インディアンスタンダード

グローバルスタンダードが多文化の溶け合った1つの形(メルティングポッド)ではないことが日本人には理解しにくい。ほとんどの日本人はみんなが英語を解してみんながアメリカ発のファッションをし、アメリカ企業のトレンドを追いかけ模倣することがグローバルスタンダードに繋がると心底から信じ切っているからだ。アメリカの欠点が浮き彫りになりつつある今、アメリカンスタンダード=グローバルスタンダードを標準にしていていいのだろうか?そもそも世界中で通用する基準(規格やルール等)が1つのシェイプとなること事態がおかしい。今回はインディアンスタンダードとかアラビアンスタンダードを中心に独自のスタンダードがその世界ではグローバルスタンダードになることを書く。アメリカンスタンダードもグローバルスタンダードの一つでしかないのである。

ベジタリアン率の高い国や認知されている地域では菜食主義の実行は容易である。ベジに愛のあるレストランもお店も多いので肩身の狭い・・・どころか何も食べれるものがない?!という状況にならない。私も東南アジアでは道教や仏教等の影響のある国々で斎マークや卍マークのお世話になった。ちょっと高級な素食館『霊芝Ling Zhi』というレストランから街角のホーカーズのvegetarian foodやスーパーで購入したVegetarian缶やvegetarianインスタントラーメンまで。アラブの国々も過ごしやすい。それはたぶん、いや絶対世界最多のベジタリアン国民を誇るインド人がたくさんいる効果だ。インドのマクドナルドにはベジタリアン向け商品もあるようだ。マクドナルドは世界中どこでも同じ味~同じメニュー♪というアメリカを信じている日本人はアメリカンスタンダードで独自のメニューがバーガーメニューの半数を占めることはない。ところが、インドのマクドナルドはベジ6種、ノンベジ6種という具合でアメリカにインドが合わせたという感じはしない。マクドナルドと言えばアメリカ代表なのにむしろインディアンスタンダード感が強い。

『インドのマクドナルド ベジタリアン商品』より

ベジタリアンはひ弱そうとか思っている方、ご存知インド人はとてもパワフル・・・というかインド人はとってもインド人という感じである。インド人と言えばヒンドゥー教と思う人も多いが実際インドの宗教は戒律上肉食をしない。と言ってもタンドリーチキンでわかるように全員ではないが、それでも国民の30%くらいはストリクトなベジタリアンと言われ、他の人も50%以上は毎日毎食肉食をしているわけではないという。ヒンドゥー教徒の上位カーストは特に菜食なのでインド料理にはベジタリアン向けの多彩で豪華な料理が発達している。卵も脂もゼラチンも使わないが、乳製品は多用される。各種豆類、穀類、ナッツなども多用され、質素でも低カロリーでもなさそうだ(かといって高カロリーでもなさそうだしインド料理の後はトイレですっきりできる)。インド人はたんぱく質は豆類と乳製品(パニールと呼ばれるチーズ等)からしっかり摂っているようだ。パニールの作り方 パニールは家でも作れるチーズのようだが、ちょっと手間がかかりそうだ。パニールは下の写真のカレーに浮いている白い四角いもの。

本場インドではベジタリアンとノンベジタリアンの席が分けられているレストランもあるそうなのだが、なんだかカースト制度そのものと同じ臭いがする。カースト制というと学生の頃非常に酷い身分制度の1つとして学んだ。確かに世襲した身分が低かったらいきなり勝ち組にはなれない。いいバラモンに仕えてカルマを落とし来世はカーストを上がろうとするのでバラモンに逆らうことはめったにない。しかし日本のように、またアメリカのようにどんな環境で生まれようが、親の七光りと同じステージで自由競争させられるわけでない。アメリカンスタンダードは民主主義であるが、インディアンスタンダードの民主主義とはシェイプが違う。文盲もいればIT技術者もいる、オフィスで西洋人と英語で仕事をしている人もいれば、道端で寝ていたりガンジス川で沐浴している人もいる。それでもインドはインディアンスタンダードで成り立っている。10億人は軽く超えるインド人がグローバル化した代表でないわけはない。中国人はどこにでもいるが、インド人は比較的中国色の薄いアラブも含めて本当に世界中でどこにでもいる。日本は少子化を懸念しているが、インドに縮退の傾向は見られない。年齢別にもピラミッドが成り立っている。逆ピラミッド社会となりつつある日本はどうせ真似するならアメリカンスタンダードではなくインディアンスタンダードかもしれない。日本にもアメリカにもカーストという言葉がないだけで格差社会は存在する。金持ちの子供がいい教育を受け、貧乏人には貧乏から容易に抜け出せないのは一緒である。アメリカンドリームやサクセスを信じている日本人はおバカである。

ヒンドゥー教は国民の80%以上、ムスリムも多い(世界第2位?のムスリム人口の国)...ノンベジも鶏肉か羊又は山羊肉という肉事情なので菜食の方が当たり前といった感じなのだろうか?インド人が肉食中心だったらあの凄い人口を支えることは不可能だろう。ベジタリアニズムを唱える人には世界の食糧問題を解決するにはベジタリアンとなることが有効だと考える人がいる。そういう意味ではインド人は宗教的に菜食をしているつもりでも特にバラモン階級はベジタリアンであることで下の階級から食べ物を奪うどころか支えている。まぁインド人の中にもインドでは元来ベジタリアンでもベジタリアン少数派の地域ではお肉を食べている人もいるようなのでインド人=ベジタリアンかどうかはわからないがベジタリアン率の高さはやはり世界一だ。日本ではインド料理店でもあまりベジタリアン料理を食べる機会はない。日本人相手に商売するなら肉有りがいいと思っているのかもしれない。私もノンベジであった時からインド料理が好きだったが、あくまでタンドリー類を含む肉食のインド料理だった。それでもインド料理店ではダール(豆)カレー等も楽しめるし、日本にいても本格的なインド風のレトルト商品や冷凍食品が買えるようだ。

宗教からのベジタリアンの表でも例外なくその菜食主義を貫いているジャイナ教徒は敬虔な信者となると「葉・茎・豆」だけを食べる生活をしている。人参も大根も大蒜も玉葱も根菜類は食べない...植物殺生すら避けようとするのでメインボディーである根菜を食べないことと土中の虫等の動物を殺さないように気を使うからだとか。蜂を殺してしまうかもしれないので蜂蜜も摂らないそうだが、ここまでくると即身仏希望者に見えてくる。日本でも即身仏というミイラがあるが、入定という観念とごっちゃにしてしまってはいけないけれどインドでも尊敬に値する行為なのだろうか?と言ってもこれは非常に危険だと思う。悟りを開かず?こちら(現世)で普通に暮らしたい人にはベジタリアンの原理主義者にはなって欲しくないのが私の考えだ。動物が可哀想で食べないという理由も悪くないけれど栄養失調で不健康になるのはいけない。

マレーシア航空のベジタリアン機内食のカレー(左)、帰りの便の機内食(右)はカレーではなかった。

ベジタリアンコラムを第1回第2回第3回と書いてみたが、私は健康状態もよろしくラクト・オボ・ベジタリアンという卵も乳製品もOKの厳格でない菜食を楽しんでいる。ある人にベジタリアンをカミングアウトしたら「そんな歳でするの?私の知ってるベジタリアンは65歳で...」と言われてしまったが、お年寄りになったらどっちにしろ肉をガツガツ食べれなくなるのだから今こそベジタリアンしてるのが正解だと思う。何も歳が密接に関係していると言わないが、食も細くなりいろんな栄養を野菜からモリモリ摂れなくなるなら、ガリガリで摂食障害なら肉食も生きる術としてしても悪くない。しかし便秘だとか言いながら肥満に悩むのなら楽しんで菜食するのは悪くない。ベジタリアン料理のレシピを載せているウェブサイトではベジタリアンが幅広い料理を楽しんでいる様子がうかがえる。お年寄りが肉食を避けて病気になるのは、ベジタリアンだからではなく偏食が原因だと思われる。料理も面倒になり同じようなものばかりを食べ続けていればそれが肉だろうが野菜だろうが栄養が足りなくなるのは当然だ。インドで飢饉の時に同じ種類の豆ばかりを食べて死んだ人がいるというのとあまり大差ない。その豆が悪いわけではなく豆の他にいろいろと食べなかったことが悪い。いろいろ試して世界のベジタリアン食の世界を知るのは悪くない。アラブで食べたアボガドとキュウリのお寿司、カッパ巻きではなくベジタブルロールだったかな?日本では見かけないが、アボガドの入ったお寿司は海外によくある。わさびの苦手な人も同じ緑でもアボガドなら平気。ベジタリアンになったらお寿司をオーダーする機会なんてないだろうと思っていたけれどしっかりワサビ醤油で食べることができた。日本のレストランでカッパ巻きだけを頼むのには勇気がいるかもしれないが、海外ではベジタリアン対応なのかれっきとした一品である。

スペインで18時頃に夕食をしようとしてもほとんどのレストランがまだオープンしていなかった(スペインのディナータイムは遅い)のと同様にイスラム圏にはアラビアンスタンダードもある。カンドゥーラ(白い男性用の服)やアバヤ(黒い女性用の服)をナショナルは着用しているし、銀行時間は昼1時に閉まり、17時から21時に再会するという具合である。昨年はイスラムの休日で9日間も連休があり、その間オフィスに電話やFAX等の連絡もつかなかった。それでもこれはアラビアンスタンダードであり、ここに適した標準であるのだろう。

アラブ系のお店では必ずと言っていいほどメニューにある豆のペースト。名前はハマスとかホモスとか。パンにつけて食べるとおいしい。

世界は広い、私はベジタリアンという日本では少数そしてあまり良く思われていない視点から、菜食という食文化の視点を中心に世界を見てみた感想を書いた。しかし食べ物1つとっても世界は広かった。90年代にアメリカが市場主義、グローバリズム、情報革命といって世界アメリカ化計画をして自由と民主主義の帝国を作ろうとしたもののそれは明らかに失敗している。日本においてはアメリカンスタンダードがまかり通った国ではあるが、今にも崩れてしまいそうなのは誰もが感じている。日本人は世界標準がアメリカ標準だと思っている人が多い。社会のトップにおいても街中の若者においても等しく勘違いをしている。私もインディアンスタンダードやアラビアンスタンダードに驚いた人間なのだから勘違いをしていたメンバーの1人である。多数派にいると見えないものもあるものだ。果たして日本がグローバルを肌で感じて勘違いだったと知るのは手遅れにならないだろうか。アメリカの言いなりとなってアメリカ式生活、特に食生活を真似するのは危険でしかない。アメリカは戦争の後始末を自ら請け負って自滅していることに日本は気づきながらアメリカの戦争による経済の後始末を請け負っている。アメリカンスタンダードと一緒にずぶずぶと沈むつもりなのだろうか。アメリカンスタンダードはグローバルスタンダードの1種である。しかしこの標準がいつでもどこでも通用するわけではない。現在の日本やアメリカでは改良しなければならないポイントが露呈している。

日本人は韓流のようにブームが大好きだし真似して改良して優れたものにするのは得意分野だ。インディアンスタンダードも教育面(19×19までの九九の暗記など)で注目を浴びている。アラビアンスタンダードはまだまだ遠いようだが、アラビアンスタンダードとインディアンスタンダードの共通点はコミュニケーション能力だ。どちらも商売がうまいというか口がうまい。そしておしゃべりが大好きだ。油田を断られたのは日本のシャイな部分が裏目に出たとされるが、そこでしつこく交渉したりコミュニケーションを取らないことが原因のような気がする。以心伝心や長年の付き合いではなく、話し合いができるかがグローバル化の本来の目的ではないだろうか。グローバルスタンダードの一つとしてのアメリカンスタンダードはもう十二分である。アメリカンスタンダードとは正反対ともとれるインディアンスタンダード。人口密度が高くて身分制があって多神教で菜食主義なインドの標準が日本には実にフィットしている。もともとの日本人の生活、環境を考えてみると日本はアメリカよりもインドにずっと近い。無理に西洋化をする時代は終わった。インディアンスタンダードを一つの候補と考えればジャパニーズスタンダードの創造も可能だろう。

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