今回は、来るべきアクエリアス(水素文明)の文明史的な意義について、検討してみる。
まず、人類は火の使用により、照明・暖を取る・獣から身を守る・食物に火を通すなど多くの利益を得た。「火の使用により初めて人類は文明を持つ余裕を持てた。」と考える人もおり、火を文明の象徴と考える人もいる。その後も火は人間の生活の中で非常に大きな地位を占め、水の供給と共に火を起こすための燃料の確保は全ての時代において政治の基本となっている。
これを第一のエネルギー革命と考えると、火の使用は人類と動物の分岐点となったといえよう。この火を主要なエネルギーとする時代は古代から中世を通じて変化せず、この時代の人類の歴史の動きはどちらかといえば、緩慢だった。交通や通信手段は馬やラクダであり、シルクロードに代表される交通路を制した勢力が覇権を握る、いわゆるランドパワーの時代といえる。
次に、重要な変革は、イギリスで起きた、産業革命だ。イギリスでは「道具から機械へ」という技術革新がおこり、それにともなって産業・経済・社会上の大変革がおこった。これが産業革命である。
1785年、ワットが蒸気機関のエネルギーをピストン運動から円運動へ転換させることに成功、この蒸気機関の改良によって、様々な機械に蒸気機関が応用されるようになった。そのため、大規模な機械工業が発達すると、大量の原料・製品・鉄鉱石・石炭などをできるだけ速く輸送するため、交通機関の改良がうまれた。18世紀後半にはイギリス国内に運河が張り巡らされたが、19世紀に入り鉄道がこれにかわった。
すなわち、スチーブンソンGeorge Stephenson(1781-1848)が1814年に蒸気機関車をつくり、これ が実用化されて以来、公共の陸上輸送機関として鉄道が普及した。また1807年にアメリカ人フルトンFulton(1765-1815)が試作した蒸気船は河川や海上における運輸・交通に新時代をもたらした(交通革命)。この時代は、明確にシーパワーとしてイギリスが台頭してきた時代であり、産業革命はその前提条件だった。
この時代の主要なエネルギー源は石炭から石油へ移行しつつ、本質的な部分では、カーボン文明として認識されるべきで、19世紀から20世紀にかけて、産業革命により極度に発展したシーパワー英国そして米国は資本主義を発達させ、金融資本と産業資本の融合した独占資本を生み出した。独占資本は政治にも深く関与し、活動範囲としての「市場」の拡大を政府とともに進めようと考えるようになる。当初の工業諸国は国内市場が貧弱で、貿易に依存せざるを得なかった事情もあり、植民地は単なる原料供給地としてではなく、市場と余剰資本の投下先として見られるようになり、重要性が再認識される。こうして帝国主義が生まれ、世界分割をめぐる二度の世界大戦さらには、戦後の中東における様々な問題を引き起こす原因となった。
第3のエネルギー革命とは、いうまでもなく第二次大戦により実用化された核エネルギーだ。
人類にとっての本格的な核時代は、科学者らが大学内での小規模 な実験室の枠を越え、「巨大産業」へと変貌(ぼう)する第二次世 界大戦中の米国の原爆製造計画「マンハッタン・プロジェクト」(1942―45年)を契機に到来した。
それから約60年。半世紀近く続いた東西冷戦構造の中で、核超 大国の米国とロシア(旧ソ連)は、合わせて1700回以上の大気圏 ・地下核実験を繰り返し、熾烈(しれつ)な核軍拡競争を展開し た。核保有国も英国、フランス、中国、さらにインド、パキスタン へと拡散した。
1980年代半ばのピーク時には、約七万個にも達した地球上の核兵器。冷戦崩壊後、米ロ間では、一定数の核弾頭の解体が進む。だが、そこから出る高濃縮プルトニウムやウランをどう安全に処理するか…。財政難に苦しむロシアにとって、米国以上に問題は深刻である。
さらにウラン鉱山跡の廃棄物、プルトニウム製造工場などでの放射能汚染、閉鎖した核兵器工場の解体、老朽化した原子力潜水艦や原発、廃棄物貯蔵所…。いずれの問題をとっても簡単な解決法が見 つからないのが現実である。
このように見ていくと、人類にとって、主要なエネルギー源が、何であるかはその時代の社会や国家あるいは、戦争のやり方を規定するものであることがわかる。
冷戦期を通じて、核保有国のみが主権国家であり、他の国家はそれに従属するという点や、石油に代表されるエネルギー資源の確保が国家戦略の根幹であることも否定できないだろう。日本が昭和16年に対米戦を決意した最大の理由はアメリカによる対日石油禁輸だったのだ。当時米国は、東南アジア植民地の中でも、蘭印を重要視していた。
というのも、日本が蘭印を占領すれば、日本の戦力が充実し米国からの物資をほとんど輸入せずとも中国を制圧できることが明らかであるし、あるいは欧州大戦において対独劣勢にある英国が継戦し得るためにも蘭印のゴムやスズといった資源が不可欠と見なしていたからである。
ところが、オランダおよびフランスがドイツに席巻された状態で日本が北部仏印進駐を行ったため、米国はこれを日本による蘭印占領の第一歩と見なし、危機感を募らせたのである。
なぜならば、米国の対日経済圧迫戦略への挑戦と受けとめられたからである。すなわち米国は、対日戦略をオレンジ作戦という名称でかねて研究してきたが、昭和13(1938)年に策定された新オレンジ計画では、明確に対日圧迫戦略依存していた石油に置かれていた。蘭印はその石油の宝庫でもあったからである。
新オレンジ作戦に基づいて翌14年の陸海軍統合会議で策定されたレインボー計画では、石油禁輸をイギリス、オランダにも強く求めるなど、対日圧迫は計画的かつ着実におしすすめることとされた。その第一歩は、昭和13年1月の航空機及びその部品に対するモーラル・エンパーゴ(道義的禁輸)同年2月の対日クレジット供与停止であった。 翌昭和14年(1939)年12月には、日本に対して航空機用のガソリンを禁輸するモーラル・エンパーゴが発動された。
更に昭和15(1940)年8月には、より低品質のハイオクタン航空ガソリン、9月にはくず鉄の対日前面禁輸、12月には鉄鉱や一定の鉄鉱製品の前面禁輸、昭和16(1941)年1月には銅、亜鉛、ニッケル、2月にはラジウム、ウラニウムの禁輸に踏み切るなど対日禁輸を真綿で首を締めるようにじわじわと進めたのである。
対日経済制裁を段階的に強化していった米国側の意図は「日本を脅かす唯一の道は、日本に何も与えないことである」とスチムソン陸軍長官の発言、「日本が三国同盟から離脱し、南進もせず、中国と泥沼戦争をつづける枠内で、必要最小限度の石油を供給する」といったルーズベルト大統領の発言に代表されるように、経済制裁によって日本を戦わずして屈服させることにあった。
しかしこの経済圧迫戦略は、必要最小限の石油を供給するといっても、日本が本当に必要とする航空機ガソリンは与えないのであるから、困った日本が石油を求めて行動を起こすことは十分予測出来たはずである。
実は本音としては、日本側が行動を起こせるだけの必要最小限の石油を日本に持たせた上で、日本の行動を待っていたとも考えられるのである。
このように見てくると、エネルギーの問題は国家戦略そのものであることがわかる。そして、現在、脱カーボンのアクエリアス(水素文明)が軌道にのりつつあるが、この意味するところは、いうまでもなく、人類史上第4のエネルギー革命だ。この革命の根幹はインターネットと同じく、「エネルギーの分散処理」ということだ。
