【書評】軍需物資から見た戦国合戦

序文



軍需物資から見た戦国合戦 盛本 昌広 (著)を読んだ。戦国時代を今までとは異なる視点で分析しているのが非常に興味深い。

それにしても日本史の中で、戦国時代というのは非常に人気が高い。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、伊達政宗などの戦国大名はNHKの大河ドラマで何度も取り上げられているし、彼らのキラ星のごとく輝く人間的魅力は時代を経ても褪せることはなく、現在でも多くの日本人に愛されている。

なぜこれほどまでに彼らは愛されているのか?

その答えはおそらく強かったからだと思う。戦国大名の最終的な勝利者は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のバトンで継承されたものの、武田信玄も甲斐一国から信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部にまで領国を増やしている。知力、政略、軍事力全てを用いて、自国の領土を拡大する様は、現在で言えば一代で世界的企業にまで押し上げたソニーの井深大、本田技研工業の本田宗一郎、松下電器産業の松下 幸之助に似ていると言えるかもしれない。

今回紹介する軍需物資から見た戦国合戦 盛本 昌広 (著)は従来の華やかな戦国時代とは全く異なる視点で戦国時代を検証している。キーワードは「兵站(軍事物資の確保)」と「環境破壊」である。

合戦の勝敗は軍需物資をどれだけ確保したかで決まる。戦国時代、大名たちが苦心したのは有事の際の軍需物資の確保だった。なかでも木材、竹は重要で、築城はもとより、武器、武具、柵、旗指物、篝火、戦場での炊事用の薪といったように、戦略・戦術上必要不可欠なものだった。戦国大名は、領国内の木材を確保してはじめて合戦が可能となった。しかし、無制限に伐採を行うと森林資源は枯渇してしまうため、領国内の森林管理は、戦国大名によっては極めて重要だった。武器や武具や築城等に必要な森林資源を戦国大名たちがどのようにして確保、管理したのか?今までにない全く新しい側面から戦国合戦像を明らかにする。

[軍需物資から見た戦国合戦 盛本 昌広 (著) 帯より]


戦争をするにはまず人を確保しなければいけないし、その人の分だけの武器、武具、柵、旗指物、薪などの実に大量の物的資源を確保しなければならない。その中でも特に重要なのが木材、竹で、これがなければ戦争などできないのである。よって、領国内の森林資源の確保というのが戦国時代の大名にとって最重要課題なわけなのだが、だからと言ってむやみやたらに領国内の森林を伐採してしまうと、来年以降の戦争の目処が経たなくなるという非常の困った問題が起こってしまう。

なので、戦国大名と言うのは、まず第一に戦争に勝たなければいけないし、第二に、その戦争で必要な物的資源(森林資源)を確保しなければいけない。そして第三に戦争が継続して行うことができるために過度な森林伐採(環境問題)にも気をつけなければいけないという非常に難易度の高い職業なのである。ここで、先ほど挙げた戦国大名と現代のカリスマ経営者の対比を思いだして頂きたい。

現代の企業経営者というものも、まず第一に戦争に勝たなければいけないし(売上)、第二に、その戦争で必要な物的資源(資金)を確保しなければいけない。そして第三に戦争が継続して行うことができるために過度の借入れ(資金計画)にも気をつけなければいけないという点で両者は似ている。

今まで、第二(物的資源の確保)、第三(環境問題)という点で戦国時代が語られることは余りなかったように思う。決して合戦のように華やかではなく、どちらかと言えばこの泥臭い仕事を戦国大名たちはどのように処理していったのだろうか?本著が例示する問題提起は意外なまでに奥が深い。しかも現代の企業経営とも相通ずるものがある。そして、本著が見逃している盲点についてもコラムの後半で指摘している。今後の日本の将来を考える上で重要な視点であるので、最後までどうかおつきあい願いたい。

国の崩壊は環境が破壊が原因

日本は先進国中で有数の森林大国であることはよく知られている。日本の国土面積は3779万ha,森林面積は2512万haなので,日本の国土の約70%が森林となっている。

graph_shinrin_ritu.gif 日本の森林面積と森林率/森林林業学習館〔参考文献・出典〕国連食料農業機関(FAO)「Global Forest Resources Assessment 2005」

それではなぜこれほど森林資源が日本に存在しているのか?

この事実がどれだけ驚愕すべきことであるのか少し考えて頂きたい。

戦国時代とは日本各地でひっきりなしに戦争が行われている。それに伴い大量の森林資源が伐採されたに違いない。本書でも戦国大名が行った植林の事例なども紹介されているが、仮に植林で森林が生長する速度よりも伐採する速度が一年で、差し引き10%多かったとしよう。

そのような森林の場合、10年後どうなっているかというと、なんと森林面積は半分以下に激減しているのである。森林というのは破壊するには余りにも簡単で、維持管理・生長させるのは余りに難しく困難な作業なのだ。ジャレド・ダイアモンドの文明崩壊という著書を読むと、過度の森林破壊によって、増加した人口を維持できないために文明そのものが崩壊してしまった事例が多く紹介されている。もしご興味のある方はご一読頂きたい。

何はともあれ日本は奇跡の国である。

他の国と比較すると「奇跡」と言われる理由はお分かりいただけるかもしれない。

rome.gif 地球人の歴史 9.帝国統治

かつて、ヨーロッパにはローマという大帝国があった。167年のマケドニア王国占領、ベルガモン王国併合、紀元前63年のシリア征服とその後のガリア遠征。帝国の拡大期はアウグストゥスによるエジプト征服まで続いている。継続される戦争は軍隊用の棒給や、糧食、宿舎、装備など大量の物的資源が必要となり、その物的資源の確保のために、植民地のみではなく、帝国の発祥地であるイタリアの深い森も切り開かれ、農耕地や牧草地に変わっていった。食料を得るために、多くの家畜が放牧され、土壌の肥沃度を低下していった。その因果により農業生産力は次第に低減し、ローマの農業生産力が軍隊、インフラ、市民の福利を維持するだけのエネルギーを確保することができなくなった時に帝国は崩壊した。

ローマ帝国でさえも森林の維持管理に失敗していたことがわかる。

そして、ローマ帝国の崩壊により、その後ヨーロッパは中世の時代に入り、復活するには実に1000年以上先のルネッサンスの時代まで待たなければいけない。それでもローマ帝国の一部であった現在のイタリアは国土の森林面積が30%程度と日本の半分程度しかない。

日本では、一度の人口崩壊も文明崩壊もなく一貫して国土を占める森林率は高水準である。まさに奇跡と言ってもいいだろう。次にどのように戦国大名たちは森林資源を維持・管理していたのかその具体例を見ていこう。

戦国大名たちの驚くべき森林管理術

戦国大名たちは領土を防衛・拡大するために戦争をしなければいけない。よって、戦争をするために、武器、武具、柵、旗指物を生産しなければならならず、それらの原材料となる木と竹の確保は最重要課題である。それでは、これらの森林資源を戦国大名はどのように維持・管理していたのか? 関東の雄と言われた北条氏の事例を基にその詳細をダイジェストに確認してみよう。

まず森林を伐採する権利というのは一体誰にあったのかというと、これは領主のみである。つまり北条氏の領土内では北条氏にしか森林の伐採権はそもそもないのである。なので、北条氏の許可もなく領民がその領国内の森林を自分の家を建てるために、伐採することなど認められていない。

このような大前提によって森林の伐採に一定の抑止力がかけられている。

次に、北条氏であれば、むやみやたらと森林を伐採できるのかというと、どうやらそうでもなかったようである。森林伐採が許可される北条氏であっても基本的には公儀のみでしか伐採することができない。公儀というのは、大きく分けて、戦争に必要な軍需物資の確保と戦争で兵士となる人員の調達の2つがある。国を防衛する、領土を拡大するという公的な論理のみによって、森林の伐採が可能になったのである。またこの論理は北条氏に対して、炭や材木を上納する場合にも適用され、公儀というお墨付きをもらえれば、どこの山で伐採できたという柿本郷の事例により、一定の柔軟性もあったことがわかる。

さらに、北条氏は森林伐採、材木の確保を特定の業者にしか認めていない。天正7年(1579年)の事例を見ると、北条氏は板倉代と山田代に朱印状を発給し、小田原城の御備曲輪(おそなえくるわ)御座敷と塀材木のために、神奈川県寄与村にあった煤ヶ谷(すすがや)から、計233丁の材木の加工を命じている。

この朱印状では、はり梁、貫下地、むな桁、長押下地など部材ごとに、本数と寸法が定められ、その遵守が求められていた。不必要な森林伐採が行われないように徹底した森林資源の維持・管理が行われていたことが伺い知ることができる。

朱印状には具体的には次にような細かい記載が書かれている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
梁22丁 長さ3間2尺、幅7寸、厚さ 5寸
むな桁22丁 長さ2間1尺、方5寸
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こうした指示書通りに必要な資源を必要な分だけ利用するという原則が徹底されていったのである。

最後に、戦国大名たちの森林資源の管理はこれだけではない。山ごとに山を管理する番人(山守)を置いたのである。慶長18年(1613年)に安房1国を領していた里見忠義は泉村に治部という人物を山守として配置している。山守は日常的に、勝手な伐採が行われないように山を監視し、必要時には北条氏の事例で登場した板倉代と山田代のような専門業者を差配して、伐採や製材を行わせていた。

以上のような様々な手法により、戦国大名たちは世界の他のどの国も失敗し続けた森林資源の確保に成功したのである。

外国依存の日本

日本の森林面積が大きいのは「日本の祖先が偉大だったから」というと、いやそれは違う、日本の国土に占める森林面積が大きいのは国内の木材需要を外国からの輸入材に頼っているからだという反論があるに違いない。事実、戦後だけを見るとこの傾向は実に顕著である。林業白書によると、1960年には木材自給率は86.7%にもあったにも関わらず、1997年には木材自給率は20%をすでに切っているのである。

6_1_1.gif 木材の需要量と自給率の変化

木材の輸入先を見ると、圧倒的にアメリカとカナダが多い。しかも両国の森林率は国連食料農業機関(FAO)「Global Forest Resources Assessment 2005」によると、アメリカが36.7%、カナダが33.6%程度で、日本よりもずっと森林率が低いのである。また南洋材を輸入しているインドネシア、マレーシアは熱帯雨林の伐採が大きな環境問題を引き起こしていることはよく知られている。その他のオーストラリアも急激な森林伐採が大問題になっていることは、先ほど紹介したジャレド・ダイアモンドの文明崩壊でも詳細に取り上げられているので興味のある方はご一読頂ければと思う。

6_1_5.gif 日本の木材輸入量

少し余談であるが、近年に石油に変わる代替資源として、ブラジルなどで生産されるバイオエタノールが注目を集めているが、バイオエタノールの原材料となるサトウキビの栽培のために、アマゾンの熱帯雨林が焼かれていることが大きな環境問題につながると現在、懸念されている。このようにしてみると、他国の森林資源を利用して、自国に輸入するという方法には限界があり、遠くない将来に日本は国外ではなく、国内の森林資源に依存しなければいけない日がやってくるに違いない。

それまでに我々、日本人はどうすればよいのだろうか?

過去の事例を元にこれからの21世紀に日本がとるべき方法論を考えてみよう。

太平洋戦争失敗の研究

現在の日本は森林資源のみではなく、エネルギー資源も外国に多く依存している。

遠くない将来に石油も天然ガスも枯渇すると予測されているし、世界的な森林資源の減少も大きな環境問題になっている。そう考えると、日本も自尊自衛のために、森林資源、エネルギー資源の国内自給率を上げることを検討しなければならない。そこで、戦国大名による森林資源の管理術が将来的には役に立つと思われるが、急激に現在の社会システムを変更した場合に、社会的混乱を避けることはできないであろう。なぜなら、余りにも現在の日本は海外からの輸入に依存しているからだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本の自給率
石油:0.4%
石油:1.0%
天然ガス:ほぼ0%
原子力:0%
森林:20%
(出典BP統計2005)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
見て頂ければわかるように、ほぼ絶望的な状態である。

国内の自給率を上げることは重要であるが、急激な変化はむしろ有害であり、段階的な移行が望ましいのである。

感のいい読者の皆さんはもうすでに、軍需物資から見た戦国合戦 盛本昌広著で触れられていない物的資源の確保の盲点にお気づきになられていられるかもしれない。物的資源地域を戦国大名が抑えた場合、その大名の領国内では問題なくそれを利用することは可能である。しかし、現代の日本のように、資源地域と消費地が海で隔てられている場合はどうであろうか? 資源地域で生産した資源を問題なく日本に運搬するためには、その輸送路であるシーレーンを防衛しなければいけないのである。

しかし、ここで大きな誤算がある。戦後の日本はこの最重要問題であるシーレーンの防衛を全てアメリカ任せにしてきたという事実だ。現在、アメリカの国力は大きく衰退していることは既に御存知のことと思う。アメリカが近未来において、このシーレーンの防衛できなくなった場合、日本は独力でそのシーレーンを守らなければいけないのである。つまり、ここで太平洋戦争における大日本帝国の南方作戦が再現する事になる。

日本にとって、この南方作戦(簡単に言えば、東南アジアの資源を抑えて、日本が戦争するために必要な石油やボーキサイトや鉄を確保するための作戦。この作戦と同時期に日本は中国とも戦争していたので、英米による中国の蒋介石政権に対する軍事物資の輸送ルートの遮断というまた別の大きな目的があったが、ここでは後者に対しては割愛させていただく。)の成功の有無は、戦争の勝敗を決める天王山となったわけであるが、その結果はどうなったかというと、半分は成功して、半分は失敗したために、全て失敗することになった。つまり、資源地域を抑えることは成功したが、日本までの輸送に失敗したために、日本経済と国民生活は崩壊を余儀なくされて、戦争を継続する事ができなくなったために、連合軍に降伏したのである。

image802 1.JPG 日本のシーレーンは太平洋戦争中において、アメリカ海軍の潜水艦によって、徹底的に破壊されている。

開戦時、日本には600万トンの船舶が存在し、その300万トンを民間用、後の300万トンを軍事用に割り当てていた。NHKによって作成された、ドキュメント番組「大日本帝国のアキレス腱 太平洋・シーレーン作戦 」を見ると、面白い事実がわかる。アメリカとの戦争前夜、日本政府は船舶の損耗率を開戦1年目に80万トン、2年目に60万トン、3年目に70万トンと予測していたのであるが、実際の損耗率は1年目から順に、96万トン、169万トン、392万トンと大きな計算ミスをしていることがわかる。当時の日本の造船能力は年間60万トンだったことから、結局、太平洋戦争において、日本が失った船舶は860万トン、まともに残った船舶が31万トンしかなかったということから、戦争末期において、日本には全く資源が輸入されず、国民生活は完全に破壊されていたことは想像がつく。

太平洋戦争の教訓を元にして、日本は物的資源の確保とそのシーレーンの確保を最重要課題として、それと同時に国内における物的資源の自給率も同時に挙げなければならない。(また同時に戦国大名のような環境問題も当然考慮に入れられなければいけないことは指摘するまでもないであろう。)

これらの問題に対して、日本の取るべき方法論を私は以前に記述したので、ご興味のある方は[自立]アメリカの占領が終わる日本もご欄頂きたいと思う。

21世紀に生きる若者たちへ

現在の我々は非常に困難な時代を生きなければいけない。アメリカ帝国が崩壊しようとしている昨今、日本人は独自にエネルギー資源地域とそれを日本まで輸送するシーレンを防衛しなければいけないのと同時に、これらの日本国内における自給率を高めていかなければいけないし、当然環境問題も配慮しなければいけない。これらの手順を1つでも間違えれば、世界的な大混乱に日本も否応無しに巻き込まれ、大きな犠牲者が出るに違いないであろう。

それでは、現代に生きる我々が出来ることと言えば、一体何であろうか?

その答えはまさに、「教育」である。
幸運なことにも我々、日本人のDNAの中には

(1) 戦国時代の大名たちの知恵と

(2) 太平洋戦争のシーレーン防衛から得た教訓

が刻まれている。他民族と比較してもこれだけ多くの歴史を持ち合わせている国は日本において他には見当たらない。

いつの時代にも解決しなければいけない大きな問題が存在している。そのために「教育」というのはいつも時代を超えて現実的でなければいけない。日本人の先祖から学ぶべき教訓を教えることもなく、「空理空論」を際限なく教え続ける現在の学校教育は「現実」とは完全にかけ離れたものとなり、まったく役に立っていない。

日本の若者たちは、学校教育とは別にまず本を読み、勉強しなければいけない。そして、これらの難解な問題を解決するために行動しなければいけない。21世紀は明治政府を作った志士のように、勇気ある者にのみ栄光が約束されているのである。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.cyberuls.com/blog/mt-tb.cgi/7260

コメントする