シンガポールの教育制度は小学生からレベル別に選別され、生徒は試験等によって容赦なく振り分けられる。子供達は小学生の間に二言語主義(バイリンガリズム)を習得、つまり英語+母国語(北京語・マレー語・タミール語)をマスターする。言わば実学中心の塾や予備校のような感じである。日本の主に公立小学校や中学校に見られるような皆でレベルを合わせて仲良くしましょうというノリではない。小学6年生修了時にはシンガポール国家の実施する初等教育終了試験(Primary School Leaving Examination:PSLE)の成績で中学校のコースが決まる。生徒の能力と学習ペースに適したところに入れられるわけだが、この試験はローカルの親子にとっては一大イベントといってよいほど力が入る。この試験で将来が決まりそうな勢いで勉強をする…ようするに日本で言えば子供たち皆が「お受験」なのである。
両親共に日本人の子供であればこの受験戦争に巻き込まれることもなくインターナショナルスクールでのびのびと英語だけ(もしくは日本語と英語)を学べるのだが、例えば華人とのハーフの子供達はしばしばバイリンガルならぬトリリンガル教育を受けることになる。ローカルの学校の勉強(英語とマンダリン)をこなしながら週末は日本人学校の補習校(日本語)を学ぶ中学生の書いた作文を読んだ。
彼の書いた「日本語に対して思うこと」というテーマの作文はは以下のような内容だった。
『日本語に対して思うこと』 ぼくは日本生まれなので小さい時は日本語を話していたし、日本の学校に行っていた。しかし、シンガポールで現地の学校に入った後、日本語と少しだけマンダリンしか言葉がわからなかったので英語とマンダリンを習うのはとても大変だった。日本語を忘れないように補習校にも入った。ところが、現地の学校で算数と理科が始まって勉強が大変になって補習校に土曜日に通うために課外授業の単位を落としてしまったので父母は補習校をやめなさいと言った。小学6年生で重要なPSLE試験のためものすごく勉強した。ぼくの英語力はとても弱かったので特別授業も受けた。日本語の力はどんどん低くなってしまった。中学に入ると文学や世界地理が始まり英語が苦手なぼくは困ってストレスがたまった。英語で書いてある本を6冊も暗記するのは大変だったし、補習校の日本語も難しくなってきた。ストレスがたまりすぎて気違いになりそうになるので日本語をやめようかと時々思うが、日本語が好きなので日本語はやめないと思う。 注:シンガポール日本語補習授業校『JSSの思い出』参考 |
原文からは、かなり勤勉に無理をして毎日を過ごしているような雰囲気が伝わってくる文章だった。日本語を見る限り、日常会話に問題があるようには思えなかったので補習校は諦めてもいいのでは?とまで思ってしまったが、本人は日本語が好きなのだし頑張るのが当たり前という感じである。「習得しなければいけないモノ!」としてガリ勉してトリリンガル教育の成果があるのだろうが、そのストレスで余裕のない人間になってしまうのではないかと心配にもなった。彼の目には日本がしているゆとり教育ってどういう風にうつるのだろうか。
補習校で日本語を学ぶ日本にそのレースを持つ子供の中には日本語を必要と考えているか、不必要と考えているか?で意見も分かれているようだ。彼らはメイン(平日)は英語で教育を受けたバイリンガルである。ある程度、英語も日本語も使いこなせる中学生の意見は、将来の自分が外国育ちの日本人としてどのように生きていくのかを考えたディベートのようだ。。
| 日本語学習は必要 |
| 日本の家族や友達とは日本語で話しをしていきたい。 |
| 日本に帰国したときにコミュニケーションで困りたくない。 |
| 日本で進学(大学などに通うこと)になったら必要だと思う。 |
| 日本語ができることは特別なこと。日本語ができることに可能性の広がりを見出している。 |
| 日本人であることや、日本という国や日本人を誇りに思っている。 |
| 日本語学習は不必要 |
| 学校では英語、家でも英語を使うから現在の生活で日本語を使わない。 |
| 将来日本の大学に行こうと思わないし、日本の会社で働くつもりもないし、日本に住みたいとも思わないので上級の日本語は必要ない。 |
| インターナショナルスクールに通っているし、他の(英語で)勉強がある。 |
| 必要になってから習えばいいと思う。今のところ時間を削っているだけである。 |
| 日常会話(一般の人が話す程度の日本語)はもうマスターしている。 |
シンガポールはイギリス植民地化の国際都市として発展してきたため多民族国家である。国民のほとんどがバイリンガルであり、法律、行政、商業、技術は英語で行なわれる。それぞれの文化や伝統を継承することも大切であるが、英語が分からないと困る社会なのである。世界貿易の要所であるシンガポールは独立41周年(2006)を迎えたが、日本と同様に天然資源を持たない本当に小さな島であるだけに発展を続けるためには人材育成に力を入れるしかないのである。この教育体制は「勉強して主席になれば人種も性別も関係ない」のだが、平等な機会を与えているというよりは優生学の実施に近い。日本もシンガポールも優生学を取り入れた国だと言われている。現在の日本は比較的平等に教育を受けることで今までは先生にも放っておかれた子供にも力を入れている。学力の低下と言われるが、そもそも学校に行けるような能力や環境を持たない子にも勉強させ、エリート教育が御座なりになった結果なのかもしれない。シンガポールでは、せっかく育てた人材も流出が深刻化し、他国に移住する人民にテレビ中継でシンガポールに止まる様に初代首相リー・クァンユー(李光耀)が泣きながら訴えている。日本社会の人材はどうだろうか?
日本で教育を受けたくないと考えている子供達は現在のそしてこれからの日本に不安を持っている。ある程度の日本語と日本の知識さえあれば長く日本で学んでも、将来の仕事や生活を営む実戦には役に立たない。彼らは英語が話せて当然、プラス何かを習得しなければいけない世界を知っているのである。子供の母親の中には日本の学校教育の腐敗の報道や学力低下と海外での教育を比較して、子供を理由に帰国を拒むママさんも多い。実際は駐在員の夫人にとって日本での生活よりも現地での生活が楽だという意見も多いが、それこそ日本がいい国だと帰りたくなるような国だと思われていない例である。日本で大学院博士課程に進学したところで将来は決して明るいとは限らないという現実もある。
永井俊哉 『末は博士かホームレスか』 からの抜粋 もしもあなたが日本の大学院の博士課程に進学すれば、周囲からこうささやかれるだろう。なぜならば、たとえ博士号を取得できたとしても、ホームレスにしかなれないぐらいに、今後、余剰博士の問題は深刻になるからだ。「末は博士か大臣か」と言われた時代は終わった。 ... 博士号取得者の就職率が低いのは、民間企業が、「博士は、社会経験が乏しくて、視野も狭く、プライドばかり高くて、役に立たない」と考えているからだ。 ... かつては、就職できない博士の受け皿となった塾や予備校も、少子化のために倒産が相次ぎ、しかも、最近では、社会経験を積んだ講師の方が人気があるからということで、博士を採らなくなってきている。長年禁欲的に研究に励み、奨学金という借金を背負い、教授の奴隷としてこき使われたあげくに、就職できずに破産し、ホームレスとなって、最後は自殺か野垂れ死にか … これが博士課程進学者の悲しい末路である。 ... もしも日本の労働者が労働市場を独占できるならば、日本の企業は、国際競争力を犠牲にしてでも日本の労働者を雇い続けるだろうが、実際には、市場がグローバル化しているのだから、日本企業は、より安くて有能な人材を海外に求めるであろうし、現にそうなりつつある。 ... |


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