1. 隠れ切支丹
織田信長は南蛮人を歓迎し、その文明に興味を示したが、徳川家康は1612年にキリシタン禁令を出してその布教を禁止した。その後、徳川幕府が倒れて、明治政府になっても、キリスト教は禁止されたままだった。明治政府が欧米諸国からの度重なる抗議に耐えかねて、キリスト教に対する弾圧を止めたのは1873年(明治6年)のことである。実に、260年以上日本ではキリスト教が禁止されていたことになる。
キリスト教弾圧に当たって、徳川幕府および明治政府のとった弾圧方法は、想像を絶する凄惨なもので、日本人がこれほど残虐であったのかと戦慄するばかりである。
しかし、どのように弾圧されようとも信仰を捨てない人たちがいた。彼らは表向きは仏教徒として振舞いながら、ひそかに観音像を聖母マリアに見立てキリスト教の信仰を守ったのである。彼らを人は「隠れ切支丹」と呼んだ。
天草で発見されたマリア観音
隠れ切支丹が最も多かったのは、長崎であるが、その他にも、新潟県、大阪府茨木市、岩手県などにいたと言われており、その遺物が残されている。
2. 浦上四番崩れ
江戸時代始めにキリスト教は禁止された。隠れキリシタンはキリスト教が禁止されていた260年間に3回摘発され、過酷な拷問を受けて、拷問に耐え切れずに仏教に改宗するもの、あくまでもキリスト教を捨てずに殉教するものに分かれた。このことを当時の人たちは「崩れ」と呼んだ。四番崩れは、長崎・浦上で起った、最後で、最大の崩れだった。
隠れキリシタンの中には次のような言い伝えがあった。「七代の孫のころにパーパ様(ローマ教皇)から遣わされた神父様が、サンタ・マリアの印の付いた帆を上げて、長崎へはいって来て、それからはその教えを信じてもよいように、規則が変わる。 」というものだ。
そして、1864年、日仏修好通商条約に基づき、居留するフランス人のために大浦天主堂が建てられ、ベルナール・プティジャン神父が派遣されてきた。1865年にプチジャン神父が、門をあけ、祭壇の前で祈っていると、一人の女性がそばに来て、胸に手をあてて「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」 と言い、「サンタ マリアノ ゴゾウハ ドコ?」と尋ねた。これが『信徒発見』と呼ばれる、プチジャン神父と浦上からやってきた信徒との出会いである。この女性の名は、岩永マキ、森内てる(通称・川上のてる)などと言われ、はっきりしない。
創建当時の大浦天主堂
しかし、この時はまだキリスト教は禁止されていた。しかし、隠れていたキリスト教徒は先祖の伝えた時がきた、と思ったか、或いは真の カソリックに接して、仏教徒の仮面を被っていることが嫌になったのか、隠れキリシタンの仲間の死亡を契機に、仏式の葬儀を断ってしまう。隠れることを止めて、素顔を出したのだ。その直後、幕府が倒れて明治政府になるのだが、明治政府はキリスト教については幕府の政策を踏襲して、井上博文がキリスト教徒を禁圧するために四番崩れを起こした。
浦上村の農民3,384人を20藩に分けて移し、そこで入牢させてキリシタン信仰を捨てさせるように説得や拷問を行うという「一村総流罪」に処したのである。その後、明治政府は欧米諸国からの厳重な抗議により、宗教弾圧が不平等条約改訂の最大の障害になっていることを悟り、明治6年にキリスト教の布教を認め、流されていた浦上村民の帰村を認めた。村民3,384人中、613人が拷問によって殉教し、1,900人が信仰を守った。信仰を捨てた1,011人も浦上に帰ってから、ほとんど人が信仰を取り戻した。この長い流浪の時を、浦上キリシタンたちは「旅」と呼んだ。これが「浦上四番崩れ」である。
しかし、浦上の信徒達の受難はこれだけでは終らなかった。
1945年8月9日、米軍が雲の切れ目に投下した原爆により、浦上天主堂は壊滅し、参堂していた信徒30数人が全員即死、1万2000人の信徒のうち8500人が被爆死したといわれている。人はこれを「浦上五番崩れ」と呼んだ。
浦上の信徒達が何故これほどの受難に耐えなければいけなかったのか?知っているのは彼らの信じる神だけである。私には分からない。
被爆した浦上天主堂のマリア
出典
被爆前のマリア
3. 日本人とキリスト教
浦上の人たちを「幸せであった」というには、かなり無理な論理が必要だろう。多分キリスト教の側の人はそうしているのだろうが。
私には単純に彼らは不幸な人たちに思える。一番不幸なのは多分彼らがキリスト教に出会ってしまったことなのだ。
彼らの時代に、キリスト教は様々なものを背負っていた、西欧の技術、医術、哲学、その輝きを全て当時のキリスト教は担っていたのだろうと思う。現在我々が見るキリスト教と、彼らが見た切支丹伴天連とは同じものではなかった。
そう思えば、彼らが切支丹伴天連に幻惑されたのは良く分かる。しかし、それが彼らに塗炭の苦しみを招き寄せた。結果的にイエス・キリストは彼らにとって悪魔と同じ働きをした。彼らは伴天連に会わない方が幸せであった。
キリスト教の布教は日本では成功しなかった。この戦国末期の一時期を除いて。それは何故だろうか?
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の砂漠の三兄弟は、その激しさで共通する。それに比べると、仏教も神道もはるかに穏やかだ。
日本人は直感的にキリスト教の激しさを嫌ったのではないかと思う。
キリシタンに対する拷問は日本の中では特異なもののように思う。
日本で昔から行われていた拷問は、1742年以降、笞打(むちうち)・石抱き・海老責(えびぜめ)・釣責に限定され、しかもその実行に当たっては様々な制約が課されていた。それに対して、切支丹に対して行われた拷問は穴釣り、水磔、逆さ十字など他では聞いたことがない凄惨な方法が多い。
これは当時の日本人がキリスト教の激しさに対して抱いた驚きと敵意を表しているのではないだろうか?
そしてそれは今に続いており、日本におけるキリスト教布教の不振につながっているように、私には見える。
再建された現在の大浦天主堂
再建された大浦の「信徒発見のマリア像」
プログラム

出典:37歳容疑者、教会で自殺 佐世保、被害男性と同級生
【号外】テロルの時代と哲学の使命(アメリカ銃乱射事件)
バージニア工科大学銃乱射事件・・・・・33名(教員5名、容疑者1名を含む学生28名)が死亡し、アメリカの学校が現場となった銃乱射事件では史上最悪の犠牲者
松本清張の短編に「黒地の絵」と佐世保乱射事件
参考文献
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革命者としてのプロジャーナリストの情報転記

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