象徴的に一般化されたコミュニケーションメディア

「象徴的に一般化されたコミュニケーションメディア」は、ルーマンの社会システム論における重要な概念の一つである。社会学におけるルーマンのメディア論が占める学説的位置を確認しつつ、ルーマンの批判的継承のための方向性を打ち出したい。

1. ルーマン以前の学説史

“象徴的に一般化されたコミュニケーションメディア[t] symbolisch generalizierte Kommunikationsmedien”は、ニクラス・ルーマンが、タルコット・パーソンズの“象徴的交換媒体 symbolic medium of exchange”から引き継いだ概念である。

[t]日本語の翻訳では、「シンボルによって一般化されたコミュニケーションメディア」と訳されることもあるが、これではまるで、シンボルとコミュニケーションメディアが別であるかのようなので、望ましくない。ドイツ語では、二つの形容詞を並べる際、最初の形容詞を無語尾にする場合があるので、パーソンズの元の用法にしたがって、“symbolisch”を形容詞として解釈することもできるが、ルーマンのテキストでは、“symbolische Generalizierung”という用法もあるので、副詞として解釈しておく。

象徴的交換媒体はなぜ必要なのだろうか。パーソンズは、次のように、社会的な相互作用には“二重の依存性 double contingency”があることを指摘している。この二重の依存性の問題を解決しない限り、社会システムは成り立たない。

There is a double contingency inherent in interaction. On the one hand, ego's gratifications are contingent on his selection among available alternatives. But in turn, alter's reaction will be contingent on ego's selection and will result from a complementary selection on alter's part. Because of this double contingency, communication, which is the preoccupation of cultural patterns, could not exist without both generalization from the particularity of the specific situations (which are never identical for ego and alter) and stability of meaning which can only be assured by »conventions« observed by both parties.

相互作用には、二重の依存性が内在している。一方で自我の満足は彼が可能な選択肢から選ぶことに依存している。しかし、逆に、他我の反応は自我の選択に依存するであろうし、補完的に他我の側の選択からも帰結するだろう。この二重の依存性のゆえに、文化的パターンを先取りするコミュニケーションは、特定の状況(それは自我と他我にとって決して同一ではない)の特殊性の一般化と両者によって遵守される「協定」によってのみ確かになりうる意味の安定性なしには存在しえない。

[Talcott Parsons, Edward Shils (1951) Toward a General Theory of Action, p.16]

パーソンズは、後に、ダブルコンティンジェンシーが成り立つ前提である相互行為を次のように分析している。

The crucial reference points for analyzing interaction are two: (1) That each actor is both acting agent and object of orientation both to himself and to the others; and (2) that, as acting agent orients to himself and to others, in all of primary modes of aspects. The actor is knower and object of cognition, utilizer of instrumental means and himself a means, emotionally attached to others and an object of attachment, evaluator and object of evaluation, interpreter of symbols and himself a symbol.

相互作用を分析する上で、参考にするべき重要な点は、(1) 各行為者は、自分自身に対してと同時に他者に対して、行為する主体であると同時に行為が向けられる客体でもあるということ、(2) しかも、行為する主体として、あらゆる側面の基本的な様態において、自分自身と他者に行為を向けているということ、この二つである。行為者は、認識の主体であると同時に対象であり、道具的手段の利用者であると同時に自分自身が手段であり、他者を愛すると同時に愛され、評価すると同時に評価され、象徴の解釈者であると同時に自分自身が象徴である。

[Talcott Parsons (1968) Interaction, International Encyclopedia of the Social Sciences, volume 7, p.436]

例えば、私が海で釣った魚を山で取れたどんぐりと交換する時、私は交換行為の主体であると同時に客体でもある。私は、魚の購入を欲望しているどんぐりの所有者を欲望する。だから、私は欲望の主体であると同時に、客体でもある。魚一匹とどんぐり10個が等値であると相手と合意して交換する時、私は評価すると同時に評価され、認識すると同時に認識されている。

ジェボンズが指摘するように、物々交換には、魚の所有者がたまたまどんぐりを欲望し、どんぐりの所有者がたまたま魚を欲望しているという、欲望の“二重の偶然的な一致 a double coincidence”が必要であり、これはめったに起きないことであるがゆえに、“交換媒体 a medium of exchange”と呼ばれる共通の商品、すなわち貨幣が必要になる[William Stanley Jevons (1875) Want of Coincidence in Barter, Money and the Mechanism of Exchange Chapter1]。

パーソンズは、二重の依存性の問題が、協定やコンセンサスで解決すると考えた。ルーマンも社会システムの自己言及性で解決しようとしたが、これは、要するに「社会秩序が存在するから社会秩序は存在する」というトートロジーの表明に他ならない。社会秩序は、社会秩序に自己言及して秩序を維持しているのは事実であるが、社会秩序は交換媒体として具現化していると考えることができる。

パーソンズは、「交換媒体」に「象徴的」という形容詞を付けているが、これは、貨幣には、直接的な消費の欲望の対象となるような、第一義的な有用性は存在せず、それを象徴として代表象しているからというのが理由である[Talcott Parsons (1963) On the Concept of Political Power, Proceedings of the American Philosophical Society, 107, p.236]。

パーソンズは、AGIL図式を象徴的交換媒体に応用する。A(Adaptation 適応)の象徴的交換媒体は貨幣、G(Goal attainment 目標達成)の象徴的交換媒体は権力、I(Integration 統合)の象徴的交換媒体は影響、L(Latency 潜在)の象徴的交換媒体は価値コミットメントである。しかし、どのような意味で、権力や影響や価値コミットメントが、貨幣と同様に、交換媒体、価値尺度、価値貯蔵手段となるのか不明瞭である。

パーソンズは、交換媒体としての貨幣の機能を一般化させた最初の学者というわけではなかった。ドイツの社会学者、ゲオルク・ジンメルは、1900年の著作『貨幣の哲学』において、交換概念を社会的相互作用一般にまで拡張し、貨幣の役割を考えた。

Jede Wechselwirkung aber ist als ein Tausch zu betrachten: jede Unterhaltung, jede Liebe (auch wo sie mit andersartigen Gefuhlen erwidert wird), jedes Spiel, jedes Sichanblicken. Und wenn der Unterschied zu bestehen scheint, das man in der Wechselwirkung gibt, was man selbst nicht hat, im Tausch aber nur, was man hat - so halt dies doch nicht stand. Denn einmal, was man in der Wechselwirkung ausubt, kann immer nur die eigene Energie, die Hingabe eigener Substanz sein; und umgekehrt, der Tausch geschieht nicht um den Gegenstand, den der andere vorher hatte, sondern um den eigenen Gefuhlsreflex, den der andere vorher nicht hatte; denn der Sinn des Tausches: das die Wertsumme des Nachher groser sei als die des Vorher - bedeutet doch, das jeder dem anderen mehr gibt, als er selbst besessen hat.

とはいえ、相互作用は、会話も、愛も(憎しみで報いられる場合ですら)、遊びも、見つめ合いも、すべて交換とみなすことができる。相互作用においては、人は自分自身が持たない物を与え、交換においては、持っている物のみを与えるという相違があるようにも見えるが、そうではない。なぜなら、まず、人が相互作用において行使するのはただ自分のエネルギー、すなわち自分の中身を捧げることでしかありえず、逆に、交換は、他者が以前持っていた対象をめぐってではなくて、他者が以前持っていなかった自分の感情の反映をめぐって行われるからであり、交換することの意味は、交換前よりも交換後の方が価値の合計は増加しているというところにあるわけだが、このことは、各人は自分自身が持っている以上の物を他者に与えるということであるからだ。

[Georg Simmel:Wert und Geld, Philosophie des Geldes; Duncker & Humblot, p.32]

例えば、相互に愛を告白しあうという相互作用において、告白することで、自分が持っていた愛の感情が減るわけではない。しかし、経済的な交換では、新しい商品ないし貨幣を手に入れるために、自分が持っていた貨幣ないし商品を手放さなければならない。この点に違いがあるように見えるけれども、相互に満足度が増えるという点では、同じである。ジンメルは、愛が受け入れられた場合も、ふられた場合も同様に扱っているが、ふられた場合は、交換が成立しなかった場合と同じだから、除外するべきだろう。ジンメルの哲学は、生の哲学(Lebensphilosophie)の一つとして知られている。交換を哲学的に考察する時も、実体主義的で、機能主義的ではない。

ジンメル以外にも、ミード[George Herbert Mead (1934) Mind, Self, and Society]やバーク[Kenneth Burke (1945) A Grammar of Motives]などが、言語的交換とコミュニケーションの類似性に着目したが、ルーマンに影響を与えたのは、パーソンズである。

2. ルーマンのメディア論

ルーマンは、次のような観点から、パーソンズのダブル・コンティンジェンシー論と象徴的交換媒体論を批判的に継承しようとする [Niklas Luhmann:Soziologische Aufklaerung 2. Aufsaetze zur Theorie der Gesellschaft, p.171-172]。

  1. パーソンズでは、コンティンジェンシーがたんに依存性(Abhängigkeit)としてしか把握されておらず、必然性と不可能性を否定する様態、“他のようでもありうる存在 Auch-anders-möglich-Sein”を表す不確定性として理解されていない。
  2. パーソンズでは、メディアが交換関係にのみ限定されていたが、コミュニケーションは不確定性を前提にしているのだから、ダブル・コンティンジェンシー問題で必要となるのは、たんなる交換媒体ではなくて、コミュニケーションメディアでなければいけない。
  3. パーソンズは、コードとメッセージ、抽象的な社会的意味了解と具体的な欲望の対象の交換とを混同していた。コードは、肯定/否定、所有/非所有、真理/非真理、合法/違法、美/醜といった二項対立から成り立ち、それ自体はいかなる値も持たない。
  4. パーソンズは、システムが進化に伴ってサブシステムに分化するので、象徴的交換メディアによるサブシステム間の接続が必要と考えたが、コミュニケーションメディアは、進化論や一般システム理論からは独立に論じられるべきである。

ルーマンによれば、メディアとは、“二重の偶発性 doppelte Kontingentz”に代表されるような、“ありそうにないこと Unwahrscheinliches”を“ありそうなこと Wahrscheinliches”へと変換する媒体で、“言語 Sprache”と“流布メディア Verbreitungsmedien”と“象徴的に一般化されたコミュニケーションメディア”の三種類に分類できる。言語は、コミュニケーションの理解を知覚可能な物の範囲を超えて広げる基本的なメディアである。流布メディアは、印刷や放送など、言語によるコミュニケーションプロセスの範囲を拡張するメディアである。言語や流布メディアは、たんに情報の伝達を可能にするだけで、コミュニケーションの成功までを保証しない。成功させるには、象徴的に一般化されたコミュニケーションメディアが必要である。

ルーマンは、象徴的に一般化されたコミュニケーションメディアの例として次のようなものを挙げている。

Wichitige Beispiele sind: Wahrheit, Liebe, Eigentum/Geld, Macht/Recht; in Ansatzen auch religioser Glaube, Kunst und heute vielleicht zivilisatorisch standardisierte ≫Grundwerte≪.

重要な例は、真理、愛、所有/貨幣、権力/法で、これ以外にも、かつては、宗教的信念や芸術、現在ではおそらく文明によって標準化された「基本的価値」がそうである。

ルーマンは、これらの象徴的に一般化されたコミュニケーションメディアを、自我/他我(Ego/Alter)と行為/体験(Handeln/Erleben)の区別に基づいて、以下のように四種類に分類し、位置づけている。

Soziologische Aufklaerung 2. Aufsaetze zur Theorie der Gesellschaft
ルーマンによる四つの象徴的に一般化されたコミュニケーションメディアの分類 [Niklas Luhmann:Soziologische Aufklaerung 2. Aufsaetze zur Theorie der Gesellschaft, p.175]。

この表にあるように、真理と価値序列は、他我の体験から自我の体験への接続を媒介する象徴的に一般化されたコミュニケーションメディアであり、愛は、他我の体験から自我の行為への接続を媒介する象徴的に一般化されたコミュニケーションメディアであり、財産、貨幣、芸術は、他我の行為から自我の体験への接続を媒介する象徴的に一般化されたコミュニケーションメディアであり、権力と法は、他我の行為から自我の行為への接続を媒介する象徴的に一般化されたコミュニケーションメディアである。

3. ルーマンのメディア論の批判的継承

ルーマンは、体験においては、選択プロセスが環境に帰属し、行為においては、選択プロセスが行為するシステムに帰属しているというように、体験と行為を区別するのだが、自我または他我のどちらか一方ないし両者が選択を行わないならば、ダブルコンティンジェンシーの問題は起きないのではないのか。ダブルコンティンジェントな自我と他我の相互選択の接続が問題となるのは、政治や法の領域に限られるのか。

私は、真理の認識も価値序列の決定も商品や財産の購入も芸術の鑑賞もすべて自我と他我の選択行為から成り立っていると考える。真理の認識は、一見すると受動的に体験しているだけのように見えるが、実は認識主体の能動的な選択に大きく依存していることは、カント以来広く認知されている。自我も他我もともに選択を行っており、また、コミュニケーションにおいては、自我も他我は、反転する関係にあるのだから、自我/他我と行為/体験の区別に基づいて、象徴的に一般化されたコミュニケーションメディアを分類することは受け入れることができない。

また、引用したルーマンの目録では、真理が他の象徴的に一般化されたコミュニケーションメディアと一緒に列挙されているが、もしも言語を象徴的に一般化されたコミュニケーションメディアよりも基礎的なメディアとして別格に扱うのであるならば、真理も別格扱いにするべきではないだろうか。私たちは、「…は良い」、「…は愛らしい」、「…は役に立つ」、「…は美しい」、「…は合法的である」といった判断に対して、「「…は良い」は正しい」、「「…は愛らしい」は正しい」、「「…は役に立つ」は正しい」、「「…は美しい」は正しい」、「「…は合法的である」は正しい」というように、なんらその内容を変えることなく真理の述語を加えることができる。このことは、真理が、それ自体で価値を持つとしても、他の価値を表す述語に対して、メタレベルにある述語であることを示している。

もっとも、真であるためには、それ以前に有意味でなければならない。だから、基礎から遡って分類するならば、次のように、有意味/無意味、真/偽、価値/無価値の区分を位置づけることができる。

分類

有意味性と真理は、コミュニケーションの基礎を成す、その基礎の上で、価値の交換が、コミュニケーションメディアによってなされる。文化システムにおけるコミュニケーションメディアは言語であり、経済システムにおけるコミュニケーションメディアは貨幣であり、法システムにおけるコミュニケーションメディアは刑罰である。

コミュニケーションメディア

当たり前の真理には価値がない。文化システムにおいて、賞賛されるのは、新しさないし独創性のゆえに価値のある真理だけである。文化システムにおける賞賛の記号と刑罰には、貨幣と同様に、交換媒体、価値尺度、価値貯蔵の三機能がある。

関連書籍紹介
書名 社会体系と行為理論の展開
媒体 単行本
著者 タルコット パーソンズ 他
出版社と出版時期 誠信書房, 1992/07
書名 Toward a General Theory of Action
媒体 ハードカバー
著者 Talcott Parsons 他
出版社と出版時期 Harvard University Press, 1951/12
書名 社会システム理論〈上〉
媒体 単行本
著者 ニクラス ルーマン 他
出版社と出版時期 恒星社厚生閣, 1993/01
書名 社会システム理論〈下〉
媒体 単行本
著者 ニクラス ルーマン 他
出版社と出版時期 恒星社厚生閣, 1995/09

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