1. 東トルキスタンと言う国
「東トルキスタン」という国をご存知だろうか?地図には載っていない。現在地図上では、「中国人民共和国・新疆ウイグル自治区」となっている。シルクロードの通過点、「彷徨える湖」として有名なロプ湖は、この中に含まれる。

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1949年、中国共産党軍が国民党軍に勝つと、毛沢東は東トルキスタン共和国政府に書簡を送り、首脳陣を北京の政治協商会議に招いた。しかし、8月27日、北京に向かった東トルキスタン共和国政府首脳陣の乗った飛行機はソ連領内で消息を断った。残された政府幹部が、急遽政治協商会議に赴き、中国共産党への服属を表明した。12月までに共産党の人民解放軍が東トルキスタン全域に展開し、東トルキスタンを中国に統合した。ウイグル人には、これを漢族による征服であると言うものもいる。そして1955年には新疆ウイグル自治区と名前が変わった。しかし、自治区とはいえ実際の政治・政策は北京の中国共産党政府が行っている。
東トルキスタン地域の中国帰属を拒否する人々は、中華人民共和国の東トルキスタン編入の過程に国際法上の問題がある為、現在の中国共産党政府による東トルキスタン領有は違法・無効であると主張し、多種の東トルキスタンの独立運動組織を結成している。中国政府はこれら独立運動をテロリストグループとして弾圧している。
中国政府は、同化政策のもと、ウイグルの独立をとなえる者をテロリスト(恐怖分子)として処刑し、またウイグル人を大量に自治区外に移住させ、管理下において工場などで過酷な労働を課している。有名なのがウイグルの若い女性を10万人単位で中国内陸部の工場に移動させ、強制労働を行わせると共に、中国人と結婚させてウイグル人を民族として消滅させようとしていることである。漢民族のウイグル地区への移住奨励、ウイグル語の教育を行わせない、等の政策も同じ狙いから出ているものと思われる。中国の東トルキスタン占領以前、この地区での漢民族の比率は、2%だったが、現在では45%になって、割の良い職業を独占している。
中国政府に虐殺された東トルキスタン人は、およそ1000万人と言われている。その内訳は、
「一人っ子政策」により、850万人の胎児が強制中絶された。50回の核実験により75万人が死亡した。「政治犯の」名目の下に50万人が拷問により虐殺された。と言われている。
1950年には、中国政府の統治を嫌ったカザフ族は、投票の結果、自分達の生活様式を保つためカシミールのステップ地帯に脱出することを決めた、これが1回目のカザフ脱出である。
カミシールを目指すカザフ部族は中国人員軍の支配域を通過する際に2回攻撃を受け、生き残ったカザフ族はチベットに逃げ込んだ。結局3ヶ月かけてチベットの山々を越えカシミールにたどり着いたカザフ族の数は400家族から350家族ほどになった。
1962年、2回目の脱出が行われた。今回、カザフ民族及び他の少数民族達はソビエト連邦に脱出した、新疆で起こった集団暴動や共産党政府がカザフなどの少数民族に押し付けた彼らの生活様式に反する改革のためであった。
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なお、ウイグル人は中国から与えられた「新疆」という言葉を嫌って自分達の国を「東トルキスタン」と呼んでいる。そのため、ここではこの呼び方に従った。また、ウイグル人は、東トルキスタンだけでなく、また中国だけでなく、広く他の国々にも住んでいる。
2. ラビア・カーディル
ラビア・カーディルは1947年に東トルキスタン、アルタイで生まれた。父母は小さい商店をやっていた。1962年父母は全財産を没収され、ラビア・カーディル母子は砂漠に置き去りにされたが何とか生き延びた。15歳のとき最初の結婚をしたが、家計を助ける為に行った商売を理由に共産党政府から離婚命令が出た。
離婚後、洗濯屋をはじめる。その元手で始めた物々交換の事業で成功する。1978年に再婚、前夫の子供6人と合わせて計11人の子供をもうける。事業の傍ら、ウイグル女性の起業を支援する「千の母運動」を始めた。
その後中国十大富豪の一人とり、中国政治協商会議委員など中国政治の要職を務めたが、北京の共産党中央会議で党首脳に中国共産党政府のウイグル政策の実態を訴えて改善を要望したことから、その地位を剥奪され、財産を奪われ、政治犯として約六年間投獄された。2005年3月、ライス長官訪中の直前に突然釈放され、米国に引き渡された。米国はこれにより国連での中国人権問題の追及の手を緩めることとなった。彼女はその後、米国で中国に独立を奪われたウイグル族の独立運動を行っている。
彼女は自分の生い立ちを水谷尚子氏とのインタビューで語っている。
その彼女が来日し、アムネスティ主催で11月10日~25日、各地で講演会を行った。 16日間に東京、和歌山、神戸、岡山、島根、山口、大阪、北海道、新潟で講演を行って東トルキスタンの現状を説明した。
3. 中国を追われたウイグル人―亡命者が語る政治弾圧
本書で取り上げている人たちは、
ラビア・カーディル、世界ウイグル会議の秘書長、中国政府によるウイグル人弾圧の「イリ事件」関連で逮捕され、国外に逃れた人たち、ウイグル地区で何回も行われた核爆発実験とその被爆者の状況、アフガニスタンに逃れたウイグル人がグアンタナモ基地に収監されるまでの経緯とその後、そして日本の東大留学中に中国で現地調査中に逮捕されテロリストとして逮捕されたままのウイグル人の話、など。
これらの中で紹介される、中国人によるウイグル人差別の実態は生々しい。ウイグル人が差別撤退を訴え、中国人との平等を望むのは当然だと思わせる力がある。
中国政府は911以降、ウイグル人活動家をテロリストと称して逮捕・監禁・拷問・殺害を繰り返している。その状況を亡命ウイグル人の口から語らせている。彼らの言い分は中国政府の発表とは正反対だそうだが、彼らの証言を証拠立てる客観的な証拠は、彼らの体に残る、拷問の傷跡、くらいしかない。
4.ラビア・カーディル暗殺未遂(?)
「2006年1月5日ニューヨーク時間午後7時ごろ、人権活動家ラビア・カーディル女史が秘書とワシントンD.C.のオフィスからバージニア州の自宅に帰る途中、交通事故に遭って負傷した。(自由アジアラジオ1月10日の放送による)
アメリカ警察の調べなどによると、ラビア・カーディル女史の車に、突然向かいから走ってきた不審なマイクロバスが、ぶつかってきたという。第一撃ではラビア・カーディル女史も秘書も負傷しなかったため、マイクロバスはバックして再びぶつけてきた。
これが決定的打撃となり、ラビア・カーディル女史は頭部と胸部を打撲し、肋骨を骨折した。ラビア・カーディル女史の秘書で乗用車を運転していたスレイヤさんは軽傷。
(中略)
マイクロバスは盗難車だったことが判明しており、運転手は逃走中。また、ラビア・カーディル女史の乗用車は大破。不自然な点が多いことからアメリカ警察は暗殺未遂の線からも捜査を開始している。
暗殺犯についてはまだはっきりしないが、中国当局が計画したという疑いも濃厚なのである。」
この事故により、ラビア・カーディルは脊椎を損傷した。その直後の写真。
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出典:日経新聞


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