世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL126

<紹介>
江田島孔明対談レポート
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/mineyama/3_1.html

今回は、戦略を構築する上で、歴史を学ぶことの重要性について、私見を述べてみたい。

まず、歴史とはいったい何であろうか。歴史はまさしく、人類発生と同時にあるが、それが文書化されたのは、「歴史の父」の名を冠されるギリシアの史家ヘロドトスが書いた「ヒストリアイ」が端緒であろう。ヘロドトスは前五世紀のペルシア戦争を頂点とする東西抗争、東方諸国の歴史につき、ギリシア人と異邦人とが果した偉大な事跡、両者が争うに至った原因を後世に伝えるべくこれを書いた。何よりもまず正確さが重視され、豊富に織りこまれた説話は長巻を飽かず読ませる魅力をもつ。

ヘロドトスは「ヒストリアイ」を次のようにはじめる。「本書は、ハリカルナッソス出身のヘロドトスが、人間界の出来事が時の移ろうとともに忘れ去られ、ギリシア人や異民族が果たした偉大な驚嘆すべき事跡の数々も、やがて世の人に知られなくなるのを恐れて、自ら研究調査したところを書き述べたものである。」

このように聞くと、彼が「ヒストリアイ」を書いた目的はギリシャ史の客観的記述かと思われるが、実際はただの事実の羅列ではなく、歴史観に裏打ちされた因果応報をめぐる物語(ストーリー)を彼なりの解釈を含めて書いているのだ。つまり、「ヒストリアイ」とはストーリー(神ではなく「人間」の物語)のこと。

このストーリーは、人生経験や社会経験に裏打ちされ、独自に構築したものでなくては説得力を持たない。ヘロドトスはペルシャ戦争の災難を後生に伝え、そこから教訓を得ることを目的として「ヒストリアイ」を書いたのだ。重要な点として、彼は「ヒストリアイ」を書くに際して、ポリスを捨て、サモス島に隠遁の亡命生活に入っている。これには、重要な意味がある。つまり、歴史を虚心坦懐に著述するということは、時の政治権力にとっては、都合が悪い点もあるからだ。そのため、「ヒストリアイ」の記載に際し、彼は隠遁生活に入らざるを得なかった。例えば、「ヒストリアイ」は非ギリシア人に関する記述が非常に多かった。当時のギリシア人の異民族にたいする蔑視を考えると、注目に値する。このことを理由に、ギリシアの著名な哲学者で、英雄伝を書いたプルタルコスはヘロドトスを非難している。

しかし、現在の学校教育で教えられる「歴史」とは単なる年号や人名の暗記に終始し、「ストーリー」を教えないところに最大の問題がある。これは、日本史や世界史を必修にするかどうかということ以上の根源的問題だ。確かに、歴史(ヒストリー)におけるストーリーの解釈には主観を伴う。そして、時の政治権力は常に自らに都合のよいストーリーのみを押し付けてきた。そこに、独自の解釈に基づいた歴史書を記述することは最大の反逆行為といってもいい。

政治権力や体制にとり、一つの歴史しか許容されないということもある。つまり、都合が悪い事実は封印する、いわゆる「焚書」だ。古代の秦や現代のナチスドイツや中国共産党を例にとるまでもなく、ランドパワーはその正当性を主張するため、焚書を行うことがよくある。中国はよく4000年の歴史などというが、中華人民共和国は毛沢東の建国した国であり清とは別の国だ。シナ大陸はその長い歴史を通じて分裂してた時代が長い。アメリカについても、自由と民主主義の本家のようなことをいうが、その歴史を見れば、親米でさえあれば、いくらでも独裁政権や腐敗政権を支援する。しかし、そのような事実は、歴史の教科書には出てこない。
要するに、政治権力にとっては歴史は自らの正当性を主張するため書かれるもので、都合の悪い事実は記述されない。つまり、公式な歴史の教科書とは、会社の社史のようなものだと考えるべきだ。社史には嘘は書けないが、都合の悪い事実や社内の派閥闘争の真実等を記載しないのと同じだ
この点について、ナポレオンは、歴史とは、「合意の上に成り立つ作り話以外の何物でもない」という言葉を残している。

所詮、歴史は「どういう見方をしたいかという解釈」に過ぎないという意見もある。例えば、ジョージ・ワシントンは米国の立場では英雄だが、英国にとっては反逆者だ。コロンブスは欧州の立場では新大陸発見の英雄だが、原住民の立場では侵略者だ。徳川家康は山岡荘八によれば人格者だが、司馬遼太郎によれば狸親父だ。このような「解釈」が代わることは無いだろう。要は、どのような立場に立つかで、解釈は変わるということだ。

確かに、それはその通りだ。しかし、可能な限り、かってはマルクス主義に毒されていたような主観を廃し、虚心坦懐に歴史の声を聞くということも可能だと思う。そして、過去の歴史から因果応報、盛者必衰の理(ことわり)を見出し、もって、現在を理解し、未来を見通す鍵とする。これこそが真の意味での歴史を学び、記録を残す必要性ではないだろうか。
このような結論に達したからヘロドトスは「ヒストリアイ」を司馬遷は「史記」を、ヒュームは「英国史」を、ギボンは「ローマ帝国衰亡史」を、アーノルド・トインビーは「歴史の研究」を著述したのだ。
ヒュームは『英国史』にて、ジェームズ1世からジェームズ2世までの時期を主題とする2巻が54年と56年に、チューダー朝史2巻が59年に、シーザーの侵略からヘンリ7世までを扱った2巻が61年と62年に、というふうに、歴史を遡るかたちで出版された。この本は非常な傑作とみなされたので、それ以後ながく、彼は哲学者としてよりも歴史家として高い評価を受けることになる。
ヒュームは、また『宗教の自然史』を上梓した。この論文で、彼は、宗教の動機を無知と恐怖にあるとしたうえで、その後の宗教の形態変化を論じているのであるが、そのなかで彼は、多神教から一神教への進化は道徳的には後退であったと述べている。一神教は熱狂と不寛容への自然的傾向をもち、異端とみられるものに対する暴力的で不道徳な行為の原因となるから、社会にとって危険である。それに対して多神教は、多様性について寛容であり、人類をよりよい生活に導く徳性を助長するから、一神教よりもすぐれている、と彼は書いていた。はたせるかな、彼は出版にあたって、宗教的な党派の猛威を実地に経験しなければならなくなったのである。
ギボンと司馬遷につき、大きく異なる点があるのはおもしろい。『史記』は、あくまで「人物」という切り口から歴史を叙述する。しかし、ギボンが書こうとしたのは、「ローマ帝国」という制度である。ローマ人の残した最高の芸術作品はローマ法だという言葉があるが、ギボンの描いたローマ帝国こそ、法律という抽象的なものが現実に機能している姿なのである。『衰亡史』はこの人類史上の傑作といえる制度を生んだローマがなぜ滅びねばならなかったという点を正面から捉え、フランス革命前年に完結している。『史記』に感動する読者には、ギボンの視点はものたりないかもしれないが、しかし、法や制度、国家というものの生態について、現代に生きる我々にも多くの示唆を与えてくれる。

アーノルド・トインビーは、英国の王立国際問題研究所の研究部長として1925年から54年まで30年かけて既存文明の因果応報、盛者必滅という歴史過程を通じて発揮される法則を研究した。それを応用し、文明の統一性、持続性、並行性、同時性の観点から現状分析を行ったのである。

 具体例として、トインビーは、1914年の世界大戦がヨーロッパ文明にもたらした経験と、紀元前431年のペロポネソス戦争がイギリス文明にもたらした経験とが全く同じものがあると分析し、また満州事変勃発に際し、日本についてローマ帝国と戦ったカルタゴの運命であるという洞察を行ったのである。まさに、慧眼と言うしかない。

 トインビーの視点では、人類の歴史の長さから観ると文明を生みだした期間はほんの短期間であり、その文明の何千年という期間に、条件が同じならば人は同じことを繰り返すという考えに達するのである。

私が言いたいのは、このような先人が苦闘して人類のために残してくれた歴史書は全て、「国家が編纂したものではなく、個人が書き上げ、歴史のストーリーと因果応報を解明することを目的とし、人の営み、栄枯盛衰につき幾多の教訓を与えてくれる」ものだということだ。それを、なぜ学校教育で取り上げないのか。無味乾燥な年代や人名の暗記をどれだけやったとて、現在を理解し、未来を見通すことは不可能だ。

しかし、歴史に見られる人間の業や因果応報を理解すれば、それは可能だ。そして、最も重要な点は、民族にとって、歴史を失うことは、消滅を意味するということだ。ユーラシアの歴史を見れば、このような事例は枚挙に暇がない。逆に、ユダヤ人は国を失っても、旧約聖書という民族の歴史を堅持したため、消滅しなかった。日本も、敗戦後、歴史の書き換えが行われた。占領軍の意図は明白であり、民族の根幹を消し去り、奴隷状態を継続させることだ。歴史を学ぶことは、それほど、重要かつ死活的意味をもつ。

それでは、なぜ、現代の歴史教育は、上述のような不毛な状況なのか。それは、教科書の書き手が、社会経験に乏しく、かつ歴史学会が象牙の塔であり、「資料教条主義」に陥っており、全ての仮説や推論を廃しているからだと考える。
これは、どういうことかというと、歴史的事実として、全く議論の余地の無い人名、地名、年号ぐらいしか、教える対象にできないということだ。これでは、無味乾燥な教育になるもの無理は無い。要するに、国家公認の歴史や歴史学会等は、真実を語るには、タブーが多すぎるのだ。

これを裏打ちするように、考古学上の重要な発見も、アマチュアの個人によってなされることが多い。例えば、学会が否定した旧石器時代の石器を発見した相沢や伝説に過ぎないと思われていたトロイ遺跡を発掘したシューリマンなど。

歴史は過去の事実であり、人間の行動様式には、時代を超えて普遍的なものもあるとの観点から、現在そして未来の諸問題解決の糸口を、前例たる歴史に求め、歴史を題材として学び、現代、そして未来に通じる教訓を得ることは、現状認識、将来展望に不可欠であると考える。私の見るところ、歴史は繰り返すとは限らないが、「歴史のパターン」は繰り返す。要は、現在そして将来の諸問題に解決策を提示するために、歴史に学び、この歴史のパターン、法則更には流れを見極めるというアプローチを取ったのである。

私は、歴史を見る上で、最も重要な視点は、このパターンを見極めた上で「他に同じような事例はなかったか、そこではどのような結果になったのか。」ということを比較考量することだと考えている。比較の対象は人類のあらゆる活動領域だ。ここを広く取れば取るほど分析の精度は増すだろう。これが、現在、私が国際政治経済を分析する最も基礎的手法だ。「愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というが、歴史を学ぶことで過去と対話をし、今の自分達の姿を見つめ直し、未来を見通すことになる。私のメルマガはこの観点から、ランドパワーとシーパワーの戦略事例のデータベースを作り、そこから法則を見出し、未来を見通すために役立てる事にある。
この手法は、従来の歴史学者には絶対にとれない。彼らは専門領域に特化し、その中で資料教条主義、平たく言うと、古文書探しに憂き身をやつしているからだ。例えば、近世以降の日本史は、ヨーロッパ史を理解することで初めて理解できるが、日本史学者は決してそれを認めないだろう。

言い方を変えると、1543年の鉄砲伝来以降、現代に至る日本の支配者は欧州シーパワーの代理店なのだ。この点の理解を抜きにして、日本の国家戦略を考えることは不可能だが、日本史学者や教科書は決してそれを認めない。私が知る限り、この点を論証した作品は、後述する立花京子氏の「信長と十字架」しかない。

また、私が見出した法則に、「ランドパワーはランドパワーの攻撃をシーパワーに対する攻撃より、優先する」というのがある。これは、どういうことかというと、ランドパワーは国境を接し、地続きの隣国の制覇を、渡洋攻撃が必要なシーパワーへの攻撃より、必ず、優先するということだ。これは、動物にとっての本能のようなもので、例外は皆無といっていい。

例えば、欧州のランドパワーであるナポレオンのフランスやヒトラーのドイツは、英国への上陸作戦を計画はしたが、挫折し、ロシア遠征を実行に移した。20世紀の大ランドパワーたるソ連も、実際に軍事力を行使したのは、東欧やアフガンといった、地続きの地域に限られる。逆に、シーパワー日本への渡洋攻撃を実行に移した元や帝政ロシアは失敗のため、本国が崩壊するという憂き目を見た。
これは、「ランドパワーとシーパワーは棲み分けるべき」という黄金律を裏打ちするものだ。大陸と海洋という戦略的二正面作戦を実行に移した大日本帝国は同じように崩壊した。
まさに、ランドパワーにとって、海は鬼門、シーパワーにとって陸は鬼門なのだ。

このような法則を見極めれば、北朝鮮にどういう対応をすべきか自明だろう。つまり、日本は手を出さず、ほうっておけば、「ランドパワー同士の共食い」が始まるのだ。戦前の日本はこの点を理解せず、大陸進出し、彼らの争乱に巻き込まれた。劣勢にあった毛沢東の共産党に利用されたといってもいい。これが、シナ事変だ。日本が華北から撤兵していたら、直後に共産党と国民党の内乱が起きていただろう。実際、戦後の国共内戦でそうなった。

蒋介石の「日本は皮膚病だが共産党は癌」「日本軍の侵略のおかげで共産党が天下をとれた」という毛沢東の言葉がこのことを表している。1946.3月、ソ連軍が国民党政権との協定に従って、満州からの撤退準備を開始すると、国民党軍が直ちに軍隊を派遣して支配下に治めた。

  7.12日、国民党軍50万人が、江蘇及び安微の両省にある共産党側の支配地域に襲い掛かり、国民党軍と共産党軍の全面戦争-国共内戦が勃発した。この時点の凡その勢力は、国民党側が430万人、共産党側が120万人であったと推定されている。最初のうちは装備に優れる国民党軍が連戦連勝し、共産党軍の支配する都市を次々と奪い取っていった。これに対し、共産党軍の最高指導者であった毛沢東は、この内戦を「中国解放闘争」と位置付け、ゲリラ戦術の多用による長期戦化を戦略し持久戦に持ち込んだ。

 3年と3ヶ月続いた「国共内戦」は、停戦合意も得ぬまま事実上の終幕を迎え、現在の中国と台湾へと辿っていく。

これがランドパワーの本質だし、シーパワーはその争乱を唆し、裏で操るべきなのだ。英国が大陸欧州を分割しパワーバランスを図ったように。

こう考えれば、現在の北朝鮮情勢をめぐる、胡主席派ランドパワーと江沢民シーパワー派の争乱は、絶好のチャンスと考えられる。この闘争で、日本は少しでも「争いを激化」させる方向で戦略を構築すべきなのだ。そうすれば、中国や北朝鮮は大陸問題の忙殺され、結果として疲弊し、海洋進出どころではなくなるし、日本とは棲み分けが成立することになる。シーパワーはこのような漁夫の利を狙う、「狡猾さ」をもたなければいけない。

このような事は、世界史を学べば当然、理解されるべきことだ。しかし、教科書や授業でそのような解説がなされることはない。

そのため、日本人はいくら教科書を学んだといっても、国際関係の無知音痴といったままだ。日本が鎖国しているなら、それでもよいが、人口1億2千万の加工貿易立国である以上、国際情勢を理解することは死活問題だ。にもかかわらず、日本には、日本や世界についての真実を語る機関も出版物もない。そのため、国際情勢の把握に失敗し、官民ともに連戦連敗を続けている。この点、独ソ不可侵条約締結による外交方針の喪失から「欧州情勢は複雑怪奇」といって平沼内閣が倒れた頃から全く、進歩していない。

国際情勢が激変しつつある今日、このままでは間違いなく、日本は滅びていくだろう。このような危機感が、私が3年前より、メルマガを通じた執筆活動を行い続け、戦略を構築している理由だ。サイトの中には、私を地政学研究者として紹介しているものもあるが、私は、歴史の研究とその研究をベースにして、戦略の構築、実行を目指している。地政学はその内容の一つなのだが。

今後の、戦略の実行についてであるが、私は知人に米軍関係や米国政府関係者がいるが、彼らは日本の外務省を相手にはしていない。むしろ、とにかく要求して、脅せばかならず言うこと聞くぐらいに考えている。これは、幕末のペリー来航の頃から変わらぬ、マスタースレーブないびつな日米関係だ。私が、日本政府を相手にしていない理由もここにあり、アメリカとは私が直接話しをするほうがいい結果になるだろう。

国際ビジネスの経験者ならわかるだろう。代理店よりも、本社と話をすべきだし、本社よりは株主を説得すべきなのだ。つまり、代理店である外務省よりは本社である米国政府、米国政府よりは株主たる国際金融資本と直接、戦略対話を行う方が効果的だ。国際金融資本とはゲーテの「ファウスト」に出てくるメフィストフェレスのことだ。彼と契約を結ぶと、24年間はやりたい放題のことができる。しかし、契約期間終了と同時に魂を奪われるという訳だ。

私はメフィストフェレスと契約を結ばない。あくまで、対等以上の立場で交渉する。彼らが真に恐れるのは、利益の誘導や脅迫に屈しない勇者だ。この点につき”Every politician has his price”という言葉が全てを物語っているだろう。

国際金融資本については、私の過去のメルマガで何度も書いてきたので、詳述はしないが、彼らは、植民地支配において、必ず、表に出ず、現地マイノリティを裏で操るという手法をとる。そして、不要になれば、弊履のごとく捨て去る。ここが理解できていれば、歴史に繰り返されるパターンもその背景が見えてくるだろう。カエサル、クロムウェル、ナポレオン、ヒトラー、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、坂本竜馬や伊藤博文、現代のビンラディン、フセイン、ノリエガ、マルコス等に通じるのは、この国際金融資本の関与だ。彼らは、成績の悪い代理店を切るように、パートナーをチェンジする。

ヒトラーについては、45年3月の最後のラジオ演説で、国際金融資本の危険性を述べているが、彼らと契約した以上、当然の結果を招いただけなので、後の祭りだ。「国民諸君、同志諸君、最後まで戦い続ける諸君に敬意を表する。
すでに戦況は・・・私はベルリンと運命をともに・・・しかしナチスは不滅である・・。たとえ米ソがいったんは勝つように見えようとも・・・。 そうなのだ、それは砂の上の勝利だ。彼らは世界の真の支配者ではないからだ。彼らの背後で操る者・・・ユダヤ・・・イスラエル・・・世界的なユダヤ国際資本・・・略」

面白いのは、伊達政宗だ。彼は、スペインと提携し、家康亡き後、婿にあたる、徳川家康の六男松平忠照を三代将軍につけて天下を奪おうと本気で考えていたようだ。そのため、日本最初のガレオン船サン・ファン・バウティスタ号をスペイン人の技術指導の下、日本人船大工に建設させ、実際に太平洋を横断させ、スペインやローマに家臣を派遣している。しかし、16世紀初頭、彼が提携先に選んだスペインは既に、英国に覇権を奪われており、政宗の野望も潰えた。16世紀当時の日本は、伊達といった地方大名レベルでも、太平洋横断の外洋船の建造が可能だったのだ。この事実は、欧州勢力を驚嘆させたであろう。

こう考えると、堀江、村上の次に、ソフトバンクがどうなるかも自明だろう。国際金融資本はボーダフォンを売った時点で文字通り、「損(孫)切り」を行ったのだ。

各国をイナゴのように食い尽くしてきた国際金融資本の狙いは日本だが、まだ、完全には屈していない。16世紀に来日した宣教師が認めたように、他国のような、植民地支配するには、日本の知的資産、文明の位相が高すぎたのだ。しかし、かなり食い尽くされているのも事実だ。昭和天皇崩御後、彼らの攻勢は甚だしい。

ここから、日本がどう反攻に出るかだ。言うまでもなく、私が縷々力説してきた、アクエリアスによる中東との連携を行い、もって、国際金融資本との勢力均衡を図るという戦略だ。これは、ある意味で、中東をめぐる国際金融資本とのバトルともいえる。勝負の火蓋は切って落とされた。

日本の文明的意義はまさに、獰猛なランドパワーをシーパワーが飲み込んだということにつきる。日本文明の真の意味はこの「受容能力」の高さと大陸の文物を何でも取捨選択の上吸収し、徹底的に日本化していく力だと思うのだ。今後の世界はまさに動乱の時代と予測されるが、日本人がこの正反する二者を止揚する力を失わなければ、あるいは世界は救われるかもしれない。シーパワー同士の連携について考えてみれば、かっての日英同盟がそれぞれのホームを太平洋と大西洋に限定し、インド洋を共同管理するという形でパートナー関係を作れた。しかし、戦後の日米関係は、同じ、太平洋という海をホームとするため、利害がバッティングし、戦争までして、マスタースレーブの関係を構築した。このいびつな状態を改めるためにも、日本は、中東や英国と協力し、アクエリアスを成功させることは絶対必要だ。これができてはじめて、国際金融資本と対等な立場で交渉できる。
そのため、日本の技術、英国のネットワーク、アラブの資本。これらを有機的に結びつける、ジョイントオペレーションが、幕を開けようとしている。アクエリアスの成功こそが、日本文明が人類の宝であり、世界を救う可能性を秘めていることを明らかにすると考いている。

<参考>
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http://www5d.biglobe.ne.jp/~koshi/syohyou/syohyou05.htm
大航海時代の当時、スペイン、ポルトガルという二つの王国とポルトガル商人は新大陸やアジアの植民地化を進めていた。その尖兵を務めたのが当時のイエズス会のバテレンたちだった。こうした「南欧勢力」の最終標的は中国の植民地化だったが、足がかりとしてまず日本のキリスト教化をもくろむ。この「南欧勢力」の意を体して日本を統一し、中国に攻め入る英雄として白羽の矢を立てられたのが信長その人だった。上洛を果たした信長は、「南欧勢力」のための政策を次々に実行に移す。バテレンの入京と布教の許可、京都や安土での教会や学校建設、その一方で一向宗徒の弾圧、延暦寺の焼き討ち等々。そして、ついに天正十年(一五八二年)の本能寺の変の直前にはバチカンの太陽暦に合わせて暦の変更を朝廷に迫った。
 十六世紀後半の日本は「南欧勢力」の拡張主義の波に呑みこまれようとしていたということである。これは明治維新や太平洋戦争敗戦後にこの国で起きたこととよく似ている。立花氏が発見した信長はまさしく現代の問題を孕んだ信長なのである。
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------------引用--------------
http://www.wound-treatment.jp/next/dokusho70.htm
信長と十字架
一方,信長にとっても大きなメリットがある。宣教師達を介して,いくらでも銃でも大砲でも入手できるし,金銭的援助も得られるからだ。実際,日本で金山の本格的採掘が始まったのは秀吉の時代であるはずなのに,信長は膨大な黄金を持っていて,臣下に褒美として取らせていたという。このような軍事的・金銭的メリットは他のキリシタン大名も得ていた。
 信長がイエズス会に多大な便宜を図っていた事は事実であるが,その理由はこれで納得がいく。実際,この時代のイエズス会宣教師は武器を売りさばく「死の商人」であり,その「死の商人」を利用したのが信長だった。
 「軍隊は歩く胃袋である」と言われるように,軍隊は何も生みださず,ただ消費するだけである。現在のアメリカのイラク戦争・占領を見てもわかる通り,巨額の戦費を注ぎ込んでもそれで十分と言う事はないのである。それが戦争であり軍隊である。これは戦国時代にも共通している。戦国時代を勝ち抜くためには「歩く胃袋」に食わせ,武器・弾薬を惜しみなく使わなければいけない。この消耗戦に勝ち抜くため,信長はイエズス会に,イエズス会のために天下統一することを約束したのであり,だからこそ,他を圧倒する武力と戦費が得られたのである。その他の大名にとって現金収入は年貢だけであり,その収入だけでは長年の戦闘を維持することは不可能だったのだ。
 ところが途中から信長は暴走し,イエズス会にとって困った存在となる。信長にとってイエズス会とは金と武器を出してくれる便利な存在であり,キリスト教の教えはどうでもいい事だったらしい。
 その結果,イエズス会は邪魔者でしかない信長暗殺を画策し,明智光秀に信長討伐を命じるように朝廷に裏で働きかける。
 光秀が信長を裏切った原因として,これまでは信長に恥をかかされた私怨が原因と説明されてきたが,やはりそれだけでは動機としてあまりに弱い。しかしこの説明のように,「信長亡き後はお前を日本国の国王にしよう」と耳打ちされたのであれば,十分納得できると思う。
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http://npslq9-web.hp.infoseek.co.jp/sls010.html
信長は、
 1.他の戦国大名に先駆けて兵農分離を行い、農閑期以外でも大軍を動員できるようにして、近代的な常備軍を設立した。
 2.家臣を土地から切り離し、安土城下に住まわせ、中央集権的な官僚制を作ろうとした。
 3.楽市楽座により国内産業の育成に力を入れ、堺や大坂といった有望な貿易港を支配することに、熱意を示した。
 このような相似性が見られるのだ。
 1582年に本能寺の変が起き、信長は光秀に暗殺される。しかし、同時期に、織田水軍が大阪湾上で、四国攻めの準備を行っていた点は看過できない。つまり、鉄鋼船を含む織田水軍は将来、フィリピン遠征の危険があると察したスペインが、キリスト教宣教師を使って信長を暗殺する駒として光秀を動かしたという仮説である。
 私はこの説を支持するが確証がないため、仮説としておく。つまり、信長はシーパワーであるスペイン、ポルトガルと結ぶことにより覇権を握ったが、彼らに危険視され消されたのだと。鉄鋼船の保持は、現代で言えば潜水艦発射核ミサイルに相当する。そんなものをもつことを許さなかったのだ。日本が今でも許されないように。
 シーパワーの戦略は勢力均衡を鉄則とする。つまり、強大になりすぎた勢力はかならず、叩くのだ。欧州におけるナポレオンやヒトラーを英国がつぶした例にとるまでもなく。信長の死も彼等の破滅も本質はシーパワーの勢力均衡戦略で説明できる。
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http://hb2.seikyou.ne.jp/home/fm/ishi-sant.html
伊達の黒船、史上最大級のガレオン船!!

 サン・ファン・バウティスタ号は支倉常長ら慶長遣欧
使節団の使節船として、伊達政宗の命により建造されま
した。この船名「SantJuan Bautista」は「洗礼者・聖
ヨハネ」に由来すると伝えられています。当時の世界最
高ともいえる技術で建造され、月浦を出帆、日本製の木
造洋式帆船として初の太平洋二往復に成功し、支倉常長
の偉業とともに多くの人々に感動を与えています。
 画像のサン・ファン・バウティスタ号は380余年の
時を経て復元、現在に甦ったものです。しかし、この船
の復元に際し、様々な困難があったことは素人の我々に
でも容易に想像することができます。復元に至るまでの
過程を以下にまとめてみました。
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以上

コメント

言ってることはよく分かります
本は出さないんですか?

ネットで十分なので、出版の予定はありません。

http://blog.mag2.com/m/log/0000012950/107931226.html

ロシアと組んで中国と対立するという作戦を立てている人がいますがどうお考えでしょうか。

北野氏は完全なロシア政府の代理人なので、相手にしてません。
ロシアとは組むことは絶対にできません。せいぜいできるのは、中ロに離間策と対ロ貿易です。

http://www.teamrenzan.com/archives/writer/edajima/vol110.html