復活するアホウドリ

1906(明治39)年、国によってアホウドリが保護鳥に指定され、アホウドリ撲殺業務が成り立たなくなったので住民は鳥島から引揚げ、1922(大正11)年には鳥島は全くの無人島となった。しかし、その後もアホウドリの保護は遅々として進まなかった。

1930(昭和5)年 2月 山階鳥類研究所の山階芳麿博士が鳥島を調査したが、成鳥約2,000羽、ひな約200羽しかいなかった。

1933(昭和8)年 8月 鳥島が10年間禁猟区になり、アホウドリの捕獲がやっと禁止された。

しかし、これは遅すぎたのであろう。

1949(昭和24)年 4月 米国研究者オースチン博士が鳥島と小笠原諸島を調査した時、アホウドリは発見できず、絶滅したのだろうと報告された。

ところが、
1951(昭和26)年 1月 鳥島測候所長 山本正司氏が燕崎で10羽ほどのアホウドリが生存しているのを再発見した。絶滅してはいなかったのである。

そこで、
1958(昭和33)年 4月 アホウドリは、国の天然記念物に指定される。
1960(昭和35)年 1月 アホウドリは、国際保護鳥に指定される。
1962(昭和37)年 4月 アホウドリは、国の特別天然記念物に指定される。そして山階鳥類研究所が調査を再開した。

1971(昭和46)年 4月 琉球大学 池原貞雄教授ら、尖閣列島でアホウドリの成鳥12羽を発見する。

1973(昭和48)年 4月 英国鳥類学者ティッケル博士は英軍艦で鳥島に上陸し、ヒナ24羽と成鳥25羽を確認した。

1976(昭和51)年 11月 東邦大学の長谷川博氏が、アホウドリの調査を開始し、69羽の生存を確認した。狩猟圧のなくなったアホウドリは自力で徐々に回復し始めていたのである。しかし、営巣場所の燕崎コロニーは侵食が激しく、アホウドリが子育てに失敗することが多かった。

燕崎は、もともと火山の溶岩が流れて固まったところへ、噴火した火山灰が降りつもってできた急斜面で、卵が転がり落ちる不安定な場所だ。1970年代になると、かろうじて巣を安定させていたススキが減って地面が裸になり、大雨の時には土砂が流れるようになった。対策として、砂防工事と、ススキやシバを植える作業がおこなわれ、一時は回復したが雨が降るとまた元にもどる、そういうことがくりかえされてきた。

アホウドリの仲間は、そこがどんなに条件が悪くなろうとも、最初に繁殖した場所からはなかなか別の営巣地へ移ろうとはしない。いままでの燕崎での繁殖成績があまり良くないことから、新しい繁殖地を作って、若いアホウドリに定着してもらおうという案が浮かんできた。

その案では、燕崎の営巣地にハチジョウススキなどを植えてこの生息地を保全する一方で、彼らが安心して繁殖できる新しい営巣地を島の反対側(初寝崎側)につくり、繁殖率を上げてアホウドリを増やそうというのた。
更に、アホウドリの本物そっくりの実物大模型(デコイ)を置き、太陽電池を使ってスピーカーで繁殖期の鳴き声を流す。まだ成鳥になる前の若いアホウドリに、ここが集団営巣地と見せかけて呼び寄せ、新しいつがいとなって巣づくりできるように手助けするためだ。

1981(昭和56)年 6月 環境庁と東京都は、燕崎コロニーにハチジョウススキを移植して、砂防工事を開始した。

しかし、
1988(昭和63)年 秋 地滑りによる土石流のあとに泥流が発生し、燕崎コロニーに流入した。

1990(平成2)年 3月 長谷川氏、燕崎コロニーの保全管理と初寝崎側での新コロニーの人為的促進(デコイ作戦)を提案した。これに基づいて内山春雄氏がデコイの原型を製作した。

1991(平成3)年 11月 サントリー世界愛鳥基金の助成などにより、長谷川氏・山階鳥類研究所、初寝崎にデコイ10体を運び、誘引効果について予備実験を始めた。

1992(平成4)年 秋 環境庁が燕崎コロニーの保全と初寝崎でのデコイ作戦による新コロニー形成推進を決定した。

1993(平成5)年 2-3月 山階鳥類研究所、デコイ50体を設置。三洋電機製のソーラー電源による音声自動再生装置を作動させ、デコイ作戦を本格的に開始した。
サントリーが「よみがえれアホウドリ!1,000羽キャンペーン」開始。

1995(平成7)年 11月 長谷川博氏、初寝崎で初めて1組のつがいの産卵(1卵)を確認する。

1996(平成8)年 1月 1羽目のヒナが誕生し、6月、無事巣立った。しかしこの時の調査で確認できたヒナの数は燕崎コロニーを含めて65羽だった。これは、95年に調査したときの82羽にくらべて少なく、土砂がくずれ落ち、卵が流されてしまったというような事故のために、孵化の数が減ったのではないかと思われた。

一方、ヒナは順調に育ち、翌年6月、無事巣立った。その後も毎年産卵があり、2001年1月で、5羽目のヒナが育った。

デコイ作戦のほかにも、謎が多いアホウドリの太平洋上の行動を解明するため、人工衛星用発信器を使った追跡調査や、無人監視カメラでの観察も行われている。移動ルートや生態がわかれば、鳥島だけではなく生息域全体の保全策が立てられるので今後の成果が期待されている。

1996(平成8)年 5月 環境庁からの委託をうけ、山階鳥類研究所がアホウドリに人工衛星用発信器を装着し、渡りの経路解明調査を開始した。

1996(平成8)年 10-11月 山階鳥類研究所、初寝崎で2組のつがいの産卵を確認する。しかし2卵ともヒナはかえらなかった。

1997(平成9)年 10-11月 山階鳥類研究所は、NTTドコモの協力で人工衛生を使った無人監視カメラシステムを設置した。初寝崎で1卵を確認し、翌春2羽目のヒナが無事巣立った。

1998(平成10)年 10-11月
デコイ94個に増設、新型の音声自動再生装置設置する。初寝崎で1卵を確認し、翌春3羽目が無事巣立つた。

1999(平成11)年 5月
燕崎コロニーで142羽、初寝崎コロニーで1羽、合計143羽のヒナが巣立ち、鳥島のアホウドリ総個対数は1,070羽と推定され、ついに1,000羽を超えた。

2000(平成12)年 10-11月
燕崎で237個、初寝崎で1個、合計238個の産卵が確認された。

2001(平成13)年 1月
初寝崎で5羽目のヒナが順調に育った。

2006(平成18)年5月には、鳥島集団の個体数は推定で約1830羽、尖閣諸島の集団はおよそ300~350羽、地球上では約2150羽に回復した。

今後は、小笠原諸島聟島列島に第3繁殖地を形成(復元)する大計画が、アメリカ魚類野生生物保護局と山階鳥類研究所、環境省などの国際協力によって進められる。

実は、初寝崎のヒナ第1号の親鳥も、左のつばさのひじ付近に、30cmほどのテグスをつけていることがわかった。子育て中のため近づくことはできないが、釣り人なんかいないはずのところにまで、こんな被害が出ている。

鳥島では毎年4月、大きくなったヒナの1羽1羽に足環をつける。足環はいわば戸籍登録だが、捕獲された場所によって鳥島からの行動範囲を知ることもできる。この時ヒナは人に触れられて驚くのか、胃の中のものを吐き出すが、問題はその内容物。親からヒナへ口うつしに与えられているのは、主食の 魚・イカ・アミなどの半消化物だけでなく、発泡スチロールのかけらやビニール製品の切れはしなど、人間がゴミとして捨てたものも見つかっている。

鳥島には定期便がないので、船をチャーターしたり、頼み込んで漁業調査指導船に便乗したりするほかはない。海が荒れて2週間待機したこともあったとか。

長谷川 博氏がいなければ、世界のアホウドリがここまで復活することはなかっただろう。その長年の努力を称えて、氏は山階鳥類研究所から平成18年度山階芳麿賞を受賞することとなった。

日時:平成18年9月23日(土・祝)13:00~16:10
場所:有楽町朝日ホール(東京都千代田区有楽町2-5-1有楽町マリオン11F)
内容:
●平成18年度山階芳麿賞贈賞式
●受賞記念講演「アホウドリ ー その再生への道」
   第14回受賞者 長谷川博・東邦大学教授
●シンポジウム「アホウドリ 復活への展望」
パネラー: 佐藤文男(山階鳥類研究所研究員)・グレッグ・ベイロー(米国魚類野生生物局)・ロブ・サーヤン(米国オレゴン州立大学)・出口智広(山階鳥類研究所研究員)・長谷川博(東邦大学教授)
コーディネーター:山岸 哲(山階鳥類研究所所長)
参加費:500円(賛助会員は無料)
申込み方法:往復ハガキ(1通2名様まで)に「講演会参加希望」・参加者全員の住所(郵便番号)・氏名・賛助会員/非賛助会員の区別・返信用の宛先を明記のうえ下記へお申し込みください。
申込み締切:9月8日(金)必着
定 員:550名 応募多数の場合は抽選になります。
申込み・問い合わせ:〒270-1145 千葉県我孫子市高野山115 財団法人山階鳥類研究所「山階賞・シンポ」係 電話: 04-7182-1101 FAX: 04-7182-1106
  E-mail: koho@yamashina.or.jp(担当:広報室)
  ※ メールでのお申し込みは受け付けておりません。
主催:財団法人山階鳥類研究所 共催:朝日新聞社
http://www.yamashina.or.jp/event/event.html#02

参照:以下のサイトの内容を参照いたしました。
東邦大学アホウドリ復活への軌跡
SUNTORYよみがえれアホウドリ!復活をめざして
アホウドリの動画
"KODAWARI"ACADEMY動物