【書評】捏造された聖書

[概要]

1.最初の聖書

イエスが磔にあったのは紀元30年頃、そして紀元312年にコンスタンティヌス1世がキリスト教をローマ帝国の正式な国教とした。そして最古の聖書が編纂されたのは、2世紀の半ばローマのマルキオンによると言われている。キリストの死後200年以上後だ。その間は、口伝え、またはメモによって、イエスの考えと彼の行動が伝えられてきた。
しかし、マルキオンと違う解釈をするものも大勢いた。そして367年にアレキサンドリアのアタナシウスが現在の新約聖書27編を選び、それ以外の全ての文書を排除した。しかし、論争はこれ以後も何世紀も続いた。

コンスタンティヌス帝
出典

イエスおよび彼の高弟(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)の直筆は残っていない。全ては伝聞、そしてその伝承である。
(紹介者注:恐らくこれらの文書は全てギリシャ語で書かれている。イエスはアラム語で語ったが、アラム語またはヘブライ語で書かれたイエス関係の文書は恐らく残っていない)

2.筆写

当時は印刷機はまだなかった。人が手で書き写すこと、筆写だけが唯一の複製の方法だった。当然そこには多くの誤りが起った。その中には意図しない単なる間違いもあり、意図的な捏造もあった。

(1)識字率

当時の大部分の人は読み書きができなかった。ペトロとヨハネは文盲だった(使徒言行録4章13)。筆写をした書記は素人の篤志家で、そのレベルは極めて低かった。プロの書記によって聖書が筆写されるようになるのは、コンスタンティヌス1世のキリスト教公認以後である。

(2)筆写ミス

間違いの中には、書き間違い、写し洩れ、追加、綴りの間違い、などがある。更にはそのような間違いに気付いた書記が、それを直そうとして更に間違えることもある。例えばパウロの「ガラテヤの信徒への手紙」は、現存する最古の文書でもパウロの死後150年後のものだ。この文書は150年の間、回覧され、複写され続けてきた。それが原典と何箇所の違いがあるのかは分からない。しかし、どれが最古の版かを決めることはできる。
そのような作業によって、後世に付け加えられたと思われる箇所を除いていくと驚くべき結果になる。例えば、
浮気をした女が石打の刑によって殺されようとしている時に、イエスは「罪を犯したことがない人が石を投げなさい」と言って、誰も石を投げられなくなったという有名な話、これは「ヨハネによる福音書」7章53-8章12にあるが、「ヨハネによる福音書」のオリジナルには入っていなかったと思われる。多分後世の書記が付け加えたのだろう。文体も違う。ただし、この話が当時、口頭伝承として知れ渡っていた可能性はある。

姦通の女
出典

二つの行が同じ文字または単語で終っている時に、その間の行を飛ばしてしまうことがある。

当時は、筆写の能率を上げるために、一人の書記が朗読し、大勢の書記がそれを聞きながら筆写することがあった。この場合に書記が同じ発音もしくは似た発音の言葉を誤って書いてしまうことがあった。

(3)意図的な改ざん

テキストの中に事実関係の明白な誤りがある、と思われた場合。
論理的に矛盾を含んでいると思われる箇所を改ざんして意味が通るようにする。
誤解を呼ぶ恐れがある表現を誤解されないように改ざんする。
さらには、筆写当時の書記の属する教団の教義に合わない箇所を、合うように改ざんする。

3.改ざんの見抜き方

異文がある場合は、分かりやすい方を捨て、理解困難な文章を採用する。分かり難く改ざんする書記はいない。

似通った写本をグループ化し、家系図のような複製の系統図を作る。その結果四つの系統があることが分かった。

(1)ビザンチン・テキスト(シリア・テキストとも言う)
(2)西方テキスト 2世紀以前の古いものだが雑な複製である。
(3)アレキサンドリア・テキスト 作業は入念だが改ざんが多い。
(4)中立テキスト 重大な改ざんを受けていないもの。例:1844年発見の「シナイ写本」
現在ではこの内、(3)と(4)は同じものだと考える学者が多い。

シナイ写本が発見された聖カタリナ修道院
出典

外的証拠
写本の数が多くてもオリジナルに近いとは言えない。年代の方が大事だ。最古の写本が最もオリジナルに近い。しかし、最初期のテキスト伝承は質的には最悪だったので、絶対的な基準ではない。
異文の地理的な分布。ローカルな異文よりも、広範囲に発見される異文の方がオリジナルに近い。
オリジナルな文は最良の写本(グループ)の中にある。(アレクサンドリア・テキストは、ビザンチン・テキストや西方テキストよりもオリジナルに近いことが多い)

内的証拠
二つ以上の異文がある場合に、その内の一つに使われている単語や言い回しがその著者の他の著作に全く登場しないとき、あるいはそこに書かれている視点がその著者が他の箇所で述べていることと矛盾するとき、その異文が著者自身のものである可能性は低い。

理解困難な文の方がオリジナルに近い。理解不可能な文章に改ざんする書記はいないからだ。

新約聖書に含まれる文書が完成してからコンスタンティヌスのキリスト教改宗までの間に、実に様々な神学が生まれた。そして夫々の宗派が、使徒が書いたと言う文書を持っていた。そして最後にその中の只一つの宗派が勝ち残るのだが、その間に彼らは自分たちの宗派の神学に都合の良いように、そして敵対する宗派には不都合になるように、文書を改ざんした。

女性の役割についても多くの改ざんが行われた。
現存する最古の写本によると、イエスの旅には女性達が随行していた。彼女達の中には、イエスとその弟子達を経済的に支えてパトロンとなっていたものもいる。最後の旅のエルサレム行では、男の弟子達が逃げ去った後も、女達はイエスの磔に立会い、最後まで彼に忠実だった。イエスの復活を最初に知り、これを証言したのも女性だった。新約聖書のパウロの書簡では、女性達は大きな役目を果たしている。パウロの死後、女性の果たすべき役割が教会の中で議論された。そして、次第に女性の役割を限定する方に動いて行った。そして聖書もまた、その方向に改ざんされて行った。

ユダヤ人の問題。
イエスはユダヤ人であり、ユダヤ教の神を崇拝し、ユダヤの慣習を守り、ユダヤの律法を解釈し、ユダヤ人を弟子にした。しかし、イエスの死後数十年の内に、彼の信徒達はユダヤ教と対立する宗教を作り上げた。
信徒達はイエスをメシアだと考えたのだが、ユダヤ教のメシアとは強大な軍隊を率いてイスラエルを建国する人である。イエスはその正反対であった。したがって信徒達は、ユダヤ人にイエスに関する自分たちの考えを受け入れさせることができなかった。そこで信徒達はユダヤ人を拒否するようになった。そして反ユダヤ的になるように聖書を改ざんした

イエスは大工だったか?
異教徒から初期のキリスト教徒は「大工を拝んでいる」と嘲られ、困っていた。そこで、聖書を改ざんして、イエスを「大工の子」とした文書がある。

4.聖書の歴史

4世紀以降、聖書の複製はプロの手でつくられるようになった。やがてギリシャ語聖書の複製は修道院の修道僧の仕事となった。彼らの多くはビザンチン帝国に住んでいたので、7世紀以降のギリシャ語写本は「ビザンチン写本」と呼ばれることがある。

コンスタンティヌス帝の改宗以後、ラテン語を主要言語とするキリスト教徒が増えて多種多様なラテン語訳聖書が作られ、それらが互いに全く違っていた。そこで4世紀に当時の教皇がヒエロニムスに公式のラテン語訳聖書を作るように命じた。その結果できたのが「ウルガタ」である。グーテンベルグが1456年に印刷したのがこのウルガタである。ギリシャ語版は分離主義者「ギリシャ正教会」のもので印刷するに値しない、と思われていた。

聖ヒエロニムス
出典

8世紀前半にイギリスでつくられたウルガタ
出典

グーテンベルグ聖書
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1515年、エラスムスがギリシャ語版を印刷した。これは厳密な仕事とは言えなかったが、人気があり、300年以上西ヨーロッパのギリシャ語テキストの標準となると共に、欽定訳聖書の原典となった。(紹介者注:したがって欽定訳聖書は多くの誤りを含む)

エラスムス
出典

1707年、ジョン・ミルは百種類の資料をチェックした結果、その中にあった3万箇所の異文を発表した。(現在では5700以上のギリシャ語写本が発見されている)この発表はキリスト教界に衝撃を与えると共に、以後の聖書の「本文批評」という分野を開く端緒となった。

(紹介者注:
・構成は読者が分かりやすいように変更した。
・原著には多くの聖書中の文章が引用してあるが、却って理解しにくくなることを恐れて省略した。)

[感想]

イエスが死んだのが1世紀、聖書ができたのが、2~4世紀、イエスの語ったのはアラム語、最古の聖書はギリシャ語。今まで長い間、ぼんやりと「変だな」と思っていた疑問が氷解する本だ。
著者はアメリカの聖書学者で、学問的な著作も多い。本書は聖書の本文批評の現状を素人に分かりやすく解説した世界最初の本だ、と著者自身が序文で語っている。
イエスが死んで2000年、やっと聖書にも客観的な学問的分析のメスを入れられるようになったことは喜ばしい。しかし、宗教を生活の手段、権力の手段として利用している人達は、このような分析を喜ばないだろう。彼らの生活の基盤、権力の基盤が脅威に晒されると感じてこのような動きを抑えたいと思うかも知れない。
過去の歴史によると、盲信は勝ち残ることができなかったのではないか?イエス・キリストについても、理性に基づいた理解と尊敬が必要とされる時代になっているのだろうと思う。
聖書が神の与えたものでなく、人間が書き写してきた、多くの誤りを含んだ書物だと言うことは残念なことだが、それでもイエスの偉大さは充分理解することができる。逆に聖書にいくらかの誤りが含まれていることを知ることによって揺らぐような信仰ならば、そんな信仰は捨てても惜しくない程度のものだと私は思う。

[参考文献]

捏造された聖書
バート・D・アーマン著、松田和也訳、柏書房刊

コメント

久しぶりに,本格的な名著を読んだ思いです。バッハのマタイ受難曲の27章を百数十回も聞いて,やっと少し聞き分けられるるようになって来たところですが,その内容について,余りにも,ローマ帝国に都合良く,ユダヤ人に不都合にできていることに対する欲求不満が氷解したという感じです。