日本人はなぜ戦争をしたか/転落の歴史に何を見るか
日本人はなぜ戦争をしたか―昭和16年夏の敗戦 出版社/著者からの内容紹介
若手エリートたちによって構成された「模擬内閣」は、あらゆるデータを基に日米開戦を分析、昭和16年8月の段階で「日本必敗」の結論を導き出していた。数少ない資料・当事者の取材を通して机上演習をも再現する。
昭和16年、「内閣総力戦研究所」に軍部・官庁・民間から選りすぐった将来の指導者たちが集められた。それぞれの出身母体に応じて「模擬内閣」を組織し、戦局の展開を予想したのだ。単なる精神論ではなく、兵器増産の見通し、食糧や燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携などについて科学的に分析、「奇襲作戦が成功し緒戦の勝利は見込まれるが、長期戦になって物資不足は決定的となり、ソ連の参戦もあって敗れる」という結論を導き出した。この報告は昭和16年8月に、当時の近衛内閣にも報告され、後の首相となる東條陸将も真剣に受け止めていたはずだった。
日露戦争の輝かしい勝利から第二次世界大戦の惨めな敗北の原因は、日本人の中にある。水兵の失業問題を理由に、第二次世界大戦で空軍への戦略変換をできなかったのも当の日本人。物事の本質よりも人情が大事。日露戦争を勝利に導いた明治の元勲達も、システムを確立し後世に伝えることができず、次の世代を育てなかった。その結果は、政略に練達した本物のジェネラリストの枯渇。組織では、安易な希望的観測が横行し、異分子の排除、独創性の軽視、そして「日常の自転」が起こり、「思考停止」に陥る。国家全体を考えるリーダーが居なくなり、セクショナリズムが強まると隠蔽体質が根付く。お題目が組織を支配し、人事がゆるむ。戦争は精神力で何とかなるという転倒したロジックさえまかり通る。これらが奉天会戦からノモンハン事件までの34年間に起こった。
日本が必ず負けることは政府はもちろん海軍も、そして陸軍も、内閣総理大臣も理解していた。しかし、日本は戦争をした。しかし、戦争をせざる得なかったのだ。今の日本人は心理的に追い込まれた人間の行動を理解していない。そして、日本は確実に悪い方向に進んでいる事は知りながら、何の対応も取らない。それは歴史を学ばず智恵と勇気を培ってこなかったからだ。嘘や不正を見ても疑問にも思わず畜群のように飼われているだけだ。この2冊の本を連続して読んで欲しい。追い詰められた人間が何故、目先しか見えないのかが判る。そしてスペシャリストを育成してスーパーゼネラリストを育成しない事が如何に組織的に危険であるかを理解できるはずだ。既に日本は二重の意味での必敗状態となっている。それが観えるか診えないかの違いだけだ。例え転落のロジックが理解できても既に日本人だけでの挽回は不可能だ。これは論理的な内容でチェスで言えば既に詰んでいる。衆議院も今回の参議院選挙も数年前からのシナリオで動いている。
破滅を待つしか出来ない日本人
原発から黒煙がもうもうと立ち上るあの映像は、日本中を震撼(しんかん)させた。世界最大規模の巨大な柏崎刈羽原子力発電所で稼働中だった4つの原子炉は、設計どおりに自動停止した。しかし原子炉以外の部分では、安全対策と安全確保の手順に重大な欠陥があった。
どたばた警察コメディではあるまいに、原発で初期消火にあたった4人は十分に火を消すことができなかった。その理由は、おっとびっくりまさかそんな、消火用水の水道管が地震で破損していたからだという。地元の消防隊は、被災者の救援活動に忙殺されていたため、出火から2時間近くたってようやく、原発に到着する始末だった。そしてその後の調査で、日本の電力供給の3割近くを担う原発全55基の内、消火体制の整っている原発はひとつもないことが判明した。
ロンドンのハイド・パークの2倍強もの広さがある柏崎刈羽原発は、中越沖地震ほどの規模の揺れに耐えられる造りにはなっていなかった。設計時に想定した揺れの強さについては、1号機は273ガルだったが、実際の揺れは680ガルにも達した。 【補足】阪神大震災の揺れは820ガル
その結果、放射性物質を含む水が海に漏れ出し、放射性物質が大気中にも放出されるなど、個別に発生した損傷や不具合などのトラブルは63件に上った。柏崎刈羽原発を操業する東京電力と、経済産業省原子力安全・保安院は共に、漏れた放射能の量は「極めて微量」で、人体はや周辺環境への影響はないと説明し、住民の不安を解消しようとしている。漏れ出した放射能の影響は確かにそうなのかもしれない。しかし東京電力は当初、放射能漏れはないと発表していただけに、彼らの言うことを信頼していいのかどうか。
何よりおまけに、今回の地震が起きるまで東京電力は、柏崎刈羽原発の間近くに断層はないと主張していたのだ。今回の地震で、震央(震源の真上)から原発までの距離は16キロ。さらに、余震などを分析した結果、地震の断層が、原発の地下まで延びている可能性が高いことも判明した。
こうして次々と明らかになる新事実は、反原発派にとっては援護射撃のようなものだ。原発に反対する人たちは、地球上で最も地殻変動が活発な場所のひとつにある日本で原発を作るなど、狂気の沙汰だと主張しているからだ。神戸大学都市安全研究センターの石橋克彦教授(地震学)によると、日本は全国どこでも巨大地震に見舞われる危険があるのだという。6500人が犠牲になった1995年の阪神大震災は、それまで地震の危険は低いと信じられていた大都市を襲った。石橋教授は、地震と地震による核・放射能事故が引き起こす複合的災害(原発震災)で数百万人が犠牲になる危険があると警告している。
(中略)
ポイントは2つある。第1は、規制・監督の問題だ。民間事業者はどう見ても、安全性について手抜きをしてきたし、地震発生の可能性をありえないほど低く見積もっていた。これまでのやり方を見ても、日本の経済界は本当のことを隠すのが得意だ。それだけに、政府が徹底的に監視し、積極的に監督機能を果たさなく ては、事故防止のためあらゆる手を尽くしていると国民を説得できない。
第2のポイントは、もっと根本的な問題だ。そもそも日本は原子力産業をもつべきなのだろうか? ここで問題になるのは、石油や天然ガスをほとんど持たない日本にとって、原子力発電のない生活は考えられないということだ。
自分たちは資源の乏しい国——。日本人が抱えるこの根深い強迫観念こそ、1930年代の日本を突き動かし、そして破滅へと追い込んだ帝国主義的野望の最大要因だった。
日本人は中国人よりも駄目になった。インド人よりも劣っている。それを認める勇気が無い。だから良い診断方法があったとしても役に立たない。彼らより優れているから豊かでありたいと信じたいのだ。しかし神の目から見れば同じ人間に過ぎない。機動力を駆使した衝撃兵力である騎兵は無用の長物だという事だ。貧乏国の貧民層には騎兵は運用できない。明治時代、騎兵は騎兵が自己負担だった。大卒を中心とした一年招集兵(予備将校)も軍服装備を自費で負担した。それが当たり前だったのだ。その為に日頃から質素倹約で蓄財をしていた。昔の人々は未来の為に自己犠牲を厭わなかった。そんな歴史も知らない人間は国際的一流といわれる人々の世界では通用しない。
歴史を知る人々へ
1812年6月、ヨーロッパ史上最大の691,500人からなるフランス帝国の大陸軍(La Grande Armée)はネマン川を渡り、モスクワに到達しようとしていた。加えて80,000 の「国民防衛軍」がワルシャワ公国の国境の防衛のために召集された。ロシア国境の全フランス帝国軍も含めたこれらを以って、771,500人ほどがロシアに侵攻しようとしていた。
(略)
こうした兵力で、ナポレオン軍とすぐに対峙できるロシア軍は、392,000人を数えた。さらに首都サンクト・ペテルブルクの治安維持は、スウェーデンとオスマン帝国が行い、100,000人以上の兵力が使えることになった。こうした対処でロシア軍は規模を拡大させ、7万 - 8万いたコサック兵を含めなくても、9月までに兵力は900,000人程に膨れ上がった。
(略)
その後は大部隊の残存兵は激減し、1812年12月14日、ロシア領内から駆逐された。22000名の将兵が生き延びたに過ぎない。戦闘によるロシアの死傷者は、フランス軍と大差ないが、戦線の通過で荒廃した地域の住民の死傷者は、軍隊を上まわっている。全体としておよそ数百万人が死亡したと見られるとはいえ、仏露で等分すると約100万人が殺された。フランス軍は30万人、ポーランド軍は7万人、イタリア軍は5万人、ドイツ軍は8万人、ロシア軍は恐らく45万人を失った。人命同様にフランスは馬20万頭と大砲1000門も失った。
ロシア語で「乞食」や「ペテン師」を意味するシャロムイジニク(ロシア語: шаромыжник)は、フランス語のcher ami(「親愛なる友」)に語源があり、尋常でない冬の寒さに兵士が土地の住民に物乞いをしたことから来ている。一方、ビストロ(仏:bistro)はロシア語が語源と思われる。
ヨーロッパ人は大きな痛みを知っている。チェルノブイリでは多くの人々が身近に犠牲になった。ナポレオン戦争中に日本は鎖国をしていた。平和を謳歌していたが戦闘兵器と戦闘教義の進歩が止まるだけでなくそれらは退化してしまった。明治政府は不平等条約に苦しみ10年に一回の戦争で大きな犠牲を払った。海外に住む我らは仮想的駐在武官としてイラクやアフガニスタンでの戦争を日本在住の人々よりは知っている。それらを直接に紹介することも出来る。日本のマスコミは大使館や官僚の悪口しか記載しないがちゃんと仕事をしている人々もいる。もし、不幸や犠牲を避けたいのであるならば他者の苦しみや悲しみを自分の事として理解できる器量が必要だ。器の大きさに比例して強度がいる。それは特殊な教育でしか身に付かないだろう。
算術的に敗れたエネルギー戦略
日本はほとんど化石エネルギーがない。絶望的な状態だという自覚も無い。既に日本はどう計算してもエネルギー戦略で敗れている。判りやすくいえばエネルギー不足で食糧も産業も崩壊するという事だ。
日本の防衛はアメリカに大きく依存している。アメリカの崩壊は日本の安全保障にとって致命傷を齎す。衰退を始めたアメリカは間違いなく日本ではなく中国を戦略パートナーとするだろう。それが当然の選択なのだ。

中国はペルシャ湾岸やアフリカの石油をパキスタン経由でパイプラインで運ぶ計画を立てている。日本は環境政策は非現実的な机上の空論しかない。エネルギー政策に至ってはマスコミが中心にそれを破壊している。日本の選挙では年金と政治家個人のスキャンダルしか争点がない。国家100年の計は全く争点にならない。これは衆愚政治だがそれを憂えて地道に智恵をつけ勇気を持って行動する人材もほとんどいない。
欧州連合は既にロシアからパイプラインで天然ガスを購入している。風力発電も世界一で再生可能な分散型エネルギーシステムを完備しつつある。日本人では軍用などの戦略エネルギーの計画には参加する資格を持っていない。
情報革命は産業システムの高速コピーを可能とする技術体系だ。サイバードクトリン(制御教義)に基づく運動方程式によるエリート教育のシステム化を完備していない日本人は平面的な行動しか取れない。21世紀の日本は必敗という状況だ。それはGDPの数値にも出ている。(各国のGDPのPDF一覧より)21世紀を迎える知的準備がほとんど取れていない。戦争だと弱い部隊からマネー戦争だと貧しい階層から崩れていく。前線で格差が生じてその間隙を襲撃する事によって後方連絡線を破壊して戦線は全面崩壊する。日本はGDPの減少を弱い階層に集中したがこれからは全所得階層に広がっていくだろう。戦線の崩壊が拡散するのと同じだ。そして気づいた時にはいつものように手遅れになっている。メディアの制空権を取られた場合、どうやって対抗するかが肝要である。それのみが日本本土で一族が精神を破壊されずに行き続ける事ができるだろう。
パラダイムシフト

パラダイムシフトとは、競争のルールが変わることである。秋山好古は日本の騎兵ではロシアのコサック騎兵に絶対に勝てないと考えていた。そして、彼は騎兵に最新鋭の機関銃を運ばせた。敵の騎兵に対して塹壕を掘って馬から下りて機関銃で応戦した。そして彼は勝った。彼は騎兵を巡航戦車としてつかったのだ。人間は出来るからするのではなく、しなければならないからするのだ。今回は人類にとって幸運な事に地球は丸い。阿呆な日本人を相手にしないでも諸国民と提携できるのだ。これは21世紀になって初めて交通と通信の進歩によって球体としての活用が可能となった。日本は平面的に見る限り確実につんでいる。しかし、選挙ではなく、諸国民との環境対策による提携に活路を見出す国民が一定以上の質と量を確保できれば状況を変えることは可能である。球体全域のネットワーク網を文化通訳による連絡線によって繋ぐ事が出来ればパラダイムシフトが発生する。そして、日本もそれによって救われるだろう。永遠に歴史に残る栄光より、多くの日本人は目先の利益しか興味が無いのが空しい。少数の将来を見渡せる日本人は勝ち目の無い戦いを避け確実に勝てる戦いを長く続けて欲しい。自力による勝利は望めなくても世界にとって日本という文化と民族が必要だと認識されるような品性の高い人間が住む国だと認められるならきっと援軍が来るからだ。
【やばいぞ日本】官僚がつぶす石油開発(産経新聞)
一本の細いライン
背後連絡線とアカデミック・ボランティア

コメント
過去の失敗を教訓とすることができるかどうかによって日本人の未来が決まるだろう。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/dompolicy/80479/
サウジ政府は90年代から、カフジ油田の利権は例外的な外国への特別扱いとし、よほどの日本側の見返りがなければ、延長を認めるわけにはいかないと、繰り返しアラ石側に示唆していた。94年、経団連の平岩外四会長(当時)はサウジにミッションを派遣し、投資促進を約束。だが、結果は紙おむつ製造など小規模な投資にとどまり、「雇用の機会を増やしてほしい」という現地の要望からは遠かった。
経産省の言う「石油は一般商品」という論法は政界にも普及し、「有力な政治家の多くが利権延長にもあまり関心を示さなかった」(アラ石幹部)。鉄道建設に応じようという声は政官財界のどこでも盛り上がりを欠いた。技術は惜しむ、カネは出さない。政治家も動かない。相手がどこであれ、虎の子の資源をそんな国に譲り渡すはずがなかった。
http://www.specialprovidence.net/books/sea_lane_escort.html
当時日本の商船隊は世界第3位の規模を持っていて、それは日本の戦時経済を支えるに十分な規模のはずでした。戦時には、経済を支えるために資源を輸入する輸送と国内での物資の移動のための輸送の他に、軍隊を前線に送り出し補給品を届ける輸送の負荷が商船隊に加わります。それでも計算上は、それらを全て賄えるだけの輸送力が開戦時にはありました。さらにしばらくのうちは日本側の快進撃と連合軍の不手際が加わって輸送の問題は顕在化しませんでした。しかしいざ連合軍が態勢を整えると、まずは空母や戦艦などの大々的な海軍力ではなく潜水艦によって裏側からこれらの日本の輸送を支える商船隊を攻撃してきます。商船の護衛に何の注意も払っていなかった日本は次々に商船隊を失い、また輸送を無視した作戦展開によって日本からはるかに離れたソロモン諸島まで戦火が広がってその補給のために多数の船腹が費やされ、その輸送の過程でさらに貴重な船舶が失われていきます。慌てて昭和18年に海上護衛総司令部を設立して商船護衛に力を入れだすのですが、そうはいっても軍人の頭はそう簡単に切り替わらず、相変わらず護衛は後回しにされ装備も不十分なままで、さらにどんどん貴重な船が失われていきました。
この本はまさにその過程を逐一描いていて、著者が海上護衛総司令部にいてずっと護衛の問題を担当してきただけあっていかに当時の指導者がこの問題に無策であったかがよくわかります。広い太平洋で戦われる戦争は何をするにも海上輸送力が重要で、軍隊をさらに進撃させるにも撤退させるにもこれだけの船舶が必要と簡単に計算して弾き出されてきます。航空機を、艦艇を、これだけ増やすためにはこれだけの資源が必要でそれを運んでくるのにどれだけの船舶が必要なのか、これもまた簡単に計算で弾き出されることです。何をするにも船舶、船舶で、結局軍人も政治家も最後にはこの問題に行き詰まって輸送問題の重要さを痛感しますが、その時には既に手遅れだったのです。ずっと前から簡単な計算でこの破滅は予測できていたというのに。最終的には、機雷封鎖により日本と朝鮮半島・中国大陸を結ぶ基本的な外航航路さえ切断され、あまつさえ北海道と本州を結ぶ輸送さえ青函連絡船の全滅(昭和20年7月)により途絶してしまいます。この本の最後の方、終戦間際の様相を描いている箇所では海上輸送力の喪失によって刻々と日本の国力が0へ向かって減少している様子が数値を挙げて示され、工業製品の生産はおろか国民の基本的な食糧でさえ不足して大陸・朝鮮半島からの食糧輸送に大本営が特別な命令を出すなどの事態になっています
Posted by 陸遜 at 2007年9月 4日 22:48