気候と文明

これまで、私は、気候が文明の盛衰に及ぼす影響を断片的に取り上げてきたが、今回は、これまでの議論を整理し、気候と文明の間に成り立つ一般的な関係を模索してみたい。

1. 気候と文明の関係

これはまだ仮説であって十分に実証できていないが、気候と文明には次のような関係があるように思われる。

  • 寒冷期には、集中化が進み、知的革命が起きる
  • 温暖期には、分散化が進み、知的停滞が起きる

システムは、エントロピーを縮減し、自らを維持するためには、熱を取り入れるための高熱源と熱を捨てるための低熱源の両方を必要とする。寒冷期では高熱源が不足するので、効率的に熱を発生させるために、システムは集中しようとする傾向がある。温暖期では低熱源が不足するので、効率的に熱を排出するために、システムは分散しようとする傾向がある。

知的革命かそれとも知的停滞かは、熱エントロピーの問題というよりも情報エントロピーの問題である。温暖期は、太陽の活動が活発な時期である。太陽活動が活発になると、フレアと呼ばれる爆発が太陽黒点の付近から発生し、多くのエックス線、ガンマ線、高エネルギー荷電粒子を放出する。大規模なフレアは、磁気嵐となって地上での磁場の変化をもたらし、そしてこの電磁波の乱れは、人間の脳における情報処理を撹乱する。温暖期が文化的偉業に乏しい暗黒時代であることが多いのは、これが原因ではないだろうか。

熱エントロピーという観点からすると、温暖期よりも寒冷期の方が危機の時期である。情報エントロピーという観点からすると、寒冷期よりも温暖期の方が危機の時期である。人類は、寒冷期という物的資源の危機の時代を豊かな知的能力によって克服し、温暖期という知的能力の危機の時期を豊かな物的資源によって乗り越えることができる。

私はこれまで、このシリーズで、気候と文明の関係について断片的に触れてきた。本稿では、以下、これまでの議論を復習しつつ、気候と文明の関係をもう一度再確認したい。

2. 最終氷期における人類のイノベーション

現生人類であるホモ・サピエンス・サピエンスが誕生したのは、ミトコンドリアDNAから計算すると、14.3±1.8万年である。これは、リス氷期の最盛期に当たる。そして、現生人類は、次の氷期である最終氷期、すなわちヴュルム(ウイスコンシン)氷期において、様々なイノベーションを経る。

以下のグラフは、南極の氷柱に含まれている重水素の割合から復元した、ヴュルム(ウイスコンシン)氷期における気温の変動を示したものである。寒冷化の谷底で、重要なイノベーションが起きていることを見て取ることができる。

Petit, J.R., et al., 2001, 
Vostok Ice Core Data for 420,000 Years, IGBP PAGES/World Data Center 
for Paleoclimatology Data Contribution Series #2001-076.  
NOAA/NGDC Paleoclimatology Program, Boulder CO, USA.
図1 ヴュルム(ウイスコンシン)氷期における気温の変動と人類のイノベーション。横軸の単位は千年前(等間隔ではない)。縦軸は現在の温度との標準化された偏差。 [World Data Center for Paleoclimatology:Vostok Ice Core Data for 420,000 Years ]

イーミアン間氷期が終わり、アフリカが寒冷化・乾燥化すると、ホモ・サピエンス・サピエンスが、獲物を求めて、アフリカから西アジアやインドに進出するようになる。装飾品の象徴的使用もこの頃から始まる。イスラエルにある10-13.5万年前のスクール遺跡から、現生人類の骨といっしょに、中心に孔の開いた3つの貝殻が発見された [Middle Paleolithic Shell Beads in Israel and Algeria] 。『サイエンス』のこの論文では、穴は人為的に開けられたもので、遺跡が海岸から遠くはなれていることから、ネックレスとして装飾的に使うために海岸地方から輸入した物ではないかと考えられている。私は、この可能性とともに、貨幣として使用された可能性をも指摘したい。「文化のビッグバン」は、出アフリカの時代に既に先駆的に行われていたのである。

出アフリカといっても、寒冷地にまでは進出できなかった。寒冷地にも進出できるようになったのは、7万2千年前のトバ事件以降である[人類はいかにして全大陸に進出したのか]。衣服の発明により、ホモ・サピエンス・サピエンスは、4.5万年前には、ロシアのドン川畔に進出し[Early Upper Paleolithic in Eastern Europe and Implications for the Dispersal of Modern Humans]、 4万年前には、ヨーロッパに出現し、おそらくは、北極圏にまで進出している[Human presence in the European Arctic nearly 40,000 years ago]。

4.5万年前より、前頭葉の発達したホモ・サピエンス・サピエンスが言語能力を飛躍的に高める革命が中近東から始まった。このイノベーションは文化のビッグバン(the Great Leap Forward)と呼ばれているが、それは、言語の革命であると同時に、交易の革命でもあった。4.5万年前のロシアのドン川の遺跡からも、造形美術や500キロメートル先から輸入した貝殻の化石などが出ている[前掲論文]。また、この時期、狩猟技術も大いに進歩した。その後、ヨーロッパで、クロマニヨン人による、洗練された洞窟絵画文化の花が開くのは周知の通りである。

クロマニヨン人の脳の発達した前頭連合野は、新しい神経回路のネットワークを作り出し、交易の新しい社会的なネットワークを作り出し、それによって言語システムを複雑にし、概念の示差的なネットワークに革新をもたらした。この三つのネットワークの創発は、相互に無関係なのではなく、知性の発達という一つの本質の異なった側面に過ぎない。

[永井俊哉:知性とは何か]

2.65万年前、ニュージーランドのタウポ湖で、VEI(火山爆発指数)が8の巨大火山噴火(Oruanui eruption)があった。以後、寒冷化が急速に進み、2.2-1.8万年前に、最終氷期の中でも最も寒い時期が来る。ネアンデルタール人が滅びたのはそのことである。2.45万年前に、ポルトガルのラガー・ヴェルホ岩陰で火葬埋葬されたネアンデルタール人の幼児が最後のネアンデルタール人とされている。もとより、ネアンデルタール人は、リス氷期を生き延びており、氷期であることが滅亡の原因ではない。むしろ食料獲得の上で競合関係にあるホモ・サピエンスのヨーロッパ進出が原因と考えることができる。

表象文化の発達、衣服の発明、狩猟技術の進歩は、いずれも寒冷化の中で起きたイノベーションである。それ時期は、同時に、原始的な言語と貨幣というメディアによって、システムの統合が行われた時期でもあったと考えることができる。

3. ヤンガードリアス寒冷期における農業革命

1.6万年前頃から、温暖化が始まるが、そのプロセスは単純ではない。以下のグラフは、最終氷期から現在の間氷期にかけての気温の変動を表しているが、このグラフからも、ベーリング・アレレード温暖期の後に、ヤンガードリアス期と呼ばれる急速な寒冷化の揺り戻しの時期があったことが見て取れる。

GISP2 Bidecadal Oxygen Isotope Data
図2 最終氷期から現在の間氷期にかけての気温の変動と気候区分。縦軸は、酸素同位体比の標準化された変異、横軸は時間軸で、単位は西暦。 [原資料:GISP2 Bidecadal Oxygen Isotope Data]

アレレード期の温暖化により、海底のメタンハイドレートが気化し、それが更に温暖化を推し進める。北米を覆っていたローレンタイド氷床の融氷水は、ミシシッピー川を経てメキシコ湾に流れていたが、東側にあったマルキュティ氷河がなくなったために、セントローレンス川を経て、北太平洋に流れた。その結果、北大西洋の塩分濃度が薄まり、密度が小さくなり、深層海流の動きが止まった。このため、10年間で8-15℃も気温が低下した。特にメキシコ湾流の流れが止まった結果、ヨーロッパは寒冷化する。更新世の巨大動物類が絶滅し、ベーリングアレレード期に湿潤化した西アフリカが乾燥化した。その結果、農業の開始された。「農業の開始と父権社会の成立」では、最初に農業が開始されたのは、12500-10200年前に存在した地中海東部のナトゥフ文化と書いたが、シリアのアブ・フレイラ遺跡の方が古いようだ。

New evidence from the site of Abu Hureyra suggests that systematic cultivation of cereals in fact started well before the end of the Pleistocene by at least 13000 years ago, and that rye was among the first crops. The evidence also indicates that hunter-gatherers at Abu Hureyra first started cultivating crops in response to a steep decline in wild plants that had served as staple foods for at least the preceding four centuries. The decline in these wild staples is attributable to a sudden, dry, cold, climatic reversal equivalent to the ‘Younger Dryas’ period. At Abu Hureyra, therefore, it appears that the primary trigger for the occupants to start cultivating caloric staples was climate change.

アブ・フレイラからの新しい証拠は、穀物の組織的な栽培は、事実上、更新世が終わるかなり前から、少なくとも13000年前には始まっていて、ライ麦は最初期の穀物だったことを示唆している。また、この証拠から、アブ・フレイラの狩猟採集者は、少なくとも4世紀にわたって主食としていた野生種植物の急速な減少に反応して穀物の栽培を最初に始めたことがわかる。これらの野生の主要食料の減少の原因は、「ヤンガー・ドリアス」に相当する、寒くて乾燥した気候への急激な逆戻りに求めることができる。アブ・フレイラでは、それゆえ、住民が高カロリーの主食を栽培し始めたきっかけは気候変動のようである。

農業の開始は、技術革新という側面を持つと同時に、経済の労働集約化という社会システムの変革という側面をも持つ。

4. サブボレアル寒冷期における都市革命

ヤンガードリアス寒冷期の後、プレボレアル振動や8200BP事件といった短期的な寒冷化の揺り戻しはあったものの、長い間、温暖な時期が続いた。この時期は、気候最適期(Climate Optimum)と呼ばれることもあるが、ここでは、花粉層序の名称を用いて、アトランティック温暖期と呼ぶことにしよう。花粉層序では、アトランティックの後は、サブボレアルで、この時期は、以下のように、紀元前2600年頃を谷底とする亜氷期となっている。

GISP2 Bidecadal Oxygen Isotope Data
図3 完新世における気温の420年移動平均線。縦軸は、酸素同位体比の標準化された変異、横軸は時間軸で、単位は西暦。メソポタミアでは、紀元前4100-3000年のウルク期において、既に都市化が始まっていた。 [原資料:GISP2 Bidecadal Oxygen Isotope Data]

紀元前2600年頃といえば、いわゆる四大文明の最盛期である。紀元前2686年に、エジプト古王国時代が始まり、紀元前2600年頃からインダス文明が栄え、エーゲ文明が始まり、中国では、長江流域で石家河文化が始まり、紀元前2590年に、ウル第一王朝が興った。サブボレアル寒冷期が都市革命をもたらしたということができる。

以下のグラフは、フィンランドの昆虫化石の分析から得た、過去1万年間の7月の平均気温からの偏差を表すグラフである。このグラフからも、6000-4000年前の気温が低かったことが窺える。

Department of Computer Science
図4 Tsuolbmajavriでの7月の気温の平均(10.051℃)からの偏差 [Atte Korhola et al:Holocene temperature changes in northern Fennoscandia reconstructed from chironomids using Bayesian modelling]

この寒冷期に対する適切な名前がないので、花粉層序の名称から借用して、サブボレアル寒冷期と名付けることにしよう。

サブボレアル寒冷期においては、北緯35度以南の北半球が寒冷乾燥となったので、農民が水を求めて大河に集中し、巨石建造物を特徴とする、都市文明を造った。この都市の成立は典型的な集権化である。またこの時代に文字が記録を残すために使われるようになった。「寒冷期には、集権化が進み、知的革命が起きる」という法則は、サブボレアル寒冷期に最もよく当てはまる。この時代の都市国家では、言語・貨幣・刑罰という社会的エントロピーを縮減する基本的なメディアがすべて完備された。真の意味での国家は、サブボレアル寒冷期において成立したといってよい。

四大文明の都市国家は、紀元前1800年ごろから始まる温暖湿潤化の中で衰退していった。この温暖期をサブボレアル温暖期と名付けることにしよう。寒冷乾燥化のときとは逆に、人々は大河のほとりの都市から地方へと分散して、自給自足的な生活を送るようになった。また歴史的な記録が少なくなり、さながら暗黒時代・闕史時代とも言うべき歴史的空白が生じる。「温暖期には、分権化が進み、知的停滞が起きる」という法則をサブボレアル温暖期で確認できる。

5. 古代寒冷期における精神革命

花粉層序の名称に従うならば、サブボレアルの次はサブアトランティックであるが、紀元前500年から現代までをこの名称で一括するのは、歴史時代を語る上で大雑把過ぎるので、古代・中世・近代というヨーロッパの伝統的な三区分法で分割しよう。面白いことに、古代と中世、中世と近代はいずれも寒冷期で画期されている。古代も中世も近代も、前半の寒冷期で革命が起き、後半の温暖期で成熟する。

古代寒冷期と私が名付けた時期は、枢軸時代と呼ばれている時代である。紀元前六世紀から五世紀にかけての枢軸時代に、ザラスシュトラ(紀元前628-551)によるゾロアスター教の創唱、バビロン捕囚を契機としたユダヤ教の誕生(紀元前586)、孔子(紀元前551-479)による儒教の成立、ガウタマ(紀元前463-383年)による仏教の創設、プラトン(紀元前427-347)によるイデア論の提唱など、世界同時多発的に精神革命が起きた [Karl Jaspers:Vom Ursprung und Ziel der Geschichte, p.20] 。

精神革命は、知の進歩であったと同時に、知の集権化でもあった。枢軸時代に生まれた宗教は、一神教で、多神教から一神教への流れは、集権化として特徴付けることができる。だから、寒冷期には、集権化が進み、知的革命が起きるという法則をここにも適用することができる。ヨーロッパと中国では、古代温暖期に、ローマ帝国と漢という二大帝国が成立したが、その知的水準は、古典期のギリシャと春秋戦国時代を超えることがなかった。

中世寒冷期と精神革命

以下のグラフは、西暦200年以降の気温の偏差を表すグラフである。535年を底とする左の谷間は、日本では一般に古墳寒冷期と呼ばれるが、ここでは、中世寒冷期と呼ぶことにしよう。中央の山が中世温暖期で、この名称は一般的に用いられている。右の谷間の近代小氷期も、それ以上に定着している。一番右端の近代温暖期は、現代温暖期といっても良いが、基本的に近代文明を引き継いでいる。

Mann, M.E. and P.D. Jones, 2003, 2,000 Year Hemispheric Multi-proxy Temperature Reconstructions, IGBP PAGES/World Data Center for Paleoclimatology Data Contribution Series #2003-051. NOAA/NGDC Paleoclimatology Program, Boulder CO, USA.

200年から1980年までの北半球での気温の偏差(基準:1961-1990年)
[原資料の出典:Mann, M.E. and P.D. Jones(2003)2,000 Year Hemispheric Multi-proxy Temperature Reconstructions

中世寒冷期は、古代寒冷期で生まれた去勢宗教が世界に普及していく時期である。多神教を信仰し、一神教であるキリスト教を弾圧していたローマ帝国は、キリスト教を公認し、最終的には国教にまでした。それは、解体し始めた帝国を一神教で統一しようとする試みであった。やがて中東ではイスラム教が、中国では仏教が普及し、プリミティブな自然宗教は、ほとんど姿を消すようになる。

6. 近代小氷期と産業革命

中世において「温暖期には、分権化が進み、知的停滞が起きる」という法則が最も良く当てはまるのが、ヨーロッパである。ヨーロッパにおける中世は、科学技術が停滞した暗黒時代であり、国王の求心力が弱い封建社会の時代であった。絶対王政による中央集権化と近代科学という最高の知的革命が起きるのは、近代小氷期のおかげである。

現代は近代を継承する時代であり、近代で起きた革命は、現代の私たちにとって、最も重要である。それゆえ、近代の集権化と現代の分権化については、また別の機会に詳しく論じたい。

サイト内記事紹介

宗教革命、近代科学、近代資本主義といったヨーロッパにおける一連の出来事は、気候史上“近代小氷期 Little Ice Age”と呼ばれる時期の出来事である。逆に、ヨーロッパが、中世において経済的にも学問的にも停滞したのは“中世温暖期 Medieval Warm Period”のせいである。ところが、IPCCも指摘するように、中世温暖期とそのあとに続く近代小氷期というドラスティックな気候変動は、北大西洋地域で顕著に見られるが、その他の地域ではあまりはっきりしない。

キリスト教国が積極的に膨張政策を取るようになったのは、1096年から始まる十字軍遠征以降である。この時期は、中世温暖期の終了の時期に合致する。寒冷化が原因でキリスト教徒が南下しようとしたわけである。やがて、貨幣経済がヨーロッパに浸透し、カトリック教会の世俗外的禁欲に代わって、プロテスタントたちの世俗内的禁欲が、資本主義の成立をもたらす。

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