「Japanese animation director Mamoru Oshii is a genius. I became an animator because his movie "GHOST IN THE SHELL " gave me a lot of Impressions. What do you think of him?
(日本の押井守監督は天才だと思う。僕がアニメーターになったのは彼の作品 "GHOST IN THE SHELL (攻殻機動隊)"を見たからなんだ。彼についてあなたはどう思いますか?(シンガポールのアニメータからの質問より)」
僕がアニメ界の鬼才としてその名を轟かす押井守監督のことを知ったのはシンガポールに駐在していた2年前の12月のクリスマスのことである。12月のシンガポールはクリスマスがやって来たとは言っても、熱帯モンスーン気候のために、日本とは異なって寒さが厳しくなるわけでもなく、雪がしんしんと降り積もるわけでもない。湿度も気温も共に高いので、"クリスマス"という実感が全く湧いて来ない。元々キリスト教徒でもないし、"クリスマスに会わなきゃいけない"恋人がいたわけでもないので、当時の僕にとって、クリスマスという存在はいつの間にかやって来ては過ぎ去ってしまう多くの祝日と同じように意味の無いものであった。
クリスマスイブを1週間後に控える12月17日に一人のシンガポール人の友人から僕に連絡があった。「クリスマスに何か予定がありますか? もし特に予定が無いのでしたら、僕の会社のクリスマスパーティーに参加しませんか」と彼。表面上はさわやかなその言葉の裏側には彼女がいないお前はクリスマスにどうせやることなんてないんだから、数合わせのために俺の会社のクリスマスパーティーにでも参加しろよという残忍で陰湿な意味合いが含まれていた。つまり、恋人がいない人間がお互いの傷を舐め合おうために企画されたのが、彼の会社のクリスマスパーティーなのである。
よって、会社のクリスマスパーティーとは言っても家族持ちの人や、恋人がいる人はそのクリスマスパーティーに参加することはできない。(というか、むしろ参加したがらないという方が正確である。)その代わりに会社の人間ではなくても、恋人がいないという条件を満たすことさえできれば、国籍を問わず、その曰く付きのクリスマスパーティーに参加することができるのである。どこまでもそのパーティーの趣旨は「恋人がいない人間がお互いに傷を舐め合う」ということなのだった。このパーティーの"ノリ"は日本のクリスマスイブに放映される明石家さんまと八木亜希子司会による「明石家サンタ」に近いものがあるかもしれない。華やかな看板番組の裏番組的な要素がそのクリスマスパーティーにもあったである。
彼の会社はシンガポールの地下鉄ノースイースト線沿いにあるリトルインディアから歩いて10分程のある広い通りの一角にあった。チャイムを押して、その友人の名前を告げると一人の女性が出迎えてくれた。
「Welcome to our Christmas Party (私たちのクリスマスパーティーにようこそ)」
その時受けた衝撃を僕は忘れはしないだろう。なぜならその出迎えてくれた女性はオーストラリア人だったにも関わらず日本の女子高生のセーラー服を着ていたのだから。
「セ、セ、セ、、、、、ンクス フォインバイティング ミー ユア ク、ク、クリスマス パーティー トゥディ(オ、オ、オ、マネイキイタダキマシテ、アアアリガガガトウゴザイマス」
余りの戸惑いから僕の声はミッキーマウスのように鼻にかかる高音になり、出て来る言葉は全てカミカミになってしまった。顔はなんとか平静を装おうことに成功したが、実際は自分の心臓の音がバクバクと鳴っているのが聞こえるほど混乱していたのである。シンガポールにいるにも関わらず、友人の会社の入り口という「どこでもドア」を開けると日本の秋葉原のメイド喫茶にやって来てしまったような、そんな感じだったのだ。どれだけ僕が当惑していたのかお察し頂けるだろうか
そして、"オートストラリア人の女子高生"に案内されて階段を上り、そのクリスマスパーティーの会場に入ると、肩までのショートカットで少し斜に構えた感じの別の女性が僕を迎え入れてくれた。シンガポールではそれなりに有名な歌手で、セーラ服を来た女性の従姉なのだそうだ。着ている服と言えば、下半身がやたらセクシーであり、上半身にはジャンバーのようなものを羽織っている。その服装は今から思えば、GHOST IN THE SHELL (攻殻機動隊)に出て来た草薙素子少佐のコスプレだったのだと思う。草薙少佐と言えば、日本の芸能人の吉野紗香が押井守監督のGHOST IN THE SHELL (攻殻機動隊)を見てひどく感動したとかで、このアニメ作品を実写化した場合は是非その役をやらせてほしいとブログで訴えたために熱烈な押井ファンであるアニメオタクから猛烈な怒りを買ってしまい、彼女自身が運営するブログが炎上されるという被害にあったのでご存知の方も多いかもしれない。
実際、そのパーティーには多くのコスプレマニアが参加していたのだが、誰も彼も僕が日本人だと言う事で、アニメのことなら何でも知っていると思い、すでにかなり酒がまわっているのも災いして、自分がどれだけ日本のアニメが好きなのかということを異常なまでの情熱を持って語ってくれた。ブラジル人に会うと、それがプラジル人だということだけで、サッカーに相当詳しいと勝手な思い込みをして、自分のサッカー知識をひけらかすサッカーオタクと似たようなものなのだろう。
しかしながら、アニメは好きだが、決してアニメオタクではない僕は少し彼らの情熱に対して辟易してしまったのだが、無視するわけにも行かないので、
「Wow(わお)」
「Uh-huh(なるほど)」
「I think so(そう思います)」
「I see(わかった)」
「Really?(本当?)」
などの相づちを打つ事でなんとかコミュニケーションを続けていた。もちろん日本のアニメについて語り続けているのは、日本人の僕ではなく、シンガポール人や、マレーシア人、そしてオーストラリア人など、そのパーティーに参加した外国の人たちなのである。いろんな外国アニメオタクの方とお話しすることできて非常に光栄だったのだが、以外だったのは最も人気がある日本のアニメ監督がスタジオジブリの宮崎駿監督ではなく、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』『機動警察パトレイバー the Movie』『攻殻機動隊』の代表作品で有名な押井守監督ということだった。
そんな外国人アニメオタクとの語らいの中で、とあるシンガポール人のアニメータから投げかけられたのが冒頭の問いだったのだ。
「Japanese animation director Mamoru Oshii is a genius. I became an animator because his movie "GHOST IN THE SHELL" gave me a lot of Impressions. What do you think of him? (日本の押井守監督は天才だと思う。僕がアニメーターになったのは彼の作品"GHOST IN THE SHELL (攻殻機動隊)"を見たからなんだ。彼についてあなたはどう思いますか?(シンガポールのアニメータからの質問より)」
その彼は押井守監督のGHOST IN THE SHELL (攻殻機動隊)を見て、その業界に入っただけのことはあって、他の人間より押井作品に対して並々ならぬ知識持ち合わせていた。口角泡を飛ばすがごとく彼が押井作品に対して話すときの情熱は鬼気迫るものがあった。
しかし、しかしなのだ。
その時の僕は押井守を知らなかった。
何か悪気があったわけもでない。
彼の情熱に対して水を差すようで非常に申し訳なかったのだが、
「I'm sorry I don' t know him very well (申し訳ないんですが、押井守監督のことはよく知らないんだ)」
と答えるしかなかった。日本人なのに、世界で最も有名なアニメ監督として知られている押井守を知らないなんて、お前は非国民だ!なんてそのシンガポールのアニメーターからは言われはしなかったものの、その場の雰囲気は少し興ざめになってしまい、外国人のアニメオタクたちの話題は押井守作品から他のアニメに移行していった。
僕はアニメオタクでもないのにそのクリスマスパーティーに参加していることにかなり場違いな感じがしていたのであるが、なんとか熱狂的なオタクたちの語らいの輪から抜け出したことに少し安堵していた。最初にクリスマスパーティーに誘ってくれた友人も日本人=アニメオタクというイメージがあったので誘ってくれたのだろう。それに恋人もいないから我々のクリスマスパーティーに呼ぶのは持って来いだと考えていたのであるが、僕は残念ながら情熱を持って語り合う事ができるほど日本のアニメーションに対して知識を持っていたわけではない。
=====そんな不思議なクリスマスパーティーから半年後=======
しかし、折角外国で働いているのだから、世界に多大な影響を与えている日本人アニメ監督である押井守を知らないのは少し恥ずかしいような気になり、押井作品を有名なところから見る事にした。
『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』
『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』
『機動警察パトレイバー 2 the Movie』
『御先祖様万々歳!』
『人狼 JIN-ROH』
『イノセンス』
などなど
僕が見た押井作品の感想を率直に言おう。
1つ目は面白い!
2つ目は訳が分からない!
以上!
押井作品が面白いというのは分かるが、訳が分からないというのは、お前の頭が悪いから理解できないだけだろうというご批判が読者の皆様から聞こえてきそうなのだが、(まあ実際その通りであることは認めます。)押井監督自身も
「1本の映画を100万人が1回観るのも、1本の映画を1万人が100回観るのも同じ」
「一回見ただけではわかってたまるかという作品を作りました。」
などと発言していることからもわかるように映画を見て、楽しんで、終わりという作品では決してないのである。なので、押井作品は宮崎駿監督のように一般向けする作品とは異なるので、非常に好き嫌いが別れる。なぜなら押井作品は余りにも難解であるからだ。
「なぜ、押井作品は訳が分からないのか」
それは押井作品には思想があるからである。そう言うと、宮崎監督の風の谷のナウシカなんて思想の塊ではないのかというご意見もある。確かにそうだ。しかし、僕がいいたいのは思想の深さに差があるということなのだ。思想の深さを海溝のそれに例えるならば、宮崎作品は伊豆・小笠原海溝(9,780m)であり、押井作品を世界最深のマリアナ海溝(10,290m)に相当するのだと思う。両者の作品には歴然とした差があるのだ!
お前のような凡人に思想が深いかどうかなんてわかるのかというつっこみが更に入るかもしれないのだが、ある作品の思想が深いかどうかということは、その思想の内容が理解できるかどうかということは別として凡人にも分かるのである。例えば、1880年に出版され世界文学の最高傑作の1つとして評価されているドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」という作品がある。父子の関係、兄弟の関係、宗教、貧困などの深遠な問題がたった3冊の小説((上)、(中)、(下))にまとめられているのである。真面目に読むとあまりの密度の濃さにノックアウトされる。
押井作品がどれだけ難解であるのか少しご紹介したい。2000年6月3日に『人狼 JIN-ROH』という作品がある。実はこの映画は僕が押井作品の中で一番好きな作品なのだ。
Story 首都東京、戦後。強引な経済製作により失業者と凶悪犯罪が急増。それに伴い反政府運動も過激化していく中、政府は反政府勢力掌握のため、首都圏に限り治安部隊・通称「首都警」を設置する。立法措置により非合法化した反政府勢力は地下組織として潜伏、首都警との抗争は泥沼化の一途を辿って行く。世論は強大な武力で粛正を行う「首都警」を避難し、「首都警」は孤立を一層深めていった。(2000年6月劇場公開作品 『人狼 JIN-ROH』DVD裏背表紙より
この映画のあらすじだけを見ると、単に反政府勢力のテロ集団とと政府とがドンパチやる作品だと思い込んでしまいがちなのだが、実は違うのである。
この映画は恋愛ものなのだ。
しかもその恋愛する同士というのがこれまた強烈で、セクトと呼ばれる過激派集団に属する雨宮圭という女テロリストと首都警察の戦闘部隊「特機隊」に所属する伏一貴巡査なのである。
例えるなら日本赤軍の最高指導者及びテロリストである「重信 房子」とおどる大捜査線でおなじみの湾岸署の青島巡査部長が恋しているようなもので、全くあり得ない状況なのだ。しかもこの物語の伏線には童話赤ずきんちゃんが挿入されていて、女テロリスト雨宮圭が来ている赤色の服は、赤ずきんちゃんの服装の赤色であり、反政府組織のアカ色なのである。
1.赤ずきんと呼ばれる女の子がいた。彼女はお使いを頼まれて森の向こうのおばあさんの家へと向かうが、その途中で一匹の狼に遭い道草をする。
2. 狼は先回りをしておばあさんの家へ行き、家にいたおばあさんを食べてしまう。そしておばあさんの姿に成り代わり、赤ずきんが来るのを待つ。
3. 赤ずきんがおばあさんの家に到着。おばあさんに化けていた狼に赤ずきんは食べられてしまう。
4. 満腹になった狼が寝入っていたところを通りがかった猟師が気付き、狼の腹の中から二人を助け出す。
5. 赤ずきんは言いつけを守らなかった自分を悔い、反省していい子になる
そして、一方の首都警察の戦闘部隊「特機隊」に所属する伏一貴巡査は組織の中で生きることができない狼として描写されている。また狼は帝国主義体制を示すスラングでもあるのだそうだ。昭和30年代の架空の世界をモチーフにした反テロリストの赤ずきんと体制側の狼との恋愛物語。童話赤ずきんちゃんの物語をなぞりながらどのような形でこの恋の物語が終わりを告げるのかというシーンは必見である。
世界で賞賛を浴び続ける押井守監督の作品をまだご覧になられていない方がおられたら5月のゴールデンウィークを利用されるのが良いのではないだろうか?きっと素晴しい休日になることであろう。
親が子を殺し、子が親を殺す時代。何の理由もなく、若者が自らの命を絶つ時代。物質的には豊かだけれど、今、この国に生きる人々の心の中には、荒涼とした精神的焦土が広がっているように思えてなりません。
そんな時代を生きる若者たちに、何を言ってあげたら良いだろう? 「スカイ・クロラ」の主人公たち「キルドレ」は、生まれながらにして、永遠の生を生きる事を宿命づけられた子供たちです。彼らは寿命で死ぬことがありません。普通に暮らしている以上、永遠に思春期=アドレッセンスな姿のままです。
映画の舞台は、あり得たかもしれないもうひとつの現代。キルドレたちは、大人たちが作った、我々が生きる現代社会の写し鏡のような「ショーとしての戦争」を戦っています。
出典:『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』(監督:押井 守)製作決定のお知らせ

コメントする