世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL111

今回も、前回に引き続いて、戦略地政学の観点から極東情勢を考えてみたい。

前号で指摘したように、北朝鮮のミサイル問題は中東諸国への輸出が目的であり、実現すると、世界のパワーバランスを崩す。その意味でイスラエルにとっても死活的問題であり、グローバルな課題だ。

<参考>

http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20060721-63679.html

北朝鮮ミサイル発射にイラン立ち合い

 北朝鮮核問題をめぐる6カ国協議の米首席代表ヒル国務次官補は20日、上院外交委員会の公聴会で証言し、今月5日の北朝鮮のミサイル発射にイラン当局者が立ち会っていたとの情報を認めた。公聴会で次官補は、イラン当局者がミサイル発射に立ち会っていたとの報道について聞かれ「それが我々の理解だ」と言明した上で、北朝鮮とイランが核、ミサイル開発で結び付きを強めていることに強い懸念を表明した。

 98年のテポドン1号発射の際にもイランなどの当局者が立ち会った可能性が高いとみられている。次官補はまた、北朝鮮が7発のミサイルを発射したことで「十分に強力な能力を備えていることを示した」と強調。国連安全保障理事会の決議を受け、将来の追加制裁措置発動を示唆した。

 一方、イランの核交渉責任者、ラリジャニ最高安全保障委員会事務局長は同日、声明を発表し、国連安全保障理事会がイラン核問題の協議を再開したのは「驚きだ」と反発。「対話ではなく対決の道を選ぶのなら、政策を見直すだろう」と表明し、核拡散防止条約(NPT)脱退の可能性をあらためて示唆した。

[2006年7月21日8時24分 紙面から]

よって、北朝鮮と背後の中国への国際的包囲網が築かれた。

アメリカは対中軍備増強と中国に対する為替操作国認定により軍事経済双方から包囲をしかけつつあり、日本の対中朝強硬姿勢も、このイスラエルに端を発する、中朝包囲網の一部と考えるべきだ。対中融和論者として知られた福田康夫が自民総裁選出馬をあきらめ、事実上安倍政権が決まったこともこの反中朝包囲網の一環だ。

今後の展開について、最も可能性が高い、中国による北朝鮮併合あるいは傀儡政権樹立の可能性を考えてみる。

<参考>

SAPIO記事青木直人『「中朝友好」の名のもとに北朝鮮の経済植民地化「第二のチベット化」が進む』より

北朝鮮の「虎の子」の資源が次々と中国企業の手に落ちている。まず、今年七月、北朝鮮 最大の鉄鉱石が眠る咸鏡道の茂山鉄鉱の開発権を中国の三社が獲得した。同鉱山は鉄鉱石 の埋蔵量が三十億トン、可採埋蔵量十三億トンを誇る、北朝鮮屈指の優良鉱山だ。 投資予定金額は最低でも七十億元と想定されていて、内訳は五十億元が鉱山の開発費で、 残りの二十億元は茂山から吉林省の通化までの鉄道と道路の建設費用に充てられるという。
年間の採掘量は一千万トンで、中国の資源開発関係者は「五十年間で、骨までしゃぶり尽 くされるだろう」と予想する。
鉄鉱石に次いで、今夏、無煙炭の埋蔵量で最大規模の龍登炭鉱も中国との合弁開発に踏み切った。中国側のパートナーは政府系企業である五鉱集団で、同グループは国内最大の非鉄金属企業の傘下に属している。計画では一カ月に百万トンの無煙炭を採掘して、中国に送るという。

中国が北朝鮮の支配に魅力を感じるのは、二つの点による。一つは北朝鮮がレアメタルの宝庫だということ。タングステン、モリブデン、タリウムの 鉱山が開発されていて、すべて中国企業のものになっている。しかも、中朝国境の街新義州は実質中国領であり。 朝鮮族は入れないらしい。

そして、二つ目は、北京政府が命運をかけている、東北開発にとって、北朝鮮が障害であることだ。例えば、東北地方の中核都市瀋陽は工業が盛んであり、市の郊外には多くの重化学工場が立ち並んでいる。瀋陽市内のみならずその近隣都市圏は 撫順の 石炭・鞍山の鉄鉱石、やや遠いながら 黒龍江省大慶の油田などの豊富な資源を生かした一大コンビナートであり、20世紀後半の中国を工業面で支えた。しかし近年外資を導入した 長江デルタや 珠江デルタ地域の経済発展に比べ、瀋陽を始めとする東北地方は取り残された感が否めない。このため中国政府は東北振興を旗印に東北開発を重点的に支援しており、瀋陽も近代都市に変貌しつつある。2003年の全市生産総額(GDP)は1,602億人民元で、全省の4分の1を占める。この東北地域への外資勧誘に対し北朝鮮が障害となっており、かつ、北朝鮮を支配できると、その日本海に面した港を使って、東北地方の発展ができるという点もある。そして、貴州とチベットという辺境地帯の開発を成功させた胡主席は東北3省の開発に政治生命を賭けているが、金正日体制の北朝鮮がその障害になっているのも、真実だ。

 次に、安全保障の観点から考えれば、北朝鮮は日米との緩衝地帯であり、このまま残しておきたいし、下手に吸収してしまうと、国内に少数民族を抱え、不安定要因を増し、旧ソ連のようになることになる。あるいは、隋の文帝や煬帝が高句麗遠征を三度にわたって行ったが、三度とも失敗に終わり、結果として、隋の滅亡に繋がったようになるかもしれない。つまり、北朝鮮併合は、リスクが高い選択なのだ。

このような、経済的観点と軍事的観点の双方から検討すると、中国による北朝鮮支配は、「間接支配」の形態をとる可能性が高いことがわかる。つまり、中国は北朝鮮を軍事占領したら、金正日一派を粛清した後、朝鮮族を使って間接統治する。 中国人-朝鮮族-北朝鮮人 というヒエラルキーを作り、朝鮮人の間に対立を作りだすわけだ。 これが帝国主義的支配の基本だ。

このように考えると、北朝鮮の運命は決まったも同然だ。チベット方式で漢民族への同化政策をとられるかもしない。

この状況は、日本の立場にとって、どのような意味を持つだろうか。結論から言うと、日本はこの案を積極的に支持すべきだと考える。なぜなら、戦前の日本が行った最大の失敗である、日韓併合を今度は中国に行わせ、国家崩壊に導く可能性があるからだ。

これは、老子の戦略、「奪わんと欲すれば、まず与えよ」を地で行く戦略なのだ。

 将(まさ)にこれを歙(ちぢ)めんと欲すれば、必ず固(しばら)くこれを張れ。将にこれを弱くせんと欲すれば、必ず固くこれを強くせよ。将にこれを廃せんと欲すれば、必ず固くこれを興(おこ)せ。将にこれを奪わんと欲すれ
ば、必ず固くこれを与えよ。是を微明という。柔弱は剛強に勝つ。魚は淵より脱すべからず、国の利器は以て人に示すべからず。(老子・36章)

「相手を縮みあがらせようと思えば、まず相手に虚勢を張らせる。弱めようと思うならばまず強くさせる。廃れさせようと思ったらまず盛んにさせておく。奪おうと思うならばまず与える」

北朝鮮の鉱物資源や東北開発はそのための餌だ。いわば、北朝鮮はプラッッツエン高地とし、アウステルリッツを仕掛けるわけだ。

<参考>

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

ナポレオンの戴冠式から1周年の記念日にあたる1805年12月2日午前8時、オーストリア・ロシア連合軍8万7,000は、アウステルリッツ西方のプラツェン高地へ進出し、優勢な兵力をもってフランス軍への攻撃を開始した。

フランス軍は7万3,000と劣勢であった。またその布陣は、後方との連絡線確保のうえで重要な右翼(南側)が手薄であった。アレクサンドル1世はこれを好機とみて、主力をプラツェン高地からフランス軍右翼へと向かわせた。フランス軍右翼を守るダヴーの第3軍団は攻撃に耐え切れずに押し下げられたかに見え、さらに多くの連合軍部隊がフランス軍の陣前を横切ってフランス軍右翼へ殺到した。

だが、これこそがナポレオンの罠であった。ナポレオンは、手薄になった連合軍の中央部にスルトの第4軍団を突入させた。中央を守っていたクトゥーゾフはロシア近衛軍団を投入し、フランス軍と激戦を繰り広げたが、ベルナドットの第1軍団の援護とナポレオンによる親衛隊の投入によってプラツェン高地の連合軍は突破された。

中央突破に成功したスルト軍団は、ダヴー軍団と協力して、フランス軍右翼へ殺到していた連合軍部隊を挟撃した。連合軍は氷結した湖を通って退却しようとしたが、フランス軍の大砲が湖の氷を割ったため、将兵の多数が溺死した。他の連合軍部隊にもランヌの第5軍団とミュラの騎兵軍団が襲い掛かった。夕刻までに、連合軍は30,000以上の死傷者を出し、散り散りになって敗走した

考えてみれば、ランドパワーは、常に周辺国の直接支配を目指し、天下統一を図ろうとする本能があるが、ある一定の「攻勢終末点」を超過すると、あっけなく滅ぶという法則がある。その地域の支配によるコストとリスクがメリットを上回る地域だ。この地域は瀝青的に特定される。西欧やロシアにとって、その地域は東欧だし、日本や華北政権にとって、その地域は朝鮮半島だ。アメリカがベトナムに引き釣りこまれ疲弊したように、朝鮮半島を中国を引き釣りこむ餌にすることは、有効な戦略だろう。安全保障の観点から、日本海で中国海軍と対峙することになるが、日米海軍力で十分封じ込めることができる。むしろ、中国に半島支配のための陸軍力と日米への対抗のための海軍力の双方の整備を行わせ、疲弊させることができる。

中国もそれがわかっているから、容易なことでは間接支配にも乗り出さないだろうが。問題を複雑にしているのが、中国国内の朝鮮族の存在だ。中国朝鮮族の総数は約200万人である。これは在米韓国人数に匹敵し、南北朝鮮国外では最大級のコリアン・コミュニティーといえる。中国国内の分布は東北地区に集中し、なかでも吉林省に約120万人が居住し、吉林省南部の延辺朝鮮族自治州(首府延吉市)に約80万人が集中している。延吉市には中国語と朝鮮語で教育する延辺大学も設置されている。

このほか、黒竜江省に約45万人、遼寧省に約25万人、内モンゴル自治区に約2万人が分布し、北京、天津や上海などの大都市にも進出している。各地の朝鮮族集住地区には行政的に朝鮮族自治県(吉林省長白朝鮮族自治県)や多くの朝鮮族郷・鎮が設置されている(リンク参照)。これら東北三省の首府には朝鮮族の学校や放送局、新聞社、出版社などが設置されて、朝鮮語の普及を行っている。これら朝鮮族が中国が北朝鮮を支配した場合、反漢民族闘争を行う可能性もある。まさに、「朝鮮のチベット化」だ。

この策を名づけて、「中朝二虎競食」の計という。イギリスがかってナポレオンやヒトラーをそれぞれプロイセンやロシアを支援し、ぶつけることで潰した策略であり、対立するランドパワーを相互にけしかけることがシーパワー戦略の根幹だ。

中国に、「北朝鮮を支配できれば、東北地方に大規模投資する」「ODEの提供で北朝鮮を復興させる」といった餌で釣れば、のってくるだろう。そうすれば、こちらのものだ。

このように、ベースに老子をおいた上で、前号で紹介した、「中ロ離間」と「中朝二虎競食計」の同時適用、すなわち、「中ロ離間中朝二虎競食計」さらに、縷々述べてきた、国内の親中朝派を一網打尽とする「連環計」を合わせ適用する、トリプルコンボ「中ロ離間中朝二虎競食連環計」をもって、極東三国志を日米によって制覇する。この過程で、中国による、金正日一派の粛清がなれば、拉致問題の全面解決に繋がる。これが江田島孔明の「北朝鮮仕置き」だ。

<参考>

事例2:荀彧、巧く「駆虎呑狼」の計を施す

http://www.globetown.net/~sangocuxi/36_03.html

 『三國演義』では随所に「二虎競食」の計が見られる。その一例として第十四回「曹孟徳 駕を移して許都に幸し 呂奉先 夜に乗じて徐郡を襲う」が挙げられる。

呂布を敗った曹操は混乱に乗じて献帝を許昌に迎え、天子を擁して諸侯に先駆け政治上の主導権を握った。当時徐州にいた劉備は、曹操に追われた呂布を受け入れ、徐州近郊の小沛を与えた。曹操は劉備と呂布が力を合わせる事を恐れ、文武諸官を召して策を講じた。武将許褚 は勇を奮って五万の精兵を率いて徐州を攻めんとしたが、謀士荀彧がこれに強く反対して言った。

「将軍は勇ましくはありますが、用謀の術をご存知ない。この度新しく許都を定め、今は用兵の時ではありません。そこで一計がございます。すなわち「二虎競食」の計。劉備は徐州を領しておりますが、未だ詔命は得ておりません。明公(曹操)には、詔命を奏して劉備を徐州の牧に封じ、同時に密書を送って呂布を殺させれば良いでしょう。事成れば劉備は猛将を失いますので、改めて計を図るも良し、事成らずば逆に呂布が劉備を殺すでしょう。これぞ「二虎競食」の計であります。」

劉備と呂布という二頭の「虎」が手を組めば、曹操にとっては一大脅威となる。そこで実質的な意義のない「徐州の牧」という骨を投げ与え、劉備という「虎」に呂布を殺させようと企んだ。しかし、劉備はそれを見破り、呂布に曹操からの密書を見せたため、「二虎」が競う事はなかった。

「二虎競食」の計が失敗に終わり、曹操は再び荀彧に計を問うた。荀彧は一考の後「駆虎呑狼」の計を献じた。この計は、袁術に密使を送り、劉備が袁術の南郡を侵そうとしている事を伝え、袁術の出兵を待つ。一方、劉備には帝の名を借りて詔を発し、袁術を討たせる。そうすれば劉・袁両軍が争っている隙に、呂布はきっと異心を抱くに違いない、というものであった。

曹操はこの計を容れ、劉備と袁術の争いを引き起こす事に成功した。また、呂布は予期した通り、張飛が酒に酔った隙を突き、曹豹と示し合わせて徐州を奪った。

曹操の目的は劉備と呂布の仲を裂く事であったが、同時に劉備と袁術の間にも大きな紛争の種を植え付け、自軍に有利な態勢を築く事ができた。荀彧の授けたこの計の内容を見ると、「虎」とは劉備・袁術の二人を指し、また「狼」とは呂布の事を指す。曹操の「駆虎呑狼」とは、相手を挑発して矛盾を生じさせ、劉備・袁術の二頭の「虎」を争わせる。そして呂布という「狼」に徐州併呑の機会を与える、というものである。この計によって劉備・袁術・呂布、三方に矛盾の連鎖反応を起こしたのである。

ここで一つ解せないのは、劉備・袁術の争いがなぜ呂布の異心を生じさせるのか、という事だが、呂布は元より劉備の麾下に甘んじているつもりなどなく、徐州を奪う「異心」を抱いていたのである。そもそも呂布は丁原・董卓・王允、と義父を変える忘恩の徒であった。劉備と袁術が各々出兵した後、酔った張飛に鞭打たれた曹豹の裏切りに応じて、呂布は徐州を奪い取った。

曹操は「二虎競食」「駆虎呑狼」の二計を用いて、劉・呂・袁三者間の争いを演出し、矛盾を作り出し、それを利用した。「借刀殺人」にあるように、自ら兵を出す事なく三方を争わせ、「上兵は謀を伐つ」(『孫子 謀攻篇』)を実践したのである。

日本が対地攻撃能力をもつことを主張し始めたところ、予想どうり、中国が敏感に反応した。

<参考>
http://www.usfl.com/Daily/News/06/07/0721_007.asp?id=49614
日本核武装への疑念相次ぐ 「中国が懸念」とヒル次官補

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