アホウドリがほぼ絶滅したのは、一人の男の金儲けのためであった。その男の名は玉置半衛門。
明治の始め、小笠原へ向かう船から鳥島を望見した八丈島出身の「玉置半衛門」はそこにおびただしい数の「アホウドリ」が棲息しているのを見て、明治19年、一族126人で島に渡り、アホウドリの撲殺を開始した。
当時アホウドリの羽毛は羽根布団の材料として高価で取引され、特にヨーロッパへの輸出が好調であった。年間50~60万羽、噴火で全滅するまでの15年間に約500万羽のアホウドリを撲殺したと言われている。羽毛をはこぶための軽便鉄道を敷くほ どの組織的な乱獲だった。尖閣諸島やその他の繁殖地でも同じような乱獲がおこなわれた。玉置半衛門の日誌によると一日で3,000羽くらい捕ったと言う。長谷川氏の計算では鳥島では年間20万羽捕れたことは間違いないとのことだ。
玉置商会は横浜本社に金の看板を立て、京橋に豪邸を建て、玉置半衛門は毎年長者番付に登場するほどであったとか。
そして鳥島に大爆発が起こる。1902年(明治35年)8月8~9日、鳥島は島の半分を吹き飛ばす大爆発を起こした。住民125名は全滅。生存者はいなかった。当時、世の人はこの噴火を「アホウドリの祟り」だと噂した。なお、アホウドリはこの時期「渡り」で島にはいなかった。
噴火が静まった翌年の1903(明治36)年、八丈島から29人が移住し、再びアホウドリの撲殺を始めた。しかし1906(明治39)年、国はアホウドリを保護鳥に指定し、業務が成り立たなくなった住民は引揚げ、1922(大正11)年には全くの無人島となった。
1939(昭和14)年8月18日再び火山噴火、当時漁業等を行っていた26名は全員引き上げ。終戦後、北緯30度以南は米軍の統治下に入り、日本最南端の島になる。
1947(昭和22)年気象観測の再開のため基地建設が始まったが、既にアホウドリはいなくなっていた。
1965(昭和40)年火山活動活発化につき観測は中止され、気象観測所は放棄されて廃墟となり、以来無人島のまま今日に至った。
鳥島
位置

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