エネルギー大艦巨砲主義との戦い
地震学や材料工学の研究者らで組織する研究者グループが21日、新潟県中越沖地震で被災した柏崎刈羽原発は「運転再開を前提とせず、閉鎖を視野に事後処理をするべきだ」とする声明を発表した。経済産業省にも声明文を送るとしている。 発表したのは、「柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会」。国の新耐震設計の検討会の委員だった石橋克彦・神戸大教授(地震学)や、中性子による原子炉の劣化を研究している井野博満・東京大名誉教授(金属材料学)ら4人。石橋教授は記者会見で「今後も原発周辺で再び大地震が起きる可能性がある」と指摘。かつて原発の設計に携わった田中三彦さんは「重要機器の安全性を検証するのは、事実上地震の揺れをもとにシミュレーションするほかなく、安全解析は不十分だ」と話した。
社会人としての義務を捨て楽を求めて何もしない人間がいる。少数だが大艦巨砲主義と原発安全神話と戦う人々もいる。刻一刻と破滅の時が迫っている。破滅の時が来るまで見たくないから見ない。考えたくないから考えない。動きたくないから動かない。そして、終わりの時が来る。ソ連が参戦するのは時間の問題だと関東軍は判っていたが居留民の避難をしなかった。そして残留孤児となった。責任を取る勇気が無いからだ。それは耐震偽装問題やミートホープや白い恋人石屋製菓社長と同じ精神構造だったのだろう。一部の智恵と勇気がある人々が日本の破滅をギリギリで支えているが長くは持たないだろう。
精神の汚れは自然に拡散する
齋藤健著『転落の歴史に何を見るか』に精神的エントロピーの法則が見て取れる。組織や社会は自然状態では必ず腐敗するのだ。
齋藤健著『転落の歴史に何を見るか』 62頁より抜粋 それでも、なお3つの欠点
だが、そのように考えてもなお、破局までの歴史にあらわれたさまざまな人間の判断というものを眺めてみて、やはり明らかにおかしいと判断できることが、三つ指摘できるように思う。
一つは、見通しの甘さと希望的観測である。中国は一撃でおとなしくなる。ドイツはイギリスを屈服させる、アメリカとイギリスは分断できる。これらは一例であるが、こういった国家存亡に直結するような重要な判断がきわめて脆弱な根拠にもとづいて行われた。(略)
二つ目は、ひとたび「権威」となった「何々主義」のようなものを無批判で信じ、大きな情勢変化があっても、根本から見つめ直すという態度が弱いということである。度が過ぎると、情勢変化について、無意識のうちに見て見ぬふりをしかねない。海軍の大艦巨砲主義や陸軍の白兵銃剣主義がその典型であるが、この点については日本の組織の問題とも関連してくるので、事象に譲りたい。ここでは、1959年に刊行されたアメリカの海軍士官候補生向け読本、Naval Leadership’ の中から、次の文章を引用するに留めたい。「教義は指針として志向されるかぎり、何ら支障はないものの、完成されすぎてドグマ化し、有害な理論に近づいてしまうこともある。保守主義は超保守主義となり、停滞期が訪れる。(中略)時代遅れの教義にしがみついている国家は、最初に受ける攻撃で倒れるかもしれない・・・・・。(中略)超保守主義と自己満足という敵は、アメリカ海軍を含む制度的組織には生まれながらに固有のものであり、それゆえ警戒を怠ってはならない(略)。」
第三は、当時においても健全な代替案が存在していたにもかかわらず、それらの抵抗力が弱かったのではないか、という点である。(略)
危機になっても人はでない
よく、危機になれば人材は自然と出てくるというような言い方がされる。たしかに、危機が人材を発掘し、鍛え上げるのは事実である。しかしノモンハン事件以降の歴史は、未曾有の危機に直面しても、人材が十分にあらわれなかったことを示している。人材は自然に沸いて出てくるものではなく、意図して作り上げてゆくものである。とくに、ジェネラリストの指導者ともなれば、なおさらである。
戦前、日本の軍事官僚は最も合理性を要求される組織であるが実際には組織内の人間関係を優先された。組織の目的と目標達成手段の合理的・体系的選択よりも組織メンバーの間柄が重視され、決定的段階において意思決定の遅れを生み出した。現在の経済官僚もこれと全く同じ状況になりつつある。但し、戦前の教訓を理解している一部の人々がいるの真実である。しかし、数的に彼らは少数であり日本社会の壊滅的敗北は避けられない可能性が高い。一般国民が無責任な大衆化し観客となっている為だ。異分子(少数派)を排除し独創性を軽視する精神の土台には仲間であること自体を重視する潜在意識がある。子供の世界のイジメは大人の弱さが発現したに過ぎないのだ。現実を無視した議論の積み上げはオリジナリティを磨耗ませる。その際たるものがエネルギーの脱中心化である。分散型であるコージェネや燃料電池、マイクログリッドに対する強力な反対派の土台には日本人の心の弱さが常に存在する。自分の弱さに勝てない人間は長期的に見て必ず破滅するのだ。
政治家を動かすのは読者コラムニスト
このように外部不経済の内部化する税のことを、経済学ではピグー税という。ピグー税では、自分が生み出した不経済の分だけ負担をするのだから、明快で、公平である。 この税を導入しても、増えた税収の分、他の課税を減らせば、国民経済全体にダメージを与えることにはならない。多くの国は、所得に課税しているが、こうした取りやすいところから取る方法は、社会政策的に望ましくない。税にはペナルティとしての機能があるから、所得に課税すると、利益を出して社会に貢献しているところがペナルティを受けるということになる。だから、望ましくない結果へのインセンティブを高める税はできるだけ減らし、ペナルティ型のピグー税を増やしたほうがよい。 ピグー税は、地球温暖化だけでなく、大気汚染、水質汚濁、土壌劣化など他の環境問題の解決にも役立つ。環境問題をグローバルに解決するには、こうした各種のピグー税を、先進国のみならず、途上国にも適応させるべきである。途上国は、それまで何の制約も受けなかったのだから、こうした税の導入に反発するかもしれない。途上国の離脱を防ぐには、離脱した途上国を政府開発援助(ODA=Official Development Assistance)の対象からはずすようにすればよい。逆に、参加する途上国には、政府開発援助を通じて、環境問題の解決以上の利益が受けられるようにする。
人間社会の変遷は租税システムを変化させた。農業社会の江戸時代と明治初期は地租、近代化が進んだ明治後期と大正時代は間接税や関税、サラリーマンが増えた昭和になってからは所得税や法人税、大量消費時代の平成になってから消費税が租税収入の大きな割合を占めるようになった。知識集約型経済が中心になる21世紀の日本はどんな税制がいいのだろうか?
それはピグー税である。所得税や消費税を廃止して環境を悪くする炭素税やガソリン税、タバコ税、酒税、精神破壊の毒電波を流すテレビ税、無知蒙昧な記者が書く新聞広告税が中心になるだろう。ソビエト連邦はチェルノブイリ事故を発端として情報公開を進めて自己崩壊した。このままでは日本は同じ状況になるだろう。東京電力は売上げの2倍の有利子負債がある。大地震が発生して原子力発電所が崩壊すれば被災者への保障で倒産する。そして、被爆者への保障で日本の財政も破綻する。そうなれば必然的に情報が公開され社会システムが瓦解する。その痛みと悲しみによって新しい税制や法律が組み立てられるだろう。しかし、日本人は本当にそれでいいのだろうか?とも思うがきっとそれでいいのだろう。多数の選択だ。数年以内に無形化した空前絶後の失墜作戦が開始されるだろう。
選択する事によって選択される日本人
Amazon.co.jp 容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別 (平凡社ライブラリー)
大平洋戦争末期、すでに戦闘能力を失った日本の66都市を、アメリカが核爆弾と焼痍爆弾で無差別爆撃し40万人の非戦闘員を殺戮した行為は、なぜ「人道に対する罪」ではないのか。ナチスのユダヤ人ホロコーストに激しく嘔吐した連合国が、どうして対日無差別爆撃を正当化しえたのか。本書は、欧米型人道主義がことさら目と口を塞いできた戦争の人種的側面に、真正面から迫った労作である。 「ユダヤ人の大量虐殺を別とすれば、人種主義は、第2次世界大戦を語る場合に主題として取り上げられることはほとんどない」。しかし、ドイツと日本の残虐行為を見る連合国の目は人種的に両者を差別していた。ドイツの残虐行為は「ナチスの犯罪」であり、ドイツ文化や国民性に根ざすものではなかった。これに対して、アジアの戦場における日本の残虐行為は「単に『日本人』の行為として伝えられていた」。 ジョン・ダワーは、大平洋戦争当時のアメリカの政府高官や軍指導部の発言、新聞・雑誌の論調、さらには映画、ポップカルチャー、時事マンガにいたる膨大な資料を渉猟し、そこに通底する「赤裸々な人種主義的本質」を摘出した。「日本人は人間ではない。残虐なサルだ。だから1匹残さず殺せ」という意識が、戦争遂行機関、マスメディア、戦場の兵士を貫いていたという。
たとえば、ルーズベルト大統領主席補佐官のウィリアム・レーヒにとって「日本はわれわれのカルタゴ」だった。彼はローマ帝国がカルタゴの消滅を戦争目的とした史実に、アメリカの対日戦争目的をなぞらえていたのである。「コリアーズ」誌は、レーヒの考えをもとに「日本を破壊すべし」という論説を掲載した。この表題はローマの大カトーが元老院で演説した「カルタゴを破壊すべし」からの転用だった。 アメリカの戦争目的が「野蛮なサルを絶滅させる」ことである以上、大平洋戦争が徹底殺戮の「容赦なき戦争」になったのも当然である。しかし、「世界の大部分を巻き込み、5000万人以上の人命を奪った前例のない破壊的戦争において、どうして一方の敵対者だけの野蛮性など語ることができようか」。残虐行為のジェネレーターはステレオタイプの人種観であると、ダワーは言うのである。(伊藤延司)
内容(「BOOK」データベースより)
読者による投稿、コラムニスト募集中である。Cyber ULS直属で将棋でいえば飛車や角、チェスでいえばクイーンやビショップのような大駒は十分な状況が整うまでは決して動かせない。歩の無い将棋は負け将棋という言葉があるがまずが歩やポーンが動いて局面全体の配置を崩す必要がある。歩やポーンがボランティアとして動かねば自分自身が一番の被害を受ける。それは歴史が証明している。ガリア軽装歩兵は義務を全うして被害を最小限度にすることができたが、カルタゴ市民は義務を放棄して全員が奴隷となった。アメリカの覇権崩壊後に世界情勢は急速に激変する。その中心は湾岸産油地域である。日本人が決定的瞬間に動かないなら助けたくて支援する事は出来ない。個々人が独立した当事者として選択する事によって選択されるのが情報社会なのだ。天は自ら助くるものを助く。God helps those who help themselves. 世界は日本人には自滅願望があると考えられつつある。そして、残された時間は少ない。当事者や責任者がおらず、ソビエト連邦や大日本帝国末期と同じニューマだからだ。
