【総集編】逝きし世の面影

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー) (単行本(ソフトカバー)) .渡辺 京二,平凡社,2005.

 かつてこの国に確かに存在し、いまはすでに失われてしまった文明があります。

 この本は、渡辺京二氏による著作で、1998年秋に葦書房より初刷され、現在では平凡社より刊行されている大冊でして、江戸時代の末期から明治時代の初期にかけて日本を訪れ、その比類なきユニークな文明を体験した欧米人の手記や書簡をつぶさに検証し、当時の日本がどのような習俗や価値観をもって存在していたかをまとめ上げたものです。

 今回、私がこの本を取り上げましたのは、この中で浮かび上がる150年前の日本の様子が、今後の日本の在り方を模索するにあたって、何らかの参考になるのでないかと考えるからです。古来、日本はさまざまな文明や思想を受け入れ、取り入れ、それを自らのものにしてきました。自ら求めたものもありましょうし、そのように仕組まれたものもありましょう。仏教、支那の諸家、近代西洋思想、アメリカングローバリズム…。しかし、何時の頃からか古来より日本を貫いてきただろう価値観が失われ、今では利己主義拝金主義がまかり通り、幅をきかせるようになってしまったようです。(私個人は、日本古来の価値観とは、この世に存在する生きとし生けるものを、同じく自然を生きる輩として畏怖敬愛し、対象の内に我と同じ情緒を見出してそれを慮り、生まれそして死んでゆく儚きものを愛おしむ心情、と考えています。)

 しかし、その現在の風潮もたちいかなくなるでしょう。苦しくなれば苦しくなるほど利己主義の嵐はひどくなるでしょうが、それではやっていけなくなると思うのです。その時、私たちは何をモデルにやっていくのがよろしいのか。今までのようにアメリカを手本にすればいいのか、これからは支那に合わせればいいのか…。どちらもよいとは思いません。広く世界に目をむけて参考にするのはいいでしょう。しかしこの国の要石にするべき基準はこの国にこそあると思うのです。この国には、「地上の楽園」「子どもの天国」と評され、人々が自然の中で幸福で満足した生活をしていた文明があった、そこに立ち返り、その場所からこれからの未来を見通してゆくべきではなかろうかと考えます。そして、その名残は子孫の私たちにも地下水脈のように受け継がれているはずであると信じます。

 当人たちにとっては当たり前すぎて特記すべき事ではなくとも、異邦人の目を通してみるとその特徴がより鮮明に浮かび上がることがありますし、そのような特徴こそがその文明の中核的なものであるともいえましょう。ということで、知る人にとってはもはや定番とも言える『逝きし世の面影』をご紹介するとともに、当時の日本をレリーフのように浮かび上がらせる欧米人の言葉をみてまいりましょう。当時日本を訪れた欧米人の感想は好意的なものばかりではありません。批判的なもの嫌悪を感じているものさまざまあり、著者は好悪共に紹介しております。今回はそのなかで私の印象に残った部分だけを抜粋してみました。このコラムでは、著者の文を「 」で、その中で引用されている欧米人による記述を『 』で表すことにします。詳しくはどうぞお買い求めいただいてご覧下さい。私はとても切なくなって目が潤む思いがしました。

 「私はいま、日本近代を主人公とする長い物語の発端に立っている。物語はまず、ひとつの文明の滅亡から始まる」という一節からはじまります。そして渡辺がなぜ、欧米人の目から見た幕末~明治の近代日本という文明をここに描き出そうとするのかを説明しています。これら欧米人の感想は彼らのオリエンタル趣味であって当時の日本をつまびらかに見たものではない、とか、当時の幕府は日本の良い面だけを見せようとしていたので本当の日本は目に映っていない、とかいう反論にも答えながら。

 そしてまず紹介するのは、日本の開国にあたって当時日本を訪れた欧米人が感じた、自分たちがもたらす近代的文明がこの特異で幸せな文明を滅ぼしてしまうだろうという複雑な哀惜の情の記述からです。

『いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。その国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない(ヒュースケン,1857)』
『私は心の中でどうか今一度ここに来て、この美しい国を見る幸運にめぐりあいたいものだとひそかに希った。しかし同時に私はまた、日本はこれまで実に幸運に恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出遭うかと思えば、恐ろしさに耐えなかったゆえに、心も自然に暗くなった(カッテンディーケ,1859)』

 当時日本を訪れた欧米人は、そこに暮らす人々の陽気な様子、幸福そうな様子に目を奪われています。

『この町でもっとも印象的なのは(そしてそれはわれわれの全員による日本での一般的観察であった)男も女も子どもも、みんな幸せで満足そうに見えるということだった(オズボーン)』
『封建制度一般、つまり日本を現在まで支配してきた機構について何といわれ何と考えられようが、ともかく衆目の一致する点が一つある。すなわち、ヨーロッパ人が到来した時からごく最近に至るまで、人々は幸せで満足していたのである(ヒューブナー,1871)』
『誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったりと融けあう。彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しいものを見つけてじっと感心して眺めている時以外は、絶えず喋り続け、笑いこけている(パーマー,1886)』

 また、日本人の丁寧な礼儀正しさや、愛想の良い親切さに心打たれた記述も多く見られます。

『彼らは不信を抱いたりあつかましく振舞うことは一度もなく、ときには道案内のために、世話好きであるが控えめな態度でかなりの道のりをついて来たり、あるいは子供たちにそれを命じたりした(オイレンブルク使節団)』
『もう暗くなっていたのに、その男はそれを探しに一里も引き返し、私が何銭か与えようとしたのを、目的地まですべての物をきちんと届けるのが自分の責任だと言って拒んだ(バート,1878)』
『彼ら(駕籠かきの三人)はあまり欲もなく、いつも満足して喜んでさえおり、気分にむらがなく、幾分荒々しい外観は呈しているものの、確かに国民のなかで最も健全な人々を代表している。このような庶民階級に至るまで、行儀は申し分ない(ブスケ,1872)』
『彼らの無邪気、率直な親切、むきだしだが不快ではない好奇心、自分で楽しんだり、人を楽しませようとする愉快な意志は、われわれを気持ちよくした。一方婦人の美しい作法や陽気さには魅力があった。さらに、通りがかりに休もうとする欧米人はほとんど例外なく歓待され、『おはよう』という気持ちのよい挨拶を受けた。この挨拶は道で会う人、野良で働く人、あるいは村民からたえず受けるものだった(ブラック)』

 彼らは日本の漁村山村の質素さを描いてはいますが、同時にそれは清潔でけっして困窮したものではないことが述べられています。

『柿崎は小さくて貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりしていて、態度は丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏にいつも付き物になっている不潔さというものが、少しも見られない。彼らの家屋は必要なだけの清潔さを保っている(ハリス,1856)』
『この土地は貧困で、住民はいずれも豊かでなく、ただ生活するだけで精一杯で、装飾的なものに目をむける余裕がないからだ(中略)それでも人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物にも困っていない。それに家屋は清潔で、日当たりもよくて気持ちがよい。世界のいかなる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を送っているところはあるまい(ハリス,1856)』
『郊外の豊穣さはあらゆる描写を超越している。山の上まで美事な稲田があり、海の際までことごとく耕作されている。恐らく日本は天恵を受けた国、地上のパラダイスであろう。人間がほしいというものが何でも、この幸せな国に集まっている(リュードルフ,1855)』

 また、手入れの行き届いた農業の様子や、自然の恵みの豊穣さについても、驚きをもって書き記しています。

『日本の農業は完璧に近い。その高い段階に達した状態を考慮に置くならば、この国の面積は非常に莫大な人口を収容することができる(カッテンディーケ)』
『日本人の農業技術はきわめて有効で、おそらく最高の程度にある(メイラン)』
『米沢平野は南に繁栄する米沢の町、北には人で賑わう赤湯温泉をひかえて、まったくのエデンの園だ。“鋤のかわりに鉛筆でかきならされた”ようで、米、綿、トウモロコシ、煙草、麻、藍、豆類、茄子、くるみ、瓜、胡瓜、柿、杏、石榴が豊富に栽培されている。繁栄し自信に満ち、田畑のすべてがそれを耕作する人びとに属する稔り多きほほえみの地、アジアのアルカディアなのだ。人びとは蔓草やいちじくや石榴のかげで、抑圧を免れて暮らしている。アジア的専制のもとでは注目すべき壮観だ。……いたるところに繁栄した美しい村々がある。彫刻のある梁とどっしりとした瓦屋根を備えた大きな家が、柿や石榴にかくれてそれぞれの敷地に建っており、格子棚にはわせた蔓草の下には花園がある。そしてプライヴァシーは、丈の高いよく刈りこまれた石榴や杉の遮蔽物によって保たれている(バード)』

 そして、時として貧しさと映る日本人の質素さは、貧困とはことなる簡素さであることを見出しています。

『日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。すなわち、大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない(カッテンディーケ)』
『彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。ーこれが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる(ハリス,1857)』
『貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない(チェンバレン)』
『金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。……ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである(チェンバレン)』

 日本の習俗については、貧乏人や乞食はいるが悲惨ではないことや、盗難のないことに驚き、飲酒癖に閉口した様子、また、日本人の裸体に対する無頓着さに戸惑い性道徳の乱れと受け取る様子などが描かれますが、そこには互いの信頼と親和を基に世の中が成り立っている当時の日本の様子がうかがえます。

『住民が鍵もかけず、なんらの防犯策も講じずに、一日中家を空けて心配しないのは、彼らの正直さを如実に物語っている(クロウ)』
『私は全ての持ち物を、ささやかなお金を含めて、鍵も掛けずにおいていたが、一度たりとなくなったことはなかった(ムンツィンガー,1890)』
『この人たちは実に日本の大きな魅力である。……幸福で礼儀正しく穏やかであり、温和しい声で何時もニコニコしながらお喋りをし、ちょっとしたことからも健やかな喜びを吸収する恵まれた素質を持ち、何時間となく続けてトボトボ歩いてあちらこちら見物しても、決してへばらない羨ましい身体と脚を持っているなどの点で、日本の楽しい群衆にひけをとらないものがあると公言できる国など何処にもあるまい』『日本の庶民はなんと楽天的で心優しいのだろうか。なんと満足気に、身ぎれいにこの人たちは見えることだろう(パーマー)』
『これ以上幸せそうな人びとはどこを探しても見つからない。喋り笑いながら彼らは行く。人夫は担いだ荷のバランスをとりながら、鼻歌をうたいつつ進む。遠くでも近くでも、『おはよう』『おはようございます』とか、『さよなら、さよなら』というきれいな挨拶が空気をみたす。夜なら『おやすみなさい』という挨拶が。この小さい人びとが街頭でおたがいに交わす深いお辞儀は、優雅さと明白な善意を示していて魅力的だ。一介の人力車夫でさえ、知り合いと出会ったり、客と取りきめをしたりする時は、一流の行儀作法の先生みたいな様子で身をかがめる(アーノルド,1889)』
『日本には、礼節によって生活をたのしいものにするという、普遍的な社会契約が存在する。誰もが多かれ少なかれ育ちがよいし、『やかましい』人、すなわち騒々しく無作法だったり、しきりに何か要求するような人物は、男でも女でもきらわれる。すぐかっとなる人、いつもせかせかしている人、ドアをばんと叩きつけたり、罵語を吐いたり、ふんぞり返って歩く人は、最も下層の車夫でさえ、母親の背中でからだをぐらぐらさせていた赤ん坊の頃から古風な礼儀を教わり身につけているこの国では、居場所を見つけることができないのである』『この国以外世界のどこに、気持ちよく過ごすためのこんな共同謀議、人生のつらいことどもを環境の許すかぎり、受け入れやすく品のよいものたらしめようとするこんなにも広汎な合意、洗練された振舞いを万人に定着させ受け入れさせるこんなにもみごとな訓令、言葉と行いの粗野な衝動のかくのごとき普遍的な抑制、毎日の生活のこんな絵のような美しさ、生活を飾るものとしての自然へのかくも生き生きとした愛、美しい工芸品へのこのような心からのよろこび、楽しいことを楽しむ上でのかくのごとき率直さ、子どもへのこんなやさしさ、両親と老人に対するこのような尊重、洗練された趣味と習慣のかくのごとき普及、異邦人に対するかくも丁寧な態度、自分も楽しみひとも楽しませようとする上でのこのような熱心―この国以外のどこにこのようなものが存在するというのか(アーノルド)』

 また、日本を訪れた欧米人は、日本の生活用度の品々の多様さと、そこに凝らされた名もなき職人による趣味性に魅せられます。

『日本の職人は本能的に美意識を強く持っているので、金銭的に儲かろうが関係なく、彼らの手から作り出されるものはみな美しいのです。……庶民が使う安物の陶器を扱っているお店に行くと、色、形、装飾には美の輝きがあります』『ここ日本では、貧しい人の食卓でさえも最高級の優美さと繊細さがある(ベーコン)』
『ヨーロッパ人にとっては、芸術は金に余裕のある裕福な人々の特権にすぎない。ところが日本では、芸術は万人の所有物なのだ(ヒューブナー)』
『田舎の旅には楽しみが多いが、その一つは道路に添う美しい生垣、戸口の前の奇麗に掃かれた歩道、室内にある物がすべて小ざっぱりとしていい趣味をあらわしていること、可愛らしい茶呑茶碗や土瓶急須、炭火を入れる青銅の器、木目の美しい鏡板、奇妙な木の瘤、花を生けるためにくりぬいた木質のきのこ。これ等の美しい品物はすべて、あたり前の百姓家にあるのである(モース)』
『この国の魅力は下層階級の市井の生活にある。……日常生活の隅々までありふれた品物を美しく飾る技術(チェンバレン)』

 日本は封建的な社会だ、専制的な支配が行われているという知識をもって来日した欧米人は、一様に民衆の自由闊達さとのびのびとした生活ぶりに驚き、日本の“専制支配”の実態を知ります。

『日本を支配している異常な制度について調査すればするほど、全体の組織を支えている大原則は、個人の自由の完全な廃止であるということが、いっそう明白になってくる』『個人が共同体のために犠牲になる日本で、各人がまったく幸福で満足しているようにみえることは、驚くべき事実である(オリファント)』
『絶対専制支配が行われている日本において、個人は時に立憲的なヨーロッパ諸国家においてよりも多くの権利をもっていた(ヴェルナー)』
『江戸には現に二つの社会が存在していて、一つは武装した特権階級で、広い城塞の中に閉じこめられており、もう一つは武器は取り上げられ前者に屈服させられているが、自由から得られる利益をすべて受けているらしい(アンベール)』
『日本人は完全な専制主義の下に生活しており、したがって何の幸福も満足も享受していないと普通想像される。ところが私は彼ら日本人と交際してみて、まったく反対の現象を経験した。専制主義はこの国では、ただ名目だけであって実際には存在しない』『自分たちの義務を遂行する日本人たちは、完全に自由であり独立的である。奴隷制度という言葉はまだ知られておらず、封建的奉仕という関係さえも報酬なしには行われない。勤勉な職人は高い尊敬を受けており、下層階級のものもほぼ満足している』『日本には、食べ物にこと欠くほどの貧乏人は存在しない。また上級者と下級者との間の関係は丁寧で温和であり、それを見れば、一般に満足と信頼が行きわたっていることを知ることができよう(フィッセル,1833)』
『日本人は身分の高い人物の前に出た時でさえめったに物怖じすることのない国民』『青少年に地位と年齢を尊ぶことが教えられる一方、自己の尊厳を主張することも教えられているのである(スエンソン)』
『日本の上層階級は下層の人々を大変大事に扱う』『主人と召使の間には通常、友好的で親密な関係が成り立っており、これは西洋自由諸国にあってまず未知の関係といってよい(スエンソン)』
『いたるところに見かけるこの礼儀正しさのなかに、私は民主的―ほかに適切な言葉がない―と呼んでもよさそうなものを感じる。下の者が礼節や服従の義務を果たした後で、明らかにそれとわかる個人的な興味を物事に示す様子を見て私はそれを感じる(ラファージ)』
『卑屈でもなく我を張ってもいない態度からわかるように、日本のあらゆる階層が個人的な独立と自由を享受していること(バート)』

 日本を訪れた欧米人がすべからく感じたことが、日本は『子どもの楽園(オールコック)』であるということです。日本の子供はみな幸福そうで可愛らしく、日本人は子供をとてもよく可愛がるという印象を持ったようでした。

『私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい(モース)』
『私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊技を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することがない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子に誇りをもっている…(バード)』
『私は日本の子どもたちがとても好きだ。私はこれまで赤ん坊が泣くのを聞いたことがない。子どもが厄介をかけたり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。英国の母親がおどかしたりすかしたりして、こどもをいやいや服従させる技術やおどかしかたは知られていないようだ(バード)』
『怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小言を聞かされたりせずとも、好ましい態度を身につけてゆく』『彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、誤ちを隠したりはしません。青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです』『それでもけっして彼らが甘やかされてだめになることはありません。分別がつくと見なされる歳になると―いずこも六歳から十歳のあいだですが―彼はみずから進んで主君としての位を退き、ただの一日のうちに大人になってしまうのです(フレイザー婦人)』
『十歳から十二歳位の子どもでも、まるで成人した大人のように賢明かつ落着いた態度をとる(ヴェルナー)』

 欧米人は、日本を訪れるその船上からすでに日本の景色に魅せられ、日本の自然景観の美しさと、それに調和する日本の家屋の様子を、手放しで賞賛しています。

『郊外の美しさはたとえようがない。どこに足を向けようと豊饒ですばらしい景観だった(ベルク)』
『苔むす神社に影を落としている巨大な杉の樹。言いようもないほど優美な幾何学的曲線を描く円錐形の火山。油断なく飛び石伝いに渡らなければならない渓流。蜘蛛の糸のように伸びて一歩踏むごとに震える吊り橋が懸かる深い谷川。野の花が絨緞のように敷きつめ。鶯や雲雀の啼き声が響き渡り、微風の吹く高原。霧が白い半透明の花輪となって渦巻く夏山。深紅の紅葉と深緑が交錯する谷間。その谷間から上を見上げれば、高く聳える岩壁は鋭い鋸歯状の線を描き、青空をよぎっている。ー確かに日本の美しさは、数え上げれば堂々たる大冊の目録となるであろう(チェンバレン)』

 また、日本人が動物とどう付き合っているかも興味深いものだったようです。日本人にとって身近で生活する動物は、共に暮らす輩という存在だったようで、家畜家禽を食することはもちろん殺すということも、まるで家族を失うかのように受け入れがたいことだったようです。

『日本の犬はあまやかされている。彼らは道路の真中に寝そべって、道をあけるなんて考えもしない。気のよい人力車夫たちは、かれらにぶち当てるなどけっして考えつきもせず、つねに車を片側に寄せる。そして犬を叱るが、犬の方は尾を振る始末(マクレイ)』
『どの村にも鶏はたくさんいるが、食用のためにはいくらお金を出しても売ろうとはしない。だが、卵を生ませるために飼うというのであれば、喜んで手放す(バード)』
「黒い牡牛を一頭購入した。値段はすぐに折合いがついたのだが、やがて牛が食用に供されるのだと知った島民は『断固として商売を拒否した。彼らが言うには、牛が自然死するまで待つのであれば売ってよいが、屠殺するのなら売らないというのであった(ブラントン)』」

 それに関連して、日本人の生死観について注目し、死を恐れないこととともに生についても逞しい様子が描かれています。

『日本人の死を恐れないことは格別である。むろん日本人とても、その近親の死に対して悲しまないというようなことはないが、現世からあの世に移ることは、ごく平気に考えているようだ(カッテンディーケ)』
『死は日本人にとって忌むべきことではけっしてない。日本人は死の訪れが避けがたいことと考え、ふだんから心の準備をしているのだ(ヴェルナー)』

『日本人とは驚嘆すべき国民である! 今日午後、火災があってから三十六時間たつかたたぬかに、はや現場では、せいぜい板小屋と称すべき程度のものではあるが、千戸以上の家屋が、まるで地から生えたように立ち並んでいる。……女や男や子供たちが三々五々小さな火を囲んですわり、タバコをふかしたりしゃべったりしている。かれらの顔には悲しみの跡形もない。まるで何事もなかったかのように、冗談をいったり笑ったりしている幾多の人々をみた(ベルツ)』

 欧米人にとっては、何事か起こった際の日本人の沈着冷静さ、取り乱すことのない胆の据わった様子も驚嘆すべきことだったようで、

「デュバールはさらにこんな話も追加している。彼は政府高官の屋敷に招かれて、その夜そこに泊まった。隣室は夫人の部屋だったが、夜中その部屋で何人かの足音や話し声がした。翌朝デュバールは、主人から『昨夜はお耳障りでしたでしょう。家内が男の子を産んだのです』と聞かされた。『足音や小声はたしかに聞こえましたが、つらそうなお声のようなものには、まったく気づきませんでした』と答えながら、かれは信じられぬ気分だった。夫人に会ってその勇気を賞賛すると、彼女は言下に答えた。『このようなときに声を立てる女はバカです』。われわれはむろん、そのようなときに声を立てる女がバカでも何でもないことを認めるべきだろう。しかしこの自制と沈着には、やはり人の胸を打つものがあったのである」

ということが紹介されています。

 こうしてみますと、江戸末期~明治初期の日本は階級社会ではあっても支配者ー奴隷社会ではけっしてなく、それぞれの身分を承知した上で、その身分に応じた務めを互いに果たしていたように見えます。武士階級は奢侈贅沢、華美傲慢になることなく、節度と自制をもって自らを律していたのだろうと思われますし、庶民は庶民で身分に応じた自らの務めを果たすことに誇りをもち、自由な精神と独立心もって主体的に生きていたように感じられます。そして、互いへの信頼と親和によって結びつき、自然とともに生きることに喜びを感じて生き生きと暮らしていた様子がうかがえます。

 ここであらためて申し上げておきたいのは、私は当時の日本は素晴らしいから当時に戻ればいいとか、当時を目標にしようと主張しているわけではありません(男女混浴が当たり前を今日主張しても、過半数の賛同は得にくいでしょう)。確かにこの本に描かれる日本は素敵だと思いますし、不思議な郷愁と親愛を感じますが、それは残念ながら失われた文明なのです。今私たちは、資源とエネルギーを大量に消費する文明からの転機に立っています。これから先どういう世の中を指向してゆくのがよいのかを考える上で、日本の今の現状に軸足を置いてそこから未来を展望するよりも、かつてこの国に存在した、自然と調和し質素でありながら豊饒なる喜びにあふれた文明に立ち位置を置いて、そこから未来を展望してみるのが適切ではなかろうか。そのように思うのです。そしてまた、かつてこの国に存在した文明は、世界中の地域や人々においても通じる普遍的な価値を内包しているように感じます。

 そういう意味で、一人でも多くのかたにこの本を知っていただき、そこに描かれる私たちの先祖の生き方の有り様を共有できたらと思い、このたびご紹介させていただいたしだいです。私たちはここに描かれている人たちの末裔なのです。


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革命者としてのプロジャーナリストの情報転記





今年も残すところあと僅かとなりました。同じ志を持つ皆が集まって、真剣に世界平和について考えてみませんか?ベンジャミンフルフォードによる“日本をよくするための提案”も発表しますので、皆で意見を交換しあいましょう。この機会にベンジャミンフルフォードと本音で話し合い、交流を深める場にしたいと思います。その他アイディアのある方は積極的にお持ちください。ベンジャミンフルフォードへの質問も大歓迎です!!


尚、会場の都合上、先着80名様で締め切らせていただきます。(※お一人様参加も大歓迎です)

~ベンジャミンフルフォード忘年会~


テーマ: 世界平和のために、日本を変えるために、私達ができることは何か?

日時: 2007年12月27日(木) 19:00~22:00(受付は18時半からです)

場所: 渋谷駅 T‘s salon 2F (東京都渋谷区渋谷1-6-8渋谷井上ビル)

アクセス: JR渋谷駅「東口」より徒歩5分

地図: http://www.tsrental.jp/access/index_salon.html

費用:  4500円 (フリードリンク3時間 軽食付き)

申し込み方法: 氏名、連絡先 、参加人数を明記の上、

          メール(benjaminoffice88@gmail.com)にてお申し込み下さい。

お問い合わせ: ベンジャミンフルフォード事務所 (benjaminoffice88@gmail.com)


追記: 『連山』コラムニストの大物も、参加します。


収益はボランティアコラムニストに還元


コメント

高橋祐助さんのコラムは大好きですが、「この国」という最近の流行語を使うことには賛成できません。以前は「我が国」という表現が普通でした。私はこの「我が国」という言葉の復権が日本人の意識を元に戻す力を持っていると信じます。言葉には言霊(ことだま)が宿っていますので、それを大切にすることが大事だと思います。

不勉強で、「この国」というのが最近の流行語という認識はありませんでした。

たしかに「この国」というと、日本を批判的な立場から客観視するような、どこか斜に構えた響きがあります。かたや「我が国」といった場合、帰属意識と主体的な当事者意識が感じられます。もし、そのような意味で「我が国」という言葉の復権が大事であるとおっしゃるのなら、私もその考えに賛成です。

振り返って思うに、私が「この国」という書き方をしたのかというと、幕末から明治にかけての日本と現在の日本とがずいぶんとかけ離れていると感じましたもので、「この国」とした方がその断絶感を表しうるかと思ってのことだったと思います。

ちょうど「我が家には昔こんな人が住んでいた」というのと「この家には昔こんな人が住んでいた」の違いと申しましょうか。

しかし、「我が国」はよくて「この国」はよくないとなれば、これは教条的にすぎはしまいか、言葉狩りのようなことになってしまったのでは行き過ぎではあるまいか、と思う次第です。前述したような意味であれば、そのご意見には賛成ですが、言葉の使い方は文脈次第ではなかろうかというのが私の見解です。

>たしかに「この国」というと、日本を批判的な立場から客観視するような、どこか斜に構えた響きがあります。かたや「我が国」といった場合、帰属意識と主体的な当事者意識が感じられます。もし、そのような意味で「我が国」という言葉の復権が大事であるとおっしゃるのなら、私もその考えに賛成です。

そういう意味です。最近の日本では「この国」という白けた言葉が安易に多用されているようなのでコメントさせていただきました。