シェイク・ザイード・ビン・スルタン・アル・ナヒヤンは砂漠を緑化することでアブダビ首長国(アラブ首長国連邦)の温度を5℃下げ、2004年に亡くなるまでこの国の強い指導者として常に国民の上に立つべき魅力を持った人であった。私は以前のコラム『ボロをまとった暮らしから一世代で裕福に』の中でシェイク・ザイードのことをカリスマ指導者と呼んだが、もう少し詳しく殿下がどのような人物であったのか書きたい。UAEに来て1度もこの顔を見なかったし、名前も聞かないという人はいない。今のUAEがあるのはこの人物のおかげであり、UAEを知る上で最重要人物なのである。実際、ここで生活している者にとってシェイク・ザイードの顔を見ない日はないほど、あちらこちらに写真や絵が飾られている。道路、車、店頭、ホテル…まるでトルコの青いメデューサの目やタイの国王を思い出してしまうような状態である。
現代の日本では特定の人物(例えば天皇)や国旗が国中に飾られているということはない。日本では日本人がナショナル(国民)であることの存在感は少ない。ナショナルであることに感謝することもなかなかないのではないだろうか?しかし、ここではUAEナショナルとそれ以外の外国人では大きな差がある。ナショナルが自国において常に重要な位置につくことを補償され、石油とその収入による恩恵に与ることができるのはシェイク・ザイードの作った国のシステムによる。下のサングラスをかけているのがシェイク・ザイードで左が息子で現国王であるシェイク・ハリーファ。ちなみに偉い人がサングラスをかけたままのことがあるが、UAEは必須アイテムである。日中サングラス無しでウロウロすると目がやられてしまう。日本ではブランドバッグが店頭を飾ることが多いが、こちらのブランドショップではサングラスがメインで売られており、黒いアバヤを着た女性も白いカンドゥーラ姿の男性も大きなサングラスをかけている。
シェイク・ザイード・ビン・スルタン・アル・ナヒヤン殿下の生まれたナヒヤン家は何世紀も首長国のエリアを治めていたファミリーである。シェイク・ザイードは1922年から4年ほどアブダビを統治したシェイク・スルタン・ビン・ザイードの末っ子第4番目の子息。一番年上の兄であるシェイク・シャクブッドが父親の後に元首を務めたもののそのシステムに憤りを感じていたシェイク・ザイードは実力でその地位についた。
これがナヒヤーン家の家計図。イスラム教なだけあって奥さんもたくさんいたのであろうが、ZAYEDの子供は20人ほどいるようだ。
息子の名前が父親の名前をもじったようになるのはアラブでの名前の付け方を知っていればよくわかる。アル○○、これはファミリーネームである。私が招待してもらったヴィラの主、Al-Fahim氏ともファヒーム家というファミリーに属しているということになる。binビン○○というのは○○の息子という意味となる。スルタンの息子なのでシェイク・ザイードはビン・スルタンなのである。つまり現在の元首、ザイードの息子はビン・ザイードと名前に付くのでシェイク・ハリーファ・ビン・ザイード・アル・ナヒヤン。
動物とシェイク・ザイード
UAEに来てみるとイスラム教国でありながら、多くの動物モチーフの芸術作品に触れることができる。観光客のためのラクダのぬいぐるみを始め、アラブ馬の像や鷹の剥製などを見る機会もあるかもしれない。アブダビ首長国の都市のひとつアルアイン市ではガゼルの名前やガゼルの美しい目をアラビア語でマハと呼ぶらしくMAHAと名のつく場所や物に出会う。遊牧民として長く生活してきた人々にとって動物は大切な生活上のパートナーであったり栄養補給源であったりした。
ラクダ:柔らかい砂と食料品の不足している砂漠の環境ではラクダは最も貴重な存在であった。1920年代のナヒヤン家では400頭のラクダを所有し、約180頭の馬も飼っていた。"過去の時代に我々や先祖達にラクダが成し遂げてくれた事を感謝して我々はこの動物を敬意を持って手厚く保護する。交通手段を含む我々の全生活を通じて彼らに頼ってきた。何よりも我々の運搬の手段であったわけでその事実を決して忘れてはならない。″シェイク・ザーイド・アル・ナヒヤン殿下
馬:純アラビア産の馬が素晴らしい血統であることはよく知られている。UAEではラクダが幅広く利用できるのに比べ戦闘用として使用することがほとんどであったが、馬もとても貴重な贈り物として取り扱われた。遊牧民にとってモンゴル帝国がそうであったように敏捷でスピードがあり、スタミナのある馬は非常に役にたつ。シェイク・ザイードの肖像はときに白馬と共に描かれている。当時のUAEの少年達(現在は4・50代だろう)は白馬にまたがり銃を持つシェイク・ザイードに憧れた。
鷹:鷹狩りはUAEで何百年も続く砂漠の伝統狩猟方法である。今では単なるスポーツの一種としてのみ行なわれているが、厳しい食生活をしていた頃は捕らえた野うさぎ等の動物は貴重な蛋白源であった。シェイク・ザイードは幼い頃から狩猟が好きな人だった。乗馬と狩猟は殿下の趣味であった。"その昔、私が12歳の子供であった時、銃を狩猟の道具として使った。今でも覚えているが、その頃私は幼かったにも関わらず、銃を自分で運び、対象が何であれ撃つことができた。私は狩猟が大好きでよく練習をしたものだ。自分よりも年上の人々と一緒に出かけ、彼らからよく学んだものだ。″『鷹による狩猟』 シェイク・ザーイド・アル・ナヒヤン殿下
緑化とシェイク・ザイード
アル・ファヒーム氏はRAGS TO RICHESの著者のいとこで、アブダビ出身。現在はシェイク・ザイードの生まれ故郷アルアインに住んでいる。彼がアブダビに住んでいた子供の頃、今のように宮殿はたくさんなくシェイク・ザイードの宮殿が一つだけあった。宮殿の隣に住んでいたので何度かシェイク・ザイードと会うことができたが、父親やおじさんは彼よりももっと多くの時間をシェイクと過ごしていた。その頃のアルアインはまともな医療設備もない栄養失調の国民がたくさんいたり、アブダビまでの旅で多くの人が命を落とすような状態であった。今は車で2時間弱、高速道路は時速120KMで車がびゅんびゅんと走っている。
シェイク・ザイードはとても力強く、威厳のある人だったという。彼が緑化をしろと言ったので人々は緑化をした…そういう感じである。何故シェイク・ザイードは緑化をしたのか?「植物が好きだから」である。美しいものや強いもの、人間が理屈ではなく心から欲するもののために努力することは悪いことではないだろう。砂漠でのベドウィンとしての生活体験からきた自然界への畏敬の念と愛で生涯を通して緑化事業に励んだことは国と国民の将来のためになった。
UAEの緑化というものは砂漠で緑化をするので相当コストがかかる。しかし、計算上、今の損得ではなく人間にとって良いものを選びぬく力と魅力はUAEの国民から多くの支持を得た。どんどん近代化しビルを建てるだけではなく、自然環境の保全にも務めた結果、アブダビの気温は5℃下がった。“我々の国、歴史、及び文化的遺産の不可欠な要素として、我々を取り巻く環境を大切に思う。陸地であれ、海であれ、我々の先祖はここで生存し生活してきた。彼らは環境と共存し、次に続く世代の為に環境保全の大切さを知り、その必要な分だけを利用してきたのである。”シェイク・ザーイド・アル・ナヒヤン殿下
緑化を続けているアルアインにあるハフィート山。岩山に生えた芝生が印象的である。シェイク・ザイードはこの地を積極的に緑化していた。今も彼の意思を受け継ぎ、UAEアブダビ首長国の人々の緑化への関心はその他のアラブ諸国に比べると高い。動物や植物、人間や自然を愛したロマンチストなシェイク・ザイードはシェイク・ザイードを称える詩をたくさん読まれているが、本人も多くの詩を詠んでいる。
『あなたのメロディアスな声が電話越しに私に届いた』
あなたのメロディアスな声が電話越しに私に届いた
まるで春の鳩のさえずりのように
おお黒々とした睫毛のあなた その声は私を魅了する
おおバナナの枝 太い幹から伸びた
おお喜々とした魂よ 美人の中の女王よ
全ての美女の中でもあなたの美は顕著
あなたの性格と心は愛想がよく
あなたの気質と純粋な魂は美しい
私の睡眠中にぼんやりとしたあなたの幻が訪れる
朝から夕方になるまで私から離れない
私の考えと理性の中で完璧な資質
あなたに会うのを待っている まるでイードル・ル・アドハーを待つかのように
おおマーニアよ、 私の様子を尋ねるならば
私は美徳の一つに憧れる
愛する人との別れに苦しむ その愛は我が身を焦がす
その豪勢なドレス姿を見なくても
私の内部に棲み 私の心の中に
城を建て 高い壁をめぐらす
このように私は書き留める 未だに続く我が苦しみを
我が愛しの人に身をゆだね 歓迎しよう
