前回、前々回と日本軍の石油獲得について注目してきた。開戦当初は旨く事が運んでいたかにみえたが、国内・外問わず石油の量、質ともに十分確保でない状況が続き日米の戦況が逆転する。はたして一番のウィークポイントはどこであったのであろうか。海上輸送路の形勢を見ながら注目していきたい。
情報戦
先に一番の問題点から書くと、日本にとって致命的だったのは日本の輸送船団の暗号が米海軍に解読されていたことである。それには出発時刻、港湾名、会合点、船団編成などの情報があった。山本五十六司令長官の言葉”日本海軍暗号の解読は絶対にありえない”と日本海軍が自信を持っていた各種の暗号は戦争中にほぼ解読されていた。そして米海軍の潜水艦隊は先行して会合地点に先回りし、輸送船団を待ち受け集団包囲による殲滅攻撃を行ったのである。更には日本の輸送船団は制海権と制空権を米軍に奪われるにしたがい航空機の攻撃にも曝されることになる。日本が占領した南方の石油は、1944年(昭和19年)に入ると連合国軍の空襲を受けるようになる。最初に空襲をうけたスラバヤにあるウォノクロモ製油所は5月17日戦載機の攻撃によって壊滅。最大の製油能力をもつパレンバン製油所への初空襲は8月11日で、翌年の1月24日には50パーセントの製油能力を失う事となった。 更に大打撃を被ったのは1945年(昭和20年)3月31日、シンガポールのブクムとサンブーの石油積出既知が空襲で壊滅したことである。これらの基地はスマトラとそのほかの地域から原油と石油製品が運び込まれる貯油・積出の中継拠点であったのである。この空襲によって集約機能は完全に喪失し石油の還送機能の中核が破壊されてしまったのである。
1942年(昭和17年)6月5日のミッドウェー海戦が転換点(ターニングポイント)とも評されているが、上記のように既に情報戦で敗れ続けていたのである。日本海軍の損害が航空母艦4隻、重巡洋艦1隻に対し、米海軍の損害は航空母艦1隻、駆逐艦1隻と目に見えて開きがあったが、情報戦に敗れる事はそれとは比較にならない程大きい。海戦直後に米国新聞の一面トップに日本軍の攻撃を事前に察知した海軍の内容が掲載されたが日本軍は気づけなかった。戦時中、暗号が解読されていることに気づくことができたならば日本軍は暗号を変更しようとしたかもしれない。
崩壊・途絶する海上輸送路
これまで書いてきた通りの問題や諸事情もあり、後手後手の対応に南方油田を占拠しても海軍の燃料は常に不足していた。開戦時58万トンのタンカーが1945年(昭和20年)8月には25万トン(うち稼動6.3万トン)に減少している。無謀な戦略の上に同5月、有力な同盟国であったドイツが連合国に降伏し、ついに日本はたった一国でイギリス、アメリカ、フランス、オランダ、中華民国、オーストラリアなどの連合国と対峙して行くことになる。
シーレーン確保の思想が欠如していた日本海軍の作戦範囲はそもそも国力を超えていたのである。
開戦当初から日本軍に冷静な判断力があれば、事の重大性を理解し時には最小限の被害に食い止めるよう、戦線の早期離脱など考えられたであろう。しかし戦争と石油(3)でも書いた通り、太平洋戦争当初の大勝利の連続が根拠のない自信を生み出していた点が大きい。開戦から6ヶ月目に当たるミッドウェー海戦で大損害を被った時が最初の反省時期であっただろう。そこで客観的検証をし、楽観的・希望的観測を排除していれば、少なくとも未来は変わったはずである。
北号作戦
海上交通路の閉鎖とともに日本海軍が考案した戦艦を輸送船の代わりに使用するというものである。1945年(昭和20年)2月に計6隻の編成でシンガポールから航空機用ガソリン、生ゴム、錫、マンガン鉱などを輸送している。戦艦「伊勢」、「日向」は船尾の砲塔を取り外して、カタパルトと格納庫を設置する改造を行ない1万個のドラム缶(2000キロリットル)が積み込まれている。度重なる潜水艦と航空機の攻撃に耐えぬいた艦隊も燃料不足の戦艦は浮き砲台として呉などへ係留された。日露戦争以降、猛威をふるっていた日本戦艦も最後は運搬船、特攻、浮き砲台としての用途で幕を閉じた。
※ちなみに南号作戦は、1945年(昭和20年)1月に行なわれた南方からの重要物資緊急輸送作戦の事である。
終戦
1944年(昭和19年)7月サイパン島の陥落によって、米軍は戦略爆撃機B29の基地を確保した。同年11月24日、東京がB29による空襲を受け、昭和20年3月硫黄島の日本軍守備隊が玉砕すると、米軍の戦闘機基地が確保され、B29にP51などの護衛戦闘機が随行するようになる。日本本土の制空権が失われ2度の原爆投下の上、日本は降伏した。
何故このような結果になったか、ここまでお読みいただければお分りかと思う。端的に言えば日本の陸・海軍には補給や護衛といった概念が無く(薄く)戦闘艦中心主義が支配していたのである。
日本と状況が近い英国は第一次大戦のドイツのUボート攻撃による会場封鎖を教訓に開戦と共に護衛艦隊を編成、最終的には護衛空母43隻、艦艇800隻を保有し対潜水艦戦略を実施し、Uボート活動をほぼ封じ込める事ことに成功している。同じ島国でも雲泥の差が生じている。
次回、戦時中の不可解な事件に移る
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