富士山の綺麗な日、松村 劭氏を再訪した。その際、色々なお話を伺った。以下は当日のメモ。
1. 統帥権
(松村氏はその著書の中で、政治の論理と軍事の論理が食い違い、政治の論理が優先された結果、後に悔いを産むことになった事例をいくつか上げている。戦前・戦中の軍部独走を生んだのはこの逆のケースであり、統帥権がその温床になったと言われている。)
国内を統治するのは政治である。政治は法律によって統治する。これに対して国外の問題に対処するのは外交と軍事である。国際政治は原則として“恋愛と戦争は何をしても正当(All is fair in love and war)”で法の外側の世界。外交は交渉であり、どこまで妥協するかと言う世界、これに対して軍事は外交で満足する結論が得られない時に登場する最後の手段である。この両者をどのようにバランスさせれば良いのか。これが難しい。
日本の天皇は殆ど戦場に行っていない。昭和天皇もそうだった。そして個々の作戦には口出しをしない。そういう意味で、日本の天皇は統帥権を行使していない。
アメリカの大統領も戦場に出ないが作戦運用に干渉する悪い癖がある。
これに対してヨーロッパの国王は自分が率先して戦場に行き、指揮をとる。アレクサンダー大王、リチャード獅子心王、ナポレオン、皆戦場に自分から行った。アメリカの大統領も同じ。そのために欧米では軍人上がりの政治家も多く、政治家が軍事を知っているので政治と軍事の間にギャップがない。国王が戦場に行かなくても、軍隊に入隊させて軍事経験を積ませて軍事とはどういうものかを体験できるようにしている。
同じ事を現在の日本でやるとすれば、政治家に軍隊への入隊を義務付けたらどうだろう。例えば被選挙権者の資格に軍隊経験を入れれば良い。
政治は性善説に基づいている。軍隊は“人間は弱くはかなく、その癖に欲張りで怖がり”という前提で組織を作っている。 だから軍隊は組織で戦う。個人主義ではない。将軍にとって兵士は財産だから分け隔てなく可愛がるので格差社会ではなく平等社会である。政治の原則は軍隊のように弱者を可愛がることである。
出典
2. 日本の孤立
戦前の日本は国際的に友好国を作らず孤立する道を選んでしまった。これが間違いの基だ。アメリカは何回か日本に助けを求めたが、日本はその都度断った。日露戦争直後に満州鉄道の共同経営を断った、清朝末の混乱期に欧米側の支援要請を断った、1927年の第三次南京事件の際の英米の共同介入要請を断った、後の二回断ったのが幣原喜重郎。この時にアメリカと手を結んでいれば歴史は変わっていたかもしれない。
出典
3. 日本は海洋国家
海洋は共用できるが、陸地は共用できない。
中国は大陸国家である。海洋国家と大陸国家は全ての点で考え方が違うので友達にはなれない。お互いに相手の考え方が理解できないからだ。
一方、アメリカは海洋国家である。卒業生の数から言うと、アナポリス(海軍)の方がウエストポイント(陸軍)よりも多いし、歴史も古い。軍縮にしても、陸軍は兵力を激減するが、海軍は艦艇を保管するだけで、水兵を減らさない。だから、日本は海洋国家同士としてアメリカとは友達になれる。
(この考えは本サイトの江田島孔明氏の「ランドパワーとシーパワー」の考え方と共通点がある。筆者)
4. 親中派
日本は中国をもっと尊敬しなければいけない。現在、親中派と言われている人たちは、内心の奥深くでは中国を馬鹿にしているのではないか。上手く利用してやろう、利用できると思い上がっている。日中韓が東アジア連合を作っても人口10倍の中国は日本の指導力を尊敬すると思っているが、中華思想の中国は主導権を握って日本に指図するようになるだろう。そう思えばそのような考え方はしなくなる。仲良くしようと思えば中国の力を認めて対等の立場で対立するのが良い。
5. 住みよい社会
競争中心の社会は本当に住みやすい社会だろうか?我々が住みたい社会だろうか?落ちこぼれも住み場所のある社会が住みやすいのではないか?騒がしくなく、ストレスのたまらないアモルファス状社会が、望ましい社会なのではないか?
昔のヤクザはこのような落ちこぼれを拾い上げる機能をもっていた。しかし戦後アメリカ軍の指導で、ヤクザの上部組織が壊滅し、下のチンピラが残って今の暴力団になった。その結果、「素人衆には手を出さない」という昔のヤクザの掟は継承されなくなった。
フィンランド、ノルウエー、デンマークなどの北欧の国々は物質力(財力)で人間の価値を計らない。人格で人間を評価する社会を作ることに成功しているように見える。しかし、税金は高いかもしれない。
市民の契約によって国家が生まれたと言うのは、アメリカのような移民国家にしか当てはまらないのではないか?日本のように混血が進んだ国は別の原理でできているように思う。
『松村劭書店 』
参照
