超人とは何か
●19世紀ドイツの哲学者フリードリッヒ・ニーチェは、優等民族の進化を予言していた。彼は来たるべき「超人」──ゲーテの『ファウスト』からとった言葉である──を、新しく、より強く、生物学的にも価値が高く、進んだ人種であり、それ以前のいかなる人間よりも優れた生存能力と種の保存能力を持つ者、と説明していた。
19世紀ドイツの哲学者フリードリッヒ・ニーチェ(1844〜1900年)
ニーチェは、ヨーロッパ文明の退廃を批判、
新たな天才の出現による価値の転換を唱えた。
彼はキリスト教をヨーロッパ的人間の堕落の原因とし、
永劫回帰思想による生の肯定、「超人」の理想を主張した。
(略)
●ニーチェと同時代人であり、自分の創作したドイツ民族歌劇がヒトラーを狂喜させることになった作曲家リヒャルト・ワーグナーは、ドイツ人民こそがニーチェのいう優等民族であると明言し(ニーチェは同意していなかった)、「時は迫り来た!」と喝破した。
(略)
●この本の著者ベン・マッキンタイアーによれば、「ヒトラーはニーチェの著作を一語たりとも読んだことはなかった」という。彼は次のように記している。
「妹エリーザベトはヒトラーに長い賛美の手紙を何通も書き、そのたびに自分の『ニーチェ資料館』を訪問するよう促した。
ニーチェの宣伝価値は計り知れないほど高かったので、ヒトラーは7回もその促しに応じた。資料館に続く道路には子どもたちが整列し、ヒトラーに花束を贈った。エリーザベトはヒトラーにニーチェのステッキを贈った。 〈中略〉
ムッソリーニと違い、ヒトラーは最初から最後まで、ほぼ間違いなくニーチェの著作を一語たりとも読んだことはなかった。再三にわたって詩人政治家だと称してはいたが、書いたものの中でニーチェについて述べたことはなく、たった一度、食卓での雑談のついでに触れただけである。」
「人間は、自己の限界を乗り越えるべく、永遠に努力しなければならない。立ち止まり閉じこもれば衰退して、人間の限界下に落ちてしまう。半獣となる。神々と獣たち。それが根源だ。
組織もまた、同じだ。立ち止まり、古いものに固執する組織は衰退し没落する。しかし、人間の根源的な声に耳を傾ける組織、永遠の運動に帰依した組織、それは新たな人類を生み出す使命を受けているのだ。」
(略)
「(世界の終末が進むと)人間はイエス・キリストやヤハウェに頼るようになる。しかし、そんなものは来ない。ユダヤやキリスト教の幻想だ。私ははっきり言うが、そんな『救世主』は本当に来ないのだ!
その代わりに人類は、苦しまぎれの突然変異で、救いの超人や神人を生み出す。彼らや彼女たちは、知能が数次元高いだけではない。外見は人間とあまり変わらないが、人間にとっては危険な、どんな毒や殺人光線を浴びても生きていられる。神経も内臓も、人間と違う次元に進化してしまうのだからね。」
(略)
更にヒトラーは他の側近にこんなことまで言ってのけていた。
「私は都合上、ナショナリズムの気運を盛り上げねばならなかった。しかし『国家』の概念は一時的な価値に過ぎないことを既に知っていたのだ。ここドイツにおいてさえ、ナショナリズムとして知られているものが存在しなくなる日がやがて来る。それに代わって世界に君臨するのは、大師、大君主からなる普遍的な社会である。」
●ヒトラーの死後、側近の一人は次のようなことを語っている。
「ヒトラーの目的は"支配者の種族"の確立でもなければ、世界の征服でもなかった。これはヒトラーが夢見た大事業のための単なる『手段』にすぎなかった。
......ヒトラーの真の目的、それは"創造"を行なうことである。神の事業を、つまり『生物学的変異』を実現することにあったのである。この結果、人類は天上に昇ることになろう。いまだかつて前例を見ない半神半人の"英雄現出"こそ、彼の究極の目的だったのである。」
アフリアで生まれた人類が世界島を旅して住み着いたのが日本列島です。非常に過ごし易くアジア文明の王侯貴族の亡命先として活用されてきました。遠くはペルシャから、近くは高句麗(埼玉県高麗神社)、百済(宮崎県南郷村)、最近では清王朝や李氏朝鮮の末裔が日本と深く関わっています。ドイツ(欧州)には超人というべき人が多くいなかったようです。アレクサンドロス大王やカエサルは超人の萌芽でした。日本人には超人の萌芽が比較的に多く人為的にそれを生み出す必要性はあまりありませんでした。多くの人々は見た目が普通の人々である青の一族とある人は何かを感じ、ある人は何も感じず共存してきました。
君主とは神の言葉が聞こえる人です。この場合、神とは我々の先祖が選択した情報です。人は信じたくない情報は記憶せず忘れ去りますし他人に伝達しません。だから今の日本の神は先祖の行動の結果です。そして、その指針が道となり未来の原因となります。これが霊(神)です。そして、地球は宇宙にありますから太陽や地球の公転自転の運動に強く影響を受けます。これを天と言います。これが神(天)です。神と子と精霊という意味で言えば、天体の流れを知り、先祖の想いを理解し、文化的遺伝的継承者に伝える事ができる人間を君主といい、君主の中の君主を大君主(大師)といいます。日本ではミコ(巫女、皇子、神子)であり、オオキミ(大君、大王)といいます。一般に言われる青の一族であり言語による伝授ではなく非言語的に伝承されます。思念により一族を統御する人物を青の王といい何時の時代も必ずいるというわけではありません。
これらは共同体が危機に瀕すれば自然発祥的に現れます。問題となるのはそれが生まれた時、平時に現れない存在を通常の人々が平易に受け入れられるかどうかという点です。メシア(救世主キリスト)でさえ奇跡を見せなければ受け入れてはもらえませんでした。受け入れられた結果が半裸にされ磷付では悲劇です。これらの事象を鑑みて情報社会の超人は一個の個体ではなく集合的な個体で情報空間で形成される手法を選択しました。集合知による社会制御です。人類が本当に生存を続けたいならば拡大する砂漠を緑化し農地や森林を増やすしか道はありません。選択するのはそれぞれの人々の小さな想いでありそれを智識として紡ぎます。
発動された神と悪魔の計画




上記の漫画は「ブログサイト文明コラムニスト」から抜粋しました。
左のグラフは韓国から日本への農産物の輸出増加を示しています。上記の漫画のように日本は激変します。貿易赤字が恒常的になり失業も恒常的になります。永井俊哉氏が語っています。"マトリックス(matrix)はラテン語の母(mater)から派生した語で、子宮あるいは母胎という意味を持つ。プラトンの寓話では、洞窟に相当する。ネオも、洞窟内の囚人だったが、モーフィアス(Morpheus 夢の神)から、自分が生きているこの世は、実はコンピュータが作った仮想世界にすぎないという真実を教えられる。
その後、ネオは、真実を見ることができる赤い錠剤を飲むか、すべてを忘れて元に戻る青い錠剤を飲むかという選択を迫られる。 『マトリックス』の製作者は、善悪を知ることになる木の実を食べたために、エデンの園という楽園から追放されたアダムの話を念頭においていたのだろう。あの木の実は、アダムのリンゴ(Adam's apple)とも言われることから、リンゴだったと考えれれている。赤い錠剤の赤色は、アダムが食べたリンゴの色である。
『旧約聖書』に登場する楽園追放の話は、プラトンの洞窟の寓話と同じである。胎児は、真実の光に目覚め、無知の安逸から脱して、受難の道を歩む。青い錠剤は、胎内回帰のための錠剤で、その青さは、母なる海、羊水の色である。
ネオは、胎内回帰を拒否し、赤い錠剤を飲む。そして、マトリックスとの戦いが始まるわけだが、それは、『聖書』で言うならば、海の竜、ティアマトとの戦いである。ネオはいったん死ぬが、トリニティ(Trinity 三位一体)という女性に愛されることで復活し、新たな(neo)救世主となる。これは『新約聖書』の話である。
話を正義論に戻そう。正義とは交換の等価性であるが、人々は交換される物に関心を奪われ、交換するメディアに注目することはない。洞窟の囚人は、光によって作られる影に関心を奪われ、影を作り出す光という媒体そのものに注目することはない。注目するのは、例外的な覚醒者だけである。
富と言語メディアと暴力という三つのメディアは権力の三源泉である。大衆は、誰が富と言語メディアと暴力を背後で操っているかまでは考えない。アノマリーな少数者は、マスコミが報道する常識を疑うが、真実を暴こうとすれば、暴力装置によって消されてしまう。そして、富を搾取する不正が温存される。 マトリックスも、富と言語メディアと暴力という権力の三源泉を掌握していた。マトリックスは、人間を発電機として利用し、その富を搾取する。そして、搾取を続けるために、マトリックスは、情報を完全に支配し、仮想現実の真実を人間に教えず、彼らを従順な電池のままにさせる。ネオのような覚醒者が生まれたり、ザイオンからアノマリーが侵入してきても、エージェント・スミスやセンチネルといった暴力装置がこれを破壊しようとする。
ネオは、覚醒した時、一度も眼を使ったことがないので、眼が痛いと言っていた。太陽は、まぶしすぎるので、できれば直視したくはないものだ。しかし、メディアの限界が正義の限界なのだから、メディアから眼をそむけるわけにはいかない。私たちは、家畜に正義の原則を適用しないが、私たち自身が家畜に成り下がっていないかを考えなければならない。
プラトンは、正義の限界であるメディアの限界を広げようと、神という超越的な視点を持ち出した。私たちは、このような安易な解決策に満足してはいけない。宗教を信じても、己を洞窟に閉じ込めるだけである。神の絶対的メディアを信じない以上、メディアは常に相対的にならざるをえない。そして、メディアの相対性を自覚することが、自分を家畜にしないために必要である。"(出典:メディアの限界が正義の限界である)
遠隔教育『秋月』そして遠隔学習「御蔵」はそれぞれが小さくてもメディアを持つ事を教えています。太陽光は小さな熱量ですが太陽炉で集めれば3000度となり鉄をも溶かします。情報化社会とは農家が放送局となり、病院が新聞社となり、工場が雑誌社となる時代です。全ては単方向で流されるのではなく双方向で流れます。コンパクトシティに住みテレビを見ながら楽に生活しても我々は決して批難しません。ただ、我々は避難します。何故なら、不幸や馬鹿は感染するからです。多くの人々が灰や生ゴミを片付けない町は火事や伝染病が発生する可能性が高まります。多くの人々が情報を整理し匿名性を排して統合整理する町は安全で安定的で幸せになります。そう決めるのは貴方自身なのです。幸せにコンパクトシティで小さな世界で静かに滅んでいく。テレビを観ながら世界の真実を知らず家畜として死んでいく。変化に適用できず小さな世界に適用し、経済変動や気候変動、世界情勢の激変に耐え切れず、家族から邪険にされて自殺し消えていく。又は直接、子や孫に行きたままに埋められるという可能性もあるでしょう。クロマニョン人はネアンデルタール人を滅ぼしたのではなく、勝手に滅んだのです。楽を欲し、楽を求め、楽を選んだのです。他者とコミュニケーションを取る困難の中に快楽を見いださず目先を利益を選択したのです。その個々の小さな選択の永劫がある一定の閾値を超えた時、断絶が発生します。地球が有限な以上は滅びは必然として発生します。下の無料ビデオを観ながら独りになって考えて下さい。貴方が為すべき道が見えるかも知れません。
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