満州国4〔満映〕

満州映画協会は1937年、南満州鉄道と満州国が資本金500万円を50%ずつ出資した国策映画会社であった。制作・映写から映画館の設立まで行い、初代会長は清朝の皇族で女スパイとしても名高い川島芳子の兄愛新覚羅憲圭、実権は満鉄映画製作所出身の林顕蔵専務理事であった。この後、国務院は甘粕正彦を2代目理事長とする。満州の理想である日満親善・五族共和・王道楽土を満州人に教育するため啓蒙映画、日本文化映画、プロパガンダ映画をたくさん制作したが、李香蘭が出るまで人気はなかったようだ。日本の敗戦後は中国共産党により接収され東北電影公司→東北電影制片廠→春電影制片廠となった。満映の技術社員が中国映画の技術指導に数名残ったとされている。

甘粕正彦

陸軍憲兵大尉時代、関東大震災のどさくさに紛れて無政府主義の大杉栄とその内縁の妻伊藤野枝と幼い甥橘宗一を強制連行、殺害、古井戸に遺体投棄した甘粕事件から甘粕正彦は有名になった。一般的には残虐非道な軍人、もしくは日本軍の罪を被ったと言われている。結局のところ誰の命令で行なったのかははっきりしないのだが、甘粕事件は上原勇作によるものだったという裏事情もある。懲役10年を言い渡されていたのにも関わらず3年足らずの服役で出所し予備役となり、翌年夫婦共に官費で2年間のフランス留学をする。信じられない処遇である。渡仏の目的は角田房子の「甘粕大尉」で説明されたものとは違い、画家の藤田嗣治を使った諜報活動であったようだ。

溥儀の護衛など満州事変では多くの謀略工作に加担し、奉天で特務工作に携わる。奉天古陶磁の偽造で満州事変のための軍資金を手に入れたというのである。協和会中央本部総務部長を経て満洲映画協会理事長となる。満州では陰の支配者とも呼ばれ暗黒街のボスのような人物であった。その性格と言動により関東軍などに嫌われる反面、日満の関係者から慕われていたという証言もある。日本人官僚グループとの個人的付き合いがあり、謀略資金は満映から出ていたとも熱河の農民に作らせていたアヘンだとも言われている。陶磁器の模造にしろ何にしろ、何か良くないことで資金を得ていたという黒い噂は耐えないのだろう。終戦の年8月20日早朝、監視役の目を盗み隠し持っていた青酸カリで服毒自殺。辞世の句として詠んだ「大博打 身ぐるみ脱いで すってんてん(大ばくち もともこもなく すってんてん)」は甘粕正彦の人生と満州国の運命を重ねたものである。

李香蘭

満州撫順の南満州鉄道株式会社に就職し、中国語を教えていた父文雄と母アイの間に生まれた山口淑子(よしこ)。父親の方針で幼い頃から中国語を学んでいた。父が撫順炭鉱でゲリラの手引きをしたと疑われ家族で奉天(現瀋陽)へ移住する。親中である父親は、親しい間柄でお互いの子供を養子とする中国の習慣で(戸籍変更を行なう法的な養子ではない)相手の姓で子供に名前を付けることにした。これにより淑子は中国名を2つ得る。奉天で山口家を保護した瀋陽銀行の総裁李際春(元将軍)の義理の娘(乾女児)として李香蘭。天津市長となる潘毓桂の義理の娘として潘淑華となり、潘淑華の名前で北京の女学校に就学した。この頃東洋のマタハリや東洋のジャンヌダルクとも呼ばれ清朝の王女で日本人の養女となった男装の川島芳子(愛新覚羅顕王子)と関わった。

13歳で幼馴染の白系ロシア人リューバ・モノソファ・グリーネッツの薦めでイタリア人オペラ歌手マダム・ポドレソフに師事する。日本語も中国語も堪能なことから新満州歌曲の歌手に抜擢。1938年満州国(日本)の国策映画会社である満映で中国人女優李香蘭(リー・シャンラン)としてデビュー、映画も歌も大ヒットを重ねた。日本・満州では日本語の上手な中国人として大人気であった。1943年には中国映画との合作映画に出演し、主題歌を歌うと抗日意識でこれまた大ヒットとなり抗日的な中国人観衆の心を中国人女優として掴む。日本人であることを告白しようとも考えたが、「中国が今この苦しい時に、あなたが日本人であることを告白したら、一般民衆が落胆してしまう。それだけはやめてくれ」と言われてしまう。北京飯店での記者会見でさゆりに出演した章子怡(チャン・ツィイー)状態で詰問をされた時、「20歳前後の分別のない自分の過ちでした。今は後悔しています。あの映画に出たことを後悔しています。今後、こういうことは決して致しません。どうか許してください」と謝罪する。1944年満映に辞表を出す。中国で三大スターに数えられるほど人気であったが、日本人を慕う中国人女性を数多く演じたため満州国の崩壊後に漢奸(売国奴)の嫌疑をかけられ、上海で中華民国の軍事裁判に掛けられる。漢奸罪で処刑寸前であったが、ソ連の領事館に勤めていたリューバの助けで北京の両親からの戸籍謄本が人形に隠され届けられて日本国籍であることが証明され無罪・国外追放となる。李香蘭の義父である李際春は関東軍の満州国建国に協力したとして戦後漢奸として処刑された。もう一人の養父潘毓桂は漢奸として捕らえられ死刑の判決を受けるが、天津市長時代に私財を投じて災害救助が認められ減刑された。川島芳子は日本人として帰化手続きを行なっていなかったために同じく漢奸として銃殺されている。

帰国後は山口淑子として銀幕に復帰し、Shirley Yamaguchiとしてハリウッド映画に主演したりブロードウェイのミュージカルで主役として出演したりする。 李香蘭は、リー・ロンハンという広東語読みで香港映画で復活させた。日本人外交官と再婚(前夫はイサム・ノグチ)して女優を引退したが、山口淑子としてワイドショーの司会や海外取材をする。日中国交回復の1972年当時の田中角栄首相中国訪問を北京からレポートした。1974年自由民主党から参議院議員に当選、1992年まで環境庁政務次官・参院北方問題特別委員長・参院外務委員・自民党婦人局長などを歴任する。

多くの人を魅了した芸能人としての才能の高さ、多くの人間が死んだ激動の時代を切り抜けた強さは素晴らしい。

満州アーカイブス 満映作品集

満州国の宣伝用に数多く映画が撮られたため満州の視聴覚資料アーカイブは多く残った。国は長くもたなかったが、これによりその歴史は後世に残すことになった。

満州国1〔愛新覚羅溥儀〕

満州国2〔満鉄〕

満州国3〔スパイ〕

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