第1章 軍人たちの教育システム
第5節 教官に求めるもの
(義務感こそ第一)
1805年10月21日、トラファルガーの海戦に傷つき死を前にしてネルソン提督は
「神に感謝します。余は義務を果たすことができました」
陸軍砲兵の合言葉“最後の一門”は世界共通である。大砲は最後の一兵となっても撃ちつづけなければならない。それが砲兵の義務である。なぜなら弾先には味方の砲兵の支援を期待して歩兵が敵陣に肉薄しているからである。
「義務の観念は勝利をもたらす」(F.V.レナタス)
とは言え、義務の遂行は生命がけになる。生命の尊重という権利を投げ捨てるのだ。1944年、アーンヘムの戦闘における第一空挺師団の犠牲に対してチャーチル英首相は
「“無駄ではない”は生存者の誇りであり、戦死者の墓銘碑である」
「戦死することもなく、戦傷を負うこともなく目標を達成できなかった指揮官は義務を完遂していないのだ」(パットン大将、1947年)
日本の伝統では、世間様への“思いやり(礼の心)”を尽くすことが義であり、その先には“和の精神”がある。
“礼”と“義”意識がないまま進学試験に合格することのみに知育に努力を傾注すれば、教育の日々が日本の崩壊への道を歩むことになる。
「礼義なきは“非人”なり。人権ありとも村八分に処する」
名将たちの教育論(第二十四回)へ続く
