システム革命の大戦略

『連山』編集部


アラブ首長国連邦の首都アブダビ近郊に、完全無欠のオアシスが誕生する。マスダルと名付けられたこの都市は、CO2排出量ゼロを実現し、再利用可能なエネルギーのみを用いて機能する。この世界初となる「完全に持続可能な環境都市」建設のため、皮肉にも、数百億ドルのオイル・マネーが注ぎ込まれることになった。  マスダルは、総面積7km2の砂漠の真ん中に建設される未来型都市だ。古代のキャラバン都市のように城壁で囲まれており、そのなかに5万人の住民を収容する。完成は2013年の予定で、設計は世界的に有名な英国人建築家のノーマン・フォスターが手掛ける。  電力は主に、太陽光発電と風力タービンで供給。廃棄物は99%がリサイクル、あるいは分解されるという。水の総使用量は50%削減される。太陽光発電で海水を脱塩化したものが飲料水となり、生活用水や工業用水は完全に再利用される計画だ。  市内に自動車は存在しない。超高速地下鉄と、軌道上を走る無人運転タクシーが交通機関となる。全ての建築物がリサイクル可能な再生素材で建てられるが、このユートピア建設に従事する労働者は、フェアトレードの精神に従い、最低賃金が保障されることになっている。  将来石油がなくなっても、アラブ首長国連邦にはまだ未来がある――。そうアピールするためにも、地球最初の「緑の都市」が必要なのだ。
レプブリカ(イタリア)より/クーリエ・ジャポン最新号(08年8月号)掲載 出典:COURRIER Japon×環境goo

関連コラム:MASDAR報告書(マスダル報告書)

既にアラビア半島はイラクとイランを除いて石油資源は枯渇を始めている。そして、地下水の枯渇は既に始まり20年以内にアラビア半島は完全に干上がる。また、淡水化プラントの運転によってペルシャ湾の汚染と塩分濃度の上昇により、死の海になりつつある。そして、上記の報告書にあるように彼らは連山コラムニストと面識がある。アラブ富裕層は911テロを引き起こした秘密結社により操作されている。現地労働者がどのような状況になっているかは峯山政宏コラムニストの著作「地獄のドバイ」を読んで欲しい。次期アメリカ大統領候補であるバラック・フセイン・オバマ・ジュニア氏は下記のように警告した。

「イスラエルがイラン攻撃も」 オバマ氏が議員団に見解
 米ABCテレビは30日、民主党の大統領候補に確定しているオバマ上院議員が前日の同党下院議員団との会合で「イランに対する制裁に効果がなければ、イスラエルはイランを攻撃するだろう」との見方を示したと報じた。
出典:日本経済新聞ワシントン支局

今の日本人に必要なのは歴史を鑑み、大戦略を立案し、それにもとづき行動する事である。そして、情報は常に作戦に先行する。伝説の覇者による下記の内容を明記して欲しい。伝説の覇者に協力する人はクリックして欲しい。
洗脳された日本に対して彼らは恐ろしい計画を実行している。(コラム:計画されたインフレ

イラン戦争へのタイムリミット(2008年 07月 10日)

リデルハート解析(1) 微分するシーレーン

リデルハート解析(2) 積分する海上護衛戦

第一次世界大戦の特異点

第一次世界大戦の複素解析

重要情報サウジアラビアの小麦生産は事実上「全滅」



スケジュール表


第二次世界大戦とリデルハート

2008年8月3日 システム革命の大戦略

①第二次世界大戦とリデルハート(序文)
①第二次世界大戦の前夜

2008年8月5日 電撃戦

②第二次世界大戦の概略
②グデーリアンの電撃戦

2008年8月7日
③第二次世界大戦と間接アプローチ戦略(1)
③第二次世界大戦と間接アプローチ戦略(2)

戦略及び大戦略の基本的事項

2008年8月9日
①戦略及び大戦略の基本的事項(序文)
①戦略と大戦略の相違点

2008年8月11日
②戦略(軍事的な純戦略)について
②戦略における行動について

2008年8月13日
③交通戦の遮断
③戦略及び戦術の神髄

2008年8月15日
④ゲリラ戦争
④軍事における革命と間接アプローチ理論

システム革命に必要な大戦略

  1. 敵の配備を混乱させ、敵に正面の急遽変更を強制することによって敵兵力の配備及び組織を撹乱する
  2. 敵兵力を分断する
  3. 敵の補給を危機に陥れる
  4. 敵がその必要に応じて撤退して基地又は本国内に地歩を占めるために利用し得る路線を脅威する

上記の運動の結果としてこの戦略的撹乱が生み出される。(戦略論より間接アプローチ)

第二次世界大戦とリデルハート(序文) 峯山政宏著

リデルハートが提唱した「間接的アプローチ」理論は、軍事に止まらず、今日においても、情報戦争、金融戦争、テロ戦争などと呼ばれる非対称戦争の中核となる理論である。リデルハートは「戦略論」において様々な時代の戦争を分析しているが、最も詳細に取り上げているのは、彼が実際に生きた時代に起こった第一次世界大戦と第二次世界大戦である。第一次大戦については前回のコラムで既に取り上げたので、本稿では、第二次世界大戦における史実を振り返ることにより、間接アプローチの理論について学ぶことを目的とする。ただし、特にリデルハートは第二次世界大戦において、ナチスのヒトラーの政権の軍事理論に多くのページを費やしている。よって、まずは、ナチスがドイツの政権を奪取し、連合軍に降伏するまでの史実を簡単に振り返り、その後、第二次世界大戦における間接アプローチの実際をナチス・ドイツに焦点を当てて考えてみよう。

第二次世界大戦の前夜

1918年11月に、ドイツの軍港キールで起こった水兵の反乱をきっかけにして、ドイツ全体で革命が起こり、ドイツ帝国は崩壊、皇帝ヴィルヘルム2世はオランダに亡命した。この政治的な空白に社会民主党を中心とする「ドイツ共和国臨時政府」が発足し、連合国側と休戦条約を調印、4年に渡る史上初の第一次世界大戦はここに終結することになった。第一次世界大戦が終結してから、1939年に、第二次世界大戦が開始されるまでのドイツを中心とする戦間期(Inter War Period)は大きく次のように分類されるであろう。

(1)1918年-1923年: 戦後混乱期
(2)1924年-1928年: 相対的安定期
(3)1929年-1939年: 大混乱期 (ナチスの台頭)

この史実の流れに沿って、第一次世界大戦が終了してから、第二次世界大戦が開始されるまでの概略を振り返ってみよう。


(1)1918年-1923年: 戦後混乱期
連合国と、休戦条約を調印した社会民主党を中心とする「ドイツ共和国臨時政府」はドイツ国内の治安の回復に努めるが、1919年1月、敗戦後のドイツを一挙に、社会主義に転換させようとするスパルタクス団の反乱(ドイツ共産党の前身)により大混乱する。このスパルタクス団による武装蜂起が、軍部と結託した臨時政府により、鎮圧された後、新しい憲法を制定するための憲法制定議会の選挙が行われる。そして、1919年6月には、ベルサイユ条約に調印し、1919年8月に新生ドイツの基本方針となる憲法(ヴァイマル憲法) が採択される。ちなみにこの憲法の下で運営されるドイツ共和国は、ヴァイマル共和国と呼ばれる。

ヴァイマル共和国においても、ドイツ国内は継続して不安定な状態に見舞われる。1920年には、ベルリンで帝政復活を目指す政治家が武装蜂起し(カップ一揆)、1923年にはヒトラー・ナチスが波乱を起こす(ミュンヘン一揆)。また一方で、ルールやザクセンなどの工業地帯においても、ドイツ共産党が反乱を起こし、成立直後のヴァイマル体制は常に動揺に見舞われることになる。また、1923年頃から、ドイツ国内において、急激なインフレーションが加速し、国民生活は破滅的な状態に見舞われることになった。この急激なインフレがドイツ国内で起こった原因は1919年のベルサイユ条約において、敗戦国ドイツに課せられた1320億金マルクという天文学的な賠償金にある。当然ながら、敗戦国のドイツがそれだけ巨額の賠償金を支払うことはできず、常に戦勝国であるフランスなどには支払いを拒絶していたが、怒ったフランスはドイツ工業地帯の心臓部である「ルール地方」を実行支配した。しかし、これに対して、ドイツ政府はルール地方の労働者に対して、徹底した仕事のサポータージュを呼びかける。この消極的抵抗によって、ルール工業地帯の生産は完全にストップしてしまうが、ドイツ政府は、復員兵士のための年金や、ルールの労働者・公務員・失業者に大量の支援金を支給しなければいけなかったので、紙幣の増発に歯止めをかけることができなかった。したがって、ルール工業地帯の生産停止と紙幣の増発という事態が爆発的なインフレを加速させる要因となった。この加速的な国家の危機を克服するために、当時のシュトレーゼマン首相は、マルクに代わり、新紙幣レンテンマルクを発行。ただちに、ルール工業地帯における消極的抵抗を中止し、外国に向かって、ベルサイユ条約に基づく賠償義務の履行を宣言する事により、生産力と国際的信用の回復を図ることに成功した。

(2)1924年-1928年: 相対的安定期
1924年になると、ドーズ案というドイツに対する経済復興案が発表される。このドーズ案に対して、ドイツに対する賠償金の支払い期間の延長と、アメリカによるドイツに対する資本援助が決定される。英仏が第一次世界大戦における戦債の支払いをアメリカに行い、このアメリカがドイツにドーズ案に基づく、資本提供をし、ドイツが英仏に対して賠償金を支払うという資金循環(ベルサイユ条約循環)は、ヨーロッパ諸国を混乱から、安定と協調に導く大きな原動力となった。その後、1926年にドイツは国際連盟の加盟がようやく認められ、1927年にはジュネーブ海軍軍縮会議、1928年にはパリ不戦条約によって、ヨーロッパは軍事的にも安定化の方向へと向かった。

(3)1929年-1939年: 大混乱期 (ナチスの台頭)
1929年になると、1928年まで、 ヨーロッパが相対的に安定していたのが嘘のように、世界は大混乱に陥ることになる。大混乱の引き金となったのは、1929年10月に起こったアメリカ発の世界大恐慌である。これによって、1924年以来、ドーズ案によって、アメリカから輸出されていた資本が停止。ドイツはまたたく間に生産がストップされ、600万人に及ぶ失業者が生み出された。

大恐慌勃発時のドイツ大統領はヒンデンブルクはこの経済的混乱を鎮静化するために、憲法第48条に基づいて、大統領緊急令を行使し、ブリューニング以下、3人の首相を任命するが、事態の打開を図る事はできず、1933年、4人目の首相としてヒトラーを任命した。大恐慌時におけるナチスの広報宣伝能力は他の追随を全く寄せ付けないほど卓越したものであったと言える。それはこの期間におけるナチスの議会における議席数の獲得によって証明される。

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1928年5月20日
共産党(54) 社会民主党(153) 民主党(25) 中央党(62) 人民党(45) 国家人民党(73) ナチス(12)

1930年9月14日
共産党(77) 社会民主党(143) 民主党(20) 中央党(68) 人民党(30) 国家人民党(41) ナチス(107)

1932年7月31日
共産党(80) 社会民主党(133) 民主党(4) 中央党(75) 人民党(7) 国家人民党(37) ナチス(233)

1932年11月6日
共産党(100) 社会民主党(121) 民主党(2) 中央党(70) 人民党(11) 国家人民党(52) ナチス(196)

1933年5月5日
共産党(81) 社会民主党(120) 民主党(5) 中央党(74) 人民党(2) 国家人民党(52) ナチス(288)
()は議会における議席数
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1933年1月30日にヒンデンブルクによって、首相に任命されたヒトラーはドイツ国内における権力を獲得することに成功する。その後、ヒトラーは反ナチス派をドイツ国内から、追放するために国会議事堂放火事件を口実にして、ドイツ共産党を弾圧し、非合法化する。そして、3月5日に、総選挙を行い、ナチスは288議席を獲得し、非合法化された共産党を除いて、ナチスの単独過半数が成立、一党独裁体制への道が開かれることになった。1933年3月23日には、ヒトラー政府に独裁を認める全権委任法が成立したことにより、議会は機能停止、ヴァイマル憲法と共和制は完全に崩壊することになった。1934年になると、ヒトラーはナチス党内の反ヒトラー勢力を一掃するため、突撃隊隊長エルンスト=レームの一派を粛正を図り、実行を成功させる。同年、大統領のヒンデンブルクが死去したことから、ヒトラーは首相と大統領を兼ね揃えた総統(ヒューラー)の地位へと上り詰める事についに成功する。ヒトラーは卓越した広報宣伝能力による議会工作と党内における反ヒトラー派の一掃を行うのと同時に、際立った経済政策を成功させた。600万人の失業者を救済するために、ヴェルサイユ条約で制限されていた軍需産業を復興し、高速道路建設などの大土木工業事業などを行った。その結果、ドイツ国内の失業者の数は0となり、ドイツ国民のヒトラー政権への期待はますます強まることになった。

次に、ナチス・ドイツ政権における対外的な動きを確認していこう。まず、1933年にドイツ国内における権力を掌握したヒトラーは1934年に、国際連盟を脱退する。1935年になると、体制固めに成功したヒトラーは住民投票を通じてザール地方をドイツ領に編入し、(注:ザール地方はヴェルサイユ条約に従って、15年間国際連盟による管理が行われていた所、その年限が終了したので、住民投票によってドイツへの帰属が認められた。)そして、この年のヒトラーはヴェルサイユ条約を無視して、再軍備宣言を発表。この動きに対して、ナチス・ドイツの膨張を阻止することを目的として、イギリス、フランス、イタリアはストレーザ戦線と呼ばれる軍事提携を樹立。さらに、1935年5月には仏ソ相互援助条約が締結され、イギリス、フランス、イタリア、ソ連による対ドイツ包囲網が完成。この時点で、ナチス・ドイツの対外的な膨張は完全に阻止されるかと思われたが、ここで、イギリスがドイツに対して、宥和政策を行うようになった。イギリス首相のボールドウィンはベルサイユ条約海軍条項の破棄という結果をもたらす英独海軍協定を結び、ドイツが対英35%の海軍力を持つ事と、対英45%の潜水艦を持つ事を認めた。1935年の段階では、イギリスにとって、ドイツよりもソビエト連邦の存在の方が脅威であり、仏ソ相互援助条約を締結したソ連が、イギリスの最重要植民地であるインドと、多額の資本を投じて油田開発を行っているイランに進出するのを警戒して、ドイツに対して一定の軍事力の保持を認めるということになった。このイギリスの思惑によって、対独包囲網の一角がもろくも崩れさることになった。1936年に入ると、ドイツはロカルノ条約を破り、ラインラント(ドイツとフランスの国境線のドイツ側の領土)に進駐する。さらに状況はドイツ側に有利に変化していった。対独包囲網の一角を担っていたイタリアがドイツとの間に、ベルリン=ローマ枢軸と呼ばれる友好関係が成立。イタリアは、エチオピアを侵略したことが国際的な非難の対象となり、孤立感を強めていたので、同じファシズム国家であるナチス・ドイツと提携する道を選ぶ。一方、同じ1936年に、日本とナチス・ドイツは、共産主義の拡大を防ぐという名目で、日独防共協定を締結、翌年、1937年にはこの協定にイタリアが加盟し、三国防共協定が締結される。そして、同年イタリアが国際連盟からの脱退を発表する。日本、ドイツ、イタリア三者の関係はこの後も強化されていく。1939年にイタリアとドイツの間で、鋼鉄条約という軍事同盟が結ばれ、この翌年1940年には、このドイツとイタリアの軍事同盟に加わる形で、日独伊三国軍事同盟が締結される。この時はすでに、ドイツはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦は開始されている。

少し時代を前に戻し、1938年のドイツを中心とする国際的な動向を確認してみよう。1938年2月、ヒトラーは長年の念願であったオーストリアを併合し、同年3月に隣国のチェコスロバキアを脅迫し、その領土内にあるズデーテン地方の併合を強圧的に要求する。ズデーテン地方は、兵器産業が特に発展していたので、ヒトラーの強圧的な領土割譲の原因となったが、ナチス・ドイツの軍事的脅威が英仏を上回るような危機に対して、英仏首脳はミュンヘン会談をドイツ、イタリアに呼びかけ、この4ヵ国でチェコの領土問題に話し合われることになった。この席上で、ヒトラーは「ズデーテン地方こそは最後の領土要求である」と発言し、イギリス、フランスからの妥協を引き出したが、これが虚言であったことは翌年、1939年に証明されることになる。

1939年は世界の歴史において、最も激動の時代と位置づけられるに違いない。1939年3月、ヒトラーはチェコスロバキアを事実上、軍事占領下に置いた。これによって、ヒトラーはチェコという"武器庫"を完全に掌握することに成功した。さらにリトアニアに対して、ヒトラーはヴェルサイユ条約によってドイツから分離させられていたメーメル地方を要求し、これを獲得する。またポーランドに対しては、ポーランド回廊を横断する陸上交通路、そして回廊の突端にある港ダンチヒの返還を要求した。この要求をポーランド側が拒否したことによって、ドイツとポーランド間に戦争の危機が高まり、全世界の注目を集めることになる。そして、1939年8月23日に驚愕の出来事が起こる。ナチス・ドイツが「不倶戴天の敵」であるソ連と「独ソ不可侵条約」を締結したのである。ドイツはポーランド侵攻時にフランスとソ連から挟撃されるという第一次世界大戦前夜に見た悪夢をひどく恐れ、ソ連は日本とドイツに挟撃されることを回避したかったので、両者の思惑が一致し、この条約が結ばれることになった。少し長くなったが、ここまでが第二次世界大戦が開始されるまでの概略である。

日本人は英語を勉強してください。壊れていないビルを壊れたと言っています!