前回、1931年(昭和6年)満州事変から1937年(昭和12年)日中戦争と日中の戦いに焦点をおいてきた。今回はその後、巧みな英米の戦略により1941年(昭和16年)、日本が真珠湾攻撃に踏み切り、太平洋戦争に突入する部分についてふれたい。
米国のオレンジ作戦
米国は1938年(昭和13年)に統合幕僚会議で「新オレンジ作戦」を策定している。この「色彩作戦」は日露戦争勃発からアジアのバランスを保つために考察されていた国名を色に例えた作戦である。
※レッドが英国、ブラックがドイツ、オレンジが日本、グリーンがメキシコ
米国は元々中国の権益に大きな関心をもっていた為、日中戦争が勃発すると日本へ一貫して要求していたのは中国からの撤兵であった。しかしその後、英米協力の元、経済制裁を打ち出していく事となる。
英国の戦略
当時1940年(昭和15年)5月、欧州では英独間で制空権を握る激しい戦いが行なわれアジアへ兵力を割くことは出来なかった。つまり日本との対決を出来るだけ遅らせたく、また米国が日本と妥結する事はあってはならなかった。その後1941年(昭和16年)1~3月、米国と対日共同作戦「レインボー5号作戦」を結び英米の強調を強くするとともに、1941年(昭和16年)7月2日御前会議の段階で日本の外交暗号を解読し日本軍が南進する事が分かると、米国に経済制裁を行なわせる為に、英国は1941年(昭和16年)7月上旬、国務省の対日強硬派へ共同経済制裁のための働きかけを更に強くしている。
日本の迷走戦略
上記英米の戦略を知らない日本は米国の日米通商航海条約破棄を通告から始まり石油輸出の許可制など制限事項が設けられ徐々に首を絞められる事となる。日中戦争勃発中は、日本は北進(対ソ連戦)か、南進(対英米戦)すべきかに揺れていた。1940年(昭和15年)初頭に戦争経済研究班、1941年(昭和16年)4月に総力戦研究所が立ち上げられ戦争の準備として、各国の戦力比が分析されたが対英米との余りに大きい戦力差に敵国を過大評価しすぎだ等のクレームがあがっている。その後1941年(昭和16年)6月に海軍首脳部で提出された報告書「現情勢下に於いて帝国海軍の採るべき態度」により、戦争実施による石油需要、船舶輸送量は確保可能という自信が構築された。
以下報告書の要旨:戦争と石油(1) -太平洋戦争- 岩間敏著 P57より表・グラクなどを作成し短文に要点をまとめる
報告書の要旨
1.燃料
燃料の需給状況に関しては、現在の貯蔵量、今後の供給量および供給地、消費量等の相互関係を明らかにすることが可能。
※昭和16年9月戦争開始と想定
※昭和16年9月迄に於ける国内石油貯蔵総額: 970 万キロリットル
※昭和16年9月以降、船腹の関係上、大体に於いて貯蔵総額は増減少なきと見込む
2.供給量
| 第一年間 | 第二年間 | 第三年間 | |
| 国内 | 45 | 45 | 45 |
| 人造油 | 30 | 50 | 70 |
| オハおよびソ連 | 5 | 10 | 10 |
| 蘭印 | 0 | 100 | 250 |
| 合計 | 80 | 205 | 375 |
3.消費量
| 第一年間 | 第二年間 | 第三年間 | |
| 海軍 | 300 | 250 | 250 |
| 陸軍 | 60 | 60 | 60 |
| 官民需 | 240 | 240 | 240 |
| 合計 | 600 | 550 | 550 |
4.戦争が2~3年間の場合の見積
| 国内 石油 貯蓄 総額 |
第一 年間 合計 |
第二 年間 合計 |
第三 年間 合計 |
総 合計 |
差引 | ||
| 戦争が3年間 の場合 |
消費 総量 |
- | 600 | 550 | 550 | 1700 | 主力戦争無し 1630-1700=▲70 |
| 供給 総量 |
970 | 80 | 205 | 375 | 1630 | 主力戦争有り 1630-1750=▲120 |
|
| 戦争が2年間 の場合 |
消費 総量 |
- | 600 | 550 | - | 1150 | 主力戦争無し 1255-1150=105 |
| 供給 総量 |
970 | 80 | 205 | - | 1255 | 主力戦争有り 1255-1200=55 |
5.戦争3年間における不足量を補う対策
①人造石油の増産:可能性有(年約20万~30万キロリットル)
②掘削機械の急速整備
③印蘭産油獲得量の増加
※これらの対策により年120万キロリットル程度の増産は相当見込み有
要するに2年間の戦争継続には石油は保ち、3年間の戦争継続では不足するが、増産対策により主力決戦を含む需要にはギリギリ充足可能とした。
この海軍の石油備蓄量970万キロリットルは需給表作成者により水増しされた数値との疑義も出されている。
6.報告書の結論
・直ちに戦争(含対米)決意を明言し、強気を以て諸般の対策に臨むを要す
・泰仏印に対する軍事的進出は1日も速にこれを断行する如く努むるを要す
このとき日米の物量差はGNPで10~20倍、石油生産量で700倍である。日本が目差す短期決戦が無事成功すれば良い結果をもたらす可能性は十分にあっただろう。しかし3ヶ月で終わるとの事で始まった日中の争いも終戦を向かえるまで泥沼化している状態に明るい兆しは皆無だった。
※「人造石油は技術、鋼材の関係上期待薄、ソ連からの原油購入は減少傾向、南方還送は輸送力不足」が想定されていたが、この時点では、報告書は開戦の推進力として大きな力を発揮した。石油の不足量は人造石油、ソ連からの購入、南方還送で補って、船舶の喪失量年60万トンは新造能力で充当する事が可能との試算は昭和1944年(昭和19年)の還送原油79万キロリットル、喪失船舶383万トンの実績と比較すると、いかに現実とかけ離れた数値であったかが分かる。
米国の対日経済制裁
日米戦略の通りだが、下記の経済制裁を加える事となる。
・昭和14年7月: 日米通商航海条約破棄を通告
・昭和14年12月: モラル・エンバーゴ(道義的輸出禁止令)発動。航空用ガソリン製造設備、製造権の輸出を禁止
・昭和15年1月: 日米通商航海条約失効
・同年6月: 特殊工作機械等の対日輸出の許可制
・同年7月: 国防強化促進法成立(大統領の輸出 品目選定権限)
・同年8月: 石油製品(主にオクタン価87以上の航空用燃料)、航空ガソリン添加用四エチル鉛、鉄・屑鉄の輸出許可制
・同年8月: 航空機用燃料の西半球以外への全面禁輸
・同年9月: 屑鉄の全面禁輸
・同年12月: 航空機潤滑油製造装置他15品目の輸出許可制
・昭和16年6月: 石油の輸出許可制
・同年7月: 日本の在米資産凍結
・同年8月: 石油の対日禁輸
よくを見ると、対日経済制裁は日本の工業力、軍事力の基本となる石油、鉄、工作機械等を集中的に狙ったものであることが分かる。
開戦への道
報告書による戦争実施による石油需要、船舶輸送量は確保可能(計算では3年間)という安易な認識と、報告書作成の中心人物だった石川大佐の”南進しても米国の石油禁輸は無い”として南部仏印進駐論を説きまわった事もあり開戦へと移る事になる。
石川大佐は戦後、「太平洋戦争は俺が始めた」と豪語したと伝えられているが、事実、仏印南部進駐は米国の対日石油禁輸を引き起こし、太平洋戦争への引き金になった。戦争への道は「石油禁輸(昭和16年8月1日)までは海軍が引っ張り、それ以降は陸軍が引っ張 った」と言われる。
(中略)
7月26日の大本営機密日誌には「戦争指導班は資産の凍結を石油の禁輸とは思わず、米国はせざるべしと判断す。何時かは来るべし。その時期は今明年早々には非ずと判断す」と日本軍特有の希望・願望から判断への見通しを記述している。8月1日の米国の対日石油 禁輸制裁を受け、愕然・呆然とした空気が陸海軍上層部を覆った。
和解のための交渉中(日米交渉)に戦争になった場合の基地確保と称して「南進したが石油を止められ、戦争への道を進んだ」のであり、「石油を止められたから戦争へ突入」したのではないことが明白であるが、これが当時の日本の政策集団(陸海軍)の見込み、判断、行動であった。
日本が真珠湾に攻撃したとの報に接したチャーチル首相は感激と興奮に満たされ、ヒットラーは日米開戦による米国の戦力分割に喜び、スターリンは日本軍の北上が無くなり対独戦に集中できると喜び、蒋介石は米国と同盟が築けたと喜び、毛沢東は民族統一戦線結成により中国革命が達成できると喜んだ。
次回は太平洋戦争に移ろうと想う
続く
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