名将たちの教育論(第五十五回:最終回)

おわりに


イギリスから鮮血を流して独立を勝ち取ったアメリカ人は1776年7月4日の“独立宣言”において人間の基本的人権として
“生命と自由の尊重”、
“幸福の追求”、
“人民主権の政治”、
“革命権の保持”
を掲げた。そして
「自由・民主主義こそ国の政治制度のあるべき姿だ」
とした。革命権を掲げたのは、独立戦争がイギリスの植民地支配体制に対する革命であったからである。
 

アメリカは、このような基本的人権は神から与えられた自然権であるとしているが、日本の伝統的な認識では自然権の解釈が異なり、生命も自由も神とは関係がない。国家と国民の関係も“契約関係”とは認識していない。これは人間の権利を述べたもので、義務を述べたものではない。義務(使命)を果たさなければ権利を要求する資格がないはずだが――。
ビルマ戦線で活躍した英国のスリム元帥がいうように
「自由がなくとも規律は存在するが、規律(世間様)がなければ自由はない」
 というのが日本の伝統的な認識である。自由は世間様と個人の関係なのだ。それは日本の伝統的社会の本質である“郷村”が育てた思想であって基本は「平等の掟」であり、その平等に秩序を与えたものは「礼儀=慎み」であった。
 礼の基の字は「禮」で心の豊かさを示すことを意味している。心の豊かさとは、他者を愛する「仁愛と尊敬」の精神を持っていることにほかならない。すなわち、フランス革命のスローガン「博愛」に通ずる概念であって、それを具体的に示し実行することである。それはまた事に臨んで精神一到して当たることを意味している。
だから、日本社会では
「礼儀のないものは、人でなし」
 と能力の如何を問わず蔑まれるのか伝統である。1867~69年に日本に滞在したセィヤー・マハン提督が日本人の優秀性を認識した第一の要素は、日本人の“礼のある社会行動”であった。
 フランスの政治学者トクヴィルが指摘するように政治知識の未熟な人々の国では自由・民主主義が機能せず、付和雷同する政治となってヒットラーのような独裁者が誕生することになる。







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