革命者で公開していたLoose Change 2nd Edition日本語吹き替え版をサーバの負荷軽減のために削除を予定しています。まだ見ていなかった連山の読者の皆様、削除までこちらのページでご覧下さい。原発報道や納豆捏造、選挙扇動など日本のマスコミは真実を報道しない意味においては世界最低です。そして、真実を知りながら何もしない人は酷い罰を受けるでしょう。
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マトリックス(matrix)はラテン語の母(mater)から派生した語で、子宮あるいは母胎という意味を持つ。プラトンの寓話では、洞窟に相当する。ネオも、洞窟内の囚人だったが、モーフィアス(Morpheus 夢の神)から、自分が生きているこの世は、実はコンピュータが作った仮想世界にすぎないという真実を教えられる。
その後、ネオは、真実を見ることができる赤い錠剤を飲むか、すべてを忘れて元に戻る青い錠剤を飲むかという選択を迫られる。『マトリックス』の製作者は、善悪を知ることになる木の実を食べたために、エデンの園という楽園から追放されたアダムの話を念頭においていたのだろう。あの木の実は、アダムのリンゴ(Adam's apple)とも言われることから、リンゴだったと考えれれている。赤い錠剤の赤色は、アダムが食べたリンゴの色である。
『旧約聖書』に登場する楽園追放の話は、プラトンの洞窟の寓話と同じである。胎児は、真実の光に目覚め、無知の安逸から脱して、受難の道を歩む。青い錠剤は、胎内回帰のための錠剤で、その青さは、母なる海、羊水の色である。
ネオは、胎内回帰を拒否し、赤い錠剤を飲む。そして、マトリックスとの戦いが始まるわけだが、それは、『聖書』で言うならば、海の竜、ティアマトとの戦いである。ネオはいったん死ぬが、トリニティ(Trinity 三位一体)という女性に愛されることで復活し、新たな(neo)救世主となる。これは『新約聖書』の話である。
話を正義論に戻そう。正義とは交換の等価性であるが、人々は交換される物に関心を奪われ、交換するメディアに注目することはない。洞窟の囚人は、光によって作られる影に関心を奪われ、影を作り出す光という媒体そのものに注目することはない。注目するのは、例外的な覚醒者だけである。
富と言語メディアと暴力という三つのメディアは権力の三源泉である。大衆は、誰が富と言語メディアと暴力を背後で操っているかまでは考えない。アノマリーな少数者は、マスコミが報道する常識を疑うが、真実を暴こうとすれば、暴力装置によって消されてしまう。そして、富を搾取する不正が温存される。 マトリックスも、富と言語メディアと暴力という権力の三源泉を掌握していた。マトリックスは、人間を発電機として利用し、その富を搾取する。そして、搾取を続けるために、マトリックスは、情報を完全に支配し、仮想現実の真実を人間に教えず、彼らを従順な電池のままにさせる。ネオのような覚醒者が生まれたり、ザイオンからアノマリーが侵入してきても、エージェント・スミスやセンチネルといった暴力装置がこれを破壊しようとする。
ネオは、覚醒した時、一度も眼を使ったことがないので、眼が痛いと言っていた。太陽は、まぶしすぎるので、できれば直視したくはないものだ。しかし、メディアの限界が正義の限界なのだから、メディアから眼をそむけるわけにはいかない。私たちは、家畜に正義の原則を適用しないが、私たち自身が家畜に成り下がっていないかを考えなければならない。
プラトンは、正義の限界であるメディアの限界を広げようと、神という超越的な視点を持ち出した。私たちは、このような安易な解決策に満足してはいけない。宗教を信じても、己を洞窟に閉じ込めるだけである。神の絶対的メディアを信じない以上、メディアは常に相対的にならざるをえない。そして、メディアの相対性を自覚することが、自分を家畜にしないために必要である。
