今回は、ミサイル発射で毎度変わらぬネタを提供してくれる北朝鮮の今後について、検討してみたい。
まず、極東情勢とは、戦略地政学の観点からの検討が最もよく当てはまる地域だ。これは、極東は「三国志」の世界、すなわち
ランドパワーVSランドパワーVSシーパワーの3国のパワーバランス、つまり諸葛孔明の「天下三分の計」で全てが決まるという地域であり、この3国とはいうまでもなく中、露、日米だ。
<参考>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%8B%E4%B8%89%E5%88%86%E3%81%AE%E8%A8%88
天下三分の計(てんかさんぶんのけい)とは中国三国時代の諸葛亮が劉備に説いた戦略。
この頃華北では曹操は官渡の戦いで袁紹を破り、長江から北、黄河より南の中原地方を支配下に治めていた。流浪の劉備は荊州の劉表のもとに逃げ込んでいた。このころ曹操は北方の遊牧民族である烏丸族の討伐も成し遂げ、中国全土の統一までは揚州(江蘇省・湖南省・湖北省)の孫権、荊州の劉表、益州の劉璋、漢中の張魯、涼州の馬超・韓遂など南方か辺境の地域を残すのみとなっていた。その中でも劉備が身を寄せていた荊州はちょうど孫権の揚州、劉璋の益州の中間にあり、軍事的にもきわめて重要な地域となっていた。
圧倒的に強い曹操に対抗するために諸葛亮が劉備に献策したのがこの天下三分の計であり、荊州と益州(四川省)を領有し、劉備、曹操、孫権とで中国を大きく三分割して、孫権と結んで曹操に当たり天下に変事があった際、部下に荊州の軍勢を率いて宛・洛陽に向かわせ、劉備自らは益州の軍勢を率いて秦川に出撃することにより覇業が成就され漢王朝を再興できる、と説いた。この策は赤壁の戦いの後に劉備が荊州を領有し、益州に攻め込んで214年に劉璋を降したことで実現するかに思われたが、219年に関羽が孫権の部下の呂蒙らに敗れて荊州を失陥したことで頓挫した。
劉備が後に孫権に対する関羽の弔い合戦を計画した際に、多くの部下がその中止を訴えたが、諸葛亮がこれに直接的に反対したという内容は正史に見られない。このことは、そもそも諸葛亮が自分の策の実現には荊州からの侵攻が不可欠であり、この戦いによる荊州回復の期待があったためではないか、とも言われている。
天下三分の計とは、三カ国のパワーバランスにより、均衡を保つ戦略であり、特定の強国を残りの二国が共同して封じ込めることを根幹とする。この戦略の本質は、三カ国の勢力均衡を達成するためには、どの地域を支配することが死活的に重要かだ。三国志の世界では、それは、荊州だった。三国のパワーバランスに荊州の帰属は決定的に重要な意味を持った。これは、三国が地続きであり、かつ、荊州が地理的に真ん中に位置することを考えれば、理解できるだろう。
現代の極東において、荊州に相当するものはどこか。中ロは明確に北朝鮮を荊州と位置付けている。
朝鮮半島を巡る歴史を見てみると、ソ連は蒋介石の国民党と毛沢東の共産党で内戦を続ける中国に関して、実は蒋介石政権を支持した。しかし、中国共産党が勝利すると、ここで承認せざるを得なくなった。中国共産党の勝利は極東のパワーバランスを大きく変えてのだ。
朝鮮戦争では、新ソ連政権を樹立すべく、アメリカと戦い、子飼いの金日成を送り込み北側の指導者にする下地を作る。武器を金日成に与え、毛沢東に参戦を勧めつつ、自国は危険水域の外に身を置く用心深い国益政治家スターリン、それでいて金日成に「スターリンは法律」と言わしめる絶対的権威にして最終決定者であるスターリン。揺れ動きつつも参戦を決断し、金日成率いる軍が壊滅状況にあったのを救い、大きな犠牲を払って戦線を膠着(こうちゃく)状態に持ち込んだ毛沢東。米軍の圧倒的な空爆と火力によって中朝の兵士が日々吹き飛ばされ、それゆえ毛と金が和平を切望するのに対し、ライバル米国が朝鮮戦争の泥沼に苦しみ続けることに利益を見出して、和平を許さないスターリン。そして朝鮮半島の南北分断を認め、妥協しようとしたところ、中国人民解放軍が参戦し、事態が膠着。主導権を中国に持って行かれたことになり、スターリンのアジア政策は、結局は失敗に終わったと言える。
見方を変えると、朝鮮戦争は北朝鮮の支配を巡る、中ロの綱引きであった。ここまでを要約すると、当初、ソ連の傀儡として樹立された北朝鮮は朝鮮戦争を通じ、中国の影響を受けることになる。ここから、北朝鮮による、両国を二股かけ、手玉にとり、援助を引き出す熾烈な外交が繰り広げられることになる。
ここで、戦略地政学の観点から、極東情勢概観してみる。まず、朝鮮半島の地政学的位置づけは、上述の三国の間の緩衝地帯だ。朝鮮半島が特定の国の支配下に置かれたら、三国の間のパワーバランスが崩れて、不安定化するため、それを防ぐ目的で戦われたのが朝鮮戦争だ。そして、朝鮮半島は、古代から現代に至るまで、何度も、ランドパワーの軍事侵攻を受けている。7世紀の唐による百済滅亡、13世紀の元寇、19世紀のロシアの南下、20世紀の朝鮮戦争と、枚挙に暇がない。そして、そのたび毎に、日本が支援してきたという歴史がある。これは、半島を緩衝地帯にしたいという日本の思惑もあっただろう。まさに、朝鮮半島は、中ロ日米の戦力均衡点だということだ。日本の立場で考えると、19世紀以来の国家的課題は「ロシアの南下をいかに防ぐか」であり、現在は、「中国の海洋進出をいかに防ぐか」ということだ。つまり、大陸のランドパワーの海洋進出をどうやって防ぐかという戦略上の課題に対して、かっては、朝鮮半島併合、満州国樹立という解を与え、結果として大陸の戦乱に巻き込まれ、第二次大戦に引き釣りこまれ、国家滅亡の危機を迎えるという大失敗を犯した。このように考えると、北朝鮮が独立しており、中ロ両軍を引き付けているという現状は、日本にとって、ランドパワーに対する防波堤の役割を果たしていることになる。朝鮮戦争の評価も、日本にとっては、戦争特需を生み、追放解除、警察予備隊創設と、反日的な李承晩政権の反共への転換と、戦後の日本の国家戦略である、吉田ドクトリンは、北朝鮮の存在を前提にしていたのではないかとさえ考えられる。重要な点として、北朝鮮はかっての満州国と同じように、帝国陸軍関係者が相当関与して設立された国ではないかということだ。この点は、未だに明らかになってはいないが、いずれ、表に出てくるだろう。このように考えると、地政学かつ、歴史の観点から、朝鮮半島の政権は、大陸のランドパワーの圧力にさらされると、常に日本に亡命したり、援助を求めたりし、日本もそれに応えてきたということが言える。この点は、7世紀の白村江の戦いの敗北後、百済滅亡で、相当数の百済の遺臣を当時の奈良地方に受け入れた頃から、全く変わっていない。小泉政権登場以前の、日本政府の北朝鮮に対する融和策やパチンコや総連活動に対する黙認には、このような視点が必要だ。
思うに、20世紀までの地政学であれば、北朝鮮を緩衝地帯にするという戦略も妥当性があっただろう。これは、北朝鮮の数々の不法行為には目をつぶるという事を意味し、例えてみれば、北朝鮮を必要悪と見なし、町内の治安が保たれているのは暴力団がチンピラを管理しているからだという論法と同じだ。
しかし、現在において、情報通信や軍事技術分野の日米の圧倒的優位を考えると、北朝鮮の存在理由はあまりないように思う。そのことを今回のミサイル発射は明確に示した。弾道や落下点はアメリカの衛星やイージス艦で全て補足された。むしろ、北朝鮮によって開発された長距離ミサイルが中東や南米の反米諸国に輸出され、既に流出している核の技術と組み合わされば、アメリカはどこから核ミサイルを撃たれるか分からなくなる。
つまり、北朝鮮を防波堤にして、中ロの半島支配を防ぐメリットと、北朝鮮よるミサイルの反米諸国への拡散(後述のように、ベネズエラがミサイル獲得に動いている)というデメリットを比べた場合、はるかにデメッリトが大きいということだ。これが、アメリカが本気で北朝鮮の資金ルートを封鎖、すなわち、経済制裁を行い、日本海に空母キティホークを入れ、すなわち、軍事圧力をかけた理由だ。
要約すると、アメリカを射程に入れるミサイルの存在が北朝鮮を巡るパワーバランスを変化させ、北朝鮮を防波堤としての必要悪から、本気で潰す対象と変えたということができる。逆に言えば、北はミサイルと核を放棄し、拉致問題の全面解決に協力すれば、ランドパワーに対する防波堤として、体制の維持は日米により、保障される。これが北朝鮮を巡る地政学的検討の結論だ。しかし、現実には、ハワイを目標としたミサイル発射により、ルビコンを渡ってしまった北朝鮮には、もう、崩壊への道程しか残されていない。これが、緩衝地帯を失うため、中ロが北朝鮮への安保理制裁決議に反対し、日米が制裁を課し、北朝鮮を本気で潰そうとしている理由だ。日米両政府は国連安全保障理事会に英仏両国などと共同提出した対北朝鮮制裁決議案の採決に向け、反対姿勢を示す中ロ両国への説得に全力をあげている。調整が不調に終われば、決議案の内容に賛同する国々で構成する「有志連合」すなわち、シーパワー連合による制裁を行うだろう。三国志の蜀は荊州を失うことで、滅んだ。北朝鮮を失うことで、中国は果たして、滅びるだろうか。
