ハンニバルの戦闘教義(後編)

ハンニバルの戦闘教義(後編)

持久戦略の誕生

 ハンニバル軍は寄せ集め軍であったから攻城技術兵を持てなかった。それゆえ、ハンニバルはローマ城壁を攻撃できないので、ローマ軍を野戦に引き出して撃滅しようと考えた。そこでローマの西側を素通りして南部イタリーに基盤を構成することにした。
5月、ローマの元老院はファビウスを独裁官に任命して全ローマ軍の指揮を委任した。ファビウスは賢明にもハンニバルを野戦において撃破することは困難と判断し、決戦を回避して擾乱行動と遅滞行動によって時間を稼ぎ、ローマ軍兵力を増強してハンニバル軍より決定的に優勢にすることにした。これは西欧における意識的な持久戦略の誕生となって「ファビウス戦略」と呼ばれることになった。

カンネの殲滅戦

 ファビウス戦略によって時間と戦力増強を稼いだローマ軍は紀元前216年4~7月に8個ローマ軍レギオンと8個同盟軍レギオンの戦力を編成し、合計歩兵兵力8万、騎兵兵力7千とした。


新しく任命された執政官パウルスとヴァロはハンニバルに対し決戦を求めてアプリアに向かって南下した。
歩兵4万、騎兵1万を有するハンニバルは決戦に有利な戦場を探していたが、冷静で慎重なパウルスはハンニバルの誘いに乗らないで性急な同僚ヴァロを抑えていた。
そこでハンニバルはローマ軍の補給基地を占領しアプリアの豊かな穀倉地帯を占領する態勢をとった。ローマ軍はハンニバル軍を追った。両軍はカンネの近く、アウフィダス河の南岸に約10キロ離れて、それぞれ陣地を構築して野営した。ローマ軍は一部を北岸地域に進出させて宿営させた。
8月2日の早朝、ハンニバルはヴァロがローマ軍の指揮を執ることを知って、歩兵8千を南岸の陣地に残し、騎兵1万、歩兵3.2万を率いて北岸に渡り、一部のローマ軍を各個に撃破しようとする態勢を採った。各個撃破は戦術の原則である。

これを知ったヴァロは慌てて約1.1万をもってハンニバルの宿営陣地を攻撃させるとともに、ローマ軍主力の歩兵6.5万、騎兵7.2千を率いて北岸地域に渡った。まんまとハンニバルの誘いに乗った。相対戦闘力は歩兵が2倍でローマ軍が優勢、騎兵はハンニバルが1.4倍で優勢であった。しかし、ハンニバルの罠はこれからだった。ハンニバルはなべ底形に屈曲しているアウフィダス河を背後にして東翼を河岸に託した。戦闘陣形の両翼には信頼するカルタゴの重装甲歩兵を重厚に配置して二本柱にした。そして中央はスペインとゴールの軽歩兵を薄い横隊に配置した。歩兵陣(ファランクス)の正面巾は約2キロであったといわれている。東翼の外側にヌミディア騎兵2千を配置した。ハスドルバルの指揮する西翼の騎兵は第一線に4千とし、その後方にマゴの指揮する騎兵4千が眞予備(下馬して馬を隠していた)として位置についた。
ヴァロはアウフィダス河を背後にするハンニバルの“背水の陣”の陣を見て、兵力劣勢なハンニバルは防御態勢に陣を構えたと判断し、ハンニバル軍に正対し、圧倒するように重厚なローマ軍歩兵陣を展開した。河岸に張り付いているハンニバル軍東翼の騎兵に対して同盟軍騎兵4.8千の騎兵を配置し、西翼にはローマ軍騎兵2.4千の騎兵をもって掩護した。まさかハンニバル軍西翼の騎兵4千の後ろに、予備の騎兵4千が隠れているとは考えなかった。
ハンニバルの両翼が騎兵によって良く防護されているので翼側突破や包囲が困難と判断し中央突破によってハンニバル軍を河川に圧倒して撃破しようと考えた。このためヴァロは各中隊(マニプル)の縦深を2倍にし、さらに中隊間の間隙を半分にした。この結果、6.5万の歩兵戦闘陣形の正面巾は、ハンニバル軍歩兵3.2万の戦闘陣形の正面巾とほぼ同じになった。歩兵密度は2倍である。戦機が熟した。

カンネーの戦い(アニメーション)

前衛の戦闘の間にハンニバルは両翼の重装甲歩兵を不動とし、自ら中央にあって中央歩兵を前進させて傘型の陣形にした。
主力の戦闘は西翼の騎兵から始まった。ハスドルバルの騎兵がローマ軍騎兵を正面から攻撃して拘束した。ハンニバルはすかさずマゴの指揮する予備の騎兵に対し、ローマ軍西翼騎兵の側背から攻撃させた。
ローマ軍東翼の同盟軍騎兵はハンニバル東翼騎兵は河岸にくっついているので包囲攻撃できずに正面攻撃となってハンニバルの東翼騎兵ともみ合っていた。
一方、中央ではヴァロの攻撃前進の命令によってローマ軍歩兵が勢い良く前進し、カルタゴ軍を圧迫した。ハンニバルは計画とおりに中央歩兵を少しづつ後退させてローマ軍を遅滞していた。
このとき西翼ではハンニバルの騎兵がローマ騎兵を撃滅した。そしてローマ軍歩兵陣の背後を迂回して駆け抜け、東翼の同盟軍騎兵に対して背後から襲い掛かった。前後から挟撃を受けた同盟軍騎兵は東北方に逃走し、ハンニバル軍のヌミディア騎兵が追撃した。
この間に中央では、ヴァロが歩兵の攻撃衝力を維持するために第二線の中隊を第一線の中隊の間隙に投入していた。さらにヴァロは第三線の歩兵にすら投入の命令を下していた。ハンニバルの中央歩兵は圧倒されて凹形の薄い陣形となって辛うじて陣形を保っていた。
ハンニバルは突然、歩兵陣形の両翼を形成している不動の態勢で防御戦闘を続けている重装甲歩兵に対して攻撃前進を命令した。両翼のカルタゴ歩兵はローマ軍を包囲攻撃しはじめた。ローマ軍の背後からはハスドルバルとマゴの指揮する騎兵8千が襲いかかった。
攻撃前進しているローマ軍歩兵の勝利の雄叫びは驚愕の悲鳴に変わった。殺戮が始まった。約1万のローマ軍兵士が着の身着のまま囲みをすり抜けて敗走したが、日暮れまでに執政官パウルスを含み6万が戦場の露と消えた。ハンニバルの宿営陣地を攻撃したローマ軍も2千の損害を出して敗退した。不名誉にもヴァロはわずかな敗走者の中にあった。ハンニバル軍の損害は戦死・戦傷合計約5千であった。

 

このカンネの戦闘は軍事史に残る最高の殲滅戦として名を止めている。

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