マグダラのマリア

1.娼婦出身?

マグダラのマリアは長い間、カソリック教会によって娼婦出身であるとされてきた。しかし、そのことは聖書には書かれていない。


グリューネワルト
イーゼンハイムの祭壇画(部分) イエスの十字架上の死を嘆くマグダラのマリア

聖書には、イエスの足に香油を塗って自分の髪で拭う女性が何人か出てくる。彼女らは悔い改めた娼婦であったとされる。

591年、当時のローマ教皇グレゴリウス1世はこれらをマグダラのマリアであると断定した。同時に、マルコの福音書16:9やルカの福音書8:2が、マグダラのマリアのことをイエスに「七つの悪霊を追い出してもらった」と書いていることから、この「七つの悪霊」を、「七つの大罪」として、マグダラのマリアがこれらの罪をを犯していた、とした。その結果、マグダラのマリアは娼婦出身とされ、「罪の女」(the Sinner)と呼ばれるようになった。

しかしこれは全く根も葉もない捏造であった。グレゴリウス1世は何故このような罪深いことをしたのか?それは政治的な思惑であって、宗教的な理由ではなかったと思われる。

それから1400年!

カトリック教会は、1969年、パウロ6世の時に、聖女マグダラのマリアの日に読むべき聖書の一節を、これまでの「罪深い女」の節から、マグダラのマリアが復活したイエスと出会う場面(ヨハネ20:1-2, 11-18)に変更した。これが聖女の名誉回復の第一歩であった。

「罪深い女」とマグダラのマリアを同一人物としたのは、もともとカトリックだけであったので、現在、これらを同一人物とする教派はほとんど無いが、長年の記憶は欧米にも日本にも、根強く残っている。

一方、カトリック信仰の強い国々を中心に、娘を名付けるにあたってこの聖女の名が好んで使われており、彼女が娼婦の出身であると広く信じられていたとすると理解しにくい。

· フランス語では「マリー・マドレーヌ」(Marie Madeleine) となる。お菓子のマドレーヌもこの名に由来する。
· 愛称は「マルレーン」もしくは「マレーネ」(Marlene)。マレーネ・ディートリッヒもこの名前である。
· 聖女の名は教会だけでなく教育機関などにも冠されることが多い。また地名も多くある。 (ただし、上記の誤解から、元娼婦の更生施設にもこの名前が使われている)

2.本当の姿

マグダラのマリアについて聖書には、悪霊に憑かれた病をイエスによって癒されたこと、磔にされたイエスを遠くから見守ったこと、その埋葬を見届けたこと、復活したイエスに最初に会って使徒たちに伝えたことが書かれている。このため彼女は初期キリスト教父たちから「使徒たちへの使徒」(the Apostle to the Apostles)と呼ばれた。

20世紀になって、『マリアによる福音書』(断片)、『トマスによる福音書』、『フィリポによる福音書』などが発見された。これらはカトリック教会によって異端文書として正典から排除され、長い間、廃棄・湮滅が意図的に行われてきたものであった。

『マリアによる福音書』の内容:

・イエスが弟子たち(使徒)に宣教を頼むと、弟子たちは怯んで承諾できない。それをマリアが励まして、宣教に向かわせ、自分自身も宣教にでる。

・ペテロがマグダラのマリアに対し、「救い主が他の女性たちに勝ってあなたを愛したことを私たちは知っています。」として、彼女が救い主から授かった教えを他の人々にも話すよう求める。

・マリアは救い主の啓示について話す。

・アンデレとぺテロはその内容を信じない。

・レビがぺテロをたしなめ、使徒たちは宣教に出発する。

『フィリポによる福音書』の内容:

・三人の者がいつも主と共に歩んでいた。それは彼の母マリアと彼女の姉妹と彼の伴侶と呼ばれていたマグダレーネーであった。(§32)

・主はマリアをすべての弟子たちよりも愛していた。そして彼(主)は彼女の口にしばしば接吻した。(§55b)

マグダラのマリアは裕福で、イエスの宣教を経済的に援助したとも言われている。

『ルカによる福音書』は彼女について次のように書いている(ルカ8:1-3, 23:55)。彼女の出自についてそれ以上のことは、後世の想像である。

「イエスに七つの悪霊を追い出してもらった。多くの婦人たちと一緒に、ガリラヤからイエスに付き従い、自分の持ち物を出し合ってイエスの一行に奉仕していた。」

1969年にカトリック教会はマグダラのマリアが「罪深い女」ではなかったとするなど、その見直しが始まった。

聖書には「イエスの愛しておられた弟子」がしばしば出てくる。これがマグダラのマリアではないかとの説は、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」よりも以前から囁かれていた。

3.陰謀?

イエスには多くの女性の信者が付き従っていた。その中でいつも最初に名前を上げられるのはマグダラのマリアである。彼女は女性信者のリーダーであった可能性が高い。

イエスが処刑される時、男性の弟子達は皆逃げ出したが、マリアを始めとする女性達は踏みとどまってイエスの最後を見届けた。

そしてマグダラのマリアは復活したイエスの姿を誰よりも早く見て仲間達に伝える。

ペテロに関してはマリアへの嫌悪を口外した話がいくつか残っている。ペテロはマリアを女としての立場を弁えていないと感じていたようだ。

マリアは優秀な福音の伝え手であり、使徒たちを元気付ける役割を持っていた。そして自分自身も宣教の旅に出ている。このような彼女が12使徒から除かれているのは異様である。

何らかの意図を感ぜざるを得ない。やはり当時のペテロが代表する男性優位の考え方が大勢を占めていったのだろう。このような差別はイエスの存命中には見られなかった。

そしてカトリック教会はマグダラのマリアを娼婦にまで貶めたのだ。そのことを思うと、庶民の感覚の鋭さには驚かざるを得ない。彼らはカトリック教会が懸命に隠してきたマグダラのマリアの偉大さを直感的に感じ取って、自分たちの娘の名前に使ってきたのだ。

4.イエスの棺

1980年3月28日、エルサレムでブルドーザーが岩盤を砕くと墓の前室が現れた。中にあったのは10の骨棺、刻印されていた死者の名前はマリア、ヨセ、ヨセフの息子イエス、マタイ、イエスの息子ユダ、マリアムネ(ギリシャ文字)であった。イエスの棺が見付かった瞬間である。

イスラエル政府は簡単な調査の後、「特別なものはない」として、この墓を鉄板とコンクリートで封印した。(キリストの棺、シンハ・ヨコボヴィッチ、チャールズ・ペルグリーノ著、沢田博訳、イーストプレス刊)

その後の簡単な調査によると、マリアムネはマグダラのマリアであり、イエスとマグダラのマリアのDNAを分析した結果、二人には血縁関係が無かったことが分かった。これは二人が結婚していたことを強く示唆する。

残念ながら、イエスの息子ユダとイエス、マグダラのマリアのDNA分析はまだ行われていない。

参考文献: