も未来の予測も全く使いものにならないのである。 出典:複雑系に騙されないための「査定法」

全体をいくつかの要素に分け、それを詳しく分析し理解したとして、では、それらを合わせれば全体が理解できるか、といえば決して全体を把握することはできない、ということです。では、相互作用を把握するジェネラリストが主力なら、どうしてこれがうまくいくのか。三体問題(多体問題)は解けないのではないのか。要素に分けて、それを持ちよっても解けません。しかし、解けないけれども"分かる"ことはできます。「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」と言いますが、広く正しく歴史や事象を理解していることで、相互作用のパターンが共鳴するのでしょう。ですから狭い引き出しだと誤作動してしまいかねないのです。そこが"優れた"ジェネラリストを必要とする所以なのだと思います。

組織に当てはめていえば、経理・企画・製造・営業....と専門分野に分けて、それぞれに優れた専門家を集めたとしても、全体をうまく運営することはできない、ということになります。これが、軍だったら、国だったらどういう状態を意味しているでしょう。各部門に優れたスペシャリストは必要だ。しかし彼らが権威となっては全体が機能しない。各部門に精通し、かつ各部門を繋ぎ、その全体を俯瞰総覧し統括するジェネラリストがいてこそ、全体は機能する。といえましょう。

各部門に精通し、なおかつ全体を統括する頭脳と、各部門のスペシャリストを牽引するだけのリーダーシップを必要とするわけですから、そのようなジェネラリストは簡単なことではありませんし、誰にでもなれるというものでもないでしょう。だからこそそのようなジェネラリストが輩出されるような教育体系が重要になります。それは単に知識だけではなく、様々な人ととの調整ができるコミュニケーション能力、経験に裏打ちされた度胸や実行力、リーダーとしての覚悟と自己抑制も求められる教育となりましょう。

【転載論文】鏡像はなぜ左右だけ逆なのか

2008年9月20日

組織の崩壊と機能の維持(3)~希望的観測と兵站の軽視

兵站といえば、石油公団の岩間敏氏が書いた『石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」』(朝日新書.2007)という本があります。さすが石油公団で仕事をされてきただけあって、戦争遂行を支えるエネルギーという視点から、太平洋戦争と旧帝国陸海軍の組織を詳細に検証しています。

世界最初の石油危機

岩間氏はまず、当時の日本の置かれた状況というのは、米国の「石油禁輸」によって、日本が世界で最初の「石油危機」に直面したと指摘しています。当時、日本の石油自給率はわずか8%、そのうちの80%は当時の石油輸出大国アメリカから輸入していたものでした。この時点でアメリカと戦争をするというのがいかに無謀なことかわかります。1863年、ジョン・D・ロックフェラーは石油の商業的生産に成功し、スタンダード石油を設立して石油文明を築き上げました。当時アメリカは世界最大の石油生産国・輸出国でありました。第二次世界大戦直前の原油生産量は実に日本の740倍という桁違いのものでした。またその品質においても精製技術には格段の開きがあり、アメリカが航空機用燃料に100オクタン価の高性能ガソリン使っている時に、日本では87オクタン価のガソリンを精製するのがやっとでした。

都合の良い未来

そのアメリカが東アジアの大陸利権を睨みながら、日華事変を理由に経済制裁で圧力をかけてきたのです。経済戦には、国際政治、経済、地政学に及ぶ広い戦略的視野が必要です。当時これに対処したのは軍部でしたが、その軍部には戦闘・兵科の専門家はいたものの、そのようなジェネラリストはほとんどいなかったのです。その軍部の思考判断について岩間氏は、「「石油禁輸」が行われる五日前の『大本営機密日誌』には、「戦争指導班は資産の凍結を石油の禁輸とは思わず、米国はせざるべしと判断す」と、いまから見ると驚くほど楽観的な記述がある。(p5)」とあきれています。自分の願望から世の中を見て判断する希望的観測。「こうあってほしいから、こうあるはず」という、まるで合理性を欠いたものの見方です。これは世界情勢、国際政治に疎いということもありましょうが、不都合な現実を否認しているともいえましょう。指導者としてはお粗末なことです。

ちぐはぐな石油確保の努力

『アメリカは日本の南進を瀬戸際外交と思って黙認する。石油禁輸はない』と勝手にふんでいた軍は、実際に石油禁輸が発動されて、あわてて石油の確保に走ります。当時油田が見つかり石油の供給地として注目を集めた中東に使節を派遣し、交渉にあたりますが、岩間氏よれば「石油権益の確保には対象国の政治的人脈の把握、優良な権益条件の提示、直接権益以外の開発計画への支援、助成が複雑に絡み合った忍耐強い交渉力が必要であるが、日本はそのような交渉を経験したことがなかった。(p30)」とういことなので、日本がポッと行ってなんとかなるものでもありません。まして、サウジアラビアの石油権益はロックフェラーが開発権を獲得して開発したものです。最新の採掘技術を持つ石油大国アメリカの不興を買ってまで日本に協力するということは考えられないことでした。

実は石油は満州にありました。実際、大戦後、中国はソ連の技術協力を得て、大慶油田群を開発しています。最盛期には日産100万バレルを生産した大慶油田群は、現在においても日産80万バレルを生産する中国最大の油田です。日本は満州領内の探鉱作業を進め、地質調査と試掘を行っていましたが、石油を掘り当てることはできず、「アスファルト鉱床は存在するものの、商業化は難しい」という報告書を出して断念していました。そのうち、オランダがドイツに占領されたために空白化したオランダ領インドネシアの南方油田群を日本が占領したため、満州石油は顧みられなくなりました。

四正面戦争?

さて、石油禁輸をうけ窮まった日本は、戦争に打って出るしかないという急進的な意見が多数を占めるようになり、その声高な勢いに、冷静で粘り強い意見は圧殺されました。ところが日本は開戦直後まで、北進すべきか南進すべきかで方向が定まらずにいました。御前会議で「情勢の推移に伴う帝国国策要項」が決定されました、その内容はというと、
①中国との戦争は継続する
②北のソ連へはドイツ軍の攻勢状況が有利に展開すれば攻め込む。
③米国とは「日米交渉」を継続しながら戦争準備を備える。
④南方への進出を図り米英と戦争になっても致し方なし。
というものだったといいいます。成り行き次第で四正面戦争ですよ。石油のバルブを止められているというのにです。兵力、工業生産力、輸送力、燃料・物資・食糧の補給、戦費....まったく国力の現状を無視した発想です。ここでも不都合なことは見ないという性向が顕れているといえましょう。

冷静な分析は黙殺された

では、軍部は日米の国力差を含めて現状をまったく理解していなかったのかというと、実は冷静な報告もあったのです。陸軍の「戦争経済研究班」は、太平洋戦争開戦の年の7月、「英米合作経済抗戦力調査」という報告を提出しています。それによると、イギリス単独での戦争遂行は不可能。アメリカ単独での戦争遂行は国力の60%で十分可能。英米共同戦争の場合、開戦当初はアメリカにイギリスを援助する余力はないが、1年~1年半後にはイギリスの不足分を補うことが出来る。と分析し、アメリカを対独戦へ追い込み、その経済力を消耗させ、生産力の低下、反戦気運の醸成を図り、英、ソ、南米諸国との本質的対立を利用する戦略を採用するのが妥当。という報告をしています。つまり謀略を駆使せよということです。これに対し、当時の杉山元陸軍参謀総長は、「調査は完璧であるが内容は国策に反する。報告書は焼却」と指示したといいます。調査の正当性を認めつつ、国策に反するという理由から焼却です。

また、同年四月に「総力戦研究所」が研究したところによると、民需用船舶の最低維持量の約300万トンは、戦争3年間で120万トンまで減じると予測し、「戦争は我が国力の許すところとならず」と結論づけています。さらに同年六月、陸軍経理将校・新庄健吉がまとめた「米国国力調査」では、「日米工業力の差は重工業1対20、化学工業1対3、この差を縮めるのは不可能」というもので、これはワシントン駐在の岩畔豪男陸軍大佐に託され軍幹部に説明されましたが、海軍からは「対米戦準備の最中に、このような数値を発表することは士気に影響がでる」と反対され相手にされませんでした。ここでも、不都合なものは見ない精神が発揮されています。

無理矢理見る夢

一方、海軍軍令部もまた石油需要見通しを算定しています。「海軍国防政策委員会」の石川信吾大佐は、「仏印進駐を実行しても米国は石油禁輸を実施しない」と説得してまわり、南進論を推し進め、結果として太平洋戦争を引き起こした人物として知られます。その石川大佐が同じ年の6月に、「現情勢下に於いて帝国海軍の採るべき態度」という報告書を提出し、燃料関しては作戦上相当の自信を以て対処しできる。輸送力及船舶問題は、総数600万トンの10%、即ち60万トンの補充は可能とし、「帝国海軍は皇国の安危の重大事局に際し、帝国の諸施策に動揺を来さしめざる為、直ちに戦争(対米を含む)決意を明言し、強気を以て諸般の対策に臨むを要す。秦仏印に対する軍事的進出は一日も速やかにこれを断行する如く努むるを要す。」と結論づけています。しかしこの燃料補給の見通しは、石油の不足分は人造石油、ソ連からの購入、南方還送で補うとしており、都合のよい見込みで述べているにすぎません。取らぬ狸の皮算用を地で行くような計画ですね。

この見通し、開戦後実際にはどうだっかというと、人造石油はエネルギー利益率(EPR)が0.5と、2のエネルギーを突っ込んで1のエネルギーを取り出すという代物でしたし、ソ連からの購入分は減少、南洋油田群の石油はアメリカの潜水艦に補給路を絶たれて還送できずと、もろくも崩れます。

また、造船量についても報告書は「(新造船量は)大体第一年目四〇万トン、第二年目六〇万トン」という見通しを示しています。これに対し、嶋田海相からは「若い者は楽観に過ぐ、艦艇修理もあり、造船(能力)はその半分二〇~三〇万トン」と言われ、さらに鈴木企画院総裁からは「然るに若し嶋田海相の言う如く造船能力半減の場合は第三年目には民需は一九〇万トンとなり国力の維持不安なり」と看破されましたが、この発言もいつのまにか捨て置かれ、石川大佐の報告は「戦争遂行は可能!」という結論となって一人歩きし始めました。都合の悪い現実はないことにして、都合の良い未来は捏造までして見ようとしたのです。

兵站の重要性を認識しない攻撃

日本軍が兵站を重要視していなかったことは、真珠湾攻撃の中にも見て取れます。真珠湾攻撃によってアメリカ軍は重大な被害を受けました。しかしこの時、日本軍は戦艦等を破壊することを目標としており、船艦の修理保全を行うアメリカ軍の海軍工廠や燃料備蓄用石油タンクなどの兵站設備を攻撃目標と考えていなかったのです。もしこの450万バレルの石油タンクが完全に破壊された場合、再建造には半年から1年かかり、その後石油の再備蓄には、石油輸送タンカー64往復、5隻体制でピストン輸送しても7ヶ月必要なため、これによってアメリカ海軍機動部隊の行動を1年半から2年ほど制限することができたと、岩間氏は推定しています。また、艦艇の修理を行う米軍の海軍工廠施設もまた破壊されずに温存されたため、真珠湾攻撃で被害に遭った米太平洋艦隊戦艦の8隻のうち、4隻は翌年早々には修理が完了し、沈没着底した2隻も2年後には浮揚修理されて戦線に戻っています。海軍工廠と石油備蓄が温存されたおかげでアメリカ海軍は行動を制限されず、その後日本はミッドウェー海戦で苦杯を喫することになります。

もしも、真珠湾攻撃で、石油タンクと海軍工廠を破壊していたなら、太平洋でのアメリカ海軍の行動を大きく制限していたでしょう。その間、全力でインド洋を制圧すればイギリスの補給を絶つことができ、それをもってイギリスとの講和に持ち込むことができたかもしれません。そうすればイギリスを仲立ちにアメリカとも交渉の糸口が見たかったかもしれない。いずれも敵軍部隊を叩くことに執心し、補給・兵站という考えを軽視しているが故の盲点であったように思います。戦争は踏み切るよりも、着地点を見つけるのが難しい。そこは国際的な視野と戦略、それに柔軟な駆け引きが必要になります。

「陸軍と海軍は別々に戦争をしていた」

よくいわれることですが、今日帝国陸軍と海軍では、互いの連携がとれてはいなかったは有名な話しです。露骨に「互いに足の引っ張り合いをした」という人もいます。石油においても、この連携のなさが顕れています。オランダ領インドネシアを占領し、南洋石油を確保した日本ですが、その管理はというと、陸軍と海軍は油田施設を分割して占領していました。戦争の進展にともなって海軍の石油消費量は増大し、石油不足は深刻化しましたが、陸軍が占領している油田の積出港に海軍タンカーが入港しても、直ちに石油が補給されなかったといいます。しかも、陸軍と海軍の石油施設の占領比率は85対15でした。陸軍・海軍のセクショナリズムが強かったことをあらためて示していますが、同時に、戦略的見地から全体を統括し制御するものが不在であったことが痛感されます。

これは「過去の話」か

以上、石油戦略を通して旧帝国陸海軍を見た時、そこに組織の問題点が浮かび上がってきます。そしてその問題点は、過去の特殊な状況だけのものと言い切ることはできません。岩間氏は、

最後に、本書では、太平洋戦争を石油の視点から見てきたが、その中で「情報の軽視」「専門知識の不足」「その場しのぎの対応」など政策決定集団の組織、能力に多くの問題があったことを明らかにした。戦後六〇年の歳月を超えた現在、これらの日本的システムの問題点が政治、ビジネス、官僚組織の中で温存、継続、再生されて、当時と同様の状況を生じさせていることに気がつく。日本(人)の習性、教育、制度がそれらの問題点を再生させていると考えるが、それらに対処して、改善することが、戦争を省みる最大の目的であるともいえる。本書がこれらの歴史的教訓の上に、今後のエネルギー問題と日本的システムの改善を考える契機として頂けるなら著者としても望外の幸せである。

と結んでいます。

コミュニケーションの重要性

日本は世界初の石油危機に直面して戦争に突入していきました。エネルギー枯渇によって社会基盤を喪失するのですから死活問題です。しかし石油禁輸が発動されるまで、そして石油危機が発生してからも、当の日本軍の対応は、不都合な現実を否認して都合のよい未来しか見ようとしないというものでした。そのような希望的観測や、兵站の軽視、輸送ルートの無防備、陸海軍の縄張り意識、場当たり的対応などの背景には、多方面に精通し、かつ全体を総合的に統括し、世界的な戦略に基づく視点で物事を見るリーダーの不在があります。そして互いのセクションが有機的に連動するネットワークの不在があります。兵站は英語で communications ですが、これはたいへん象徴的であると感じます。

太平洋戦争は、世界最初の石油危機ではじまり、世界最初の原爆投下で終わりました。その後に訪れたのは、さらにひどい石油枯渇と経済破綻と貧困でした。幸いにして、当時はそれでもまだ日本の外の世界には石油がありましたし、アメリカからの物資の流入もありました。では、現在のそしてこれからの世界はどうでしょう。今度は世界規模で石油危機が起こります。外の世界はありません。そのような状況に際して何が必要なのか、やはり、ジェネラリスト型のリーダーと、そのようなリーダーを育成供給する教育、そしてコミュニケーションが重要になってくるのではないでしょうか。ジェネラリストは general、将軍です。日本において将軍は武家の棟梁でした。

日本新生の重要コラム日本の希望の船

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2008年9月18日

組織の崩壊と機能の維持(2)~旧帝国陸海軍の凋落

組織が硬直して目的を果たす機能を失った実例として、旧日本帝国陸海軍をあげることができます。
日露戦争において、当時最強といわれたロシア軍相手に、奉天会戦で薄氷の勝利を勝ち取った旧帝国陸軍が、わずか34年後のノモンハン事件で同じくソ連軍相手に惨敗するまで、いったいどんなことが起こったのか。旧帝国陸海軍転落の過程を検証し、組織がいかにしてその機能を失っていったのかを考察したのが、元通産省官僚であり元埼玉県副知事でもある齋藤健氏が書いた『転落の歴史に何を見るかー奉天会戦からノモンハン事件へ』(ちくま新書,2002)です。

それによりますと、真珠湾攻撃で航空戦の優位性を示したはずの旧帝国海軍が、自ら示した画期的な戦略への転換を推し進めることなく、旧来の大艦巨砲主義の戦艦戦に固執しつづけた理由は、なんと水兵の失業問題だったというのです。戦艦戦から航空戦に戦闘教義が変われば、これまで船艦勤務していた水兵が失業する。だから認められない。まったく唖然とするばかりです。そもそも軍の最大の目的、大義は何か。雇用なのか。ということです。

このように、第二次世界大戦時の日本軍は、本来の目的を果たすための機能を失い、組織の構造のための組織になっていました。この奉天会戦からノモンハン事件へいたる日本軍の劣化はどのように生じたのか、齋藤氏の検証を追ってみたいと思います。

武士(ジェネラリスト)から軍事エリート(スペシャリスト)へ

日露戦争以降の過程は、明治の元勲たちが第一線から退き、代わって陸軍大学校、陸軍士官学校、海軍大学校、海軍兵学校などで専門教育を受けた軍事エリートが台頭してくる過程でありました。もともと明治の元勲は武士の流れをくみます。齋藤氏は武士について「武士は、単なる武人ではなかった。その本質は、政治、経済、社会、教育、科学といったさまざまな面において責任を有するジェネラリストの統治者、つまり政治家であった。(p34)」「一朝有事ともなれば、彼らの思考は、政略、外交、諜報、金集めなど広い分野を自由に飛び回り、明確な目標のもとに手段を体系化することができた。換言すれば、軍事は、つねに全体戦略の一手段として考えられており、軍事に全体戦略のほうが振り回されるということは決してなかった(p35)」と述べています。武士は幅広く物事を知っており、それを総合的に運営するジェネラリストでした。そして明治の元勲たちもまた、優れたジェネラリストであったのです。

とはいえ軍がその後、軍事エリートを育成しようとしたことには、理由がありました。それは、アヘン戦争はじめアジアの植民地化が進んでいることに相当な危機感を持ったためです。欧米軍事先進国に追いつかなければ明日はないという焦燥感が、大局的な戦略を体系的に構築するジェネラリストの教育をおろそかにし、目先に役立つ軍事のスペシャリストの教育に特化することとなったのでした。元連合艦隊参謀の千早正隆氏も、海軍大学校の教育の誤りとして、戦争を狭義に解釈し、教育を限定された戦略と戦術に限定して、画一的に教育したことを挙げているとしています。

齋藤氏は指摘していませんが、日露戦争後にジェネラリストが枯渇するようになったもう一つの理由は、若い有望な幹部候補が日露戦争の激戦で壊滅的なまでに戦死したためでもあります。当時日本はドイツの軍制を模しており、一年志願兵制が導入されていました。これは、中学校相当以上の学力を有し、食事・弾薬費を自己負担し、100円以上の入営費を納入できれば、予備将校要員として1年間の後、現役勤務を終えることが出来るというものでした。当時平均月収が10円以下で、中学に進学するのもままならない時代でしたので、一年志願兵になるにはよほどの財力が必要でした。金持ち優遇策に見られがちなこの制度ですが、これに志願するものはもともと名のある武家の家系であることも多く、素養的にも将来幹部候補となることが嘱望されていたといえます。

日露戦戦争は決してスマートに事が運んだ見事な戦いではありません。戦略的に誤った攻略目標に固執したり、相手の損害を見誤って突入し狙い撃ちにされるなど、杜撰な計画のもと死屍累々の損害を重ねる無惨なものでした。当時の戦闘では小隊長や中隊長が先頭に立って突撃ため、一年志願兵の死傷率は兵卒よりも高かったといわれます。戦死者8万8千人と言われる日露戦争の激闘の中で、相当数の有望な人材が戦場の露と散ったのでした。

日露戦争は、ジェネラリストの司令官とスペシャリストの参謀たちが絶妙のコンビを組んだ日本の黄金時代です。以降は武家の血を引くジェネラリストが急速に枯渇し、その代わりをスペシャリストが占めるようになりました。

余談
戦争を遂行するには莫大な戦費が必要となりますが、当時日本はそれを調達することができませんでした。そこで日本は、日本公債を買い受けてくれるよう頼み込むため、当時日銀副総裁であった高橋是清(後の第20代内閣総理大臣)を米英に派遣しました。しかし、日清戦争に勝ったとはいえ、当時極東の小国と見なされれていた日本が大国ロシアと戦争をするというのは無謀と思われていたので、その戦費を引き受けてくれる人は見つかりません。そんな時、ロスチャイルド家の紹介を受け、資金援助を申し出たのが、アメリカの金融財閥クーン・ローブ(レーブ)商会のジェイコブ・ヘンリー・シフでした。
シフは、ドイツ、フランクフルトのユダヤ教徒の家庭に生まれ、フランクフルトのゲットー時代にはロスチャイルド家の初代当主マイアー・アムシェル・ロートシルト(ロスチャイルド)とともに住んでいました。シフは18歳で渡米し、いくつかの銀行を渡り歩いた後、クーン・ローブ商会の創業者ソロモン・ローブの娘テレサと結婚。クーン・ローブの頭取に就任しました。
シフはユダヤ人社会への貢献を意識しており、日露戦争の戦費をまかなう日本に資金援助した理由も、ロシアの反ユダヤ主義に抵抗するためだったと言われます。日露戦争に対する功績から、シフは明治天皇から勲章を授与されています。
クーン・ローブ商会は隆盛を誇り、モルガン財閥と競争を繰り広げましたが、その後経営が低迷し1977年に統合合併されました。その相手が先日破綻したリーマン・ブラザーズです。

道徳的指導の喪失

閑話休題。武家の流れをくむジェネラリストの枯渇に伴って、道徳的指導というものが日本の指導層から失われていきます。そもそも道徳的指導は武士に求められた素養でした。その道徳律の喪失とともに、それまでの日本人を支えていた精神的体系が崩れはじめ、第二次世界大戦中にはもろもろの不祥事を生むようになります。齋藤氏はその当時の軍部にはびこっていた三つの欠点を挙げています。一つ目は、見通しの甘さと希望的観測。二つ目は、権威となったものに対する無批判。三つ目は、健全な考えの抵抗力の弱さです。「家貧しくして孝子顕る」と言いますが、旧帝国陸海軍においては大戦末期の危機的状況になっても、人材は現れませんでした。優れたリーダーをいかに育成するかという問題は、その社会全体の大きな主題です。

仲間内の摩擦回避が大義に優先する

次いで、齋藤氏は旧帝国陸海軍がどのように、その自己改革力を失っていったのかを分析しています。そして、軍組織において内部の人間関係を優先させようという心理が強く働き、これが組織の合理性よりも重視されるにいたったことを指摘しています。この、組織の合理性よりも人間関係を優先する心理も、明治の元勲たちが歴史の舞台から消えゆくにしたがって、しだいに表に出てくるようになっていったものです。『仲良し倶楽部』とか『馴れ合い』とか『なあなあの関係』とか、その手の仲間意識が優先する組織を揶揄する言葉はたくさんありますが、そこには目的達成の能力を失って停滞した組織の姿が浮かびます。齋藤氏は旧帝国陸海軍組織に蔓延った、仲間内の摩擦回避に基づく組織の弱点を下記のように挙げてます。
 1.仲間内の摩擦回避を最優先しているうちに、主張の強い者が専横し、服従的な組織支配が確立する。
 2.仲間意識が重視される結果、異なる意見を持つ者が排除され、独創性が軽視される。
 3.仲間内の摩擦を避ける風潮は、やがて「日常の自転」を生み出し、「思考停止」へと至る。
 4.組織全体を統轄していた中心が消え、縦割り割拠主義(セクショナリズム)が横行するようになる。
 5.何々主義に代表されるお題目が確立され、金科玉条となって、状況が変化しているにもかかわらず墨守される。
 6.摩擦を避ける結果、処分が甘くなり、さらなる暴走を生む。人事の悪平等から適材適所や抜擢が行われなくなる。
いかにも組織の構造が維持され、それとともに組織の機能を失われていく様子がうかがえます。

失敗を隠し、失敗に学ばない

日露戦争に関する唯一の公式戦史である『日露戦史』は、存命中の将軍たちに気兼ねして失敗の実態を覆い隠していたとの指摘は、司馬遼太郎氏によるものです。ここでも仲間に恥をかかせぬよう批判を控える摩擦回避の心理が伺えます。しかし、この欠落したこの部分こそ後世に伝えるべき教訓であったのです。失敗を記さない『日露戦史』は、それが幸運に導かれた薄氷の勝利であったことを隠蔽し、ロシアに勝った!先進国の仲間入りをした!という幸福感を増長させました。是々非々を正しく評価認識することがないまま、こうして「神国日本」という不相応な自信は生まれました。そして過去の成功に慢心し、状況の変化を否認して、柔軟な現実主義を失っていったのです。以上述べたような組織の硬直化と機能の喪失は、過去のものを見ている気がしません。組織内の摩擦回避、異端の排除、独創性の軽視、セクショナリズム、変化への不適応、硬直した人事、隠蔽体質....。私たちは、あれは軍国主義という特殊な時代のものだった、と言えましょうか。

代議制民主主義の限界とその補完のための工夫

齋藤氏は、欧米諸国が代議制民主主義の欠点を認め、それを埋め合わせるための仕組みを組み合わせて、いかに優れた人物を選ぼうと工夫をしているかを紹介した上で、以下のように述べています。「代議制民主主義よりも優れた制度は存在しない。しかし、以上の例でわかるように、欧米諸国では、代議制民主主義には限界があるということを明確に認識したうえで、それをうまく補完するように、したたかに対応している。...それにふさわしい人間が政治に登場する仕組みとセットになっているのがよくわかる。決して、選挙で選ばれさえすればそれですべてよしというような、軽い発想には立っていない。(p117)」「こうして見てくると、選ばれ方を問わずして、選挙で選ばれさえすればその人がオールマイティで当然なんだという議論は、単純すぎる議論であるのがわかる。(p119)」「むしろ問題の設定は、日本はどのような形で民主主義を補完するのが一番いいのか、というものであるべきである。(p119)」

かつて明治の日本の指導者たちは世界の指導者と比べても見劣りのするものではありませんでした。日露戦争時の日本陸軍には、柔軟な発想や創造性、適材適所の人材登用、冷徹な合理性などがあり、またジェネラリストたる優れたエリートが存在していました。これがノモンハン事件の時には、奉天の会戦において日本軍が苦心して編み出した戦法を応用され、また太平洋戦争では、真珠湾攻撃で先鞭をつけた航空戦を自らの戦術とすることなく、逆に航空戦によって壊滅してしまいます。どのようにして優れた人材を登用するか、登用し続けるかという問題は、「人材の兵站」と言うことができます。供給源を確保し、そのルートを保持するという点で、物資の兵站と変わるところはありません。

人材の兵站とは、教育と登用

人材の兵站ということを考えれば、これはまさしく教育に他ならないと考えます。そして優れた人材を登用する仕組みですね。様々な分野に精通した豊かな知識、広い視野と確かな展望、そこに生じる力学や相互作用を見抜く洞察、冷静で合理的な思考、強い意志と的確な決断、自制心と規律、組織を動かす優れたコミュニケーション能力など、優れた人材を育成し、そのような人材を適材適所に登用する、教育と登用の仕組みを構築することが求められます。ここで注意すべきは、全てを統括する立場にあるもの者は、これまで述べてきたように、優れたジェネラリストであるべきだということです。齋藤氏は「次世代を育てる教育に、とりわけ、ジェネラリストを育てる教育にもっと多くの現世代の人々が関心をもたねばならない。(p171)」と結んでいますが、まさに激動の時代だからこそ、志の高い優れたジェネラリストが求められ、またそのような人物が登用されるようであるべきと考えます。ひるがえって旧日本帝国陸海軍は、ジェネラリストの払底という点において人材の兵站に失敗し、組織の構造が硬直化を招き、そして本来の目的、大義を果たすための機能を失ったといえましょう。

関連:事故米の転売先リスト

上記関連10月の悪夢と事故米

参考コラム:【自立】アメリカの占領が終わる日本イギリスですらペイオフできず

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2008年9月16日

組織の崩壊と機能の維持 (1) 組織の維持とは

組織の維持とは

およそ、組織というものには目的があります。そして、その目的を果たすための機能があります。機能を維持するためには、維持するための努力が必要です。一度作ってしまえば、あとはメンテナンスフリー、というわけにはいきません。組織が維持すべきは目的を果たすための健全な機能であって、組織の構造自体や体面、ましてや利権ではないのです。夫婦は夫婦の機能を維持し高めるべく互いに努力するのであって、夫婦という体裁や体面を維持するのではありません。学校は学校が持つ本来の目的を果たすべく、その機能の質と健全性を維持向上させるために努力すべきで、学校の体制や体面を維持するのではありません。病院は病院の目的を果たすためにその機能を維持するのであって、病院の体制を維持するのではありません。もちろん、国家国政を運営する官僚機構もまた然りです。

組織が構成されているということは、エントロピーが低い(つまり凝集している)状態なわけですから、エネルギーを投入して維持しようとしない限り、エントロピーは低くなる、つまり拡散する、崩壊するものなのです。そこで組織を維持しようとすれば、維持する努力が必要になるのですが、ここで注意しなくてはならないのは、その維持の努力が、「機能」に向けられるのか「構造」に向けられるのか、ということです。

ところで、「機能」と「構造」は相互的なものです。より良く、つまりより合目的的に機能するよう、構造があります。水泳選手は速く泳ぐという機能にふさわしい体つきになりますね。機能は構造を求め、構造は機能を支えるといえましょう。しかも、その「機能-構造体」は何時如何なる場合にも成り立つというものではありません。その機能ー構造体が最適に機能するのは、その状況の下においてのことなのです。一般に、私たちが当たり前に思っていることも、ある条件下において成り立つものであって、多くの場合絶対というものではありません。平行ではない2つの直線は1点でしか交わらない、というのは平面上においてしか成立しないというのと同じです。機能ー構造体においても、その最適性は条件に依存するといえます。

機能ー構造体は、環境あるいは状況という外的条件の中にあります。そして外的条件の影響を受け、外的条件に影響を与えます。人体という機能ー構造体なら自然環境、社会環境の中にあり、その影響を受けまたそれに参与します。会社組織なら社会情勢の中にあり、国家組織なら世界情勢、地球環境の中にあります。これら、個人、組織、社会、地球はそれぞれ互いに影響しあい、そのため絶えず変化しています。

行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく 止 とゞ まる事なし

条件の変化が少なければ、その機能ー構造体を大きく変化させる必要はありません。むしろその構造を変えないほうが適切です。しかし、機能ー構造体を取り巻く環境・状況が常に変化しているのですから、条件は変化しているわけです。かつてはこの条件下で最適であった機能ー構造体も、時代がくだって条件が変われば適切性を失います。この時、機能の最適性を維持しようとすれば構造を変えねばなりません。逆に構造を維持することにとらわれれば機能を失います。本来、目的を果たすための機能であり、その機能を支持するための構造であったわけですから、構造を維持しようとして機能を失い、目的を果たせなくなるのは、本末転倒です。ところが社会組織においては、構造を維持するなかで利益(報酬、勲章、名誉、生活保障など)が発生しているので、条件が変わり機能維持のため構造を変えなければならない状況になってもなお、その構造を維持しようとします。ひらたくいえば、利権が発生している組織は硬直化しやすく、状況が変化し、本来の目的を果たせなくなろうとしてもなお、変わろうとしない、ということです。

会社だったら、組織が硬直して時代の変化に対応できず、社会的使命を果たせなくなったとしても、また別の会社が勃興するということでいいのでしょうが、これが国家となると事は重大です。まして文明となればさらに深刻で、現在の炭素文明がまさにそういう岐路にあるわけです。もちろん、炭素文明に寄りかかっている世界の国々も否応なくそういう局面に直面しています。世界でも有数の炭素消費国、日本であればなおさらです。しかし、世界第二位の経済大国として成功した現在の日本は、その成功体験ゆえに構造が硬直化し、この激動の時代にあってなお構造を変えることができず、まさに機能を失いつつあるように見えます。

参考コラム陣形 ラムダ

関連コラムこの世は平家物語の如し アメリカの金融システムが崩壊寸前

2008年8月 6日

東京原発

「東京原発」は広瀬隆著の『東京に原発を!』を基に製作され、2004年に公開された映画です。
多くのシーンは会議室でのやり取りであり、都内のロケシーンであっても派手な仕掛けがあるわけでもないので、この映画の制作予算が限られていることは明らかです。にもかかわらず、その脚本の妙と俳優さんの味で、見事な社会派エンターテイメント映画、あるいはエンターテイメントの形をとった反原発の教育映画、風刺映画に仕上がっています。

物語は、財政再建を目指す東京都知事が、東京に原発を誘致しようとするところから始まり、役所広司さん扮する東京都知事のワンマンぶりがコミカルに描かれています。劇中では都知事に原発がいかに都の財政に寄与するかをアピールさせつつ、原発推進のためのバラマキ政策や、電気を人質にした脅迫、都市の電気のために地方に原発の負担を負わせている現状、電力会社の借金体質、原発のエネルギー効率の悪さ、六ヶ所村再処理施設の不適切性に言及させて問題提起をしていきます。ドラマが佳境に入るのは原子力発電の専門家である東大教授の登場からで、原子力安全委員会の専門家の軽薄なバカっぷりとこの教授の冷静な解説を対比させつつ物語は進みます。ここがこの映画の狙いだと思うのですが、賛成反対相行き交う都庁幹部たちと、原子力の専門家である教授とのやりとりという形を借りて、原子力発電所についてや国の原子力政策の欺瞞をレクチャーしていきます。

まずは原発と地震との関係について触れます。原発が『関東大震災の3倍の地震にも耐える』という言説の欺瞞について明かしてゆきます。一般建築の耐震基準は関東大震災の被害から算出した200ガル(ガルは加速度の単位)であり、浜岡原発の耐震性能はその3倍の600ガルであること(他の原発は平均でだいたい400ガル程度)が示されますが、そもそも200ガルというのは震源である相模湾から50km離れた都心での被害状況から推定されたものであり、横浜川崎は900ガルの揺れであったと推定されることが明らかにされます。阪神淡路大震災では最大820ガル以上あったとされます。優に浜岡原発の耐震性を超えています。

次に、原発を止めれば停電するという誤解について明らかにしていきます。『日本の電力の1/3は原子力でまかなっている』と言えば、原発が止まれば電力不足になるという印象を与えますが、実際には水力・火力はその発電能力の2割から4割しか使っていないので、その発電能力を存分胃利用すれば原発を止めても補える、というのです。現在の生活はすでに原発に依存しており、もはや原発は欠くことができないという私たちの思い込みは、実は誤解である(あるいは洗脳である)というわけです。

物語はその後、ウラン資源の枯渇や、日本の原子力開発予算がオイルショックの20年前、原爆投下から10年も経っていないうちから始まっていることにも触れ、放射性廃棄物の処理問題、核拡散、テロの危険、プルサーマルの欺瞞、放射線被曝・放射能汚染の危険性、最終処分の困難さについて言及してゆきます。

物語はこのあたりから急展開を見せ始めますが、それは見てのお楽しみ。

■「東京原発」に対する反論

「東京原発」のオフィシャルサイト(http://www.bsr.jp/genpatsu/)を見ますと、「全日本原発MAP」のページがあります。この地図の情報は「原子力市民年鑑2003(原子力資料情報室 編)(http://cnic.jp/)」より抜粋したとのことですが、このサイトは原発に反対する立場のサイトのようで、「東京原発」の劇中で語られる原発に関する言説もこういった反対の立場からのものと思われます。

これに対し、この「東京原発」に対する反論もあります。「エネルギー問題に発言する会(http://www.engy-sqr.com/)」というサイトには『映画「東京原発」にみられる間違い(http://www.engy-sqr.com/watashinoiken/iken_htm/ogasawara_tokyogenpatu.htm)』と題する意見が寄せられています。ちなみに、この「エネルギー問題に発言する会」の会員名簿を見てみますと、三菱、日立、東芝といった原発メーカー御三家、東電など電力会社、ゼネコンなどそうそうたる顔ぶれが名を連ねています。

『映画「東京原発」にみられる間違い』という意見によりますと、この映画では誤った情報が語られていて、いたずらに原発に対する恐怖心を煽りかねず、いくら娯楽映画と言えど看過できないと、劇中の表現を一つ一つ取り上げて反論しています。その中にはもっともな指摘もありますが、反論というより異論というべきものであって、決して物語中の主意を否定するものではないものもあります。

例えば、劇中の「世界中の増殖炉計画も危険すぎて廃止されている」との表現に対して、「日本だけでなく露、仏、中、韓、インドで開発計画が進められている」と指摘しています。開発計画が進められていることと廃止されていることは並立することなので、これは一方だけでなく他方も並記する指摘といえましょう。私にしてみれば、露、仏、中、韓、インドが開発していることが安全性を担保するものであるとは思えませんが。

また、「昭和29年の国会における初めての原子力予算審議が何の議論も批判もなく抜き打ち的に行われた」との表現に対し、「反対派も存在したが、共産、社会党も賛成し珍しく全員一致で通った国会史上稀な例であった。戦後日本で禁じられていた原子力研究が許可されることで国を上げて歓迎した」と指摘しています。『抜き打ちじゃない』ということを主張しているのだと思うのですが、戦後10年にも満たない時点といえば、そこにアメリカの意志が関与しないわけがないでしょう。そこで全員一致で通ったというほうがなんか危ういように思います。それに全員一致だったから正しいというものでもないでしょう。世の中には「全員一致は無効」という考え方もあるようですし。

他にも多くの点に関して指摘をしていますが、私としては劇中の主張を覆すものとは思えないものも少なくありません。これ以外にも原子力に関する言説には賛否さまざまな意見があります。原発推進派の人も様々で、真剣にエネルギー問題を考え、科学技術の力を信じてなんとか問題を解決しようと努力している人もいるでしょうし、巨大利権にぶら下がっている人もいるでしょう。反対派もその背景は様々だろうと思います。そこは推進派・反対派双方のプロパガンダ戦の最前線にあるという印象を受けます。

■原発と地震

ところで、この『映画「東京原発」にみられる間違い』という意見では、一番最初に原発の耐震性についての間違いを指摘しています。それによると、浜岡原発の設計地震加速度600ガルとは、地面を硬い岩盤まで掘り下げた時の解放基盤での加速度であって、地表で測定された関東大震災の900ガル、兵庫県南部沖地震の820ガルと同列には論じられない。解放基盤で600ガルを記録する際の地表の加速度は1300ガルとなる、というもので、間接的に浜岡原発は1300ガルに耐える耐震性で設計されていると言っているようです。

ところが先月、今年6月の岩手宮城内陸地震の際に記録された地表の加速度は、これまで最高の4022ガル(!)であったというニュースがありました。

岩手・宮城地震の加速度、国内最大4022ガル
http://www.asahi.com/special/08006/TKY200806160072.html
2008年6月16日11時9分
 岩手・宮城内陸地震の震源に近い岩手県一関市で、防災科学技術研究所の観測網が国内最大の4022ガルの加速度を観測していたことがわかった。重力の加速度は980ガルで、上下方向でこの値を超えると地上のものが浮くことになる。これまで04年10月の新潟県中越地震の余震のとき同県川口町で気象庁が観測した2515.4ガルが最高だった。

 観測地点では上下方向に3866ガルが記録され、これに東西と南北の水平2方向を合わせ、4022ガルになった。水平方向より上下方向の変動が大きく、観測地点は断層沿いで、地盤がもう一方の地盤に乗り上げた側の直上だった可能性があるという。

 今回は、地震を起こした断層に極めて近いところに観測点があったため大きな値が観測された。防災科研は「断層の真上がどのように揺れるかを観測できた基本的な記録で、今後の地震対策のための貴重なデータになる」としている。

もうこうなると、600だとか、900だとか、あるいは地表なら1300ガルだというのも、なんだか馬鹿馬鹿しくなります。断層直上なら4000ガルもあり得るということが示されてしまったのですから。

今年は地震の当たり年なのか、やたらと地震が多いように感じます。しかも近年起こった地震の近くにはなぜか原子力施設(核施設)があるような気がします。茨城沖群発地震というと、東海第二原発、東海村再処理施設。岩手宮城南部地震というと、女川原発。今回の岩手青森地震はいうと、東通原発、六ヶ所村核処理施設。昨年の新潟県中越沖地震では柏崎刈羽原発で火事があったことは記憶に新しいところです。海外に目を向ければ、四川大地震もまた支那の核施設が集中していたところだという話しもあります。こうしてみますとなんか核施設があるところで地震があるとすら感じます(ちょっと"陰謀論"とか"オカルト"みたい)。

核施設と地震との関係について、以下の可能性が考えられます。
1.核施設と大規模地震には有意な相関はない。そう見えるのは気のせい。
2.核施設と大規模地震には有意な相関はあるが、それはまったくの偶然。
3.核施設の好適地と大規模地震が起きやすい地域が重なっている。
4.核施設が大規模地震を誘発している。
5.大規模地震の起こるところを選んで核施設を作っている。
6.核施設の近くを狙って大規模地震を起こしている。
さて、どれでしょう?


■人が扱うべきではない技術

「東京原発」は娯楽映画としてもよくできています。広く多くの人に見ていただきたいものだと思います。しかし「東京原発」がテレビで放映されることはないでしょう。理由は、日本のテレビの成り立ちと日本の原発の成り立ちについての私の妄想です。どちらも日本に埋め込まれた軛のようなものではないかという気がします。

では、私自身の意見はどうかといいますと。「原発は廃炉の方向。他のエネルギーに置き換えてゆくべき」と考えます。理由は、一つには核廃棄物の問題。もう一つには地震の問題です。解決のつかない問題を子孫に積み残すのは罪だと思いますし、原発は直下型地震に耐えられないと思うからです。それに安全管理の問題もあります。私は基本的に人間のやることに絶対安全などない、完全な管理などないと思っています。日本の原発の安全管理は世界最高水準だと宣伝されます。おそらく現場の人は一所懸命に頑張っていることでしょう。仮に現在の日本の安全管理が非常に高いクオリティだとして(それでも不測の事態は起こりうると思いますが)、それが他の国においてもそのクオリティが維持されるのでしょうか。日本の財政が破綻して貧乏になってもそのクオリティは維持されるのでしょうか。日本の人口が減ってもそのクオリティは維持されるのでしょうか。石油が枯渇してもそのクオリティは維持されるのでしょうか。日本人がすさんで人の質が低下してもそのクオリティは維持されるのでしょうか。

原発は"万が一"の際のリスクが大きすぎます。人が扱うべき技術ではありません。

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