脱ダム宣言は間違いだったのか

田中康夫氏を長野県知事選で破り、新しく知事に就任した村井仁氏は、田中氏の「脱ダム宣言」を批判し、ダム建設の検討に入る考えを示唆している。しかし、ダム建設は本当に必要なのだろうか。ダムが、洪水調整、水供給、発電といった目的を果たす上で最善の手段であるかどうかを検討しよう。

1. 洪水調整

2006年8月に行われた長野県の知事選挙は、その前の月に岡谷市で豪雨災害が起き、7名の死者を出したために、「脱ダム宣言」を掲げていた田中康夫氏にとっては厳しいものとなった。元衆院議員で防災担当相を務めた村井仁氏は、必要な公共工事を削減したツケだと田中行政を批判し、当選した。 村井仁知事は、ダム建設を再開する予定である [読売新聞:長野県が脱「脱ダム宣言」,2006年9月27日] 。

日本でダムを建設する主要な目的は治水である。大雨で洪水や土砂災害が起きるたびにダム建設の必要性を叫ぶ人がいるが、しかしながら、岡谷市の豪雨災害では、現場の山の上にゴルフ場が造られており、森林伐採による土壌の保水力低下が災害の第一の原因と考えられる。他方で、田中氏が 建設を中止させて、物議をかもした浅川ダムでは、被害はなかった。

長野県では、これまで、土建屋と癒着した開発独裁型行政が、森林を切り開き、ゴルフ場やらスキー場やらを建設してきた。特に長野オリンピック開催前には、大規模な開発があった。豪雨対策としてダムを造 り、自然破壊から生じた問題を自然破壊で解決しようとしても、抜本的な解決にはならない。土砂崩れを防ぐには、植林が一番望ましい。

もちろん、植林をしたからといって、洪水がなくなるわけではないが、シュメール文明のように洪水を害悪視して、ダムや堤防で堰き止めるのではなくて、エジプト文明のように自然の恵みとして農業に利用するべきだろう[永井俊哉:シュメール文明の遺産]。 田中氏も「氾濫受容型の治水」を主張していた[田中康夫:脱ダム宣言議会発言]。

「氾濫受容型の治水」とは、洪水の氾濫をダムや堤防で完全に封じようとするのではなくて、氾濫が起きることを前提に、被害を最小限にしようとする治水のあり方で、国土交通省も輪中堤や二線堤を活用した洪水氾濫域減災対策制度を来年度から創設する方針を固めた。

輪中堤や二線堤を活用した洪水氾濫域減災対策制度
図1 輪中堤や二線堤を活用した洪水氾濫域減災対策制度

小堤と輪中堤あるいは二線堤で囲まれた緩衝地帯は、農業用地として活用すればよい。氾濫が起きれば、川の水が養分を運んできて農地を肥やしてくれる。 立ち退きに費用がかかると思うかもしれないが、氾濫しそうなところに新規に宅地を作ることを禁止すれば、少しずつ農地と入れ替えることができる。また、実際に氾濫が起きれば、危険なところほど立ち退きが促進されることになるだろう。今後日本の人口が減っていくことを考えるならば、 農地を増やして、食料自給率を上げていくこの方針は、合理的だと言える。

ダムの中には、治水以外にも利水のために造られる多目的ダムもあるが、利水のためには、貯水率を上げなければならないので、それだけ洪水調整の余地は少なくなる。だから、多目的ダムはどっちつかずになることが多い。

2. 水の供給

ダムは、灌漑・上水道供給・工業用水供給のための水瓶としても造られるが、川を 堰き止めると水質が悪化するという問題がある。堰き止められてできるダム湖底には、上流から流れ込む有機物がダム湖底に堆積し、 水流による撹拌の行われない、酸素が少ない条件下でヘドロとなり、貯水も懸濁する。水質を悪化させないためには、流れている水を活用した方がよい。

ダム湖底では、上流から運ばれる大量の流砂も蓄積する。堆砂すればするほど、ダム湖は水瓶として使えなくなる。排砂トンネルを作ることも試みられているが、湖底のヘドロを 含んだ、温度と酸素濃度が低い水を流下させると、下流域で環境汚染を惹き起こす恐れがあるので、慎重にしなければならない。

水瓶としての機能は、むしろ水源の森林が担っているという意味で、森林が「緑のダム」と呼ばれることがある。これに対して、国土交通省は、次のように言って、「緑のダム」だけでは渇水対策にならないと批判する。

森林の水源涵養機能については学説が定まっておらず、森林整備による効果の定量的な評価は困難ですが、森林の増加は樹木からの蒸発散量を増加させ、むしろ、渇水時には河川への流出量を減少させることが観測されています。 従って、利水機能の代替を森林の整備に求めることは適切とは考えられません。

たしかに、無降雨日が長く続くと、森林の樹冠部の蒸発散作用により、森林自身がかなりの水を蒸発させてしまい、河川流量が減少する。しかし、蒸発した水はまた雨となって降ってくる。逆に、森がなくなれば、無降雨日はもっと長くなるだろう。陸地にある水をすぐに海に流してしまうことを防ぐという点で、森は緑のダムとして機能している。

全国的に雨量が多い日本ではあまり問題にならないが、ダムの水を灌漑に利用して、塩害を引き起こすという問題が海外の乾燥地域で多発している。これについては、また別の機会に取り上げよう。

3. 水力発電

ダムで堰き止めた河川の水を高い所から低い所まで導き、その流れ落ちる勢いにより水車を回して電気を起こすことができる。落差が大きいほど、水量が多いほど発電量が大きくなるので、これまで巨大ダムが好んで造られてきた。しかし、水力発電のコストは火力発電のコストの約二倍である[NEDO:一般水力発電のコスト]。 ダムには他にも機能があるからということで、この高コストが容認されてきたが、他の機能が必要ないなら、発電も不要ということになる。

水力発電は「二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギー」と言われているが、ダムが環境を破壊している以上、ダムの発電がクリーンなどと言うことはできない。もっとも、ダムを使わない、 生態系を破壊しない水力発電もある。例えば、さやま市民環境ネットワークの川分科会の自然エネルギー利用プロジェクトが開発したマイクロ水力発電機では、川の流れで水車を回して発電している [わが町狭山のブラリ日記: マイクロ水力発電機 - ぐるぐる電太くん]。発電機は、水嵩が変動してもだいじょうぶなように、フロートに搭載され、ワイヤーでつながれて浮かんでいる。

こうしたマイクロ水力発電機は、風力発電の水力版のようなもので、風力発電と同様の問題を抱えている。河川の水量は、風力ほどではないが、変動するので、安定した電力が供給できない。これ以外にも、流木に当たって故障する可能性や、軽少ゆえに盗まれるといった可能性もあるが、日本には流れの速い河川があるから、開発を試みる理由はある。

4. リクリエーション湖面

海外では、ダムによってできる広大な湖面をマリンスポーツのために提供するといったことが行われているが、日本にもそうしたレクリエーション多目的ダムを造る構想がある。

近年の国民生活における余暇時間の増大等により、国民が精神的な憩いを求める傾向が強くなっている。こうした現状を踏まえ、ダム湖の親水性の向上を図ることが目的であり、地方自治体、第三セクター等が事業主体となるレストラン、キャンプ場等のレクリエーション事業と一体となった共同ダム事業を実施するものである。

[国土交通省中国地方整備局:レクリエーション多目的ダム事業]

どうも国土交通省や自治体は、バブル期に促進したリゾート開発の失敗に懲りていないようだ。現在、日本政府は観光立国を目指しており、このレクリエーション多目的ダム事業も観光交流施策の一環として行われている。しかし、外国人が、このようなダムを使った兼業リゾートを訪れるために、わざわざ日本に来るだろうか。採算が取れるかどうか心配だし、さまざまな事業を行うことで、ダム湖がさらに汚染するという心配もある。

5. 脱ダムは間違いではない

ダムを建設して川の流れをせき止めることは、栄養分が山から川を経て海に流れ、漁業資源を育み、魚を食べる鳥や動物の糞や死体となって再び山に還元されるという自然の循環を遮断するという意味で、たんに水没する地域だけでなく、山と海を含むより広範な自然の生態系を破壊する。川の流れを堰き止めるということは、人体において血液の流れを止めるのと同じで、有害である。

ダムが河川の流れを遮断すると、水生昆虫、魚類、甲殻類などの生物が、上流から下流の間を行き来して生活史を全うすることができなくなる。サケ・マス・アユのような回遊性の漁業資源を守るために魚道を作るという方法もあるが、完璧を期そうとすればするほど、建設費用が高くなる。

ダムが放出する水には沈殿物が少ないので、河口でデルタを広げることができず、逆に海流に削られて、河口が後退するという問題も起きる。例えば、ナイルデルタは、アスワンハイダムを建設したおかげで、縮小しつつある。また川底が削られると、海水が入り込んできて、塩害を起こすということもある。

洪水対策、給水、発電といったこれまでダム建設を正当化してきたダムの諸目的を、ダム以外の手段によって実現することができるとするならば、水と栄養の循環を阻み、生態系を貧しくするダムは不要ということになる。今後とも私たちは、脱ダムの方向に向けて、代替策を模索するべきだ。

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