補給戦
戦争で大切なのは政略結婚で有名な政略、ビジネス戦略としても取り上げられる戦略、野球などでよく言われる作戦、コンバットゲームでよく使う戦術、そして、戦闘協議であると言われている。例としてハンニバル戦争(戦争期間15年)を考えてみよう。
兵力5万人 兵1日に3000キロカロリー、矢は月に30本、馬の飼葉を日20キロとする。
1日 3000円 矢は1本 1万円、飼葉は1.5万円とする
傭兵の給与を考えなくても、兵一人の食事に110万円、矢に360万円、馬に540万円必要
歩兵4万人 40000×(110万円+360万円)×15年=2兆8200億円
騎兵1万人 10000×(110万円×540万円)×15年=9750億円
傭兵賃金や輸送費用を全く考慮にいれなくても4兆円の資金が必要となる。当然ながら市民兵や封建軍と違い傭兵は無償ではよく働かない。ハンニバルはローマ遠征においてスペインやカルタゴからの補給がほぼ得られなかった。ちなみにM.V.クレフェルトの「補給戦」を参考にすれば5万人の維持に必要な小麦は10日で500トン、1月1500トン、年18000トン、ハンニバル戦争全体では27万トンとなる。10トントラックで2万7000台分、100トン積みの輸送船で2700隻分となる。カルタゴが援軍を送るのであるなら常時年に船200隻~300隻をイタリア戦線に送る必要があった。当時のカルタゴ首脳がハンニバルに輸送を行わなかった理由の一つはこの金銭的な問題点が大きかった。必然としてハンニバルはローマ属領又はローマ共和国の荘園からの徴収によってこれを賄った。もし、戦場がスペインやカルタゴ本国での戦闘となれば4兆円の負担とローマ軍の現地挑発と戦場となる事による国土の荒廃によってカルタゴの経済力は早期に瓦解したであろう。事実、第二次ポエニ戦争によるイタリア半島の荒廃はローマ市民である多くの中規模農場経営者が没落しローマ帝国への道が加速した。ハンニバルはカルタゴ人に15年の甘えの猶予を与えその後の歴史を奪った。常に戦場の最前線で戦い戦略的戦術的に優秀なハンニバルだが、弱い人間の本質を理解できなかったのだろう。超人は常に非超人の本質を理解しなければならない。ハンニバルは直接、カルタゴ政府と直談判し、もし補給が得られないならローマと講和し対カルタゴ同盟を結びカルタゴ政府(反ハンニバル派)と戦う決断をするべきであった。ローマがハンニバルと直接戦わなかったのは持久戦略という意味もあったが本質的には恐怖である。十五年に渡り荘園を荒らされれば果樹園や灌漑設備などの農耕は甚大な被害を受ける。復旧は簡単には進まない。それを判ってもなお若い大スキピオ以外は戦いを挑めなかったのは恐怖である。一度、超人と戦った人間には蛇に睨まれた蛙のように金縛りに陥る。日本の原爆への恐怖やロシアのタタールへの恐怖はそれである。新の恐怖はトラウマ(心的外傷)となって長く残る事になる。ローマ帝国はアレクサンドロスの後継なのだ。
序章 戦史家の怠慢 著者M.V.クレフェルト
【補給戦】何が勝敗を決定するのか著者M.V.クレフェルトの序章には戦史家の怠慢というタイトルが付いている。日本の歴史小説家やマスコミ人が特にそうであるが兵士の給与や兵士の食糧、輸送手段に必要な飼葉やガソリンという存在を無視する傾向がある。企業経営者が労働者に給与を支払わなければならないのと同じく、司令官や司令部は彼らに従う兵士達に食事を与えつづけ、剣や矢を補給しなければならず、馬や駱駝や驢馬の飼葉や自動車のガソリンやエンジンオイル消耗物資を調達しなければならなかった。日本の政治家が政治に金がかかるというのはここにある。政治家が事務所を経営するにおいて足で票を稼ぐ歩兵戦術を行うにしてもメディアを使った空軍的電波戦を使うにしても金が必要となる。政略、戦略、作戦、戦術、戦闘協議というのは普遍的に必要となる要素となる。
兵站術とは十九世紀の著名な軍事理論家ジョミニによって、「軍隊を動かす実際的方法」と定義されているが、彼はまたその定義の下に、「補給隊を連続して到着させるように準備をなすこと」および「補給線を確立し維持すること」を包含せしめている。これらを総合すると兵站術とは、「軍隊を動かし、かつ軍隊に補給する実際的方法」との定義到達する。この研究書では兵站術という言葉をそのような意味で用いている。 (略) 戦略は政治と同じく可能性の技術だといわれている。しかしながら可能性なるものは、量的な力とか理想、情報、兵器あるいは戦術によって決定されるばかりではなく、まずもって峻厳なる現実によって決定される。すなわち必需品とか調達可能な補給品、組織や管理、輸送、通信線についての諸現実によって決定される。司令官が作戦行動とか戦闘発起、前進、浸透、包囲、せん滅、消耗など、要するに長々と続く全戦略の実行を頭に描き始める以前に、彼にはしなければならないし当然すべき事柄がある。それは貴下の兵卒に対して、それなくしては兵として生きられない一日当たり三〇〇〇キロカロリーを補給できるかどうか、自分の性能を確かめることである。すなわちそれらの食糧を正しい時間に正しい場所に送る道があるかどうかどうか、また、これらの道路上での移動が、輸送手段の不足あるいは過剰によって妨げることがないかどうかを確かめなければならない。このためには偉大な戦略的才能のみならず、地味なハードワークや冷静な計算が必要になってこよう。この種の計算は絶対必要なのにもかかわらず、想像力に訴えるところがない。軍事史家によってしばしば無視される理由の一つは、このためであろう。
経済戦争と中央兵站システム
日本には中央兵站システムという概念が薄い。これは経済戦争でいうならば海外にいる日系企業に対する決済及び融資網にあたる。常に戦争は河川や海湖、港湾空港設備、軍需品倉庫、道路、鉄道によって制約を受けてきた。経済戦争においても同じである。Cyber ULSの日本人は常に大学(港湾)、教授人脈(河川)、道路(交友富裕層)、鉄道(欧米系銀行)を海外で利用せざる得ない。これは銀行決済網が国内経済戦用には配備されているが渡洋作戦を考えて立案されていないのと同じである。豊臣秀吉が征明作戦に失敗したのは中央兵站システムと補給船団の護衛に失敗したからである。似た事は太平洋戦争にも言えるだろう。歴史小説家が地味で算術的な補給戦について記す事は稀である。その為に大衆民主政治においては正しいかどうかではなく、数がものを言う。予算及び人材は正面戦力である航空機や戦艦戦車に割り当てが多い。しかし、それらを動かすにはガソリンや重油が必要であり、その為には油田産地からの輸送護衛から始まり、精製を追え前線へと再び輸送護衛をしなければならない。全ては算術的に計算しなければならず全面で戦闘が始まればその消耗は幾何数級的に増加していく。司令官か参謀のどちらかには必ず算術能力が要る。但し、理数系を司令官や参謀にするだけで問題が安直に解決するようなものではない。補給戦に実際的に必要なのは異文化とのコミュニケーション能力、交渉能力なのだからだ。
何が現地調達を可能とするのか
古代アレクサンドロス大王は巨大な帝国を短期間で生み出した。ジンギスカンは800年前に世界帝国を作った。ポルトガル海上帝国やオランダ海上帝国、大英帝国などマンパワーが劣る国々が世界の覇権を握った事は少なくない。マスコミによって調教された民衆には覇権国に必要なものは経済力や軍事力だと考えている。しかし、ポルトガルもオランダも経済力も、陸海総和の総軍事力さえ大きくは無かった。彼らが他を圧倒していたのは進出地域におけるコミュニケーション能力である。モンゴル帝国はマルコポーロやシンドバットのようなキリスト教徒やイスラム教徒の隊商や交易船団を保護した。宗教の自由を認め彼らの安全を保障した。どこの国にも自国製造業派と外国交易派に別れる。海外から安い農産品や工業製品が入ってくると自国産業が潰れ失業問題や正貨流出という経済状態になる場合がある。ジンギスカンは巧みに駅伝制度(ジャムカ)を整えて世界を見たいという人々の心を抑えた。モンゴル軍はほとんど戦わず交渉によって現地調達可能な補給源を整えた。日本では織田信長が楽市楽座や関所の廃止によって軍用輸送の迅速化を整えた。織田信長が商業の活性化の為にしたというのは事実ではあるが真の狙いは軍事力の展開速度の向上だったのだ。同じ事はイエズス会のようなキリスト教カトリックに見られる。彼らは中南米やフィリピンなど太平洋の島々で布教活動を行った。日本でもキリシタン大名を生み出した。彼らは貴重な現地補給源先であったのだ。徳川家が鎖国をしたのはこれら海外勢力の補給源を断つという消極的防衛政策だったのだ。私はこれらが好きではないが織田信長が本能寺で倒れた以上は、是非もなく情状酌量の気持ちも持っている。強いコミュニケーション能力の保有者であったアレクサンドロス大王は強い現地調達能力によって巨大な帝国を生み出したが彼の部下にそれを真似ろというのは残酷であった。大王は33歳で死んだのだ。ジンギスカンのように子供や部下を教育する時間がなかったのだ。最近、映画「パイレーツ・オブ・カビリアン ワールド・エンド」というのが世界で公開された。日本でも公開されているだろう。そこには東インド会社というのが悪役として出演している。彼らは国際的な交易や金融を掌る国際通商という嘗ての隊商や通商船団を株式会社化した組織である。彼らは長崎の出島を始め多くの商館を世界に設置した。最初のオランダは三度の英蘭戦争によってイギリスに破れ覇権を奪われた。イギリスは世界に設置した商業ネットワークによって世界の覇権国になったのである。イギリスが中心になって資本主義は帝国主義へと変化し、貧しい人々を中心に富を共有化する共産主義というコミュニケーションと平等な政治的参政権による権力の共有化という民主主義というコミュニケーションが生まれた。ともに西欧合理主義の双子の兄弟といえるだろう。共産主義に共感する国々によってソビエト連邦は世界で現地調達が可能となった。同じく民主主義を標榜するアメリカはその民主主義と資本主義というダブルのコミュニケーション手段によって現地調達先が可能なった。今も、世界で使われているドルや世界中に存在する米軍基地はその証明である。問題なのは産業社会から情報社会に以降によって中心化システムから脱中心化システムに急速に変化している事である。道理の理と利益の利が両立しなければシステムは確実に瓦解する。
国際環境派としてのCyber ULS
Cyber ULSは国際環境派である。地球環境を全世界でよくすることだけを目指し後のことは基本的にはふれない。戦争をしたければすればいいし、貧富の格差があってもよく、共産主義でも、封建制度でも構わない。それぞれ地域の伝統に従い環境最適化すればよいのだ。ただ、戦争を行う場合、両者に可能な限り環境に配慮をするように誘導する。政治的意思を敵対国に強制するのが戦争だとすれば環境問題は為政者には関係ないからだ。国際環境派の敵対勢力として鎖国孤立派がある。北朝鮮がその典型である。北朝鮮の山々は禿山であり多くの人々が餓死している。その血盟同盟国であるイランも同様に多くの問題を湾岸諸国に与えている。その最大のものは核開発である。世界有数の産油国であるイランが原子力発電に固執するのは何故だろうか。我々は環境政策としてこの行動に反対している。もし戦争になれば多くの被爆者がイランを中心に周辺諸国で発生する可能性がある。その被害は非常に大きい。現代の為政者が長期にわたる被害を子孫に与えることは良いことではない。豊富な化石燃料に恵まれているのならそれを活用する道を選択すればいい。世界は地球温暖化という大きな共通の問題を抱えている。Cyber ULSはワイヤードの世界を大陸交路や船団海路として活用している。リアルワールドとして環境被害に苦しむ国々で根拠地を設営している。それらの補給は現地調達が可能である。それは古代のシルクロード隊商やシンドバットのような交易船団、イエズス会の伴天連、オランダの商館、イギリスの東インド会社と同じ性質を持っているからだ。例をあげるならペルシャ湾岸諸国は塩害をはじめ多くの水問題を抱えている。それに対してソフトパワーを持って対応している。また、ヨーロッパはガスパイプラインでロシアとの間で問題を引き起こしている。これらをハイパーハイドライドを持って解決する方向で準備を進めている。鎖国孤立派の力が強い日本は世界から取り残されつつある。その結果、マウスの実験結果と同じく環境制約の増加が凶悪犯罪、疫病蔓延、自殺、子殺し、親殺し、出生率低下を生み出している。
ソフトパワーとしての伝統文化
Cyber ULSが騎兵と呼ぶ集団は古代の騎兵と同じく特殊な能力が必要である。古代において馬は今の自動車以上に貴重品であり貴族層か遊牧民族しか保有していなかった。高い国境突破力であるコミュニケーション能力を保有しているのは民族が陸続きで植民地であった国々だ。彼らは当然ながら宗主国言語とその文化を身につけている場合が多い。旧支配階級と人間関係を持つ人々も多い。ハンニバルでいえばヌミディア騎兵とガリア騎兵がこれに当たるだろう。Cyber ULSでいえば前者が国際環境派のアラブ知識層、後者が国際環境派の欧米知識層となる。少数のヒスパニア殖民貴族を除けば日本は歩兵の産地でしかない。幸運にも他国の植民地にならなかったが故に英語などの外国語能力が低く、ユーラシア大陸の偏狭だった為に多文化の理解能力が足りない。外国人労働者を使うのが非常に下手である。そうなれば日本に出来る手は2つしかない。富裕層子弟を自費での海外での教育を受けされる一方で非富裕層家庭の指定を日本の伝統に基づく産業構造での教育・実習・生涯教育を行うのである。この騎兵と歩兵の連携の戦闘教義こそは日本には効率最大のソフトパワーを生み出すだろう。またこれに対する独自の補給段列である分散型中央兵站システムも必要とされる。この新しい戦闘教義と補給システムを元に立案されるものが作戦であり戦術であり戦略なのである。鉄道と戦争の歴史やマジノ要塞が良いサンプルになるが、古い戦闘教義や補給システムを元に立案された戦略や戦術は有害なだけである。地球環境が悪化して土地が水没した場合や農地が砂漠化した場合を考えよう。Cyber ULSのような国際環境ネットワークに属していれば事前の対策も打てるし移住先も得られる。グローバル教育を受ける事により次世代は親以上に高い能力と生活力を得る事になる。然し、工業型(興行型)の社会に属していれば会社や国家とともに自滅する。それは清王朝の宦官や江戸幕府の新撰組が良い例だ。逆に長崎海軍伝習所の卒業生である榎本武明などは函館戦争の首謀者でありながら赦免され大臣にまで栄達した。歴史の主流派ネットワークに属するかどうかは、クロマニョン人となるか、ネアンデルタール人となるかの選択ぐらい重要なのである。日本人は世界的に見て勝ち組への寝返りが早い民族である。環境破壊企業である工業型(興行型)スポンサーの資金で運営されるマスコミによる洗脳力は環境悪化とともに減衰していく。ある一定水準を割った時点で瓦解するだろう。それは第三次石油危機かもしれないし、第二のニクソンショックになるのかもしれない。もしかすれば嘗て無い規模の大地震や疫病が都市で発生なのかも知れない。しかし、恐れてはならない。悲しんでもならない。それは改革の為に必要な犠牲あり残り超えるべき試練なのだ。それに準備する時間はまだある。嘆き悲しむ時間があるならやるべきことは多くある。 『連山』の読者は自分でも出来ることを行ってもらいたい。それは分散型の小型風力やマイクロ水力発電やコージェネ発電の実験かもしれないし、文化や書籍に対するコラムかもしれない。ネットを使った特務工作員達を叩くことかもしれないし、暗躍するカルト宗教団体の裏情報を表に出して世に問う事かもしれない。諸君が義務を果たすことを希望する。

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