チンギス・ハーンの戦闘教義(第三回)

チンギス・ハーンの戦闘教義(第三回)

戦闘ドクトリンと戦術

 ジンギス・カーンの機動力は相対的にみれば、当時の世界の陸軍がまったく対応できない卓越したものであった。この相対的落差の大きさは有史いらい、今日まで未だに破られていない記録である。ここで言う機動力とは速度だけではなく、地形踏破力と無停止の機動距離、分散・集中の速度、方向維持力を含んでいる。
当時としては死以外に考えられない大砂漠を5万の大軍が機動した。インド大陸のパンジャブでは、徒歩でも踏破困難な山地を1個師団が機動して敵陣の背後を襲った。大河も迅速に応急渡河している。

Gengfis Khan wikipedia

 ジンギス・カーンは本能的に戦闘力は「戦闘力の質量」と「速度の二乗」の積に比例することを理解していたようである。またジンギス・カーンほど攻撃による主導性の獲得と維持の基本原則を認識していた指揮官は歴史上、例を見ない。モンゴル軍はたとえ戦略的任務が防勢であっても攻撃によって任務を達成しようとした。今日、最も経済的かつ効率的な陸軍を建設しようとするなら、ジンギス・カーンのこの哲学に忠実に学ぶことが出発点であろう。
会戦が開始されると数個の師団(トーマン)からなるモンゴル軍は通常、きわめて広い正面に分散・展開して多数の縦隊で迅速に前進した。この間、主要縦隊の間には相互に連絡員を派遣して密接な接触・連携に維持につとめた。
敵を発見すれば、その敵は付近に所在するすべてのモンゴル軍の攻撃目標になった。まるで大草原で狩を行なっているようであった。敵の配置、
勢力、前進方向に関する適時・適切な情報資料が相互に交換されるとともに、中央指揮所に報告された。中央指揮所は入手した情報資料を処理することなく、ただちに全部隊に伝達された。
ジンギス・カーンは“情報資料を処理して情報として使用することは、各級指揮官の責任であり、また、各級指揮官が必要とする情報は指揮レベルが直面している状況によって異なる”ことを良く理解していた。
もし、敵戦力が小さければ、その敵の撃破は直面する現場指揮官に委ねられた。
もし、敵が容易に撃破できないような戦力であれば、前衛が張る遮掩幕の後方に迅速にモンゴル軍主力を機動しつつ集中し、敵部隊の弱点を突破した。前衛が突破点を主力に指示する仕組みになっていた。
しかし、しばしば戦力の集中を待たずに戦機を重視し、迅速に前進して敵の一部から順次に各個撃破することが多かった。
シンギス・カーンと彼の有能な部下指揮官は定型的な戦闘のための前進を回避した。もし、敵の配置が確定されたなら、彼らは広い正面から戦場集中して敵の背後から、または翼側から打撃した。ときどき彼らは偽退却して新鋭の継ぎ馬に乗り換えたあと、強烈な攻撃に転移した。
シンギス・カーンと彼の部下たちは決戦戦術として「攻撃」「防御」「伏撃」を良く理解していたが、防御より伏撃を好んだ。
多くの場合、モンゴル軍は前衛が構成する遮掩幕の後方をきわめて広い正面に各縦隊間隔を広くとって併進し、戦術的柔軟性を確保した。「柔軟性」はジンギス・カーンの戦術原則の一つであった。
敵戦力がきわめて優勢な場合、あるいは敵の配置が漠然としか判明しない場合に適した前進要領であった。敵主力に遭遇した縦隊は当面の状況によるが、敵を果敢に拘束するか、偽退却により敵を誘致した。この間、他の縦隊は前進を継続して敵の背後または翼側の緊要地形を占領した。これは通常、敵の背後連絡線を脅かし敵を退却を強要するに努めた。そして敵の後退にともなう混乱に乗ずる攻撃を活用した。そしてこれに続いて包囲と打撃が行なわれた。包囲にあたっては『孫子の兵法』が言う“囲師は欠く”の原則に沿って敵に常に「黄金の橋(Golden Bridge)」を提供した。
敵との接触を予期する前進(接敵前進)は戦闘前陣形で行ったので、攻撃はほとんど無停止攻撃に近かった。戦闘力の集中は、戦場に向かって各方向から集中する「戦場集中方式」が原則であった。
戦闘のための編成は、続行する部隊を前方部隊に合一させる方式で行なわれた。こうして信じられないほど広域に小部隊(通常、大隊)ごとに分散し、その態勢から次々と大隊へ、大隊から連隊へと合一した。こうして一気に決勝点に高速で集中した。このような集中方式であったので、対抗する敵はモンゴル軍が何処に攻撃点を選択するかまったく想定できなかった。また、集中から攻撃開始が連続していたので、対応の暇を得られなかった。
ジンギス・カーンは機動打撃に先立って敵を擾乱することを重視した。打撃方向を偽偏して敵指揮官・将兵の心理を混乱させて、結果的に敵は兵力を分散配置するように仕向けた。
すべての備えようとするものは、いずれも備えることはできない
という原則を活用したのである。
モンゴル軍の前衛は、単に遮掩幕を張るだけでなく、積極的な威力偵察を活用した。本隊が全軍騎兵部隊であるので、隠密偵察を行なうような時間的余裕がないのである。
さらにジンギス・カーンは戦略的偵察とスパイを活用した。彼は当面り作戦を実施中に次の戦域にスパイを放って情報収集していたので、戦っている国の隣国は対応の時間を得ることはできなかった。

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騎兵大隊の攻撃の戦闘陣形は5列横隊で、各列前後の間隔を広くとった。重騎兵が第一列と第二列を構成し、第三列と第四列は軽騎兵であった。第五列を形成する軽騎兵は、当初、前衛として戦闘陣形の遮掩幕を構成した。
主力が戦闘加入する距離まで敵陣に接近すると、第三列の軽騎兵が第一列の直後に伍間を前進して騎射を浴びせた。第三列の騎射が終ると、第四列の軽騎兵が前進して騎射を行なった。この間に第三列の軽騎兵は新しい矢弾を補給し、随時、第四列の軽騎兵との交代を準備した。
こうして軽騎兵の射撃の掩護下に重騎兵が突撃距離まで接近すると、軽騎兵が投げる投槍の支援のもとに一斉に敵陣に突撃して格闘戦を行なった。
しばしば突撃に先立つ猛烈な弓射に敵陣が混乱し、重騎兵の突撃前に陣形を乱して退散した。大隊長は敵陣が混乱を始めると一気に重騎兵に突撃を命ずることがあった。予備の軽騎兵は直ちに追撃態勢を準備した。