【対談】 日本の若者に未来はあるか(4)再チャレンジ支援策

永井俊哉と峯山政宏による四回にわたる対談の第 四回目。安倍内閣は、再チャレンジ支援策の一環として、年長フリーターの正社員化を推し進めているが、この政策は正しいのか、これからの労働はどうあるべきかを論じる。

永井俊哉と峯山政弘
永井俊哉(左)& 峯山政宏(右)

峯山:前回は、前置き的な議論が長くなりましたが、今回は、最終回ですから、若者の雇用の問題を正面から捉えたいと思います。

永井:バブル崩壊後の不況のおかげで、新卒の就職は、長い間、超氷河期と呼ばれるほど厳しい状況が続いたのですが、2002年以降は景気がよくなり、今では企業が人材難で悩むほどで、新卒の就職難の問題は、過去の話になりました。他方で、この10年間の超氷河期に正社員になれずに、フリーター生活を余儀なくされている、25-34歳の、所謂「年長フリーター」の存在が大きな社会問題となっています。

峯山:景気がよいのであれば「年長フリーター」を再雇用するということはできないのでしょうか。彼らにしても正式な職が見つかるので良いと思うのですが。

永井:それが難しいようです。安倍政権は、再チャレンジ支援策を重要施策に掲げて、年長フリーターの正社員化を推し進め、厚生労働省も、来年度予算で26億円を新規要求し、対策を練っています。しかし、日本経団連の調査では、年長フリーター採用に前向きな企業はわずか1.6%で、24.3%は採用する意思がないとのことです。日本経団連のある会員企業の人事担当者は「ずっとフリーターだった若者を一から教育する考えはない」と言っています。

峯山:日本の企業は年功序列社会ですからね.今までフリーターとしてやってきた、年長の若者に年齢に見合う賃金を支払うのはもったいということだと思います。ところで安倍政権の再チャレンジ制度とはどのようなものか具体的にご説明いただけますでしょうか。

永井:文字通り、失敗しても、何度でも再チャレンジできる社会という意味です。その理念は正しいのですが、年長フリーター支援策に関して言うと、なぜあえて正社員にしなければいけないのかという根本的なところから疑って考えなければいけません。

峯山:永井さんは再チャレンジ支援策の理念自体はよいけれども、その方法論に賛成できないということでしょうか。

永井:年長フリーターの正社員化の推進は、正社員が理想の雇用形態であるという価値観が前提になっているわけですが、その前提を疑わなければいけないということです。峯山さんが「若者はなぜ会社をやめるのか」で書いているように、「なんでもそつなくこなせるタイプの人材」を正社員として雇い、公私にわたって会社がその社員の一生の面倒を見る時代は終わっています。正社員を増やすという政策が時代の流れに反しているわけです。

峯山:それでは今の時代の流れに沿った理想的な再チャレンジ制度とはどのようなものでしょうか

永井:現在企業は、正社員を減らし、代わりにアウトソーシングをするようになりました。フリーターも、専門的な技能を身につければ、フリーの身分でアウトソーシングの仕事を取ることができます。自分で会社を作れば、さらに大きな仕事ができるでしょう。うまくいけば、正社員になるよりも、収入や働き甲斐は大きくなります。

また、再チャレンジ推進委員会は、「再チャレンジ創業の資金調達支援、個人保証に過度に依存しない融資の推進」を提案していますが、国際的に見て著しく不利な日本の起業環境を改善することは必要なことです。

峯山:フリーで生きていく能力を身につけるのは並大抵のことではありません。頑張ればフリーでアウトソーシングの仕事を取れるのは良いと思いますが、多くの人が仕事が取れずに没落してしまうのではないでしょうか?また正社員の存在は日本人の年功序列社会を前提にしてきました。私もそのような時代も確実に変わってきていると思いますが、年功序列型が向く企業とそうではない企業の2通りがあると思います。後者は主として技術の移り変わりの激しいIT産業などを指します。

永井:売れるものができたら、それをウェッブ上で宣伝してみてください。私も自分のサイトを持っているおかげで、いろいろなところから仕事の依頼が来ます。

峯山:永井さんはどちらかというと普通の人ではなくて、特別な人です。普通の人が、自分でアイデアを出して、ものを作って、webで公表するなんてできるわけないと思います。普通の人でもそれなりに生きていけるのが年功序列制度ではないでしょうか?正社員がすべて廃止されて、個人がフリーで生きて行かなくなると、社会は大変不安定化します。

永井:企業内でも、成果報酬制が採用されるなど、社員が自営業化しています。正社員であろうがなかろうが、雇用は不安定化しています。不安定化するというと悪いことのように聞こえますが、要は、機動力が高くなるということです。安定的で全体主義的な雇用形態は、工業社会に適応的ですが、情報社会には向いていません。

峯山:情報化社会が到来すると言っても、工業社会が全くなくなるわけではありません。日本は高い工業技術力によって世界的に認められてきました。会社内の技術の蓄積の重要性を考えて、年功序列制度と成果主義の可否について検討しなければいけません。

永井:私が言っている情報社会というのは、知識集約型の社会という意味で、業種は関係ありません。農業であれ、工業であれ、知への投資が重要な役割を果たすということです。正社員であれ、フリーターであれ、単純労働をやっている限りは、未来はありません。

今働いている、これから働こうとする若者には、自分がやっている、あるいはこれからやる仕事が、ロボットやコンピューターあるいは発展途上国の労働者にもできる仕事なのか、それとも自分でないとできないような仕事であるのか自問してほしいと思います。

峯山: 知識集約型の社会になると、誰でもできる単純労働しかできない人は生 きてはいけないということですね。厳しい結論のようですが、頭を使わ なければいけないという点で、より人間性を求められる社会ででもある と思います。私は大切は大学時代を遊ぶために使うのではなくて、自分 の人生の方向を考える有意義な時間にしていただきたいと思います。永井さん、長時間にわたるおつき合いありがとうございました。

参考

新春特別号

コラムニスト募集

対談1 峯山政宏と孔明(1)

対談2 峯山政宏と孔明(2)

対談3 峯山政宏と孔明(3)

革命者

若者を犠牲にする社会

国民の品格を復活せよ

若者はなぜ会社をやめるのか

格差社会

アジア通貨危機

あやうい高所得者層

なぜ古代ローマ帝国は滅亡したのか

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コメント

日本の若者の中村です。
以下は、放送、メディア系で
優秀な能力を持つある若者が
何を考えてメディアビジネス業界を
離れるのかという参考資料と
して頂ければ幸いです。

上記サイトはアクセス、
アクセスの広範さ、
関係企業、コンテンツの質と量、
良質なデザイン、無批判という
特徴はあるものの、
「運営も利用も無料の趣味」という
スタンスを貫いています。
そもそも趣味なので、売り上げを
あげようとはあまり思ってはいませんが、
PVやクリックはあってもとても
厳しいものです。

重要なのは、仮に1円でも
コンテンツのダウンロード料金を
取っていたら、提携、評価、
アクセスなど全ての点で
人が集まる事すら無かっただろうと
いう事です。

アフィリエイトというのは
企業側にとってはノーリスク
でノーコストとも言えます。
有名企業等が関心を持つ
優秀なコンテンツ作者でも、
関係はそこまでに留まり、
いわゆる仕事の依頼はありません。
昔の正社員が社内にたくさん居るのに、
どうして出来る新人を入れられる
でしょうか。上役の判断で入社しても、
社内イジメで追い出されるケースが
多い事と思います。
よしんば入社しても、精神衛生上
他に劣る環境で体力は30までもたず、
その後の潰しもきかず、安月給と
いう状況があるので、全く業界に
戻る気になれません。

消費者が自分で消費対象を
選ぶようになり、
広告モデルそのものが死にました。
web2.0はビジネスにならないとも
言われています。

そんな中で、私が転職先として
検討しているのが福祉業界です。
若い時にどんなに権勢をふるっても、
必ず年老いて介護を必要とします。
全ての人が通る場所で、なおかつ
景気に左右されず、生涯働けるという
特徴は他に無いものです。
(できれば、対談に介護業界の事も
織り交ぜてほしかったです)
これからは、労働者にとっては
搾取される以外にない情報系業界から
このように福祉方面などに
人材が流れていく事が予想されます。

本文にあるように、「私が言っている情報社会というのは、知識集約型の社会という意味で、業種は関係ありません」。いわゆるIT業界が、福祉業界よりも有望だと言っているわけではありません。

私は、また、「今働いている、これから働こうとする若者には、自分がやっている、あるいはこれからやる仕事が、ロボットやコンピューターあるいは発展途上国の労働者にもできる仕事なのか、それとも自分でないとできないような仕事であるのか自問してほしいと思います」とも言いました。

介護の仕事をするといっても、介護ロボットや途上国の労働者で代替できるような肉体労働に将来性があるとは思えません。知恵をしぼって、新しい仕事を考えてください。

コメントの改行ミスをお詫びします。

「自分でしかできない凄い仕事」でも、業界に居ては搾取されて終わりです。

人よりはかなり、「知恵をしぼって、新しい仕事を考えて、実践」してきた方だとは思いますが、上に吸い取られる一方で知的労働者は貧しいばかりですよね。知的業界で富めるのは資産家や上層部ばかりで、知的労働者は使い捨ての兵隊、将棋の歩です。また、介護ロボットは実用化にはほど遠く、現在の介護業界は「もう家に帰ってこなくていい」という「終身型」の介護が大半になっているので、被介護者のメンタルのケアはロボットでは不可能です。
人と生の会話をかわさないだけで痴呆になってしまう例も多いです。確かに福祉はある程度誰でもできる業界ではありますが、有史以前から存在する安定業種です。
将来性というより、人間が老いて死ぬ動物である故にずっとある業種ですね。

もちろん、私も「知恵をしぼって、新しい仕事を考える活動」をしたい人間ですから、制作業界内に歓迎されない以上、「趣味」と完全に割りきるという方法を最近はとっています。

それによって得るものはマネーでなく、趣味的な楽しさの共有やたまの感謝の言葉などに留まりますが、それはそれで結構いいものですよ。

話は変わりますが、どうもインターネットとパソコンというのは、経済を無効化する性質を持っている気がします。コンテンツに限って言えば、趣味での無料開放などは歓迎されて人が集まり、儲けようとするところに少しでも失態があれば叩かれ、人が寄り付かないですよね。

知恵を絞って、会社に絞りとられるのはきついですから、お金にならないが楽しい個人的趣味の共有に知恵を絞る事にしており、内外ともに良い具合です。Youtubeもそんな部分がありますよね?

私も、福祉に関して、今までに無いコンピュータの活用法はないだろうかと考えています。何か新しい事ができそうな気もしますが、かなり時間がかかりそうなので割愛します。

知識集約化というのは、マネーは情報の流れであるから、情報の制御によってマネーを自分の手元に集められないか、という事とは違いますか。金融というのが最も先鋭化した形です。

要は人生における「ズル」というか「抜け穴探し」なわけです。ズルして早く楽になりたい人でいっぱいだから、ある意味もうダメなのが目に見えていても、ITがもてはやされている。今更、脳を強くするソフトが売れるのは末期的というか、遅れていると思います。しかし、そのズルが通用しない分野も確かにある。それが、身体性に関わる分野なのではないでしょうか。

クオリアや身体性については、脳科学やコンピューテングなどのアプローチでは原理的に踏み込めない部分があります。理論的な、机上の空論の知だけで全てを管理したり運営する事はできません。それはそろそろ歴史が証明しつつあると思います。

いかに知恵を絞っても、実際に筋肉を使って動く人が居なければ、世の中全く回らないという事を忘れていませんか。

ITの時代とは、「知だけではどうにもできない」事を認識させるためにあったのではないかと思うくらいです。今や、「ズル」というベクトルのITが世界中から憎まれている事は明白です。

脳は逃げ切れませんよ。いかに脳といえども自然の産物です。自然の法則に逆らった生き方をすれば「自滅」あるのみです。
永井さんならば最初からわかっていらっしゃるのではないかと思うのです。

“知的業界で富めるのは資産家や上層部ばかりで、知的労働者は使い捨ての兵隊、将棋の歩です。”

「知的」を「IT」に置き換えると、この命題は正しいですが、それは、私が言っていることと異なります。

“介護ロボットは実用化にはほど遠く、現在の介護業界は「もう家に帰ってこなくていい」という「終身型」の介護が大半になっているので、被介護者のメンタルのケアはロボットでは不可能です。人と生の会話をかわさないだけで痴呆になってしまう例も多いです。確かに福祉はある程度誰でもできる業界ではありますが、有史以前から存在する安定業種です。”

私が考えている介護ロボットとは、ヒューマノイドのことではなく、ロボット化されたベッドのことです。これなら、実現にそれほど時間はかからないでしょう。

「人と生の会話をかわさないだけで痴呆になってしまう例も多い」というのは、その通りですが、そのために必要なことは、介護サービスの充実ではなくて、働く意欲を持った高齢者を働かせることです。

“どうもインターネットとパソコンというのは、経済を無効化する性質を持っている気がします。コンテンツに限って言えば、趣味での無料開放などは歓迎されて人が集まり、儲けようとするところに少しでも失態があれば叩かれ、人が寄り付かないですよね。”

私は、現在の著作権の概念が新しい時代に適応できなくなっていると考えています。詳しくは、定額式超流通の提案をご覧ください。

“知識集約化というのは、マネーは情報の流れであるから、情報の制御によってマネーを自分の手元に集められないか、という事とは違いますか。”

違います。金融のみならず、すべての産業が知識集約化の対象です。

“いかに知恵を絞っても、実際に筋肉を使って動く人が居なければ、世の中全く回らないという事を忘れていませんか。”

いくら有用であっても、希少性がなければ価値はありません。

ロボット化されたベッドは確かに早期に実現しそうですが、それに頼って人手を省きすぎると、いわゆる「寝たきり」を量産してしまう結果が予想されます。将来的にロボットベッドでほとんどを済ませようとするところも出てきそうですが、何かと人権問題などの批判を呼びそうです。

「必要なことは、介護サービスの充実ではなくて、働く意欲を持った高齢者を働かせることです。」
国の方針のようですが、現場からは批判の声が多くあがっています。特に70歳を超えた彼ら(彼女ら)には、働く気力も体力も残されておらず、この国の方針によってしばしば悲惨な状況が生まれているようです。
要は、税金をかけたくないだけですよね。国が「うば捨て山」をしたいがための言い訳に聞こえます。

「いくら有用であっても、希少性がなければ価値はありません。」
希少性は無くとも、需要を満たすサービスには価値があります。また、海外からわざわざ労働者を雇うとコストが高つきます。福祉系では、介護者の施設や自宅に通える範囲の地元労働者が一番安く済みます。

「私は、現在の著作権の概念が新しい時代に適応できなくなっていると考えています。詳しくは、定額式超流通の提案をご覧ください。」
これについては、基本的に賛成です。
もしISPの定額サービスと同時に開始していたら、と思うと実に悔やまれます。無料の優秀なコンテンツがあふれる今では、(そういったサービスプランを展開しているところもありますが)今からではなかなか受け入れられないでしょう。国がもっと早く動いてくれれば(苦笑)コンテンツ業界の惨状はひょっとするとかなりましだったかもしれません。

「違います。金融のみならず、すべての産業が知識集約化の対象です。」
私もそう思います。しかし、知では置き換えられない精神的ニーズが人間にある限り、福祉業界をコンピューティングによるロボット操業にする事は不可能と思われます。また、知的集約化は大切ですが、それがもし社会上層部の利己や悪意に満ちたものであっては、我々の未来は暗いと言わざるを得ません。「事件は常に現場で起きているのです。会議室で起きているのではありません。会議室からは知り得ない"何か"のウェイトは、無視できない大きさなのです。」

“国の方針のようですが、現場からは批判の声が多くあがっています。特に70歳を超えた彼ら(彼女ら)には、働く気力も体力も残されておらず、この国の方針によってしばしば悲惨な状況が生まれているようです。”

確かに、自ら引退を望み、引退後の生活を楽しんでいる高齢者もいます。そういう自分で生きがいを見つけることができる高齢者は、寝たきりにはなりません。問題は、本人が働くことを望み、働く能力があるにもかかわらず、社会的な偏見から、働くことができない人がいることです。働くことが生きがいという人たちは、働かせてもらえないことで、生きがいを失い、寝たきりになります。これは労働力の損失という点でも、雇用負担の増大という点でも、社会にとって二重の損害です。

ほとんど業界問わず、人を物扱いする「思想」が蔓延しています。知的集約化がその中心に位置している感は否めません。

結局、戦後何が一番悪かったのか。個人的には、ベビーブームが悪かったのではないかと思います。ベビー、赤ちゃんが「ブーム」とは、何とも生命を軽んじたブームですよね。そのツケが、今になって「デスブーム」として返ってきている気がします。「年金を払わなければならない年齢になる前に、生活苦で自殺してほしい。」
生の代償は死、といったところでしょうか。

「軽く命を生んだ」代償が、
「軽く命を落とす」という形で
返ってきたと言えば誰でもわかりやすいと思います。

なぜ福祉業界にはその思想が通用しないのか。それは、現在の福祉はほとんど「死と直面し、死をめとる」業界だからなのかもしれません。

そう考えると、(感覚的にも多くの人が納得できる話かとは思いますが)実は戦争というものも、「生命を軽く考えている」という、現代に脈々と通じる思想の伝統だったのでしょう。

先進国の我々はただの「インテリ馬鹿」なのです。その一点について、歴史上今まで、全くと言っていいほど学ばなかったのです。この「死の時代」において、我々は「命の扱いにくさ」を存分に学ぶ必要があるのかもしれません。ずっと臭いものに蓋をしてきた我々にとって、今回は最後のチャンスなのかもしれません。

「今年の漢字」も「命」でしたね。
これがターニングポイントにならなければ、もうダメなのかもしれないです。

機械によって代替できない労働として、機械的でない高度に知的な労働もありますが、機械的な冷たさのない心の通った労働もあると思います。新しい職場でのご活躍をお祈りします。

ありがとうございます。永井さんの懐の深さに脱帽しました。やはり流石Nagai Toshiyaさんです。(URLは今日行って来た新雪の高原からお届けする新年PDFレポートです。)

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