【検証】ハンニバルの盲点

戦略の父 ハンニバル

第一次ポエニ戦争でカルタゴはローマに敗れました。その為にカルタゴは制海権を奪われ海外領土であったシシリア島とサルディニア島を失いました。ハンニバル・バルカの父、ハムニカル・バルカは北アフリカのカルタゴ本国(現在のチュニジア)からスペインの植民地経営を行いました。第一次ポエニ戦争でカルタゴ軍の英雄だったハムニカルは生息領域を拡大しつつある両国の覇権は共存できないと知っていたのです。水素エコノミーで記載されているように農業の発展による森林破壊がイタリア半島全土に広がっていました。二つの大国が衝突するのは宿命だったのです。そして、ハンニバルは26歳の時に必勝の戦略を持ってカルタゴ・ノヴァ(カタルヘナ)を出立しローマに向かって進軍しました。ローマは大型戦闘艦220隻を保有しカルタゴは150隻を保有していました。ローマはハンニバルの出陣を聞きすぐにシシリアに兵力を送りました。ハンニバルの軍勢はスペインかフランス南部でカルタゴの海軍と合流し第一次ポエニ戦争と同じくシシリア島を戦場と設定すると読んだからです。しかし、実際に彼が進んだのはアルプスでした。冬のアルプス踏破で兵力の半数以上を失いましたが敵の意表を突き敵の戦略的配置と心理を崩したのは将に戦略の父といえるでしょう。

カルタゴ本国が動かない理由

ハンニバルは3度の前哨戦とカンネーの大会戦でほぼローマの正規軍を消滅させました。10万人と元老院議員の3割が失われました。通常、このような勝利の報告を受けたら本国は増援軍を送ります。しかし、カルタゴの本国は動きませんでした。彼らはバルカ家のような海外通商派ではなく、国内産業派が政治的な実権を持っていたからです。この時代、東洋では項羽と劉邦が戦っています。既に寒冷化が始まっていましたが北にあるローマやスペインのハンニバルにはその脅威を感じていました。しかし、南の北アフリカのカルタゴは暖かくその自然の変化に対する変化適応ができにくい状態でした。実際に水不足や燃料不足に直面するまで人間は危機感を持たないとの同じです。

ローマ同盟の切り崩しは可能か?

ハンニバルは3つの点で間違いを犯しました。

1.カルタゴ本国はハンニバルの支援に消極的である。
2.ローマの結束は固くローマ同盟は内部崩壊しにくい。
3.カルタゴ主流派の戦略的立場はハンニバルとは異なる。

ハンニバルは弟のハスドルバル・バルカをスペインの守りに、マゴ・バルカをカルタゴ本国に勝利の報告と増援の使いとして送りました。カルタゴ本国はマゴに兵力を与えましたが送ったのはスペインでした。これはカルタゴにとってスペイン鉱山から得られる銀は非常に重要だからです。またイタリアとスペインにハンニバルの王国が誕生する危惧も彼らは抱いていました。ハンニバルとローマが潰しあう事を望んだのです。もしハンニバルが敗北すれば何れはカルタゴは貴族国民は一族郎党滅ぼされるという事も彼らは理解していませんでした。この辺りに環境変化に鈍い南国にいる首都の首脳部を計算に入れていなかったハンニバルの盲点でした。

ハンニバルの盲点克服

カルタゴ本国にはハンニバル自らが報告に行くことと、その後にローマ遠征軍と合流後にローマ攻城戦を行うことがハンニバルが勝つ正しい道でした。カルタゴ本国にハンニバルが赴けばカルタゴの首脳は焦ります。ハンニバルの遠征軍が壊滅すればスペインを失いカルタゴ本国も危険になるからです。直ちに帰国を促すでしょうし、マゴに与えた程度の兵力は与えるでしょう。例え兵力が得られなくても別働部隊を率いる力を持つマゴを失わないのですからハンニバルにデメリットはありません。ローマの正規軍は既に消滅しているのでマゴが司令官代理を行っても心配はありません。これによってハンニバルの兵力は6~8万に増強する事ができます。

≪対応策≫
1.ハンニバルがカルタゴ本国で直接説得する。
2.ローマ同盟の象徴であるローマ市を攻略する。
3.ローマ同盟の別働隊をカルタゴ本国に誘導する。

同時代、東洋では始皇帝の統一と陳勝・呉広の乱、項羽と劉邦の戦いがありました。地球規模の環境変動が引き起こした統一を求める民族運動です。特に紀元前202年は最後のハンニバルとローマの戦いであるザマの戦いと項羽と劉邦の最後の戦いである垓下の戦いが発生しています。このとき、偶然にも日食が発生しています。ローマとスペインはアフリカより北国であり、劉邦の領地は項羽より寒冷な場所にありました。民衆レベルでの危機感の差が勝敗を別けたと考えるのが自然です。京都から遠い東北諸藩が幕末時に貧乏くじを引いたのは情報が少なかったからです。常に主権者が目を世界に向けなければ国家と言うものは地球環境の変動で簡単に滅亡してしまうものなのです。


ローマ市の攻城戦




まずローマ同盟の兵力が何故に多いのかを検証します。一つはローマ市の人口が多かった事です。次に全ての道はローマに通じるというぐらい同盟市と道路によって繋がっていた事が理由です。ローマ市はローマ水道で有名ですがこれはローマには良い水が少なかった事を証明しています。つまり、ハンニバルは攻城戦をする場合、事前に道路(特に橋梁)と水道(特に水道橋)を破壊すれば良かったのです。日本軍がシンガポール要塞の攻略時に行った手法です。道路を破壊されれば迅速に同盟市の兵力との集中ができませんし、水道が破壊されれば打って出て野戦に持ち込むしかありません。増援の部隊で主要道路の封鎖(野戦築城)を行い、その交通線の中央に騎兵を中心に円陣を組み待機します。こうすればローマ市の陥落は時間の問題です。スペインの残留兵力を北イタリアに来るように伝令を出し騎兵の産地であるガリアを押さえれば勝率は更に上がるでしょう。スペインを失ってもローマ市を陥落させればローマの元老院システム(ローマ共和国)は消滅します。

カルタゴ市の防衛戦

ローマ市が籠城態勢になればローマ同盟の打つ手は一つしかありません。史実と等しく別働隊を持って北アフリカのカルタゴ本国を突きハンニバルをイタリア半島から引き離すのです。プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マヨル(大スキピオ、スキピオ・アフリカヌス)はこの戦法で騎兵の産地であるカルタゴの隣国であるヌミディアを攻略しカンネーの戦いと同じ戦法によってザマの戦いでハンニバルを破りました。ここに前回、ハンニバルがカルタゴ本国に自分自身で報告に行った意味があります。騎兵は攻城戦の兵種ではなく野戦の兵種です。攻城戦に必要なのは歩兵や工兵です。窮地に陥ったローマは必ずカルタゴ本国を突きに来るので籠城戦の準備を予めする方法を伝授しておけばいいのです。第三次ポエニ戦争では武装解除をされてからでも3年近くの籠城戦をカルタゴは耐え抜きました。水の手であるローマ水道と物資と兵隊の輸送路であるローマ街道を破壊されてどの程度、ローマが耐え切れるかはわかりません。然しながら万が一、カルタゴ本国が陥落してもローマ市が陥落すればハンニバルは本国の奪還をする事ができます。事前の準備を行ったカルタゴは第三次ポエニ戦争以上に耐え切る可能性は高いと考えています。ローマ市が封鎖されればそれほど多くの遠征軍を維持する事はできないからです。 太平洋戦争中に本土決戦が叫ばれました。しかし、正しい本土決戦というのはモスクワから撤退したロシア軍のように軍の主力が顕在か、又は同盟国の軍隊が来るあてがある場合に限られます。援軍のあてがないのに籠城をすれば難攻不落の大阪城とて陥落は間違いありません。

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コメント

江田島孔明さんのサイトで下記の内容がありました。
可能な部分説明して頂けると助かりますがどうでしょうか?

http://klingon.blog87.fc2.com/blog-entry-219.html#comment
【検証】ハンニバルの盲点

これって何なんでしょうね?思わず笑っちゃったですよ。
ハンニバルが戦略の父???

アニメGIFの解説では、カルタゴ重装歩兵が横から攻撃なんかしてましたが、そんなに素早く敵の側面に回りこめるもんなんですか?重装備の歩兵って?
そして前進に命を賭けるレギオン、しかも四方から包囲されて必死に突撃するレギオンをガリアの軽装歩兵が支えられるもんでしょうか?
============================

○○○ 解答 ○○○

江田島孔明さんは知らないのかもしれませんがHannibal is the father of stratege(戦略の父)というのは世界の戦史研究家では普通に話されている事です。戦術の父としてはEpaminondas(エパミノンダス)が有名です。ローマの動員兵力は70万人を超えるマンパワー大国でした。人口がその3分の1以下しかないカルタゴは最初から戦略的に劣勢でした。15年間もイタリア半島で戦う事ができたのは戦略的優位をハンニバルが保有していたからです。本国から受けた補給は15年間でたったの2回だと言われています。

次にカルタゴのアフリカ傭兵部隊(重装歩兵)が神業的に側面に回り込みができたことの検証です。まず、彼らは冬のピレネー山脈やアルプス山脈を越えてきた選りすぐりのツワモノであることを前提にして下さい。ローマはガリア歩兵を殲滅するのに体力を消耗していました。その時間、重装歩兵軍は待機して体力を温存していました。ローマは騎兵部隊が劣勢なのもあって第一陣(若年兵)を第二陣(中年兵)と交代せずにガリア歩兵を追撃したのです。また、この重装歩兵陣形運動こそ『戦闘教義』と言われるもので事前に研究され徹底的に訓練が必要とされるものです。左右両翼の騎兵が敵を圧倒してから中央の敵歩兵ではなく後方を迂回して先ず騎兵を圧倒するというのも戦闘教義です。これは歩兵の勝負より騎兵の勝負が短期間で決着が付く為です。これがハンニバルの真髄です。

ガリアの軽装歩兵がローマの重装歩兵に耐え切れるかどうかの検証ですが凸形陣を予めに作っているのがその理由です。戦術の父であるテーベ(テーバイ)のエパミノンダスが生み出した斜線陣を左右両翼で配置することで横一線にならぶ横隊陣形(重装歩兵は直線列で戦う)の遅滞行動を可能としました。映画「トロイ」でギリシャ軍とトロイ軍の戦いがありましたがあのような形での戦いが当時の歩兵同士の主流でした。トロイの末裔が作った国がローマ神話です。またハンニバルのカルタゴの発祥の地と言われるチュロスはギリシャ人のアレクサンドロス大王によって滅ぼされています。大王の戦術をハンニバルは研究したのでしょう。レギオンとの接触面のガリア歩兵は鉋で削り取られるように兵力を消滅させましたが接触面が少ない分、時間はかかりました。またローマの投槍(2本)を消耗させる事もできました。カンネーの戦いの損害のほとんどはガリア歩兵だったといわれています。当然、中央部分のガリア歩兵から消滅することになりますが彼らが左右に逃げれば斜め左右のレギオンに刈られます。必然として後ろに下がる部隊以外は消滅したでしょう。ただ、左右のアフリカ傭兵部隊である重装歩兵は8000×2の16000とすれば全面のガリア軽装歩兵は24000となり、この戦いのハンニバルの被害は全軍で6000だったと記されているので4分の3の兵力は無事に一時的に戦線離脱再突入できたと考えられます。最後まで多くのローマ兵は何故敗れたかを理解できなかったのではないかと言われています。
http://www.ipc.shizuoka.ac.jp/~r0215062/kanne2.html
上記サイトも詳細に検証をしているので参考にして下さい。


松村劭コラムニストの戦闘教義特集は5月末で終わります。6月に『連山』副編集長(日本担当)とCyber ULSアラビア方面幹部と松村劭氏が会議を行います。『連山』側からは「長崎海軍伝習場」に倣い、「戦闘教義伝習所」の設置を提案する予定です。(長崎伝習所については下記参照)特に新型燃料による歩兵戦闘車とそれが生み出す新しい戦闘教義の教官には松村劭氏以外には候補者が日本本土には存在しないからです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/長崎海軍伝習所

かつての長崎海軍伝習所では勝海舟、鍋島斉正、五代友厚、榎本武揚が学びました。伝習場ができて13年後に明治維新となりました。海外に比して日本の知的劣化が問題となっています。この格差を埋める為に特に新型燃料であるハイパーハイドライドの電力系及び輸送用機械に与える影響を伝習する必要があります。しかし、学級崩壊が酷い日本では伝習場を設置しない可能性もあります。礼儀を知らぬ人間を松村劭氏は好まないからです。また欧米及びアラビアの幹部もに設置についての賛成派は少ないのが実情です。

戦略の父であるハンニバルは経営戦略によく使われています。
http://www.aisjpn.co.jp/mmseminar/contents/point.html
しかし、太平の平和によって日本には戦闘というものを理解しておらず戦争という言葉を嫌う性行がります。戦闘教義伝習場は時期尚早であると進言します。理由は下記をご覧ください。松村劭氏に対する罵詈雑言の数々です。今の若い人は苦労が足りないと考えています。
http://klingon.blog87.fc2.com/blog-entry-222.html

緊急国際会議の議題としました。
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/omnibus/arab02.html

ハンニバルがカンネーの殲滅戦の後にカルタゴ本国に帰国するには、もう一つの意味があります。バルカ派とハンノ派(反バルカ派)の炙り出しです。
ハンニバルはカルタゴを裏切りませんがハンノ閥のカルタゴ支配とそれは別です。
カルタゴ政府として援助が出せないのならバルカ派の有力貴族や商人が義勇兵や義援金を出す事になるでしょう。
但しハンノ家もローマを震撼させた英雄の弟ではなく、英雄本人を目の前にして援軍を出さない勇気は無いと考えています。
もし、ハンノ家が妨害すればローマにその旨を伝えて和睦の道を探ればいいのです。
ローマと同盟を結び、カルタゴ(ハンノ家支配)を攻めるのも戦略的には正しい方法です。
カルタゴはハンニバルへの内部同調者も多いのでローマ・ハンニバル軍の前にすぐに降伏するでしょう。
都市街道や水の手を断たれたローマがハンニバル直属の5万人にカプアの兵力、カルタゴの義勇兵と雌雄を決する冒険をする方法もあります。
どちらの場合でも、新しい物語となったでしょう。ハンニバルは戦略的に英雄でしたが政略に疎かったのが災いしました。
ローマ市の人口を最大50万人としても先の戦いで5万人以上を失い成年男子で残っている兵力は5万人程度でしょう。
強攻して戦えない兵力ではありませんし、援軍のあてが無いとなればカプアと義勇兵と直属の軍は甘えを捨て死力を尽くすでしょう。

帝国以降に備えて日本でもいろいろな炙り出しの時期に来ていると私は感じています。日本にも多くの出自を持つ人々がいます。PDAは伝統的尊皇であり国際協調派です。これは文化的人口抑制機能に基づいています。(平成19年7月18日掲載予定)

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