石油文明の黄昏

産業革命以前のエネルギー源は、人力、畜力だった。奴隷や農奴は人力だし、ウシやウマは畜力だ。熱源としては薪、木炭、牛糞が使われた。

奴隷の供給源はアメリカ以前は主に戦争だった。負けた国の人たちを奴隷として勝った国に連れてきた。ローマ帝国を底辺で支えたのは奴隷労働であったために、ローマ帝国は絶えず戦争をして新しい奴隷を獲得しなければならなかった。好んで奴隷になる人は居ないので、武力や暴力によって強制しなければ奴隷制度は維持できない。

このようなエネルギー事情を一変させたのが産業革命である。蒸気機関の発明によって石炭が熱源としてだけでなく、動力源として人や家畜に代わって使われるようになった。蒸気機関以前にも水車や風車が一部の地域で使われていたが、これらは利用できる地域が限られていた。石炭の使用がこのような地理的な障害を取り払って、どこでも動力源として利用できることになり、近代文明、近代社会を築くことを可能にした。この石炭はその後さらに取り扱いやすい石油・天然ガスにとって代わられることになったが、その本質は変わらない。

石炭・石油・天然ガスの特徴は、その原価が製造原価でなく、採集・精製コストであることである。つまり、掘り出して売れば良いのだから、原価が大変安い。しかし、新しく作り出すことはできないのだから、当然資源量に限界がある。その限界が目の前に見え出したのが現在である。

安いエネルギーは何を生んだか

1. 交通が容易になった。
ジェット機・自動車によって我々の移動、物資の移動は各段位早く安く行えるようになった。石炭・石油以前には交通手段がウマ・ラクダ等の動物または帆船に頼っていたので、地域間の交通・運搬は大変難しかった。そのために各地域は孤立し、世界は一体感を持つことができなかった。化石燃料によって初めて「世界」が生まれたのだ。国際社会、国際連盟、国連等が成立したのも、この「世界」の成立の延長線上にある。

2. 安い動力源が手に入りやすくなり、農業、工業の生産効率が上がった。その結果、製品価格が下がり、庶民の生活は以前よりも豊かになった。生活にゆとりが生まれると、剥きだしの暴力の価値は下がり、後ろめたいものとなって行く。暴力に頼らない人々、暴力による強制を非道徳的だと考える人々が増えて、その批判に耐えられなくなったからだ。そのようにして民主主義が生まれ、論理、または弁論の価値が上がってくる。
平等意識が高まり、最近女性の発言権が増してきているのも、その一環であろう。

石油が枯渇すればこのような前提は一気に崩れる。当初は石油の節約技術が発達し、石炭の液化が進むだろう。しかし、それさえもなくなった時には代替エネルギーに頼る他はない。

エネルギーの価格が上昇すると、今まで隠れたいたものが表面に出てくる。それがエネルギー収支である。エネルギー収支とは、1単位のエネルギーを生み出すのに何単位のエネルギーを必要とするかを言う。使ったエネルギーよりも、生み出すエネルギーの方が少なければ、自分の足を食うタコのように、エネルギー総量は次第に減ってしまう。例えば太陽電池はエネルギー収支はマイナスではないかと言われている。同じように原子力発電も燃料精製に膨大なエネルギーを使い、かつ廃棄物処理、廃炉処理にもエネルギーが必要なのでその収支には疑問がある。

従来このようなエネルギー収支が重視されなかったのは、エネルギー価格が安かったことと、その採算計算が極めて短期的な視野で行われてきたことに理由がある。石油枯渇以後はこのような安易な態度は許されなくなるだろう。