メキシコ、ニュメキシコ市の教会に残る褐色の聖母。メキシコ人の熱心な信者が毎日列をなして参拝に来る。

グアダルーペの聖母
動く歩道まで設置されているそうで、メキシコ一の人気スポットだそうだ。巡礼の目的地でもある。メキシコ全土からカトリック信者が集まってくる。
1.グアダルーペ寺院

グアダルーペ寺院への巡礼団

膝行参拝も行われている
もとは、ここに聖母マリアが現れ、インディオの男に、ここに教会を建てるようにと言ったことから始まる。彼らは教会を建て(グアダルーペ寺院)、そして自分たちと同じ肌の色を持つ聖母像を祀った。

昔のグアダルーペ寺院
今は老朽化して危険なので一般信者、観光客は中に入れない。代わりに隣に新しい建物を建て、聖母像もそちらに移された。

新たに作られたグアダルーペ寺院


グアダルーペ寺院の内部 聖母像はこのように飾られている
2.見捨てられた神
この話を聞いて私は、ここに現れたメキシコ人の不幸を思った。 メキシコはもともとアステカであった。
アステカの神は、人間の犠牲を要求する無慈悲な神である。アステカ人はスペイン人に攻め立てられたときに当然この神に多くの人間の犠牲を捧げ、アステカをスペインの手から救ってくれと祈ったに違いない。
しかし、アステカの神にいくら犠牲を捧げても、アステカの神はアステカを救ってくれなかった。アステカはスペイン人によって滅ぼされたが、その時にアステカ人はアステカの神を捨てたのではないか?
その結果か、メキシコのスペインからの独立運動の時には、グアダルーペの聖母が独立のシンボルにされ、独立軍の旗に描かれたと言う。
何故このとき、アステカの神を持ち出さないで、敵国スペインの神を持ち出したのだろう。
多分、それほどアステカの神は一般のメキシコ人の人気を失っていたのだとしか思えない。敵国の神を自分たちの神に借りてこざるを得なかったメキシコの人たちの不幸を私は思う。アステカの神はアステカを見捨て、アステカ人はアステカの神を見捨てた。
そしてその時、頼れるものは、憎い敵の神しかいなかったのである。
先日、テレビでグアダルーペの聖母を見た。そこに出てくるメキシコ人信者の顔には、純粋な聖母への信仰が溢れているように見えた。
或いはアステカの神は為政者のための神であって、一般民衆にとってはただ恐ろしいだけでご利益の薄い神だったのかもしれない。

テスカトリポカの神
テノチティトランの神殿では日常的に人身御供が行われ、さまざまな祭においても多くの生贄が神 テスカトリポカに奉納された。生贄は祭壇の前に据えられた石のテーブルの上に生きたまま仰向けにされ、神官達が四肢を抑え、その胸を黒曜石のナイフで切開して心臓を摘出した。その心臓は、半分横たわり、半分座った状態で虚空を見つめるチャック・モールが腹の辺りに支えている皿の上に置かれた。

チャック・モール
16世紀初め、アステカ帝国では、生け贄の犠牲者はさらに増え、その数は毎年25万人にのぼったといわれており、テノチティトランの神殿の階段は、したたり落ちた生け贄の犠牲者の血で、今も染まっているそうである。
3.日本
日本はキリスト教が布教に失敗した唯一と言える国ではないだろうか?
何故日本ではキリスト教が受け入れられなかったのか?
日本古来の神、仏が充分に魅力的だったからかもしれない。それは日本が江戸時代に既にかなりな文化レベルに達していて、充分キリスト教に対抗できたからだろうと私は思う。
そして、日本はアメリカに負けたのだが、その時もアステカ人のように、日本古来の神や仏を捨てて、アメリカの神に乗り換えることはなかった。
考えてみれば、アステカ人はアステカの神がスペインの神に敗れた、と考えたのかもしれない。その結果自分たちを守れなかった神を捨てて、自分たちを滅ぼした神を選んだのかも知れない。どちらにしても不幸なことだと私は思う。 そして日本人であることの幸せを思うのだ。

鎮守様
出典

山寺
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