【号外】サイパン島の慰霊

現在の日本本土 連山編集部


出典:強姦米兵に怒り、怒り、怒りの沖縄
沖縄少女暴行と従軍慰安婦で米紙日本差別。日本女性のレイプ願望の記事が、沖縄米兵レイプ事件の後にニューヨークタイムズに出た。(中略)日本ではニューヨークタイムスをクオリティーペーパーのように報じていますが朝日新聞並みの三流新聞だ。そして東京支局のオオニシ・ノリミツの書く記事は日本への悪意に満ちている。その辺はアメリカ下院議員のマイク・ホンダにも言える事ですが、アメリカは日系人を使って日本攻撃を仕掛けている。日系人を使うのは人種差別だという批判を避ける意味があるのでしょう。アメリカ的な意識から言えば、敗戦国民の日本女性が米兵にレイプされるのは仕方のないことであり、その延長上に沖縄の少女暴行事件がある。
出典:株式日記と経済展望

一つ聞いてよいでしょうか? 神風特攻隊のパイロットはこんな状態にする為に死んだのでしょうか?
それとも日本人に誇りや自尊心がある事を後世に残したかったのでしょうか。峯山政宏リーダー以下の天山チームは輪番停電で苦しむ北マリアナ連邦(政庁はサイパン島)で電気エネルギーの自給実験を行っています。シーレーンの観点から見て、このマリアナ諸島は非常に重要な場所にあるからです。(歴史サイト:マリアナ沖海戦)日本本土では子供や婦女子が屈辱を受けても、日本の男性は悲しみを感じる人も少なくなったようです。情報社会は選択する事によって選択されます。愛国心とかいうものはテレビでお話をする事でしょうか。それとも、連日30度を超える南海の孤島でエアコンをつける電気もない場所で椰子油から電気を作る事でしょうか。日本人ならマスコミ人や年配の方々は若い彼らに何か言う事があってもいいと思います。

関連コラム:【談合】三人の侍(中編)

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サイパン島の慰霊

1. サイパン繁栄の条件

The Emperor and Empress of Japan pray for war dead in Saipan
戦争末期:サイパン島の日本人

北マリアナ連邦、ロタ島でサバイバル生活をする前に、トランジットのために立ち寄ったサイパン島の慰霊碑や日本統治時代の記念碑を回ってみることにした。これという特別な理由はないのだが、日本の靖国神社を参拝するのと同じように、第二次世界大戦で不幸にも亡くなった日本人をお参りすることは良い事に違いないと思ったからである。

その後、折角機会があって、お参りすることができるのだから、サイパンの歴史をいろいろと勉強しなければいけないだろうと思い、参考書籍などを読んでいると、非常に興味深い事実を発見することになった。それは一体何かというと、過去の歴史を振り返ってみて、サイパンが繁栄する条件というのは1つしかないと言うことだ。一言で表現するなら、次のようになる。

"サイパンが繁栄する条件:日本からの投資がある"

このように書くと全く身も蓋もないのだが、日本からの投資の有無がこの島の運命を握っていると言っても決して誇張ではない。サイパンが繁栄した時代を簡単に確認していただけるとその事実がよくお分かり頂けるのではないかと思う。

サイパンが繁栄した時代(過去)
年代:1914-1944年、サイパン島が日本の委任統治領だった時代
期間:30年程度
内容:「南の満鉄」と呼ばれる南洋興発を中心にして、製糖業、酒造業、農業、水産業など多岐に渡る産業が花を開いて経済が大発展することになった。
繁栄が終了した理由:日本が戦争に負けて、北マリアナから撤退したから。

サイパンが繁栄した時代(現在)
年代:1985-2005年: プラザ合意以後、日本のバブル経済期周辺の時代
期間: 20年程度
内容:1985年の「プラザ合意」以降の急激な円高が、空前の海外旅行ブームを引き起こしたことや、バブル経済が到来したことにより、日本人観光客がサイパンに年間70万人も(1997年)訪問することにようになった。実際、1997年に、北マリアナの税収は最大になり、その後著しく下降して現在に至る。
繁栄が終了した理由:日本のバブル経済の崩壊。テロやSARSの流行、石油の高騰など。決定的な出来事は2005年のJALのサイパン撤退。実質的に経済が繁栄した期間は1990年代後半までの15年間。

 

過去に北マリアナが経済的に繁栄した時代というのは、400年にも及ぶ長い他国からの植民地時代の中で、(スペイン→ドイツ→日本→アメリカ)上に挙げた2つの時代しか存在しない。(植民地時代の前には3,000年にも及ぶ先史時代があると言われている。)よって、サイパンが繁栄している時代というのは、隣国の経済大国である日本がイケイケドンドンで調子が良い時代で、その日本からの経済的な恩恵のおこぼれがあることが、サイパンが繁栄する唯一の条件だったということがわかる。

戦前においては、第一次世界大戦に乗じて、日本が北マリアナ地域をドイツから占領したことで、莫大なお金が北マリアナに投資されたことから、南洋興発株式会社を中心に、様々な産業が大発展することで、北マリアナは歴史上はじめて、経済的繁栄を享受することになったのだが、日本がアメリカとの戦争に敗れて、これらの島々から完全に撤退したことから、経済も同時に没落することになった。その後、北マリアナは60年以上、アメリカの施政下に置かれていたが、観光業以外のまともな産業が、再び花開くことはなかった。

そして、再びサイパン経済が復活するのは、戦後から40年以上が経過した1980年代後半である。当時の日本はバブル経済に酔いしれていた時代であり、三菱地所がロックフェラー・センターを買収したことや、ソニーがコロムビア映画を買収したことなど、ジャパニーズマネーが国内から世界に大量に供給されたのは記憶に新しいと思う。

サイパンでもこの時代に、日本から多くの投資がされることになった。(旧ホテルニッコーサイパン、旧第一ホテル、旧ダイヤモンドホテル、ハファダイビーチホテルなど)そして、日本のバブル経済の崩壊や失われた10年と呼ばれる不況期の中で、日本の資本がこの地域から撤退するにつれて、サイパン経済は再び没落を始めることになった。

以上、サイパンが繁栄していた時代を、ごく簡単に振り返ってみたのだが、この北マリアナは、多くの国の外国人投資家がいる中で、日本人と仲良く島作りしている時代が、お互いにとって一番、 "Win-Winの関係"を築き挙げることができていたのだと思う。

そして、今から60年以上も前に、日本から北マリアナに移民して、現地のチャモロ人と共に、ひたむきに汗をかいて働いた結果、この地に一大経済圏を作り上げたのも付かぬ間の夢として、戦争の敗北によって、全てを失った日本人戦没者の慰霊参りをすることはこの島の未来を考える上で避けては通ることはできまいと思うに至った。

筆者をふくむロタ島サバイバル班は、心からの哀悼の意を表現すべく、今回の慰霊参りを、タシツアー社の「ヤシの実号」ツアーに参加して行うことにした。費用は大人が6,700円で、日本語が話せる添乗員つきで、およそ6時間をかけて、サイパンの10カ所の観光スポットを回れるので、サイパンをはじめて、観光する方にはかなりお勧めのツアーである。(昼食は豪華なビュフェが付いていたので個人的にはかなり満足した。)本コラムでは、日本人の馴染みの深いサイパンの4大観光スポットを特に取り上げることにする。

やしの実号でサイパン島観光
待ち合せ場所のハファダイ・ビーチ・ホテル前にあった巨大なボージョボー人形

2. バンザイクリフ

米軍の攻撃を受ける空母瑞鶴と駆逐艦2隻

サバネタ岬という正式名称よりもバンザイクリフという通称名が余りにも有名な悲劇の場所である。バンザイクリフほど、異国の地でありながら、これほど日本人の郷愁を呼ぶ所は他にないのではないだろうか。

 

1944年6月19-20日のマリアナ沖海戦において、日本の海軍機動部隊は壊滅的な損害を受けて、マリアナ諸島はアメリカ軍によって占領されることになった。この開戦で、サイパン守備兵も必死で抵抗したのだが、制海権も、制空権もアメリカ軍に奪われて、まして資材も十分に揃っていない状況なので、戦況は日に日に悪化するに至った。そして、1944年7月5日に次の命令がサイパン総司令部から下されることになる。

7月5日、南雲海軍中将と斉藤陸軍中将は総攻撃を決め、「明後7日、米鬼を索(もと)めて前進し、1人よく10人を斃(たお)し、以て全員玉砕せんとす」との命令を出した上で、7月6日、サイパン島の皇軍将兵に告ぐ 「太平洋の防波堤として、サイパン島に骨を埋めんとす。『戦陣訓』に曰(いわ)く生きて虜囚(りょしゅう=捕虜)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか=罪やわざわい、ふしあわせ)の汚名(おめい=不名誉な評判。悪名)を残すこと勿(なか)れ」 との訓示(玉砕命令)を発して自決した。

The Invasion of Saipan

 

1944年7月7日に旧日本軍最後の玉砕突撃が行われる。そして、追いつめられた婦女子や老人などの民間人は、市内から、北のマッピ山の方向にむかい、北東のサバネタ岬で行き場を失った。彼らは祖国の日本を想い、「バンザイ」と叫びながら、この岬から身を投げて飛び降りたのだ。死者は1000人から1300人にも及ぶと言われている。また、絶対国防圏と呼ばれるサイパン島の陥落によって、日本の敗北も決定的となった。

1,000人以上の日本人が「バンザイ」と叫びながら飛び込んだサバネタ岬
日本からこの地に慰霊に訪れる人は後をたたない。
たくさんの慰霊碑や忠魂碑が死者のために建てられている。

3.ラストコマンド・ポスト

ラストコマンド・ポストは、洞窟状の窪みをコンクリートで固めたトーチカで、旧日本軍最後の司令部が置かれていた場所である。トーチカ内部に現在でも直撃弾による大きな穴が空いているのが確認できる。前述した南雲海軍中将と斉藤陸軍中将が最後に自決したのは、この場所である。この地域一帯はサイパン守備兵の最後の抵抗が行われたために、多くの犠牲者を出すことになったので、慰霊碑の数も多い。

旧日本軍最後の司令部
内部の様子からどれだけ戦闘が激しかったのかがわかる。
トーチカには当時打ち込まれた銃弾を今でも見ることが出来る。
旧日本兵反撃計画
旧日本軍の高射砲や大砲を見る事が出来る。

4.スーサイドクリフ

バンザイクリフと時を同じくして、1944年7月7日に行われた旧日本軍最後の玉砕突撃の後、北に追われた民間人が崖から、身を投じて自殺(スーサイド)を図った場所。1972年に小さな公園が設けられて、ささやかながら慰霊が行われるようになった。サイパンに来る前に、慰霊碑の中には破壊による損傷が著しいものが多いと聞いていたが、実際行ってみると、そこまでひどく破壊されているものはなかったように思う。しかしながら、日本人観光客よりも韓国人や中国人観光客の方が多かったのがとても残念な気がした。いつまでもこのような慰霊碑は大切に取り扱われてほしいとは思うが、日本人観光客の数が随分減少しているので、今後どうなるのかはわからないのだが、もっと多くの日本人の方にこれらの慰霊碑を参拝して頂きたいと思う。

この先の崖から多くの民間人が投身自殺をすることになった。
スーサイドクリフ頂上から見た眼下に広がる様子
戦後60年以上が経っても多くの遺族がサイパン島を訪問している。

5. シュガーキングパーク

日本統治時代に砂糖王(シュガーキング)こと松江春次を讃え、建設された公園。当時は彩帆(サイパン)公園と呼ばれていた。松江春次は1921年に南洋興発株式会社を設立後、翌年1922年に沖縄から労働者を連れて、島を開墾し、サトウキビ産業をこの地に起こすために邁進する。十分利益が出る量の砂糖(一日1,200トン)を日本へ船積みできたことにより、会社の経営も安定するようになった。1926年からは砂糖精製工程の副産物糖蜜を利用して、ウイスキー蒸留所を建設し、併せて日本にサイパン産のオールド・スコッチ・ウイスキーを輸出することで利益を飛躍的に増加させた。その後、南洋興発株式会社は製糖業で得た利益を使って、酒造業、鉱業、水産業、農業など業種を拡大するようになった。その結果関連会社まで含めると、社員48,000人という巨大企業になるにまで至った。サイパン史上で、最もサイパンの経済発展に貢献した人物が、このシュガーキングと呼ばれる松江春次である。その後、敗戦により、財産の全てを失った松江春次は、晩年サイパンへの郷愁を抱きながら、酒を酌み交わす事が楽しみだったという。米軍の猛攻撃によりサイパン島が陥落した1944年からの10年たった昭和29年(1954年)78歳で永眠することになった。

1934年に建てられた砂糖王(シュガーキング)こと松江春治の銅像
砂糖運搬用に使われていた蒸気機関車
シュガーキングパークの奥にある彩帆(サイパン)香取神社

かつて、多くの日本人の命が、サイパンという土地で失われたし、莫大な日本の投資が戦争により全て灰となった。また多くの日本の若者たちがサイパンで自分の青春をかけて、国づくりのために奔走した。今から60年前に、それら全ての日本人とサイパンを繋ぐ絆が確実に存在していたのであるし、今後も失われずに大事にしていきたいと思う。一人でも多くの日本人がこの地に足を運んでくれることを願わずにはいられない。

主要アクセス先(2008/2/15)

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コメント

>サイパンが繁栄した時代(過去)年代:1914-1944年、サイパン島が日本の委任統治領だった時代

こんなことを平気で書けるのが不思議です。
頭は大丈夫ですか?
サイパン島の人々(原住民)にとって、日本軍と米軍による戦闘は、さぞかし迷惑なことであったと思います。
日本のおかげで繁栄したのではなく、日本のせいでひどい目に遭ったのです。
たとえ繁栄できなくても、戦争をやられて、生命の危険にさらされるよりはましです。

------------------------ 『連山』 編集部

重要なコメントには正式なメールアドレスを添付して下さい。編集部からFrusato氏への連絡が取れません。日本の出版業界は、プロ市民という組織による出版妨害が酷いと日本の友人から聞きました。彼らは自分の正体を隠し、出版妨害をするそうです。チャモロ人の名誉及び日本の防衛外交の為にも添付されたメールアドレスに対してこちらからの連絡が取れない場合、Frusato氏のコメントはリスト化し迷惑コメントとして残します。
このコメントは非常に重要な内容を含んでおります。戦場となった島にいる峯山政宏コラムニストは現地におります。峯山政宏氏はアラブでの生活もあり世界の歴史を肌で知っています。
選択する事によって選択されるのが情報社会です。キリスト教に改宗しなかったチャモロ人以外のマリアナ民族は全てスペイン人に殺されました。
センゴク外伝「桶狭間戦記」宮下秀樹著をお読み下さい。
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中立国と戦争の通り道

かつて「永世中立国」を宣言していたベルギーやルクセンブルクが、現在「永世中立国」ではないのはなぜですか?

何故、人類は戦争を止めれないのかというのは学問的にも非常に重要です。恐らく、自分だけでなく子供や孫や恋人が飢えて死ぬ姿を人類多数が達観できるようになれば戦争はなくなると思います。チャモロ人の実態は少しは調査しましたか?峯山政宏コラムニストが石油文明の崩壊とともに無人島となりつつある島からコラムという形で情報を発信します。チャモロ人は生きる為にアフガンやイラクに兵士となって多くが出征しています。真実を謙虚に学ばず感情だけで動く人間が世界のエントロピーを拡大しました。その犠牲は常に子供のような弱い小さい人間が中心です。

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