ASEAN(東南アジア諸国連合)

東南アジア諸国連合(Association of South-East Asian Nations)、略称ASEANは1967年タイ王国バンコクで各国外相による共同宣言(バンコク宣言)で結成された地域協力組織。人口は約5億8千万人とEU(欧州連合)NAFTA(北米自由貿易協定)の人口よりも多い。国連の測では、2030年に7億人、2050年に7億7千万人規模を超える。ASEAN旗は何か親近感を感じるが、旗の縦横比率が日本の国旗と同じで、 四角に対する丸の大きさの比率も同じなのである。 青色は平和と安定、赤色は勇気と活力、白色は純粋さを意味するらしく、円の中央には黄色い団結と結束を意味する稲穂がある。この稲の数は加盟国ごとに増えるらしい。

加盟国と人口

1967年8月8日加盟(結成時)

インドネシア・シンガポール・タイ・フィリピン・マレーシア

1984年1月8日加盟 ブルネイ
1995年7月28日加盟 ベトナム
1997年7月23日加盟 ミャンマー・ラオス
1999年4月30日加盟 カンボジア

結成した加盟国のシンガポールやマレーシア等の地域は欧州の植民地であった。イギリスは、1623年にモルッカ諸島アンボン島で起きたアンボイナ虐殺事件を契機に、東インド諸島から全面的撤退を余儀なくされ、インド経営に専念するが、18世紀後半以降に中国との広東貿易が隆盛し、また19世紀初めのナポレオン戦争の結果、東インドを支配していたオランダの勢力が後退したので再び東南アジアに進出。その橋頭堡となったのがマレー半島である。つまりマレー半島は東インド会社という会社が国を持ち物であったのである。

ぺナン植民地

 インドと広東を結ぶ中継港の必要性を痛感していたイギリス東インド会社は、1786年タイのアユタヤ王朝や外来マレー人勢力ブギス族から国を守るため強力な保護者を必要としていたマレー半島西海岸のクダー王国のスルタンと条約を結びペナン島を割譲させた。ペナン島はイギリス植民地としてプリンス・オブ・ウェールズ島と命名され、ジョージタウンを建設。ペナン島にはイギリス人総督が派遣され、インドのベンガル総督府の管轄下に置かれた。さらに1800年クダー王国からペナン島対岸の土地も割譲させ、ウェルズリー地方と命名。ペナンは自由貿易港となり、急速な発展を遂げた。1801年自由貿易港の指定を解除したために一時衰退したが、海峡植民地成立によって再び自由貿易港となった。ただその経済的繁栄は次第にシンガポールに奪われていった。

マラッカ植民地 

 マラッカ海峡を臨むマラッカの町は、1645年以来オランダの支配下にあったが、フランス革命の余波を受けてオランダ本国がフランスの勢力下に入るとイギリスは1795年マラッカをはじめとするオランダ領東インドの各地を占領。ナポレオン戦争終結後の1818年イギリスは同地をオランダに返還、その後の英蘭協定によってイギリスはスマトラ島西海岸にあった英領ベンクーレン植民地と引き換えにオランダからマラッカを獲得。それまでイギリスとオランダの植民地がマレー半島とスマトラの各地に混在していたが、この協定で両植民地の境界が画定した(現在のマレーシアとインドネシアの国境線の由来)。

シンガポール植民地

 シンガポール島の地政学的重要性に目を付けた東インド会社員トーマス・ラッフルズによって1819年ジョホール王国から割譲された。以後、イギリスはこのシンガポールを自由貿易港に指定して東南アジア貿易の拠点とした。シンガポール港は、中国をはじめとする各地との貿易急増で経済的に台頭。阿片戦争後の1845年香港とシンガポールを結ぶ定期航路も開設。欧州との関係では1869年開通のスエズ運河が遠洋航路の所要時間を短縮。

1826年イギリス東インド会社はこれら3植民地を統合して海峡植民地とし、インドのベンガル総督府の管轄下でペナンに海峡植民地知事が駐在。首府ペナンの人口は1860年に125,000人(ウェルズリーを含む)となり、海峡植民地の中で一番多かった。植民地には中国とインドから移民が流入し労働力を提供したが、中国人の秘密結社が治安上の問題となることもあった。イギリスはマレー半島西海岸のスルタン諸国に産出するスズの利権を確保するため、1876年のバンコール条約以来、ペラク、スランゴール、ヌグリ・ペランゴール及び後背地パハンのマレー系スルタン国に次第に介入。スズを産出しない東海岸のクランタン、トレンガヌやジョホールには興味がなかった。そのためこれら東海岸のスルタン国がイギリスの保護下に置かれるのは20世紀に入ってからである。シンガポール在住イギリス商人たちは海峡植民地のインドへの従属に反対し、インド植民地からの分離と植民地議会の設立を訴えた。その要請に応えるとともに、海峡植民地の財政が印紙法の成立によってバランスが取れるようになったため、1867年海峡植民地はイギリス植民地省の管轄に移された。東インド会社の所管を離れても海峡植民地の名前はそのまま使われたが、ロンドンから直接派遣される新総督はシンガポールに駐在した。1896年イギリスはペラク、スランゴール、ヌグリ・スンビラン、パハンの4カ国を統合してマレー連合州を結成し、統監をクアラルンプールに置いた。ここにおいて、イギリスの直接支配地である海峡植民地とその保護国からなるマレー連合州を構成する英領マラヤが成立。

冷戦やベトナム戦争など地域の政情に関連し、1980年代にイギリスから独立したてのブルネイが加盟したのみであまり大きな変化なく1970年代、1980年代を過ごした。1990年代には4カ国が加盟しASEAN-10と呼ばれるようになったが、最後の加盟国カンボジアは内政事情によりミャンマーやラオスと共に参加予定だったのが遅れた。パプアニューギニアはオブザーバー(出席して議事についての報告などを行なうが議事に参加しない)としての参加。ASEAN側はパプアニューギニアの申請を否定的に受け止めた形である。オーストラリアもまた加盟に興味を示している。東ティモールはオブザーバー・ステータスの獲得、そして加盟国入りを目標にしていると言われるが、インドネシアとの友好関係を重視している加盟諸国は歓迎していない。特にミャンマーは民主化運動家アウン・サン・スーチーの東ティモール支持により反対を表明。

加盟国別人口

国名
人口
インドネシア 2億3,845万人
フィリピン 8,785万人
ベトナム 8,423万人
タイ 6,486万人
ミャンマー 5,430万人
マレーシア 2,613万人
カンボジア 1,380万人
ラオス 560万人
シンガポール 435万人
ブルネイ 35万人

 

東南アジア諸国連合 wikipedia

設立とその背景

ASEANの設立前には、1961年当時のラーマン・マラヤ連邦首相の提唱でタイ・フィリピン・マラヤ連邦(現マレーシア)の3ヶ国で結成された東南アジア連合(ASA)が存在。ベトナム戦争を背景に地域協力の動きが活発化、加盟国間の政治的問題等により機能が停止していたASAに更にインドネシア、シンガポールを加えた新たな機構設立の機運が高まった。またインドネシアの膨張主義的な傾向を抑えようという意図もあったと言われる。マレーシア、フィリピン、インドネシアの包括的な連合構想(各国の頭文字よりマフィリンド構想)。ASAは東南アジア諸国連合設立宣言(バンコク宣言)でASEAN設立をしたことにより解消された。設立の目的は①域内における経済成長、社会・文化的発展の促進。②地域における政治・経済的安定の確保。③域内諸問題の解決とされ、経済・社会・政治・安全保障・文化の面で協力。中国のようにASEAN各国と二国間接触をしようとするものに対し、ASEAN全体で対応をしようとしている。

2005年GDP国内総生産 wikipedia

GDP(MER) 8,619億米㌦
GDP(購買力平価) 2兆4796億米㌦
一人当りGDP(MER) 1,467米㌦(2004年:加盟10ヶ国平均)
一人当りGDP(購買力平価) 4.511米㌦ (2004年:加盟10ヶ国平均)
貿易額(輸出入) 1兆790億米㌦

他の経済圏との比較(2005年)

加盟国数
地域・国名

人口(億人)

GDP値(US$)

一人当たりGDP値(US$)
10 東南アジア諸国連合(ASEAN) 5.50 8,619億 1,079
3 北米自由貿易協定(NAFTA) 4.3 14兆 29,942
27 欧州連合(EU) 4.56 13兆 30,000
6 メルコスール 2.5 1兆 4,000
× 中華人民共和国 13.08 2.3兆 1,702
× インド 11.3 8,002億 678

主な活動

ASEANの主な活動は外相会議であり、第一回外相会議のバンコク宣言より定期閣僚会議を毎年開催することを定めている。設立当初の目的は経済・社会分野での地域協力で、最高決定機関は年次外相会議であった。1973年より欧州共同体(現欧州連合)やオーストラリアとの域外対話を開始。現在はこれに日本・ニュージーランド・カナダ・アメリカ合衆国・大韓民国・中華人民共和国・ロシア・インドを加えた国々が域外対話国と呼ばれている。年次外相会議の直後に拡大外相会議を開催。1975年以降は、外相会議とは別に経済担当閣僚会議を年に1・2回開催。1976年2月にバリ島でASEAN首脳がはじめて一堂に会しASEAN協和宣言が発表され、政治協力がASEANの地域協力の正式な一分野になった。ASEANサミットとも称されるこの会合は、当初不定期開催、1992年のシンガポールにおける会合の時点で未だ第4回目であった。しかし、この第4回首脳会議において、3年毎の公式首脳会議とそれ以外の非公式首脳会議が開催されることが決定され(シンガポール宣言)、1995年以降毎年開催。更に、公式・非公式の区別は2002年に入って廃止。

2005年12月12日、第11回首脳会議がマレーシアのクアラルンプールで開催(第9回ASEAN+3首脳会議および東アジアサミットも併せて開催)、首脳宣言を発表。ASEAN憲章の起草は、ASEAN加盟国の元首脳や有識者の賢人グループに委ねられ、2006年中の制定を目指す。首脳宣言で確認した憲章の骨格には、民主主義の促進・核兵器の拒否・武力行使・威嚇の拒否・国際法の原則順守・内政不干渉などが含まれている。2006年首脳会議の合い言葉は、「一つのビジョン、一つのアイデンティティー、一つの共同体」。5月9日マレーシアの首都クアラルンプールで、ASEANとして初の国防相会議を開催。共同声明は、同会議の目的として「防衛・安全保障分野の対話と協力を通じての地域の平和と安定の促進 」「国防政策、脅威の認識、安全保障への朝鮮に関する相互の信頼と理解の促進」「2020年までのASEAN安保共同体創設への貢献」 を確認。 7月24日から28日まで、クアルンプールで、東南アジア諸国連合(ASEAN)は外相会議、拡大外相会議、ASEAN地域フォーラム(ARF)を開催。 24日、マレーシアのサイドハミド外相は、ASEAN常任委員会でASEAN憲章作成作業が順調に進んでいることを報告し、「ASEAN設立40周年を祝う2007年の首脳会議までに準備したい」と述べた。8月24日、マレーシアのクアラルンプールで、東南アジア諸国連合(ASEAN)に日中韓三カ国とインド、オーストラリア、ニュージーランドを加えた16カ国による初の経済担当閣僚会議が開かれた。日本から参加16カ国による自由貿易協定(FTA)構想が提案され、大筋で合意。2007年1月11日フィリピン中部のセブで外相・経済相会議を開催。外相会議では「ミャンマーの民主化問題については、懸念を表明すると共に、アウン・サン・スー・チーの早期解放を要求することで一致」「北朝鮮の核問題では、朝鮮半島の非核化を求める方針を確認」13日開催の首脳会談では「当初目的より5年前倒しし、2015年に「政治・安全保障」「社会・文化」での連携を深めるASEAN共同体の設立を目指す採択を一致」「ASEANの法的枠組みとして共同体の最高規範となるASEAN憲章制定の必要を謳った。ただし内政不干渉・政治問題に関する決議の多数決か全会一致かについては、ミャンマーの反発などで合意に至らず、見送られた。」「テロ容疑者の引渡し相互協力を定めた対テロ協力協定、移民労働者の権利保護に関する宣言を採択」

ASEAN首脳会議
ASEANの最高意思決定機関。1992年第4回首脳会議で3年毎に公式首脳会議、その他の年には非公式首脳会議を持つことで合意。また、1998年の第6回公式首脳会議において、本会議にあわせてASEAN+3(日本・中華人民共和国・大韓民国)首脳会議を定例開催することで合意。

ASEAN外相会議(AMM:ASEAN Ministerial Meeting)
1967年「バンコク宣言」により設立。政策ガイドラインの策定及び諸活動の調整が主な任務。特別または非公式会議が招集されない限り、ASEANグループの正式な会議として年1回開催。

ASEAN経済閣僚会議(AEM:ASEAN Economic Ministerial Meeting)
1975年にインドネシアで第1回会議を開催、1977年の首脳会議で制度化。ASEAN経済協力強化のための加盟国政府への提言作成。経済協力に関する調整と実施のレヴューを実施。毎年開催。

ASEAN常任委員会(ASC:ASEAN Standing Committee)
ASEAN外相会議閉会後から翌年の外相会議までの一年間における 政策・調整を行う。次回ASEAN外相会議主催国外相を議長とし、ASEAN事務総長及び各国ASEAN国内事務局長により構成。年に5~7回程度開催。

ASEAN事務局
1976年第1回首脳会議で設置決定。1992年事務局強化に合意し、事務総長の昇格、事務局の効率化、スタッフ増員 が決定。中央事務局は常任委員会の下にあり、4局(経済協力局、 機能別協力局、ASEAN協力局、AFTA局)を有す。 本部所在地はジャカルタ。現在の事務総長は、オン・ケン・ヨン前国民議会議長。

政治・安全保障

1.1976年2月東南アジア友好協力条約(TAC):国連憲章に基づき、域内諸国間において平和的な関係を維持・管理するための国際的合意。1992年、国連総会は本条約を承認済み。1976年時点ではASEAN原加盟5ヶ国が条約加盟。1984年にブルネイ、1989年にパプアニューギニア、1992年にベトナム・ラオス、1995年にミャンマー・カンボジアが加盟。

2.1971年「クアラルンプール宣言」として東南アジアに対する域外国の如何なる干渉からも自由、平和かつ中立的な地帯を設立すべく東南アジア平和・自由・中立地帯ZOPFAN(Zoneof Peace, Freedom and Neutrality in South East Asia)構想を採択。

3.1995年12月ASEAN首脳会議でZOPFAN構想実現のための一環として地域の平和と安定の維持、核兵器の不拡散及び軍縮、国際社会の平和 と安全保障への貢献に東南アジア10ヶ国が東南アジア非核兵器地帯条約に署名。1997年3月発効、1998年12月ハノイ宣言及びハノイ行動計画で核兵器保有国の付属議定書への加入につき協議を促進する旨明記。

4.1992年7月第25回ASEAN外相会議で南シナ海における領土主権を巡る紛争について武力不行使、平和的手段による問題解決の原則と関係当時者の自制を明記した南シナ海に関するASEAN宣言を採択。ハノイ宣言にて国連海洋法条約を含む国際法及び右宣言の精神に基づく南シナ海における領有権問題の平和的手段による解決の促進を明記。ハノイ行動計画にて右宣言の署名促進を明記。

5.ASEANの設立精神に基づき、従来からの平和的手段により国境画定すべく努力。ハノイ宣言にてASEAN方式及び国際法・国際慣行による未解決問題の解決及び紛争の発生防止に努力する旨明記。ハノイ行動計画にて加盟国間で未解決の国境画定問題の解決に向けた努力の奨励等につき明記。

経済協力

①経済協力に関する枠組み協定(1992年第4回公式首脳会議) 域内経済協力の方向を定め、そのための一般原則、目的、分野、方式について規定。AFTAの創設も含む。

②AFTA(ASEAN自由貿易地域)域内の関税障壁、非関税障壁を引き下げることにより貿易の自由化を図り、域内経済の活性化を促進。CEPT(共通有効特恵関税)という域内関税制度を用いて、ASEAN6ヶ国(ブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ)は2002年までに、ベトナムは2003年までに、ラオス、ミャンマーは2005年までに原則として域内関税を0~5%まで引き下げ。また、1999年AFTA評議会において全ての産品に対する輸入関税の撤廃目標をASEAN6ヶ国(ブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ)については、2015年、その他については2018年とすることを決定。

③AICO(ASEAN産業協力スキーム)域内での産業協力の強化を目的とし、域内の輸出入品に対し認可ペースでCEPT関税率(0~5%)を適用。CEPTの関税引き下げ措置を前倒し実施。

④サービスに関する枠組み協定(1995年第5回公式首脳会議)金融、海運、電気通信、航空、観光、建設、ビジネス等の分野での自由化を促進。第一パッケージを1996年から1998年までに、また、第二パッケージを1999年から実施。1998年第6回公式首脳会議にて第二パッケージ実施のための議定書に署名。

⑤AIA(ASEAN投資地域)枠組み協定(1998年第30回経済閣僚会議)域内における投資の自由化を促進。内国民待遇を2010年までに他の加盟国の投資家に、また、2020年までに全ての国の投資家に適用。全ての産業への投資を2010年までに加盟国の投資家に、また、2020年までに全ての国の投資家に開放。資本、熟練工、専門家(Professionals)、技術のより自由な移動(Flow)を推進。1998年12月のASEAN首脳会議において、内国民待遇付与の実現目標年を2010年から2003年に前倒しすることを決定。

⑥運輸簡易化枠組み協定(1998年12月の第6回公式首脳会議) 域内における物品の通過面での手続きの簡素化(税関検査、関税の免除)を推進。

⑦相互認証枠組み協定(1998年12月の第6回公式首脳会議)域内の技術的な貿易障壁の削減を促進するために、製品分野毎に相互認証の枠組みを設定し、製品の基準検査結果を加盟国が相互に認証。

域内協力(ASEANビジョン2020)

1996年の第1回ASEAN非公式首脳会議(ジャカルタ)において2020年までのビジョンの起草に合意。1997年の第2回ASEAN非公式首脳会議クアラ・ルンプールにて採択。1998年12月の第6回ASEAN公式首脳会議(ハノイ)において、当初6年(1999~2004年)の実施計画がハノイ行動計画として採択。内容は「今後20余年間における地域の発展及び域内協力を通じた豊かな生活の達成についての展望を示した未来志向の中期計画」「経済協力、政治・安全保障、文化等全ての分野を包括する地域協力の在り方を提示」「現在の経済危機の対応につき、過去30年間におけるASEANの存続と成功を振り返り、未来を指向する必要性を指摘」「対話国・機関との関係強化を重視」など。


域外国との協力枠組み

ASEAN Assoclation of Southeast Asian Nations (東南アジア諸国連合)
ASEAN PMC

ASEAN Post-Ministerial Conferences (ASEAN拡大外相会議)

ASEANが閣僚レベルで域外諸国との間で広範囲な分野に渡る意見交換を実施し、もって相互の友好関係を強化、地域の平和と安定の環境作りを推進。78年6月に日・ASEAN外相会議として開催されて以降、逐次域外国・機関(ダイアログ・パートナー)数を追加。年1回、ASEAN外相会議に引き続いて開催。

ARF

ASEAN Regional Forum (ASEAN地域フォーラム)

1994年7月より開始されたアジア太平洋地域における政治・安全保障分野を対象とする全域的な対話のフォーラム。同地域の政治・安全保障問題に関するオープンな対話と協議を通じて、安全保障の危険を少なくすることを目的とする。閣僚会合は、年1回。第2回閣僚会合では、ARFの中期的な方向性が打ち出され、また、1996年より実務レベルでの各種会合も開催。

APEC Asia-Pacific Economic Cooperation (アジア太平洋経済協力)
PECC Pacific Economic Cooperation Council (太平洋経済協力会議)
SPF South Pacific Forum (南太平洋フォーラム)

ASEM

Asia-Europe Meeting(アジア欧州会議)

1996年3月に、シンガポールのイニシアティブにより、アジアと欧州の関係の強化を目的に、アジア・欧州首脳会議が実現。参加国は、アジア側から、日本、中国、韓国、ASEAN7ヶ国、欧州側から、欧州委員会、EU(15ヶ国)の計25ヶ国及び1機関。その規模は、世界人口の38%、GNPの53.4%。

日本との関係

日本は70年代半ば以降ASEANとの首脳・外相レベル会談を行い、1981年に日本、ASEAN諸国間で東南アジア諸国連合貿易投資観光促進センター設立協定を結んだ。これにより貿易の振興、日本からASEAN諸国への投資と観光客の増大を目標として日本アセアンセンターが設立された。他にASEAN文化基金、日・ASEAN総合交流基金、日・ASEAN学術交流基金、などの各種基金が存在。1997年から日本はASEAN+3(1997年にアジア通貨危機を契機に東アジアが地域協力をするためにASEAN諸国首脳会議に日本・中国・韓国の首脳が招待される形で開始。首脳会議や外相会議を主に開催。)として東アジアの長期安定や発展を担う重要な存在である。2003年は日本ASEAN交流年として様々なイベントが催された。同年12月11日、12日には日本が各国首脳を招いて日・ASEAN特別首脳会議を開催。

*日本・ASEAN首脳会議

第1回は1977年8月、クアラ・ルンプール第2回ASEAN公式首脳会議に際して開催。福田総理大臣が出席。日本はASEANが地域機構として確立していることを認め、ASEANと連携していくことを表明。第2回は1987年12月、マニラ第3回ASEAN公式首脳会議に際して開催。竹下総理大臣が出席。日・ASEAN間における「平和と繁栄のニュー・パートナーシップ」を確認。第3回は1997年12月、クアラ・ルンプール第2回ASEAN非公式首脳会議(ASEAN創設30周年記念)に際して開催。橋本総理大臣より、日・ASEAN関係強化のための3つのイニシアティブを提案。第4回は1998年12月、ハノイ第6回公式首脳会議に際して開催。小渕総理大臣より、21世紀に向けた日・ASEAN協力のための4つのイニシアティブを提案。第5回は1999年12月マニラ第3回ASEAN非公式首脳会議に際して開催。小渕総理大臣より、同年4月に実現したASEAN10を我が国の最も重要なパートナーの1つと位置付け、その発展のための協力及び経済再生基盤強化に向けた協力と情報化時代への対応のための協力を表明。第6回は2000年11月、シンガポール第4回ASEAN非公式首脳会議に際して開催。森総理大臣より、「日・ASEANニュー・パートナーシップ」の重要性を強調し、IT、WTO及び国連改革の分野での協力を提案。日・ASEAN間の一層の強化のために、ASEAN諸国の高校生を対象とする新たな留学プログラムを発表するとともに、日本アセアンセンターのIT化に努める旨表明。 第7回は2001年11月、ブルネイ第7回ASEAN公式首脳会議に際して開催。小泉総理大臣より、日本のASEAN重視政策は変わらない旨強調。IT分野、メコン地域開発、人材育成及び教育への協力を行っていく旨説明するとともに、日本アセアンセンターを通じた貿易、投資、観光面での協力を紹介。 2002年1月小泉総理大臣は東南アジア諸国(フィリピン、マレーシア、タイ、インドネシア、シンガポール)を訪問し、対ASEAN外交に関する政策スピーチを行った。小泉総理は、日本とアセアンとが率直なパートナーとして、「共に歩み、共に進む」協力を推進すべきである旨表明。改革推進による繁栄と安定の確保を追究するとともに、未来のための協力として、①教育、人材育成②2003年「日・ASEAN交流年」③「日・ASEAN包括的経済連携構想」④「東アジア開発イニシアティブ」⑤国境を越える問題を含めた安全保障面での協力等の5つのイニシアティブを提案。

JAPAN-ASEAN COMMEMORATIVE SUMMIT TOKYO, JAPAN 11-12 DECEMBER 2003

*閣僚レベル会合

1978年タイ王国のパタヤにて開催された日・ASEAN外相会議が日本とASEAN諸国による最初の外相会議。1979年以降これはASEAN拡大外相会議の一環として毎年開催。1991年ASEAN諸国側から国際経済情勢一般から産業協力プログラム等幅広い経済問題につき意見交換を行う目的でAEM-METI(日・ASEAN経済産業大臣会議)の招待を受け、1992年よりASEAN経済閣僚会議の一環として毎年開催。1997年12月の日・ASEAN財務相会議で地域の経済・金融問題につき意見交換目的の定期会議の開催を合意。AEM-METIの下部組織として日・ASEAN経済産業協力委員会(AMIECO)が日・ASEAN間の産業協力強化、ASEAN諸国の産業競争力強化、及び新規加盟国への開発支援のために1998年11月第一回会合をバンコクで開催、1999年10月に第2回会合をシンガポールで開催。日本からは経済産業大臣が出席。

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