奪われし若者の未来
2002年5月、小泉内閣は最初の所信表明演説のむすびで、次のように『米百俵の故事』を引用している。
明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩に、救援のための米百俵が届けられました。米百俵は、当座をしのぐために使ったのでは数日でなくなってしまいます。しかし、当時の指導者は、百俵を将来の千俵、万俵として活かすため、明日の人づくりのための学校設立資金に使いました。その結果、設立された国漢学校は、後に多くの人材を育て上げることとなったのです。今の痛みに耐えて明日を良くしようという『米百俵の精神』こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。新世紀を迎え、日本が希望に満ち溢れた未来を創造できるか否かは、国民一人ひとりの、改革に立ち向かう志と決意にかかっています。」
「国がおこるのもまちが栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ学校を建て、人物を養成するのだ。」
私も長岡藩の大参事・小林虎三郎の主張に大いに共鳴する。しかしながら、小泉首相の所信表明演説以来、『米百俵の故事』は国民に痛みを求めるための方便として、引用されてきたが、本来故事が伝えたいところは国民に痛みを求めることではなくて、既得権益を打破して、目先にとらわえることなく、将来を見据えた改革を行う事である。
この点の矛盾を平成18年3月の参議院本会議に於いて、民主党の黒岩宇洋代議士が的確に説明している。
「(中途省略)総理のおかげで米百俵の故事がすっかり有名になったことはうれしい限りです。しかし、この故事は、当初、今の痛みに耐えて明日を良くしようという呼び掛けに用いられました。現在は教育にお金を掛けるべきという意味で使われることが多いようです。教育ももちろん大事ですが、米百俵の最も言わんとするところは既得権益の打破であります。当時の階級社会では、藩から藩に送られてきた米は武士だけで消費することは当然のことと考えられていました。しかし、長岡藩では、武士がその既得権をなげうって、戦に敗れ疲弊している町民の子供らを含む将来の担い手教育に米百俵を使ったのです。これぞ長岡藩士の高潔さと地元の人々は誇りにしている、これが米百俵の精神です。米百俵は、国民に投げ掛けるだけではなく、権力者側がしっかりと受け止めなければならない歴史の教訓なのです。」
2002年5月7日に小泉内閣の最初の所信表明演説を行ってから、4年以上が経過した。その後、米百俵の精神が具体的な政策の中に盛り込まれて、社会の既得権益を打破し、今後の国家百年を担うような人を育てる改革を実施することはできたのだろうか。前回に引き続き、若者はなぜ3年で辞めるのか?-年功序列が奪う日本の未来- 城繁幸著を通して考えていきたい。
次の世代につけをまわし続ける国
結論から言うと、米百俵の精神が生かされて、既得権益が打破され、若者に教育や雇用のより良い機会が与えられたということは一度もなかった。その理由は簡単である。社会の意思決定権限が年功序列制度ゆえに若者ではなくて、すべて年長者にあるからだ。自分たちの既得権益を守り若者に犠牲を強いる事は雑作もないことである。「組合、政党、そして、経団連の意思決定プロセスに参加するのはみな50代以上の既得権層だ。そこに若者の代表者はいない。」それではどのような形で既得権益層より若者に負担が強いられているのであろうか
バブルの崩壊以後、長引く不況に喘ぐ日本企業の矛先は人件費の削減に向けられる。とは言っても労働組合の存在により簡単に賃下げや解雇を行うことはできないから、ほとんどの経営者まず、「新規採用の大幅な削減」で人件費を抑えることを決定した。この傾向は公務員で顕著である。
「2010年までの4年間で、公務員5%を削減」
2006年3月、政府の行政改革の一環として、目玉だった公務員人件費削減について、具体的な数値を含む方針を打ち出された。しかしながら驚愕の事実はこれは公務員が一律に給与を減らされるというものではなくて、「今後4年間、新規採用を2割以上減らし、自然源で対応する」ということだ。ここまであからさまな既得権益の保護は聞いた事がない。これによって数千にという若者就職先が消えてなくなることになる。米百俵の精神は一体どこにいったのだろうか。
経費を節約するために「新規採用の大幅な削減」必要性があっても、企業が若い働き手を必要としなくなったわけではない。従来の新入社員が押し付けられてきた、大して面白くもないルーチンワークを彼らに変わって実行する労働集団が既得権益層にとって、新たに必要になった。派遣社員と呼ばれる新しい労働集団である。1999年の労働派遣法の改正によって、それまで一部の職種に限定されていた派遣社員が、一般的な企業現場のほぼすべての職種で受け入れ可能となった。派遣社員の平均収入は300万円弱、短期のバイト中心フリーターになると平均収入は200万円未満、この給与は同年齢の正社員の半分未満に満たない。彼らのような非正規労働者には賞与も社会保険の企業負担分も、退職金の積み立ても必要なく企業にとって、これほど便利な存在はない。。彼らを安い賃金で働かせて浮いた分は企業の利益となり、既得権益層の更なる出世の糧となるので、一石二鳥といったところか。
既に雇用している人間の既得権を維持するために、若者の雇用を犠牲にする制度。そのつけは一体、どこに来るだろうか。次世代を作る子供たちの不在である。先進国の中でも群を抜いた日本の少子化に歯止めが止まらないのは若者犠牲の制度が存在するからではないのだろうか。正社員の半分以下の給与でどのようにして家族を養い、子供を育てる術があるのだろうか。少子高齢化は既得権益層の利益を守るために意図的に仕組まれたものである 。2005年の男性,女性の平均初婚年齢は29.8歳と28.0歳となり、その晩婚化の歯止めは簡単にはかかりそうにもない。
2007年から2010年にかけて団塊の世代が一斉に定年退職期を迎えることになり、彼らが受け取る退職金はおよそ80兆円にも上ると言われている。そのためセカンドライフに向けた別荘地やその他贅沢品の需要が伸びつつあるのだそうだ。また一方で安い労働賃金で将来の保証もなく、働かされる派遣社員や若者が存在することも事実である。日本の社会は彼らが人並みの収入を得て、家庭を築き、子供を育てるという選択肢を放棄して、退職者の世代が、退職後の生活を満喫できる選択肢を選んだ。つまり
日本は未来を捨てて、団塊の世代が人生を謳歌する道を選んだという事になる。ここで冒頭に戻ろう。長岡藩の藩士は自分たちだけで消費しても良い米を自分たちだけで消費したのだろうか? そのような目先の選択肢を取らず、自分たちの未来をつくる教育のたために投資したのではないのだろうか?小泉前内閣が表明した米百俵の精神で改革とはまやかしでしかなかったことをここで改めて強調したい。未来を担う人に投資しない国に未来などない。
参考文献
若者はなぜ3年で辞めるのか?-年功序列が奪う日本の未来- 城繁幸著

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