名将たちの教育論(第八回)

第1章 軍人たちの教育システム

第4節 士官学校の教育


有史がある紀元前600年ごろのギリシャの戦闘では、既に戦闘陣形を組んでチームプレーによって戦うように戦闘マニュアルが存在していた。単に武装人(man at arm)が群がって戦う時代から進歩していたのである。
 当然、陣形を組むには陣形内の指揮官に対する“戦い方”や“指揮の仕方”などの事前教育が必要であったし、陣形内の兵士の行動要領も事前訓練が必要であった。個人に対しても、部隊に対しても組織の上下左右の「協同動作」に関する事項は不可欠の教育・訓練内容であった。
 それでは士官学校は存在したのだろうか?
アレキサンダー大王が出現するまでの名将たちは、貴族出身であり、一族の有能な人々から「家内教育」を受けて育った。アレキサンダーの父フィリップ二世は、戦術の父と称されるテーベの指導者エパミノンダスに差し出された人質として「奉公教育」を受けた。アレキサンダー大王も父フィリップ二世から5年ほど直接の軍事指導を受けた。
大王は世界で最初に士官学校を設立したと言われている。貴族の子弟で優れた人材を入学させる将校養成軍学校を創設し、セリューコスを初代校長にした。彼は大王の死後、セリューコス王朝(古代シリア、首都ダマスカス)の始祖となる。
 しかしローマ共和国および帝国時代のローマやカルタゴの名将、ハンニバルなどはすべて一族の「家内教育」と「奉公教育(著名人の書生)」が主体であった。なぜなら戦術は言葉で教育できない暗黙知の世界の学問であるからだ。戦術は職人技と見なされていたのである。



名将たちの教育論(第九回)へ続く

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